天心苑にある秘密の心情:能登半島地震と天の父母様の愛
元旦から悲惨な災害が発生しました。最大震度7の地震が起こり多くの人命が失われ、まだ捜索や救助が続いています。避難生活している人もあまりに多くいます。その原因を正しく知り、正しい道を選択することが重要です。
皆さんは、最大の自然災害とされる地震についてどう捉えておられますか?
一般の人は地震学者や気象庁の説明に納得している人が多いと思います。
断層が原因の地震、確かに正しいと思います。しかしあまりに表面的です。学者と呼ばれる人々は大きな貢献をしてきたことは確かだと思いますが、一番肝心な事を抜かしています。神様と神様の御業が分からないで原因を探るというのは真実から余りにもずれてしまいます。
宗教的な観点から見るとどうなるでしょうか。
旧約的、新約的な観点では愚かな人間に対する神様の裁きだということになるのでしょうか?
科学も宗教もあまりに問題が大きいです。現存する宗教や科学は人々を神様とその愛から遠ざける張本人になる可能性があります。(本当の呼び名は天の父母様ですが、ここでは神様という呼び名で話を進めます。)
ノアの洪水に始まって最近のコロナ禍、ウクライナ戦争、神戸淡路大震災、東日本大震災、そして今回の能登半島地震に至るまで数限りない災禍が起こっています。
私たちは天一国時代の真理を知る必要があります。
「神様には怨讐がないという愛の真実」で述べたことですが、ここでは今回の能登半島地震を中心に神様の摂理と心情について更に深く述べたいと思います。
以下の内容は神様と真の父母様の心情の核心に迫る内容です。この内容が本当なのかどうかご自身で祈ってお確かめください。
さて、神様を信じている人にとっては、自然災害は神様の恐怖の審判として映ると思います。
今回の能登半島地震の死者の9割は圧死だと言われています。多くの場合は倒壊した建物の下敷きになって呼吸することができなくなり窒息死されたのです。これはイエス様の死因と同じです。イエス様も十字架上で呼吸することができなくなり最後は窒息して亡くなられました。窒息は肉体的には苦痛の絶頂であり、精神的には絶望感が押し寄せる死に方です。
言うまでなく神様は全知全能です。地震を起こすことも避けることもできます。自然法則を造られたので、それは神様でも管理できないと考える人もいますが、神様はそんなに無力ではありません。地殻に大きなエネルギーが蓄積されるのは事実です。そのエネルギーを一気に解放して未曽有の被害をもたらすことも、被害が全く起こらないように、人間が感じられないほどに徐々に解放することも思いのままです。
神様が干渉できないのは人間の責任分担だけです。それ以外では完全に全能なのです。
そうすると今回の能登半島地震で地殻に溜まったエネルギーを一気の解放されたのは何故なのでしょうか?
事柄をもっと簡単にすれば、完全な父母であるはずの神様が何故多くの子女の命を奪われるのでしょうか?食口は一人も亡くならず、犠牲者は教会員ではない人々なので命が奪われたのでしょうか?神様は完全な父母の愛を持ったお方なので、食口とそれ以外の人に対する愛に差はありません。ですから今回の地震で食口が一人も亡くならなかったのは神様の愛に差があるからではないのです。私たちが犠牲になった人々より神様からより愛されているという考えは違います。何度も申し上げていますが、その原因は、私たちは勝利された真の父母様によって祝福を受けた子女、すなわち長子だからです。長子という中心存在のために次子が犠牲になるというのが原理なのです。その背後には長子は自発的に次子のために犠牲になるという愛の原理があるのですが私たちはそれができていません。
さて重要なのは神様が地震を起こして多くの命を奪われた理由とその時の神様の心情です。
まずその理由ですが、神様は多くの命を奪ってでも復帰摂理を進めなければならないと決意しておられるからです。そのことは復帰摂理歴史において一貫しています。神様は人間がこの世界の生活の中で幸福になってほしいとは全く思っておられません。信仰生活が進むとこの世界が余りに堕落世界だということが分かってきます。そしてこの世界の制度や文化を気持ち悪く感じるようになります。堕落世界に対する時に生じる感情は、自分が天に近いのか遠いのかを測る物差しになります。神様と真の父母様から見れば、この世界と堕落人間はどれ程気持ち悪いでしょうか?イエス様はその気持ち悪さを「へびよ、まむしの子らよ」という言葉で表現されました。しかしその気持ち悪さを圧倒的に超える父母の愛があるので救いの摂理をなすことができたのです。父母にとっては悲惨な地獄で生きる人間を一秒でも早く復帰したい気持ちでいたたまれないのです。
この世界に馴染んで生きれば生きるほど天から遠ざかり霊人体は悪化するだけです。客観的に見れば地震という天災で犠牲になれば天のみ旨を進めるための供え物になったことになります。
しかし人間として生まれたのに苦痛に満ちた悲惨な最後を遂げるということに対して父母なる神様はどう感じられるのかという一番重要な謎が残ります。
この謎を解く重要な内容を神様は夢で教えてくださいました。
2024年1月10日、その日も第944回天心苑徹夜祈祷会に参加して寝ました。ですから夢を見たのは1月11日ということになります。
この日は寒さで足が冷えたまま床に入りました。
夢の中にご父母様がお二人で出てこられました。そこは一面が冬景色でした。お母様に促されてこたつのテーブルのような所に座りました。そこに座って足をおろすと、下は氷の湖でした。そこにお母様は裸足で足を入れておられ、足が冷えている私に足を氷水に入れるように言われたので、凍える思いで氷の湖に足を入れました。お母様が氷の湖に足を入れられたのは私の為であることは明らかでした。それで私のためにそのようになさらないでくださいという思いが来ました。お母様にそのような道を行かせないのが孝子の道だという気持ちでした。
しかし、しばらくするとそれは違うという気持ちが湧いてきました。子女が孝子の道を行くとしても、それによって父母様が犠牲の道を行かれないで楽な道を行かれることはないのです。子女がいかに孝行しようと、それ以上の犠牲に道を行かれるのが父母だということです。父母とはそういう存在だと気づきました。
この10年あまりの私の信仰生活において、内的には多くの内容が与えられましたが、外的にも祝福を与えるという言葉とは反対に上昇するどころか益々底に向かっていきました。皆様も同じような世界を通過してこられた方が多いのではないかと思います。
夢の中で足が冷たいのは私の受けている環境的試練を象徴しています。そして更に厳しい状況を表わしているのが氷水の中に足を入れるということです。そしてお母様が先に氷水に足を入れておられたのです。子女の苦難を見つめる父母ではないのです。必ず子女以上の苦難を受けられるのが父母なのです。
私が氷水から足を上げてしばらくすると足が温かくなっていました。
お母様は氷水の冷たさで体調を崩されたようでお父様が傍で心配そうにしておられました。
父母の隠れた愛の真実を垣間見たようでした。
この観点から今回の地震の犠牲者に対する神様の心情を推し量ることができます。地震によって子女が死んでいく場は、神様も死を通過される場です。人間が死の苦しみを通過する時に神様も人間以上に死の痛みを感じられます。人間ががれきの下で息ができず苦痛と絶望を感じる時、それ以上の絶望的苦痛を感じられます。地震のよって人間を死に至らしめる残酷な仕打ちをされる神様は、その何十倍、何百倍、何万倍も残酷な地獄の道を行かれるのです。復帰摂理に現れる災禍や外的粛清の背後には神様の悲惨な死の道があったのです。イエス様の死の時にも、イエス様お一人を死の苦しみに行かせられる神様ではありませんでした。イエス様の受けられた苦痛の何十倍、何百倍、何万倍の死の苦痛を共に通過された神様でした。今こそ父母なる神様の真実の姿を知る時が来ています。
地震が起きるためにエネルギーが蓄積していく時、それは神様ご自身の刑場の準備でもあります。それだけの決意をもって復帰摂理を進められる神様です。何時も死を意識し、ご自身の死の場を準備しながら摂理の最前線を進まれる神様。余りに悲惨で可哀そうな神様です。
天心苑で紹介されたお父様のメッセージに、「霊界に来てから一瞬でも気が休まる時がない」という内容がありました。足がむくみ立っていられない状態になっても中断せずに進まれるお母様。何時も死を覚悟し、ご自身の死に場所を準備しながら進まれる神様の心情をダイレクトに感じておられる真の父母様には休息はないのです。
真の父母様が感じておられる悲惨な神様のお姿。真の父母様はそのお姿を感じるのでいてもたってもいられないのです。今こそ私たちも神様と真の父母様の真のお姿をリアルに感じるべき時を迎えています。
真の父母様がこの神様のお姿ゆえに深刻にこの道を歩んでおられることは、私たちには一切言われません。それは私たちがまだ幼いからです。
蕩減復帰を完結する摂理を進めるために、今も人間を救うための条件となる様々な天災を準備しなければならない神様です。南海トラフ地震のエネルギーもどんどんたまっています。これは人間にとっても未曽有の災禍となりますが、神様が苦痛に身悶え、神様でさえ気を失うほどの苦しみを通過されることになる神様ご自身の悲惨な刑場の準備でもあります。天心苑で祈るとこの深刻さが分かってきます。この地震を起こさせてはなりません。私たちはそれを防ぐことができる立場にあります。
神様と真の父母様の真の愛はこのような深刻さと悲惨さと残酷さを伴っています。人間を救うために愛する人間を殺してでも救おうとなさる神様。そして子女である人間を殺す時にその何十倍、何百倍、何万倍もご自身を殺される神様。凄まじい世界です。復帰摂理歴史を通してずっとこの心情世界が続きてきたのです。真の父母様以外に誰もそれが分からなかったのです。
堕落した世界に責任を負って復帰してこられた神様は、高く、貴く、聖なるきれいなところにだけおられる神様ではありません。人間には想像もできない、形容することもできない悲惨で悲痛で残酷な背後をもっているのです。
「真の神様」第四章 真のお父様の見た神様 一 歴史的な恨、苦痛の神様2.復帰の恨、子女を訪ねて六千年
残酷な真の愛に道を行かれる神様、その心情を感じながらご自身を残酷な道に追いやられる真の父母様。地震のような大災害だけではありません。私たちが行く信仰の道はある意味残酷な道です。私たちをそこに追いやっておられる神様がおられます。しかしその時に自分だけがその悲惨な道を行っているのではありません。それを観念ではなく体感として感じるべき時を迎えています。
歴史と通してご自身を残酷な道に追いやってこられた神様の真の愛。そして悲惨な道を行く私よりも私と共にもっと悲惨に道を歩まれる神様と真の父母様の愛。
その残酷さの中に隠れている真の愛を知ることが重生のための最後のピースのように思います。重生はその父母の愛を感じることでなし遂げられます。天心苑祈祷会でそれを感じてください。
いつでも死ぬ覚悟の愛で進まれる天の父母様、それに共鳴して死生決断の道を歩まれる真の父母様。私たちもその父母に共鳴して死生決断の精誠を捧げる歩みができるかどうかが問われています。
私たちが命を捧げる決意で歩めば、全体摂理も重生も同時に成し遂げられる時を迎えていると強く感じます。