希望溢れる2025年が始まりました
2024.1.6
いよいよ新しい一年が本格的に始動します。
私たちも、私たちの周りの環境も本然化するための条件が満ちています。
真の父母様の勝利圏が私たち食口を通して形状化、現実化しようとしています。本然化する奇跡が次々と起ころうとしています。
イエス様の弟子がイエス様の勝利圏を受けついて奇跡を起こしながら伝道していき、ついにローマ帝国を飲み込みました。しかしその時には多くの殉教の血が流れました。
今やその時をはるかに上回る奇跡が起きようとしています。殉教精神は必要ですが殉教の血は必要ありません。
実体聖霊の奇跡は私たち食口、祝福家庭から始まります。そして奇跡の火は世界に広まっていき世界が聖霊の火に包まれるのです。世界がお母様を通して生まれ変わります。その起点となるのが2025年です。明るく希望に満ちて強く雄々しく進みましょう!
<性相、形状と責任分担>
さて、創造原理の基礎にあるのが二性性相です。性相と形状、陽性と陰性の中に原理の根源がすべて入っています。
創造原理の中にある性相と形状の定義から見ていきましょう。
「存在するものはすべて、その外形と内性とを備えている。そして、その見えるところの外形は、見ることのできない内性が、そのごとくに現れたものである。したがって、内性は目に見ることはできないが、必ずある種のかたちをもっているから、それに似て、外形も目に見える何らかのかたちとして現れているのである。そこで、前者を性相といい、後者を形状と名づける。ところで、性相と形状とは、同一なる存在の相対的な両面のかたちを言い表しており、形状は第二の性相であるともいえるので、これらを総合して、二性性相と称するのである。」
「性相と形状とは、お互いにいかなる関係をもっているのであろうか。無形の内的な性相が原因となって、それが主体的な立場にあるので、その形状は有形の外的な結果となり、その対象の立場に立つようになる。したがってこの両者はお互いに、内的なものと外的なもの、原因的なものと結果的なもの、主体的なものと対象的なもの、縦的なものと横的なものとの相対的関係をもつようになるのである。」
こういった創造原理のみ言の上に、真の父母様のみ言を加えるとより鮮明にわかるようになります。
本来、心と体は、切り離そうにも切り離すことのできない一つのものでした。人間の心は神様の心であり、人間の体はその心を入れる器でした。第四篇 真の人間 第一章 神様が創造された真の人間 第二節33 1991.8.27
真の愛は、女性から始まるのではなく、神様を通して、男性を通して来るのです。それ故に、女性に生命の種を植えようと、男性たちが女性を尋ね求めて歩くのです。女性は器です。完全に空の器です。空の器とは、その器に入っていくものと対等な価値をもつのです。「天一国主人の生活」第一章 二 神様と真の父母と一体を成し遂げるための真の愛
宇宙の原則的な秘密は何かというと、親と子の関係なのです。その縦的な父と子の関係を横的に展開したものが、夫婦の愛なのです。分かりましたか。ファミリー 88年7月 52p 種となる幸福 1988年3月1日 ソウル本部教会
これらは余りにも深く直ぐには理解できないみ言です。
深い部分は別として、直ぐにわかることは、形状は性相を入れる器であり、陰性は陽性を入れる器であるということです。このようなことが分かる真の父母様の超越的な凄みを感じます。その鋭さは恐ろしいほどです。
神様は中身で人間は器です。器は中身と同じ形でなければなりません。
中身と同じ形になるのが器の責任分担です。
先に中身があってその次に器です。先に性相があってその次に形状です。
ところで神様と私たちが親子だという時、私たちはこの世界にある親子関係を当てはめて神様と人間の関係を推し量ります。しかし、これでは本当のところは分かりません。この世の親子関係は原因と結果の関係ではありますが、性相と形状の関係ではありません。人間の親子関係は、親は無形で子は有形というような完全な縦的関係ではなく、より横的です。
ただ人類の中で独り子と独り娘だけは私たちとは違う親子関係を持つ必要があります。お父様もお母様も父母がおられますが、それは仮の親であり、本当の親は神様だという心的環境で成長されました。
このような観点から見ると、真の父母の行く道はその他の人類とは違う部分があります。天国ができても子女は父母から生まれ父母に育てられます。その父母は神様と一体となった完成した父母です。
しかしお父様とお母様には神様と一体となった父母はいませんでした。お父様の父母は素晴らしい方々でした。お母様の母親は大母様でしたから、この世では最高の母だったわけですが、大母様でも本然の母ではありません。
このためお父様とお母様は神様の子女として生まれて見えない無形の父母と一体となるという道を行かなければなりません。これが真の父母の責任分担です。このような道は真の父母だけが行く道です。他の人間には決して行けない道です。
真の父母様も人間ですが、その責任分担の質も内容も私たちとは違うのです。天の父母様と子女である人間を繋ぐための橋を造るのが真の父母様の使命なのです。このため真の父母様の責任分担はより性相的な責任分担なのです。私たちの責任分担は形状的なのです。
つまり私たちがすべきことは真の父母様と同じ道を行くことではありません。真の父母様が入る器を作ることです。
アダムとエバが責任分担を果たしていたならば、後孫は責任分担圏にいるのではありません。その次は統治法的家庭倫理時代に入るのです。そのときは地上に真の父母がいるので、即刻、平面的な面から教えてあげることができるのです。「罪と蕩減復帰」第一章 蕩減・復帰原理の根拠 三 責任分担を完成すれば 1.責任分担の自由化圏が必要
何度も言うようで恐縮ですが、真の父母様の責任分担と私たちの責任分担は違います。人類始祖と子女の責任は明確に違うのです。
これは神様の責任分担と人間の責任分担の観点と同じです。
本当は、神様の責任分担100%+人間の責任分担100%です。
これを全体的に役割分担という観点でみると神様の責任分担95%+人間の責任分担5%となるのです。神様の責任は創造です。人間の責任は神様を絶対信仰、絶対愛、絶対服従することです。神様の責任分担と人間の責任分担は心情的には深く重なります。しかし、神様のやり残した5%を人間がするのではないのです。
同様に、私たちの責任分担は真の父母様があえて残された5%を為すことではなく、真の父母様が完全になされた100%を相続することです。
私たちの責任分担は真の父母様がお入りなる器を作ることです。その器は真の父母様とその勝利圏を絶対信仰することから始まります。絶対信仰ができれば真の父母様を絶対に愛し、絶対的に服従することへと進みます。そうすれば真の父母様がお入りになる完全な器になれるのです。
本来、真の父母様と私たちは完全に一つであって切り離すことのできないものなのです。一つになれば私たちも真の父母様と同一の価値を持つのです。