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愛の故郷に帰りましょう!ピュア潜在意識へ

2025.4.29

<人間の心の表面と深淵部>

 

今回の内容は私たちが本然に戻るためにはどうすれば良いのかについてです。

私たちにとって最重要な内容だと思います。

かなり時間をかけて求めて作り上げました。

この内容の完成と実現には皆様のご協力が不可欠です。

 

誰もが今の自分の性格を変えたいという思いを持っています。しかし、それにチャレンジしても心を変えるというのはとても難しいことが直ぐに分かります。

私たちはみ言により、心の違和感となっている堕落性は人類始祖の堕落が原因であることを知っています。人類始祖が堕落する時、自己中心、不安、恐怖のうちに堕落したので自己中心性、掴みどころのない不安、恐怖が心の深部に根を張っているのです。これが様々な堕落性として表面に出てきます。

信仰生活を通して以前の自分とはかなり変わったと感じている方も多いと思います。その一方で根本から変わったとまでは言えないというのも事実かと思います。それはこの堕落性が心の表面ではなく、心の奥底に根を張っていて、心の表面に絶えず働きかけているからです。

 

さて、心について調べていくと不思議なことが分かります。心には心が感覚できる領域と心で感覚できない領域があることです。前者は顕在意識と呼ばれており、後者は潜在意識と呼ばれています。

この区分が明確になったのは19世紀です。フランスのヒステリー研究と催眠療法の大家だったジャン=マルタン・シャルコー(1825年-1893年)が起点となり、二人の門下生、ピエール・ジャネ(仏;Pierre Janet、1859-1947年)とジークムント・フロイト(独: Sigmund Freud、1856-1939年)が確立したと言われています。(先に潜在意識に気付いたのはフロイトではなくピエール・ジャネだと言われています。)

フロイトは、考え方が極めて無神論的でありカイン型であるため、心理学は真理からはどんどん遠ざかることになります。

 

宗教と科学の統一の実現には、心理学を神様とみ言を中心に吸収する必要があります。そうすることで一般の人が神様や霊界の役事を理解しやすくなります。例えば、真の父母様は病気の90%は霊的なものが原因だと言われています。これを一般の人が理解できるように説明できる必要があります。


人間の心(意識)を構成している顕在意識と潜在意識を図にするとおおよそ次にようになります。

潜在意識.jpg

意識全体に占める潜在意識の割合は90%から97%と考えられています。(95%とするのが一般的です。)

・何故、潜在意識の割合が圧倒的に大きくこの割合なのか?

・何故、意識は顕在と潜在の二つに分かれているのか?

・二つの意識の役割と関係性はどうなっているのか?

これらのことはみ言を知らない学者には永遠に解けない問題です。

 

これらに対する答えを得るには、神様の創造理想を知る必要があります。神様の人間創造の目的の中で最重要なことは、神様は人間をご自身の体として創造され、神様が人間を着られるということです。

 

神様はなぜアダムとエバを造られたのでしょうか。神様は無形でいらっしゃる方なので、実体の形状をもった父母になれなければ形状の子女を愛することができないので、体を着るためなのです。アダムとエバの創造目的は第一に、アダムの体を無形の神様が着ることであり、二番目は、体を着ることによって震動的な衝撃が来るようにするためです。言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。三つ目は、神様は中心軸をもった垂直の父で面積がないので、面をもとうということです。

「真の神様」第一章 神様の本体 二 無形の神様は体が必要 1.体をもつためにアダムとエバを創造

 

神様が人間を体として着るとなると、一人の人間に神様の意識と人間の意識の二つが同居しなければなりません。それを解決する絶妙な方策が顕在意識と潜在意識です。本来、顕在意識は人間の意識の場であり。潜在意識は神様の意識の場だということです。次のみ言からもそのことが分かります。

 

コリント人への第一の手紙第三章十六節を見れば「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」というみ言があるでしょう。これが何かというと、神様の聖殿です。皆さんが神秘的な境地に入って祈祷しながら「神様、どこにいらっしゃいますか」と尋ねると、答えがとても素晴らしいのです。「ここにいる! なぜそのように大騒ぎするのか」とおっしゃるのです。

「朝御飯を食べられなかったのか。夜遅く、なぜ大騒ぎするのか」と言うのです。「どこにいますか」と尋ねると、「どこにいるも何も、その深い心の奥に立っているだろう! お前の心の中にいるだろう!」と言われるのです。天国がどこにあると言いましたか。心の中にあると言いました。「成約人への道」 第一章 三 2.人間は神様が臨在される聖殿

 

ですから、心に尋ねてみるのです。その心には神様が入っていらっしゃいます。その声を聞くことができなければなりません。心の声を聞くことのできる境地まで入っていかなければなりません。

「天上天下唯我独尊」とお釈迦様が言いましたが、それは、「私」が「私」に尋ねれば、「私」に神様が入ってきていることが分かるということです。そのようになれば、できないことがないのです

第四篇 真の人間 第四章 真の人間が行くべき生涯路程 第一節人間の本性の道9 1984.7.10.

 

また、潜在意識が意識全体に占める割合が約95%と大きいのは性相意識であるからです。顕在意識は形状意識であるので意識全体の5%なのです。二つの意識は性相と形状の関係です。まとめると次のようになります。

 

潜在意識 95% : 神様の意識の場、性相、主体的、原因的

顕在意識  5% : 人間の意識の場、形状、対象的、結果的

 

ところで性相と形状の関係は創造原理には次のようにあります。

 

このように、いかなる被造物にも、その次元こそ互いに異なるが、いずれも無形の性相、すなわち、人間における心のように、無形の内的な性相があって、それが原因または主体となり、人間における体のようなその形状的部分を動かし、それによってその個性体を、ある目的をもつ被造物として存在せしめるようになるのである

 

これを見ると性相はあまりに能動的、動的です。形状はあまりに受動的、静的です。役割として95%と5%であることが分かります。

 

ところがここに真の愛が現れると驚くべきことが起きます。

潜在意識と顕在意識のうち、最終決定するのは顕在意識です。

人間の一個体に神様と人間が同居するのですが、神様は人間の決定に従われるのです。

父母なる神様にとってそれが最上の喜びなのです。

神様の父母の愛の深さは、想像を超える衝撃的なレベルです。

 

そのための最良の環境が、顕在意識(人間の意識座、主人の座)、潜在意識(神様の意識座、愛の僕たる父母の座)という意識構造なのです。意識は真の愛を中心とする家庭構造をしているのです。

 

このように意識構造を観察して分かることは、神様は人間の黒子のように人間に従って生きられるということです。既存の神観とは真逆だということが分かります。真の愛によって性相と形状、主体と対象、神様と人間の位置が逆転したかのような姿です。下記のみ言をご覧ください。

 

神様が愛する相対が神様よりもっと素晴らしくなると、創造した所望的基準から見るとき、神様より高い位置に立っているのです。ですから私が「神様!」と言えば訪ねてくるし、私が「ようこそ」と言うと神様は後ろからついてきながらも不平を言いません。千里、万里ついていっても、いつも神様は喜びながらついてくるようになっているのです。子供についていく親の喜びというものは、口で言い表すことができないものです。天地が和動して自分以上に歓迎をするのを見るとき、父母の満足した細胞全体が、笑いのふろしきとなり、どっとはちきれて出てくるのです

「成約人への道」第四章 成約人への道 七 愛の皇族となれ 2.愛の人になれ

 

神様御自身も真の愛を絶対視して、それに絶対服従して生きるというその起源を発表したのは、歴史上レバレンド・ムーンが初めてです。それは観念ではなく事実です。ですから、神様は、真の愛を探し出すために創造されたのです

「宇宙の根本」第一章 宇宙の根本秩序 二、宇宙は主体と対象でできている 1.ペア・システムが宇宙存在の原則

 

愛の僕となり、愛の奴隷となるのが最大の幸福だという事ができます。(祝福家庭と理想天国I-一〇六六)

 

<顕在意識は潜在意識をわずかしか変えられない>

 

分かりやすい例が自転車や自動車の運転などです。自転車に乗るには初めはとても苦労します。ペダルを漕いでスピードを出す、ハンドル操作をする、バランスをとるなどに顕在意識を集中して習得していきます。初めは失敗ばかりですが積み重ねるうちに、その操作が潜在意識に入っていって顕在意識をほとんど使わなくてできるようになります。車の運転も同様です。スポーツやピアノの習得なども同様です。潜在意識の助けがなければ何かをするたびに顕在意識は激しく消耗して疲れてしまいます。潜在意識は顕在意識の努力を受け止めて自動化してくれます。習得するまでは大変でも、気が付くと当たり前のようにできるようになるのは潜在意識の能力です。

 

余談ですが、宇宙にある様々な法則は天宙の総合実体相である人間から出ています。

物理の世界に慣性の法則というのがあります。これもそうです。宇宙でボールを投げれば初めは力が必要ですが、その後は何もしなくても永遠に等速運動を続けます。とても不思議な現象です。

物理学者は余りに突飛な説だというでしょうが、実際は人間の二つの意識に慣性の法則の原因があります。また、何かを始める時はおっくうで決意が必要でも、動き出せばあまり決意がいらなくなるという人間の心の性質も慣性の法則の原因となっています。

 

苦労して身につけようとした能力を自動化するという潜在意識の機能は、潜在意識の表面的な能力です。潜在意識の表面は白紙状態で、顕在意識によって変化させることが出来ると考えられます。しかし深い部分であるほど変化させることは難しくなります。そして更に深い部分は全く変化させることが出来ません。この部分は先天的な部分です。

 

心が本然に戻らなければ人間が本然に戻ったとは言えません。そのカギを握るのが、潜在意識が本然に戻ることです。そのためには潜在意識の先天的な部分がどのように形成されるのかを本質的に知る必要があります。

 

<先天的な潜在意識の形成>

 

一般的には顕在意識が形成されるのは6歳頃とされています。それ以前の記憶がほとんどないのはこのためです。そうすると潜在意識の形成が始まるのは胎児の時だと考えることができます。母の胎中にいる時期です。

 

ところで私たちは母には縦的な母と横的な母がいることを知っています。

つまり、潜在意識は天のお母様の胎中にいる時にでき始めたと考えるのが正解だということになります。これは縦的な潜在意識というべきものです。

ここには天のお母様の無限の母の愛が刻まれています。

本然の人間は成長するに従って心の奥底にある天のお母様の無限の愛の蓄積が潜在意識の最深部から上ってきます。このため自然に天の父母様の存在を感じるようになります。アダムとエバが神様を身近に感じ対話をしたことは本然の人間においてはごく普通に経験できることなのです。

潜在意識の形成1.jpg

ところで、人間の胎児の期間は次のように三つの期間だと言われています。

胚子期(受精後2週まで)、胎芽期(2週~7週)、そして胎児期(8週から出生まで)

こうして見ると天のお母様の胎中にいた期間も三段階だと推察されます。ただしこれは人間の成長の三段階とは比べ物にならないくらい余りにも長い期間です。

心の成長という観点から見た人間の成長期間は、天のお母様の胎中三期間、母親の胎中で三期間、生まれたのちの成長期間三期間、合計9期間ではないかと推測できます。

 

さて、人間堕落によって潜在意識に何が起こったのでしょうか?

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堕落によってエバの胎中にサタンが侵入しました。

これが原罪ですが、それは本然の潜在意識の破壊でもありました。潜在意識がサタンの自己中心愛によって再創造されました。それと同時に潜在意識の最深部に刻まれた天の父母様の胎中で受けた愛の感触は埋葬されてしまいました。

原罪は遺伝するので、この潜在意識の自己中心の情念は全人類共通の情念となりました。

 

これによりあまりにも深刻な結果が生まれました。

一つは、潜在意識の中に自己中心の情念が居座るようになったことです。これが堕落性の正体です。潜在意識からいつもこの情念が顕在意識に湧きあがってきます。これは心の奥から絶えず流れ出ていますが、あまりにも心の奥底から出てくるので自分が元々持っている情感だと感じてしまいます。結果から原因を変えるのは不可能であるように、原因意識である潜在意識の深層を変えるのは不可能です。

既存の宗教の限界がここにあります。既存の宗教では潜在意識の深層部が変えられないのです。ここを変えない限り本心と邪心の葛藤はなくなりません。

 

堕落によるもう一つの大きな問題は、天のお母様の胎中にいた期間の母の愛の記憶が、肉親の母親の胎中で成長する胎児の潜在意識と連結できなくなったことです。それで天のお母様の愛の記憶が消えてしまったかのようになってしまいました。

 

<母親による胎児の潜在意識への影響>

 

ここで、胎児の時に形成される潜在意識に対する母親の影響を見てみましょう。近年の研究では、人間は母親のお腹の中にいる胎児の時から母親の気持ちや感覚に同調して絶えず多くのことを感じていることがわかっています。

 

大人になっても、怒り、裁き、自己嫌悪、マイナス思考、孤独感に振り回される人、自尊感情が低い人、こういった思いが我知らず頻繁に湧きあがってくる人がいます。あるいは、身体的には虚弱であったり、常に身体が冷えていたりする人もいます。病気のデパートのような人もいます。

こういう傾向の人を催眠療法などの心理療法で原因を探ってみると、胎児の時に母親が抱いた感情に原因があることが知られています。

 

例えば、願わざる妊娠によって身ごもり、いつも後悔の気持ちを持ち続けていた場合、男の子を願っていたのに女の子だと分かり落胆した場合(その反対に女の子を願ったのに男の子だと分かった場合)、あるいは夫との夫婦関係や姑との関係が悪く強いストレスを感じていた場合、戦争状態で母親が命の危機を感じていた場合など、このような場合は胎児の潜在意識に強い悪影響をもたらし、子供は成人してからも上記の例のように精神的、肉体的に苦痛にさらされることになります。生まれてからの母親の子供に対する身勝手な育児は子供の心身に深い傷を与えますが、それ以前の胎中での影響はより深層的なので影響はさらに深刻なのです。

(胎中にいる時の悪霊、恨霊、中心霊の影響が大きいのは当然です。胎中の子女に悪霊が働けないように守ってあげることは極めて大事です。胎中の子女の潜在意識に刻まれた悪霊の傷跡が、子女の誕生後も悪霊の相対基準になると考えられます。)

 

<天のお母様の愛によって形成される潜在意識の最深部>

 

地上で生命を与えられる以前の時代に、天のお母様の胎中にいた時に私たち一人一人に与えられた愛の刻印がいかに大きいかは、イエス様を見るとよく分かります。

マリアはイエス様を出産するころには夫ヨセフとの関係も崩壊していたと思われます。ヨセフはマリアに対して一体父親は誰なのかと何度も問い詰めたと推測されます。

母マリアは夫に隠れて馬小屋で出産するほどに追い詰められていました。

このように異常なほどのストレスにさらされると胎児には破壊的な影響が及びます。イエス様はその後の人生においても愛を受けることが出来ませんでした。イエス様の人生は余りにも悲惨です。人を慕わしく思ったり慈しんだりすることが出来るとは到底思えないような情的環境でした。

しかしイエス様の路程を見るとそのような愛の砂漠の影響を全く感じさせません。それはイエス様の潜在意識の更に奥に天のお母様の強い愛が刻印されていたからです。

 

イエス様はこの愛を受けていたので十字架上で敵を愛することが出来たのだと思います。これを見ると、堕落によって天のお母様の愛の感触を失ってしまった堕落人間は復帰が極めて難しい状況になってしまったことが分かります。

堕落人間は、神様も分からない、霊界も分からない、そのことがいかに深刻なことかも分からなくなってしまいました。真理を知らないことが深刻なのではなく、真の愛を受けられないで育ったことが決定的に深刻なことなのです。

 

自分は父母に愛されてきたと思っている人は多くいます。それを裏付けるような思い出も持っていると思います。しかしそれは孤児院で育った子供が自分は愛されて育ったと言うのに似ています。

天の父母様の愛、真の父母様の愛を知らない人は、愛を知らないで育ったのです。一般の愛と真の愛は余りにも次元が違うのです。真の愛を受けたことがない人が自分は立派な人間だと自分を誇ることは余りにも悲しいことです。

 

人は愛がどんなに良いものか完全に知るよしはありません。ですから先生が愛をもって出てきたのです。「真の神様と祖国光復」第五章 再出発のための私たちの決意 三 真の愛を植えよう

 

<本然の自分に復帰する道>

 

このように見ていくと私たちが本然の人間に復帰するには、

第一に天のお母様の胎中での受けた愛の記憶を取り戻すことが基本となります。次に本然の母の胎中で生活し本然の母に養育されることが絶対に必要だということになります。

つまり天のお母様と真のお母様が登場される前は本然への復帰は不可能であることが分かります。

天のお母様と一体となった真の母がおられなければ本然復帰はあり得ないのです。今の時代に天の母と地の母が一体となったホーリーマザーハンという方がおられ、ホーリーマザーハンという言葉が出てきたことは福音中の福音なのです。完全な救いの時代に突入しているということです。

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ホーリーマザーハンの完全な救いを受けられるところが天心苑祈祷会です。天心苑はホーリーマザーハンの胎中だからです。

 

天心苑での祈りは天のお母様、真のお母様をもとめる胎児の叫びです。幼子よりももっと幼い子女の叫びです。母の愛を求める原初の叫びであるべきです。

天国に入るためには幼子なるだけでは不十分です。胎児になり更に一個の細胞だった時に戻る必要があります。

 

天心苑は単なる祈祷室ではなく本当に母の胎中です。天心苑は天のお母様と真のお母様の胎中です。それを絶対的に信じることから始まります。自分は天のお母様と真のお母様の胎中にいるんだ!という気持ちになり切った分だけ母の愛を感じられます。生まれ変わるのは母の愛によって生まれ変わります。母の愛を感じた分だけ本然の姿になっていきます。

真のお母様の胎中に入るならばそこでと止まりません。そこから天のお母様の胎中につながるのです。すでにある無限の愛の歴史に連結するのです。天のお母様が無限の昔から私に注がれた失われた無限の愛が蘇ります。

イエス様や真の父母様に連結された天のお母様の愛が私にも連結するのです。

天心苑にはそのような役事が待っています。真剣に求めることで失われていた至宝が見つかるのです。

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<天心苑で祈り願う最高の内容>

 

「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」ヨハネ3章3-4

 

ニコデモが到底不可能だと思ったことが今実現しているのです。私たちはこれをしっかり認識することが必要です。天心苑が天のお母様の胎中であり、真のお母様の胎中だという認識を片時も忘れないで絶対信仰する姿勢が基本となります。

そのうえで最高の内容を願う必要があります。

皆様も様々な願いを抱いて天心苑や呼名祈祷で祈っていると思います。しかし最高の願いは真のお母様と天のお母様の胎中に入れてもらうことです。

これが出来なければみ旨の道に来た私たちは目的地に行けず虚しく終わります。そこが本当の故郷だからです。

本当のカナン復帰路程はホーリーマザーハンの胎中に戻ることだったのです。愛の故郷の地で汚染された潜在意識が本然のピュアな潜在意識に生まれ変わります。

 

私たちは母のいる故郷を捨てて放浪しているようなものです。

私たちは、死んでもいいと思って故郷を捨てた立場です。

戻るには、死んでも故郷に帰りたいという熱い心情が必要です。

皆様の故郷に戻りたい思いがどれほどでしょうか?

自分の命を愛するより故郷への愛が勝るにはどうすれば良いか、何が何でも母の愛が溢れている故郷に帰りたいのか、真剣に向き合う時を迎えています。

ゴールは間近です。本然の故郷に戻る門は大きく開かれています。

内的還故郷はすぐそこです。

復帰摂理はついにここまで来たのです。

最後の関門を突破しましょう!そして重生の喜びに浸りましょう!

本然の母の愛を通して本然の自分に会いに行きましょう!

これも天心苑で突破可能だと信じます。

<天心苑は天のお母様と真のお母様の愛による治療の場>

 

私たちは天のお母様の愛と真のお母様の愛を知らないで生まれた孤児です。しかも愛を受けられずに生まれたので愛の未熟児です。

私たちは愛されようとしないで愛そうとすることが食口としての姿勢だとして頑張ってきました。その姿勢はこれからも大事です。

しかし孤児として放浪していた私の正体は未熟児です。そう思われませんか?

悲しいかな正常ではないのです。

愛を知らずに育ったので正常ではないのです。特に母の愛を知りません。

天の父母様と真の父母様は私たちを正常に戻してあげたくて、どれほど悩まれ身もだえて来られたことでしょうか。

 

しかし天の父母様が地上に来られるまでは本然の愛で愛してあげることが出来なかったのです。特に治癒と治療の主役は天のお母様と真のお母様です。聖霊は治癒と治療を成されます。入宮式によって天のお母様と真のお母様による聖霊実体が出現し完全なる治癒と治療の御業ができるようになったのです。

 

天のお母様と真のお母様が一体となったホーリーマザーハンという究極の聖霊実体の愛によって最終的な治癒、治療が始まったのです。孤児であり未熟児である私たちが正常に戻るためには真のお母様の胎中で愛され、天のお母様の胎中で愛される必要があります。

天心苑祈祷会の場には私たちを癒し、治療し、本然に戻す母の愛が充満しています。そこで思う存分、母の愛を受けても良いのです。いや受けるべきなのです。そうしないと永遠に本然には戻れないのです。天のお母様と真のお母様はその愛を受けてほしいと切実に願っておられます。

 

祈祷は時間を超越することできます。私の根源である天のお母様の胎中にいた無限の過去まで行くことが出来ます。祈祷によってそこに行けば天のお母様の無限の愛に出会えるのです。それで天心苑は祈祷の場なのだと思います。

天心苑は天のお母様と真のお母様の胎中です。それを信じ切ることが治癒と治療の始まりです。

 

伝道や摂理活動などの外的な活動をする時は、真の父母様の代身として愛することに集中する時です。これは今まで以上にそうすべきです。

しかし天心苑では胎児になって愛を受けることが必要です。本来私たちは未熟児なので保育器が必要なのです。そう思われませんか?

しかし天心苑にはもっと立派な本物の天のお母様の胎中と真のお母様の胎中が存在しています。そこで体裁を忘れて孤児だった未熟児の自分をさらけ出して本然の母の真の愛を受ける必要があるのです。かっこつけないで素直になるのが愛を受ける姿勢です。

天心苑祈祷会で正常で本然な自分に戻ることが復帰摂理を完成させる近道なのです。

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