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コロナ禍と堕落の衝撃的醜さ、そして天寶家庭

コロナ禍と堕落

2021年3月1日現在、世界におけるコロナ感染者は1億1406万人、死者は253万人となっています。現代における稀にみる災禍です。

「これは人類が一丸となって立ち向かい解決すべき危急の課題です。また、このパンデミックにより医療崩壊寸前まできており、医療従事者が過労死してもおかしくないような状態です。」という主張があちこちで見られます。確かに一般的には正論と言えます。しかし、天的な観点での正解からは相当にずれていると言わざるを得ません。

 

お母様はコロナ禍について、「神様がもう待てない」ので起きたと言われました。

このお母様の観点で世界的なコロナの蔓延の真の原因について知る必要があります。そのためには現在が復帰摂理歴史から見てどの時点にあるのかを眺めてみましょう。

 

① 神様の心情のみに絞った観点から見た天地創造と堕落

 

神様は愛を見るために創造されました。神様にとって愛はご自身の命よりも大切なものです。愛を見るためには対象の存在が不可欠です。そして愛を出現させる最高の愛の対象が人間です。精誠の限りを尽くし無限の時間を投入して造られた人間を見られた時の神様の心情を一言で表すとすれば次の言葉です。

 

「人間が好きだ!」

 

ところが人間は神様の戒めを守ることができず堕落しました。

これがどれほど破壊的なことなのか、真の父母様が現れるまでは誰も分かりませんでした。神様は人間を永遠に滅ぼしたいと思われたのです。

 

堕落したアダムとエバを無にしてしまいたい心は切実でしたが、彼らを無にすれば、六日間でつくられた全被造世界の原則を無にすると同時に、永遠の基準まで無にしなければならない立場になり、永遠の主体であられる神様の実存まで侵害されざるを得ない立場になるので、これを知っていらっしゃる神様は、アダムとエバをもう一度救援する摂理を始められたのです。「天一国主人の生活」第一章 三 神様の愛の絶対対象は人類の先祖アダムとエバ

 

六千年の間、心情に飢えた大主宰であり、大王として今まで苦しんでこられた神様であられることを、はっきりと知らなければなりません。その神様を慰労してさしあげなければなりません。

その神様は、すべての世の中を一度に審判してしまいたいという切実な気持ちがありましたが、御自身の目的があり、御自身の願いと希望がこの地上にあるので、それを見つめて耐えに耐え、さらに耐えてこられたことを知らなければなりません。第一篇 神様 第二章 心情と真の愛の神様 第一節 心情の神様20  1960.4.10

 

堕落において神様が抱かれた心情を表わすのは次の言葉です。

 

「人間も被造世界も無にしたい!」

 

これは神様の絶望の叫びです。

アダムとエバの命を奪い霊界に送ってやりたいというのとは次元が違います。肉身の命はもちろん、霊人体をも消滅させたいと思われたのです。

堕落から本然への復帰には心情的にあまりにも距離があります。

人間を滅ぼし消滅させたい! ⇒⇒⇒⇒⇒ 人間が好きだ!

いくら全知全能の神様でもご自分の情を自分で転換させることはできません。神様の愛(情)においては全能ではないのです。

 

神様は絶対的であり、また全知全能で遍在する神様ですが、神様も愛だけは思いどおりにできないのです。神様も愛の支配を受けます。それでは神様は何ですか。神様は全知全能ではないのではないでしょうか。「神様、あなたは全能ではないのではありませんか」と言えば、「私は全能だが、愛には全能ではない」と言われるのです。 「真の神様」 第一章 五 法度の中での全知全能である 2.愛のみが絶対基準である

神様の怨恨とコロナ禍

②神様の復帰摂理の難しさは、愛の絶対性を死守するという苦痛の中で行わなければならないこと

 

天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。マタイ5章45節

 

これは神様の愛の絶対性を表わしているよく知られている聖句です。

しかし、キリスト教徒でさえも、当たり前のように人間に注がれる神様の愛の深刻さを知りません。正しい者と言っても本然からすれば存在自体があまりに悪なのです。人間は神様の子女ではありません。姦夫の子であるという深刻な立場なのです。

神様の心情を知るにおいてこのことは避けて通れません。

神様のこの心情を分からずして神様を語ることはできません。

 

自分が明日結婚しようと思っていた人が強姦されて子供を産まされて、神様は孤独単身、独身生活をしているのです。ところがその女性が昔の因縁をたどって産んだ息子、娘を連れて来たというときに、姦夫になってしまった人はなんとかそのまま残しておくとしても、姦夫から生まれた息子、娘は音の出ない銃でもあったらパーンとするでしょうか、どうでしょうか?よく来たと接待することができるでしょうか? 1995年11月3日

 

神様にとって堕落人間は銃で撃ち殺したい対象です。何度殺しても飽き足らない人間を本然の人間のように接しなければ神様の愛の絶対性は崩れ去るのです。サタンに対しても堕落人間に対しても怨讐として接するなら愛は絶対ではなくなるのです。愛の天国は永遠に消滅します。

 

③どうして私たちは真の父母様と同じように人生を生き、食事を味わったり、奇麗な景色を眺めたり、家庭の愛の幸せといった基本的人権が許されているのでしょうか?

 

私たちが生命を得てこの世に生まれ寿命まで地上で生きることができるのはどうしてなのでしょうか? 多くの人がそんなことは当たり前のことだと考えるでしょう。食事を味わい、旅行して奇麗な景色を眺め、自然の音や音楽に浸り、花の香りを楽しみ、様々な感触を感じる生活、配偶者や子女を得て家庭の幸せを享受する。多くの人は、それらは基本的人権であり、人間がやっとたどり着いた自由と民主主義の世界だという人もいることでしょう。

思想の自由、宗教の自由、言論の自由、集会・結社の自由、居住・移転の自由、住居、財産権の不可侵などは、基本的人権の中核の成す要素で多くの血の犠牲の上で獲得されたものです。人類歴史の終末論のなかの第一祝福復帰の現象にも記されています。

しかし、このことによって私たち食口、祝福家庭にも基本的人権が天から賦与されていると考えるのには問題があります。

(三大祝福復帰の現象はメシヤを迎えるための環境整備が中心的な目的です。)

真の父母様も感じておられるこのような自由や幸福は、神様の血統である父母様が享受されるのは至極もっともなことです。しかし、堕落人間にとっても当然なのでしょうか?

信仰を持っている人は、神様は愛だからこのような権利を無償で与えられると考えるかもしれません。

確かに神様は父母なる愛のお方だというみ言もあります。

 

神様が今まで人間に愛を与えたからといって、「私は完全にすべて与えたのに、お前たちはなぜくれないのか」と、このように言えますか。絶対的な愛をもった神様は、今でも与えたい愛をすべて与えられずに、もどかしがっています。自己を主張することができない神様です。完全な愛を与えようとしたのが神様の人間創造の目的ならば、神様は今まで完全な愛を与えられなかったので、人間世界に対して愛を与えたがる神様です。そのような神様なので、考えるほどいいのです。「私はすべて与えたので、これからはお前たちがもってこい」と言う神様ならば必要ないのです。「真の神様」第一章 神様の本体 四 神様は父であられる 1 神様と人間は父子の関係

 

人間が罪を犯したからといって「お前、なぜ罪を犯したのか」とおっしゃるばかりの神様ではありません。罪を犯した事情をよく知っていらっしゃる神様です。御自身の事情は考えずに、人間の事情を知ってくださろうとする神様です。悲しい者には悲しい事情をもって訪ねてこられ、苦痛を受けている者には苦痛の事情をもって訪ねてこられ、悔しくやるせない者には悔しくやるせない事情をもって訪ねてこられました。皆さんは神様とどれだけ事情を通じたことがありますか。神様は私たちの生活環境の中にもそのように訪ねてこられました。それだけではなく、心情をもって訪ねてこられました。お前が私を裏切ったとしても、私はお前の父親だという心があったがゆえに、六千年という歳月を訪ねてこられたのです。

「真の神様」第四章 真のお父様の見た神様 二 息子を失った衝撃、悲しみの神様 2 神様の歴史的に悲惨な姿

 

このみ言は神様の心情の一端です。しかし、これが神様の心情世界のすべてをカバーしているわけではありません。このみ言には神様の心情の別の側面については述べられていません。真の父母様は神様の直系の実子です。一般的に考えれば神様にとって目に入れても痛くない、愛したいだけの対象となります。神様の愛を満身に受けて、誰よりも幸せな人生を過ごされたのでしょうか。私たちはそうではなかったことをよく知っています。

 

神様のみ旨を成し遂げてさしあげようと決意したことを私はよく知っています。神様の愛がこのようなものであるということを知り、ひざまずいて感謝し、許しの道を行かなければならないということをよく知っている人物です。血が吹き出しても解放の道を行かざるを得ない怨恨の神様だということを知る者はいません。私は拷問を受け、倒れそうな立場にあっても神様の前に祈祷をしませんでした。

「真の神様」六 神様の解怨と孝子の道1.真のお父様が歩み来られた復帰の道

 

天と地に染み込んだ怨恨がどれほど大きいかを知っているがゆえに、血を吐く立場にあっても神様を慰めなければならないのです。「私は死にそうです、神様、助けてください」という祈祷をすることのできない真の父母の立場に立たねばならない悲痛な事情を、誰が知っているでしょうか。知る人は誰一人いません。唯一神様だけが、神様だけが……。「真の神様」六 神様の解怨と孝子の道1.真のお父様が歩み来られた復帰の道

 

神様が先生をどれほど訓練されたか分かりません。先生には、神様が愛の神様ではありませんでした。考えるだけでも残酷です。世の中の商売人のような心をもったなら、もう既に逃げ出していたでしょう。み旨のことは考えもせず、神様がまた来るかもしれないと思って、はるか遠くに逃げていたでしょう

神様は、先生が監獄に入っていって苦労する時、最も多く愛してくださったのです。そのような場に行ってみると、「ああ、神様は、私を愛していらっしゃるのだなあ!」と知ることができます。ですから、監獄に入ったとしても、それが嫌ではありませんでした。ですから、統一教会の教会員は苦労しなければなりません。監獄や拘置所に入っていってでも苦労しなさいというのです。神様に出会うことができる場所とはどこでしょうか。最も深刻でつらい場所で神様に出会うことができるのです

第三篇 真の愛 第三章 真の愛の実践 第三節 真の父母の真の愛29 1991.6.2

 

真の父母様に現れた神様は愛の神様ではありませんでした。間断なく残酷な仕打ちをされる神様でした。愛の神様には監獄や留置場などの悲惨な場所でしか出会えなかったのです。

本然の父母としての心情だけを抱いて人類の前に現れたいと誰よりも切実に願っておられたのは神様自身です。しかし、その本然の心情が自然に流れ出ないのです。

愛がふさがってしまうのです。愛を中心に創造され、愛の世界を実現したい神様にとってこれ以上苦しいことはありません。本来、愛の神様なのに愛が流れないのです。人間を見て、好きだ!と思って接したくても愛の情が現れないのです。

この愛の流れを邪魔しているのは、うず高く固まり、しこりとなった恨です。

 

こうしてみると人間が肉親の父母から生まれ、生命を持った存在として生き、五感の喜びを感じ、好きな人に出会って結婚して夫婦の愛の喜びを味わい、子女を得て家庭を築き、社会生活を営み自由を謳歌するといった基本的人権に基づく行動は、神様にとって少しも喜びとは感じられないのです。俗世で行われているすべてが苦痛でしかありません。人間によって展開されている社会や世界は、神様のすさまじい忍耐の上に成り立っていることが分かります。無知とは恐ろしいものです。神様を踏みつけ痛めつけた上に、自己を誇っている恥知らずの人類です。

今日の人類は、サタンの血統を受けています。ですから悔い改めなければなりません。天地の大主人の前に顔を上げることのできないほど、恥ずべき内容があるのです。

しりまで隠して岩の後ろに隠れて、神様と呼ぶことのできない恥ずかしい子であることを知らなければなりません。愛の怨讐の血を受けたのです。ですから、涙と鼻水を流してはいつくばり、命を失ったとしても「罰を受けて当たり前だ」と言うことができなければなりません。死んで埋葬された自分であるということを知らずに生きる、かわいそうな人たちなのです。「祝福家庭」 第四章 四 入籍時代と私たちの責任 1入籍と真の御父母様の恵み

人間は神様にとって姦夫の子孫です。自然に流れる愛は全くありません。神様から人間に自然に流れる情は、見るのも嫌だ、滅ぼしたい、消滅させたいという情です。それを愛の絶対性を死守するために無理に無理を重ね、忍耐に忍耐を重ねて愛して下さっています。

 

詳しくは「神様の精誠Ⅰ」をご覧いただきたいのですが、一人の人間が生まれるためには愛し合う夫婦が必要です。夫婦の愛の根源は神様です。天の父と天の母の間に流れる性相的な夫婦の愛がその根源です。それは本来、本然の夫婦にのみ流すべき愛です。しかし神様はこの宝ともいうべき性相的な夫婦の愛を堕落人間の男女が愛しあう愛にも流されます。これは姦夫と堕落エバの淫行関係の再現を祝福されることを意味します。

それによって姦夫の子孫が繁殖します。神様の苦痛がまた増えますが、愛の絶対性を死守するために忍耐してその繁殖を助けられます。

神様は人間に三大祝福という愛を与えられたので、堕落した人間には与えないとなれば神様の愛は条件付きということになり、愛の絶対性は失われます。

 

生命活動の根源は神様です。精子と卵子が生命を持ち、一体となって一つの細胞を形成するようになるのは神様の働きかけがあってのことです。神様の意識が精子や卵子、細胞に浸透して新しい生命が生まれます。細胞内にあるDNAが人間の設計図だというあまりにも短絡的な見解を多くの人が信じていますが、DNA情報が担う部分は生命体全体の5%にも満たないと思われます。生命体はその程度の情報から形成できるほど簡単な構造をしていません。なにより、神様の意識が浸透していかなければ生命や生命活動は生じません。

 

一つの細胞を分裂増殖させ各種の臓器や骨、神経を作り上げ一人の人間にまで仕上げているのは神様です。しかし、そこまでして育て成長させた人間は姦夫の子なのです。神様はどれほど切ないでしょうか。どれほど虚しいでしょうか。

私たちは知らず知らずのうちに自由や民主主義や基本的人権などのこの世の価値観に強く影響を受けています。しかし、神様から見た場合、堕落人間には基本的人権をはじめとしたこの世の憲法や憲章、法律で保障されているあらゆる権利はありません。サタンの血筋であるので権利を主張できる立場ではありません。人生において様々な選択肢や自由があるわけではないのです。事実は、復帰と重生への一本道以外には選択できない立場です。サタンの血を受け継いだということは極めて深刻な事実です。この深刻さをどれほどまでに切実に感じるかによって将来が決まると言っても過言ではありません。

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④神様は怨讐を愛する決意をどのように固められたのでしょうか?

 

イエス様や御父母様は怨讐を愛する道を行かれました。ですから神様ならば当然、怨讐を愛せると思われるかもしれません。イエス様や御父母様には命までも捧げたいというレベルの神様との愛の基盤がありました。しかし、神様の愛の基盤は人類始祖の堕落により完全に消滅しました。そんな中で、神様が滅ぼしたいと思われたサタンと堕落人間という怨讐を愛することができたのはどうしてなのでしょうか。

 

対象に心情を投入すればするほど愛が流れるという原理があります。心情投入した対象には好きだという情が流れます。投入すればするほど、どんどん好きになります。また投入した対象が良いものだという気持ちが高まります。

神様はサタンと堕落人間に徹底的に心情投入されることで、流れない愛を流れるようにされたのではないかという気がします。本来まったく愛が流れない怨讐であるものに心情を投入し、徹底的に為に生きることで愛が流れるようにする道を行くしかなかったのだと思います。

 

神様は堕落人間であろうともその人の細胞の一つ一つの状態を知り、臓器の状態や健康状態、心の状態をすべてご存じです。いわゆる全知です。

これは神様が人間の一つ一つの細胞、臓器、心に意識を浸透するという精誠を尽くしておられることの結果です。この精誠の投入が姦夫の子である堕落人間さえも愛することができた原動力ではないかと思います。

 

神様が復帰摂理を本気で取り組まれたのは4千年前だというみ言あります。堕落人間、堕落世界があまりにも怨讐なので、それ以前は怨讐を愛そうという決意ができなかった神様でした。

 

アダムとエバが堕落することによって何を失ったのでしょうか?神様を失いました。愛をいっしょくたに失いました。億千万金を払っても買うことのできない愛を失ったというのです。それは何かというと、人間の根本的な価値が壊れたというのです。 ・・・・・堕落をすることによって愛を失ったというのです。それが天地をめちゃくちゃにし、神様を軟禁状態にし、人類の理想を完全に破綻させ、神様の理想的な家庭を絶えさせてしまったのです。理想的な宗族、理想的な国家、理想的な世界、地上と天上天国を完全に爆破させたのです。・・・・・

堕落によって血統が違ってしまいました。サタンは神様の姦夫です。愛の恩讐の種で生まれた恩讐の子供をどうやって直系の子供よりももっと愛するのかというのです。これが神様の救援摂理の着地です。今から4千年前に成されました。何千万年の歴史なのにどうして神様が人間を救おうとこの地に着地したのが4千年前なのでしょうか?今になって明らかにされるのです。恩讐の子供を自分の子供以上に愛さずには成すことができないのです。1995年11月3日

 

神様は本格的に復帰摂理に着手しようと決意されたのが今から4千年前であるなら、それ以前の数万年、数十万年あるいは数千万年、神様はどうしておられたのでしょうか?

実際に怨讐に真の愛で対応する次元にまでご自身の決意を固めるには、その恨の谷があまりに深かったのです。その谷を埋めなければ実践までの気持ちには至れないのです。

神様は祈りを通して怨讐に投入しておられたのだと感じます。

何万年、何十万年、数千万年にわたる祈りによる心情投入です。

祈りによる怨讐への愛の投入です。気の遠くなるような世界です。これにより実際にサタンや堕落人間に愛を投入しようというお気持ちに至られたのだと思います。

このあまりに長期の、あまりに深いお祈りが必要だったのは、神様にとってサタンと堕落人間が想像を遥かに超える怨讐であるためです。堕落人間、堕落世界に対する怨讐感があまりにも深いことを認識することが、神様の心情を体恤する基礎であると感じます。


神様の祈りの精誠の伝統が、御父母様の毎日の10時間超えは当たり前だった祈祷生活として受け継がれたのだと思います。

まとめますと、神様には人間の堕落において二つの選択肢があったと考えられます。一つは跡形もなく滅ぼし消し去ること。これだとその場の苦痛は和らぎますが、愛の絶対性は失われ、神様の目指した愛の王国ははかない夢と終ります。もう一つは神様の精誠を総投入することで、滅ぼしたい存在を、愛が流れる存在と感じることができるようにされることでした。

堕落世界と堕落人間はこの神様の精誠の上に立っています。

神様が真の父母様を愛される愛と同じ愛を堕落人間が受けているのは、あまりにも特別なことです。私達食口、祝福家庭は、祝福によりすべての罪が清算されているので堕落人間の範疇ではありませんが、本然の人間ではありません。やはり神様の精誠があって初めて現れる愛の上に立っているのです。

それを忘れてはならないのです。

コロナ禍と堕落

⑤真の父母様による神様の恨の95%の解怨と、子女による5%の解怨

 

前節においては神様の精誠の投入によって対象に対する愛を増大していかれたことを紹介しました。愛の心情が全く湧かない怨讐に対して愛の心情を持つ道はこれしかなかったのです。

しかし、神様の恨は神様と人間の関係性から生じたものなので、最終的に神様の恨を完全に解怨するには、神様の恨を解放しようとする人間の存在が不可欠です。

この課題に取り組まれ人類史上初めて解怨を成し遂げられたのは真の父母様でした。

神様の恨は、神様自身の体として創造されたアダムを失い、神様の妻として創造されたエバを奪われ、ご自身は独身生活と獄中生活の道を行かれたことです。更にその上に、この恨を生じさせたサタンと堕落人間を祝福し、僕のように侍る道を行くことを余儀なくされたことです。

 

真の父母様は、2013年の基元節において神様が真の父母様という体を着て聖婚されることで、この恨のほとんどすべてを解怨されました。

そのことをもっとも端的に表す言葉が「天の父母様」であり「天の父母様聖会」です。

私たちは神様のことを天の父母様と呼びます。過去においては天の父あるいは天のお父様でした。これは神様の並ぶ者のない尊厳性を表わしていると考えられていましたが、実は母という相対がいない独身という立場であるという余りにも切ない意味を内包していたのです。

 

これまでに数多くの宗教があり、天の父を信じる宗教にはなりましたが、母がいない宗教を信じてきたのだというこの恥ずかしい事実を、この時間爆発させてしまわなければいけません。2012年陽暦7月16日韓国・清平の清心平和ワールドセンター

 

神様も寡夫だし!昼の神様 夜の神様も寡夫達なのです!寡夫はいなくなります。先生のせいで、先生のせいでなくなることができません!…そうでしょう?…先生が必要だからその日を待っているからそれを…先生が知っている人が思い通りにできません。あなたたちははっきりと知りなさい。父母様の聖婚式、その日を同じ時間に祝福してあげるならばそれ以上の福はないでしょう。

天地共鳴圏と真の御父母様の聖婚 2011年天暦8月4日~7日 天正宮

 

2013年の基元節のご聖婚によって神様の積年の恨は95%まで解怨されました。しかし、堕落人間が存在し、堕落世界が存在する限り神様の恨は完全に払拭されません。

堕落人間がこの世界から一掃されない限り神様の恨の完全解怨は成し遂げられません。このためには私たちの子女の立場での5%が必要です。

 

⑥復帰摂理の基本法則である内的刷新と外的粛清

 

原理講論の後編 第四章 摂理的同時性から見た復帰摂理時代と復帰摂理延長時代 第四節 南北王朝分立時代と東西王朝分立時代、において内的刷新と外的粛清という概念が出てきます。

 

南北王朝分立時代において、イスラエル民族が、神殿理想に相反する立場に立つたびに、神は、継続して、四大預言者と十二小預言者を遣わされて、彼らを励まし、内的な刷新運動を起こされたのである。しかし、彼らは、預言者たちの勧告に耳を傾けず、悔い改めなかったので、神は、彼らをエジプト、カルデヤ、シリヤ、アッシリヤ、バビロニアなどの異邦人たちに引き渡して、外的な粛清の摂理をされたのであった。


この時代を、実体的な同時性をもって蕩減復帰する東西王朝分立時代においても、同じく、法王庁が腐敗して、トマス・アクィナス、聖フランシスなど、修道院の人物たちが彼らに勧告して、内的な刷新運動を起こしたのである。しかし、彼らもまた悔い改めず、堕落と腐敗に陥ったため、神は彼らを異邦人たちに引き渡して、外的な粛清の摂理をなさったのであり、これがすなわち、十字軍戦争であった。

統一王国時代、キリスト王国時代の失敗を収集するために、神様はみ言による内的刷新の摂理をなされます。それでも悔い改めて刷新できない場合は外的な存在を登場させて命を奪うという外的粛清を行うことで、悔い改めへのより強い役事をされます。

この内的刷新と外的粛清というのは復帰原理に基づいてなされるものです。復帰原理は創造原理から出てくるものなので、一見、残忍に見える外的粛清という概念は、人間を復帰するために致し方なく行わざるを得ない御業であることが分かります。

コロナ禍と堕落
バビロンの水辺
コロナ禍と堕落
十字軍戦争 アッコ包囲戦 (1291年)
コロナ禍の原因

⑦基元節とコロナ禍と神様の災禍、そして悔い改め

 

基元節は本来、私達食口、祝福家庭が責任分担を成し遂げたうえで迎えなければなりませんでした。⦅詳細は重生論ⅠのⅢ 直接主管圏に入られた真の父母様路程概観(付録)をご覧ください。⦆

基元節を迎えることは神様と真の父母様にとって至上命令だったので、食口、祝福家庭が責任を全うできない場合でも何としても成し遂げなければなりませんでした。私たちの失敗を埋め合わせる条件が真のお父様の聖和に至る十字架の道でした。

 

この出来事は真のお父様が寿命を削られてなされた十字架でした。イエス様の十字架の後、十二弟子のうち殉教を免れたのは三弟子のひとりゼベダイの子ヨハネだけでした。熱心党のシモンは、ペルシャでノコギリで二つに切られて殉教、バルトロマイは、トルコとアルメニアで説教したことで、むちで打たれ皮膚がはがされて殉教、マッテヤは石打ちにされ、そのあと斧で首を切られて殉教しました。ほかの弟子たちも逆さ十字架や刃物や槍によって残酷な死を遂げました。

下にあるバルトロマイの殉教を描いた絵は、手の形をした皮膚が垂れ下がるという、眼をそむけたくなる姿を描写していますが、真実を知っていただくためにアップしました。

 

堕落した世界に責任を負って復帰してこられた神様は、高く、貴く、聖なるきれいなところにだけおられる神様ではありません。人間には想像もできない、形容することもできない悲惨で悲痛で残酷な背後をもっているのです。「真の神様」第四章 真のお父様の見た神様 一 歴史的な恨、苦痛の神様 2復帰の恨、子女を訪ねて六千年

コロナ禍と堕落
コロナ禍と堕落

これを見ると真の父を死に追いやった私たちも同様の道を行くだけの罪人です。

悲惨な死の道を行くべき私たちが守られたのは、お母様の3年にわたる侍墓精誠による特赦があったからなのです。

それでも子女の責任が全うされたわけではありません。

2013年の基元節から2019年までの7年間は悔い改めを中心に内的刷新をすべき期間でした。しかし、私たちはそれもできませんでした。神様は7年間待たれたのです。それで2020年、神様は悪を分立するため外的粛清をせざるを得なくなりました。これがコロナ禍の真実です。7年間の猶予期間を与えられてもできなかったので、お母様は「神様はこれ以上待てない」のでコロナ禍が起こったと言われたのです。

 

本来なら長子である食口、祝福家庭が先頭を切って災禍を受けるべき立場ですが、それでは御父母様が私たち食口に投入された精誠が無に帰すので、代わりに次子圏であるこの世を打たれたのです。長子圏である食口、祝福家庭を守るために次子圏が犠牲になったのです。

 

コロナウィルスを動かしておられるのは神様です。神様の意識がコロナウィルスに浸透しなければコロナウィルスが活動することはできません。

また、人間の免疫を発動してコロナに感染しないように防いでおられるのも神様です。ウィルスも免疫も両方神様の手にあることを人間は知りません。すべては神様のさじ加減です。変異株を出現させているのは神様です。神様はコロナという外的粛清を止めるどころか、さらに加速されるかもしれません。人間の免疫を鈍らせ、コロナの感染力を増せばそうなります。これは人間が悔い改めるまで続きます。

神様はいきなり災禍を下されたのではありません。鳥インフルエンザ、

 SARSコロナウィルス、MERSコロナウィルス、エボラウィルス病(エボラ出血熱) 、ジカウィルス感染症(ジカ熱)などを通して以前より警告しておられたのです。しかし、人間はそれを自然現象としてのみ捉え、深刻な事態が天からやってくる兆しとして捉えませんでした。

今も多くの人が自然現象としてのみ捉えています。ワクチンで解決すると思っている人がほとんどです。そうではないことを私たちは世の人々に伝える使命があります。

(さらに深い理解のために「絶えず私に注がれている神様の精誠の驚くべき実像」のなかの⑫死の苦痛に耐えてなされた神様の復帰の精誠

をご覧ください。)

人類が外的粛清によって起こっているコロナ禍の原因となっている不信仰と根本原因であるサタンの血筋を悔い改めなければ、ワクチンで防げないもっと強力な変異株が出現するかもしれません。そんな変異株を出現させることは神様にとっては簡単なことなのです。私たちはコロナを恐れるのではなく、神様の御心から外れることを恐れるべきなのです。

神様の血統ではなく、堕落の血統として生まれて生きているということに対する根本的な悔い改めが必要な時です。私達祝福家庭は祝福によってすべての罪が清算されたのでサタンの血統ではありませんが、真の父母様の血統かと自問自答してみれば、自信をもってそうですと言える人はいないのです。それでは何の血統なのでしょうか?

​サタンという悪の天使長の血統ではなくなりましたが、天使の血筋であることには変わりがありません。肉体をまとった天使、これが私たちの姿です。これが重生しなければならない理由です。

コロナ禍を初めとするすべての問題を根源より解決する第一歩は深い悔い改めから始まります。

先祖から伝わってきた血統も、あなたに背反した血統であり、先祖の血と骨と肉を受け継いだすべての預言者たちも、あなたが喜んで、永遠の愛の心情で抱き得ない罪悪の苦い根をもっていたために、今日の私たちも天のみ前に受け入れられるにふさわしくない者たちであることを、あまりにもよく知っております。あなたがこの上なく善に造られた者たちが、お父様が嫌わざるを得ない部分と要素をもったまま、この地上で生きるという、この悔しい事実を知るとき、私たちは痛嘆せざるを得ないのでございます。 真の父母様の祈祷 第三章 真の愛  1.お父様の心情を宣布するようにしてください p1486 (1960.11.27)

 

人間の本性の無限な価値を喪失した人間は、いくら行楽の席で踊っても、悲嘆の声が良心の奥深くから、昼夜休まずに聞こえてくるというのです。これを避けることができないので、人間の行く道を苦行の道だと言うのです。これを解決するために修養の道を尋ね歩くのです。そのような苦悩は、男性でも女性でも、人間として生まれた誰にでもあります。

第八篇 信仰生活と修練 第四章 真の父母の人生から見た信仰者の道 第三節 養育の人生3 1983.3.27

なぜ、『家庭教会』が必要かというと、今までの統一教会の祝福は天使長家庭だからです。堕落する可能性がいくらでもあるのです。なぜ、『家庭教会』か。天使長家庭からアダム家庭に帰らなければ、永遠に地上には天国は顕現しません。・・・天使長の血統をアダムの血統に切り替える復活の理論を知らなければなりません。FAXNEWS106号 1994・9・13 アラスカ・日本家庭協会特別修

 

この世界の主権が神様にあるのですべての決定権は神様にあります。サタン主権時代においてもサタンがやりたいように何でもできたわけではありません。過去においてもすべてを裁可しておられたのは神様なのです。今や神様主権時代です。神様は万王の王としてすべてを行っておられます。コロナ対策といえば、ワクチンやうがい、手洗い、ソーシャルディスタンスなどを思い浮かべますが、神様が全権をもって直接に災禍を下されているのならば、最大のコロナ対策は深い悔い改めなのです

この天地の大主宰者であられる神様をサタンも無視することができません。自分の業を実行するためには、必ず善の神様の決裁を受けたのちに行動をするのです。その悪なることで神様の理想世界を破綻させるのです。 「宇宙の根本」 第二章 五、生殖器を通して天国と地獄が分かれる

コロナ禍と堕落
コロナ禍と堕落

⑧堕落人間のあまりの醜さと神様の苦痛の真の姿

 

神様が堕落人間を見る時、どのように見えるでしょうか?

 

人間の創造本然の特権的な価値を喪失し、堕落のうじとなってあえぐ無価値な人生を見つめる神様の内情的心情は、どれほど悲惨なことでしょうか。あの者たちは本来、私の愛と私の生命と私の血統を通して直系の子となり、天国の栄光を占めたであろうに、敗者の仮面をつけ、呻吟と苦痛と絶望の中であえぎながら命を絶つ場にいるのです。ですから、それを見つめる神様の心はどれほど悲痛でしょうか。そのように神様が悲しみの神様であることを知らずにいました。それゆえ文総裁は神様を知ってから何日も何週間も痛哭しました。統一教会の出発には、そのような深いものがあるということを知らなければなりません。「真の神様」第四章 真のお父様の見た神様 二 息子を失った衝撃、悲しみの神様 2 神様の歴史的に悲惨な姿

 

このみ言にありますように神様から見た堕落人間は「堕落のうじ」です。

うじとはハエの幼虫のことです。腐った肉、生ごみ、動物のフン、死体などがあるところで繁殖します。とても気持ち悪い存在です。

うじ=悪臭が漂い、気持ち悪く、吐き気がする、身の毛がよだつ存在

これが、神様が堕落人間に対して感じる情感です。

余りに気持ち悪いのでうじの画像を付けるのをやめました。

見たい方はご自身で画像を検索してみてください。

死肉に大量に群れているうじの姿に感じるぞっとする感覚。これが、神様が堕落人間に対して感じておられる感覚です。どれほど我慢しながら愛しておられるのが分かります。この世的な見た目、富、地位、名誉、名声、功績などは一瞬で掻き消えてしまう醜さです。

 

堕落人間は神様の血肉で出来ていません。サタンの血肉からできています。神様はご自身の血肉で人間を造ることができないのです。サタンの血肉は汚物です。汚物以下です。神様は、汚物を材料として人間を誕生させ、成長させ、繁殖させるしかなかったのです。

 

神様は、生めよ、ふえよと人類始祖を祝福されました。

これは神様の愛のみ言です。人類始祖は神様の戒めを破りサタンと淫行関係を結ぶことで、この祝福はサタンのものとなりました。

神様が約束された祝福がサタンのものとなっても、神様は約束した愛の絶対性を守らなければなりません。相手によって変わる愛ならば愛は絶対ではなくなります。

 

神様はイスラエル民族の基となったアブラハムを祝福されました。

わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。創世記22章17節

これは、アブラハムの血肉を始原とする人間を天の星のように、浜べの砂のように増やすという神様の約束です。

 

サタンは人類始祖の祝福を受け継いだ立場なので、アブラハムの立場以上です。神様はサタンに対して、サタンの血肉を始原とする人間を天の星のように、浜辺の砂のように増やすと約束されたことを意味します。実際、サタンの血肉で出来た、肥溜めから生まれた堕落のうじが地上も霊界も埋め尽くしました。これが堕落の持つ破壊的な深刻さなのです。

神様の血肉で人間を増やすことができないのです。サタンの血肉という汚物を材料にして人間を造るしか道のない神様だったのです。

神様は、天の星のように、浜べの砂のように汚物を用いて人間を増やす道を行かざるを得なかったのです。愛の絶対性を死守するためです。

この堕落世界は、人間の堕落と、それでも愛の絶対性を死守するために堕落人間を繁殖せざるを得なかった神様の悲惨な創造から出来上がったのです

真の父母様が勝利されるまで、神様御一人が愛の絶対性を死守する十字架を背負ってこられたのです。

神様の来られた道は言葉に表せないほどに悲惨です。

いくら外面が美人、美男子で、高学歴でスタイルが良く、奇麗な衣装をまとい、家柄を誇り、富や名誉を誇り、民族、国を誇っても中身は汚物なのです。

堕落人間すべてが堕落のうじ印であり、肥溜め印です。

 

それが、神様が見た時の堕落人間です。堕落人間は肥溜めから作られ、肥溜めを喜んで生きています。絶望的な醜さです。

神様にとっては悪臭の塊なのです。この世界の底なしの愚かしさを感じていただけると思います。堕落世界が全否定されなければならないのは余りに当然なのです。

これこそが堕落がもたらした真の姿です。それも知らずに自分は天国に行く、極楽に行くに相応しい人間だと思っているのです。これ以上に愚かで呆れることがあるでしょうか。行くところは地獄しかありません。

統一教会の「原理」を中心として見れば、今日、堕落した人間は、生まれるや否や地獄行きです。そうではないでしょうか。生まれるや否や地獄に入籍するのです。間違いありません。堕落後、偽りの血統でつながったすべての子孫は、サタンに入籍することになるのです

「祝福家庭」第四章 祝福家庭と入籍 二 入籍のための条件 1.所有権、血統圏、心情圏転換 ②血統転換

堕落人間の中身が完全に本然に戻らない限り、神様が堕落人間に対して感じられる気持ち悪さは決して消えないのです。神様が堕落人間を見る度に堕落の恨が蘇るのです。

神様をこの苦痛から解放する道は堕落人間の中身が、神様の血肉に代わる以外にありません。天寶家庭となり、神様と真の父母様の血肉を頂いて重生する以外の道はないのです。これしか堕落人間を救い出し、神様の恨を解怨して神様を解放する道はありません。

 

皆さんの体は、サタンの血を受けました。原理を聞いて観念的に知っているのであって、この体が神様の怨讐であり、人類の怨讐であり、歴史の怨讐であり、天理の逆賊となる、その逆賊の血が入ってきて渦巻いていることを本当に感じているかというのです。

この目は、サタンの目です。口も、手も、足も、体すべてがサタンのものです。第二編 真の父母 第三章 真の父母と重生 第一節 重生と復帰の道 8  1974.6.2

 

⑨原理結果主管圏---結果に責任を持たれる神様

 

神様が堕落人間の繁殖を推進された結果、この世もあの世も堕落人間が満ち溢れることになりました。これは堕落行為に干渉することにはならないのでしょうか?

 

神様は堕落そのものには干渉することはできません。それは人間の責任分担を奪い、堕落行為に価値を付与することになるからです。

しかし、神様は堕落という結果に対しては責任を持たれます。創造主として再創造をなさなければならない責任があるのです。それが原理結果主管圏の本質的意味です。

復帰摂理に現れる神様の95%の御業はすべて神様が結果に責任を持たれるがゆえに出てきたものです。復帰のための御業なので神様が直接なされます。これは神様の責任でなされる御業です。

勿論、ここにおいても神様が決して干渉できない人間の5%があります。

 

人類始祖の堕落という結果に対して神様はどのように責任を負われたのでしょうか?

一つは中心人物を立てて長子権を復帰し、メシヤのための基台を造成することでメシヤを迎えることです。

もう一つは神様が人類始祖を祝福したことを実行することです。堕落により三大祝福の基が人類始祖からサタンに移ったのですが、この愚かな結果に対しても神様は責任を負われます。

 

本来、創造理想の中では愛は所有を決定する様になります。愛の関係を結べば、その愛を中心に主体と対象は必ず互いの所有権をもち合うようになるのが原理です。従って、この原理的な基準でよく見る時、エバが天使と不倫なる愛の因縁によって堕落するようになったので、エバの後孫として生まれる人間の所有権は天使長であるサタンがもつようになったのであり、サタンはその所有権を堂々と主張出来るようになったのです。  「真の家庭」第10章 復帰すべき人類の真の家庭  二 サタンの所有物になったアダム家庭

 

神様は怨讐をたたき殺すのではなく、怨讐を愛したという条件と、怨讐であるサタンを、アダムに代わる立場に立つ人として愛したという条件を立てなければなりません。迫害を受けながら涙と血の汗にすべて打ち勝って、耐えに耐えて自然屈服させて、神様の愛を抱いて戻ってきて初めて祝福を受けることができるのです。そこでサタンは放してくれるのです。「罪と蕩減復帰」第三章 四 長子権勝利と父母権、王権復帰1.長子権復帰

 

神様は個性完成、子女繁殖、万物主管という祝福を人類始祖に与えられました。堕落により三大祝福がサタンのものになったので、サタン中心の個性完成、子女繁殖、万物主管が実現するようにするのが神様の責任となったのです。この世界がサタンの所有の中で三大祝福の世界が出来上がったのは、堕落に責任を持たれた神様の為されたことです。神様は祝福するという愛の約束を守られたのです

 

人間の努力の結果、現代の文明社会が出来上がったと多くの人が思っていますが、事実は神様がなされたことです。サタンと堕落人間に対する神様の祝福の実行がなければ未開のままの世界が今も続いているのです。近世400年の驚異的な文明の発展は、近世に超越的な力が働いたことを物語っています。メシヤを迎えるためだけではありません。それは神様のサタンに対する三大祝福の約束の実行だったのです。

 

歴史を通してサタンが絶えず先行していたのはサタンにそれだけの力があったからではありません。サタンが長子権を持っているので、それに従って神様が先に祝福を与えられたからです。

アブラハム家庭で家庭的なメシヤのための基台を造っても、サタン側は民族的な規模になっていました。モーセとヨシュアを中心に民族的なメシヤのための基台を造ってもサタン側はエジプト王国のような国家基盤を先に築いていました。世界的基盤も同様です。これはサタンの力で出来たことではありません。神様が長子であるサタン世界を先に祝福されたからです

サタンができるのはウィルスと同じように寄生して乗っ取ることだけです。たとえサタン側の三大祝福の実現であったとしてもそれをなされたのは神様なのです。

 

一方でサタンと堕落人間を祝福して神側の世界よりも先にサタン世界を発展させ、もう一方でサタンの持っている長子権と三大祝福を復帰するという気が滅入るほど困難な御業を成してこられた神様なのです。人間の堕落に責任を持つということはこのように想像を絶する世界です

 

基元節に至る過程で、私たちが真のお父様に死の十字架を負わせた失敗の責任を負われた神様は、自発的悔い改めによる内的刷新の道を用意され、一方で失敗の重荷をお母様と共に背負われました。しかし、それでも覚醒できなかった私たちの失敗の責任を負われ、コロナ禍を下された神様でした。すべて神様が私たちの失敗に責任を持たれたことによる結果です。コロナ禍を神様が望まれたわけではないのです。避けたい嫌なことを神様にさせてしまったのは私達です

⑩堕落のうじから抜け出し、神様の恨の完全解怨を成し遂げる天寶登載と重生

 

前節⑧において堕落人間のあまりの醜さについて述べました。

キリスト教徒は、堕落前の本然の人類始祖とその後孫である私達人類はつながっていると考えています。

私達食口においても、原罪と遺伝的な罪、連帯罪、自犯罪を同列で考える傾向にあります。堕落前の本然の人間が犯した罪と堕落後の堕落人間が犯した罪を同質と考えています。このため、原罪の清算は祝福によってなされるので、残りの罪である遺伝的な罪、連帯罪、自犯罪を自分の責任で清算すれば蕩減復帰は完了すると考えている人があまりに多いのです。

 

これは、堕落の深刻さに気付いていないことに原因があります。

罪の共通点は、サタンと相対基準を造成して天法に違反したことです。堕落の要素がこれだけだとするなら、復帰はどれほど簡単だったでしょうか。これだけならメシヤは必要ありません。堕落したアダムとエバが悔い改めて蕩減条件を立てればその時代に復帰が完了します。堕落したルーシェルをサタンと呼ぶ必要もないのです。ルーシェルも許される道がありました。

 

メシヤが必要な理由は何でしょうか?

メシヤが降臨されたならそれで救いの摂理が始まるわけではありません。子羊の婚姻をして父母になる必要があります。なぜでしょうか?

それは本然の父母を通して堕落人間を再び生み変えるためです。

つまり、人間の救いは罪を清算することで終わるわけではないということです。真の父母を通して生まれ変わらないと本然には戻れないのです。

 

真の父母という存在を抜きにして血統を転換することは神様でも不可能です。何故でしょうか?

お父様の指示で李相憲先生が書かれた「新しい共産主義批判」の第四章 唯物史観の批判と統一史観による代案 第七節 統一史観概要に「中心の主管の法則」というのがあります。これは神様の創造や再創造である復帰摂理は、初めに中心が立てられ次にその中心から全体に広がるというような意味合いの法則です。復帰摂理においてもそれが現れています。神様は中心人物を立てられ、それが中心民族の形成に発展し、更に世界を復帰しようとされます。

同様に、人類始祖は神様が直接創造されますが、他の人間は人類始祖である真の父母を通して生まれるというのもこの法則です。これにより堕落人間の再創造においても真の父母という人類始祖の存在がなければ始まらないのです。復帰歴史は必然的に真の父母復帰歴史とならざるを得ません。

人間がより善になるというだけでは意味がありません。真の父母様という中心による重生の実現がなければ、堕落人間の完全な救いはないのです。重生による人間実体の革命的な変化が必要なのです。

 

これは堕落が天法に違反したということに止まらないので、罪の清算だけでは復帰不可能になったことを意味しています。堕落によってサタンの似姿に再創造されてしまいました。堕落人間は実体がサタンの姿に再創造されてしまったので、修正して何とかなるような存在ではないのです。堕落人間はサタンの姿そのものなので存在するだけで罪です。存在するだけで神様の苦痛を増し加えます。同様に堕落社会、堕落世界は存在するだけで罪です。存在するだけで神様の苦痛を増し加えます。必要なのは改善ではありません。完全な作り直しが必要なのです。

 

人間は自己愛があるので、自分を良い存在と思いたいのですが、実際は自分という存在自体が罪であり、神様の苦痛です。

実体の完全否定と重生という作り直しが必須なのです。

根源から変わる必要があるため、重生という言葉が出てくるのです。サタンの血統という事実は深刻の中の深刻な問題です。世の中で取りざたされている深刻な問題の比ではありません。

 

真の父母様による重生以外に解決策はありません。血統転換してくださる真の父母様がどれほど貴重でありがたいでしょうか。醜い「堕落のうじ印」、「肥溜め印」から完全に脱却するには重生以外に道はないのです。

基元節の勝利により、血統転換する側の天地人真の父母様はそのための条件をすべて全うし重生の基台を完全に作り上げてくださいました。血統転換される側である私達の側にも責任分担としての条件が必要です。それが天寶登載条件です。

また、最後に残った5%の神様の恨を完全に解怨するための条件が天寶登載条件です。

人類始祖がサタンに主管されることで、その子孫はサタンの主管圏に落ちました。

私達は縦的には実子の長子の立場に立っているので、430代までの先祖解怨、先祖祝福によって母圏と父圏の長子権を復帰することができます。これにより僕の僕、僕、養子、庶子、実子、母、父、神に至るすべての縦的な長子権を復帰できるので、神様の子女に対する縦的(内的)な恨が解怨することができる条件が成立します。

 

また、地上において43家庭、430家庭を復帰し祝福することで、個人、家庭、氏族の長子権を復帰した立場に立ち、御父母様の勝利圏である民族、国家、世界、天宙の長子権に連結され、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様に至る横的(外的)な八段階の長子権を復帰した立場に立ちます。

このようにして、サタンに主管され堕落することで失った縦的横的な長子権を復帰した立場に立ち、神様の子女に対する恨を解怨することができる条件が成立します。

 

天寶登載のために条件には、縦的長子権復帰すなわちすべての先祖圏に対する長子権の復帰と、地上氏族圏における横的な長子権復帰が含まれています。これはサタンに対する完全な屈服条件です。

また、堕落と復帰において息もできないほどの苦痛を通過された神様の恨を解怨するための必要な全てが含まれます。(詳しくは重生論Ⅰ、Ⅱ、Ⅲをご覧ください。)

 

しかし、天寶登載条件を全うしたとしてもまだ中身には問題があります。祝福を受けることで「堕落のうじ」ではなくなりますが、中身は本然の人間ではなく天使長です。肉体を持った天使というのは創造原理にはありません。非原理的存在です。外見は人間ですが中身は天使です。天使は神様の実の息子、娘ではありません。また、神様に着られることもできません。

 

実際の重生が実現しなければなりません。

その実現のためには天寶登載家庭のある数的基盤が必要です。あるいは父国と母国の主権復帰による父母一体の真の父母国の創建が必要十分条件だと考えるのが妥当です。

(復帰摂理の進展によって父国、母国の両方の国が復帰統一されなくても重生が実現する可能性が出てきました。ポイントは天苑宮とその中にある天一聖殿です。

詳しくはコロナ、ウクライナ、元首相の悲劇の真の原因と私達の使命(最終摂理時代Ⅰ)をご覧ください。)

とにかく天寶家庭になることはもちろんですが、いかに天寶家庭を増やすかが重要です。天寶家庭になられた方々には、そこで気を抜かないで他の祝福家庭がいち早く天寶家庭になれるよう協助し、更にスピードアップ、パワーアップして真の父母国実現に貢献してくださるようお願いします。

 

こうして天寶家庭の重生がなされれば神様の最後の恨が消え始めます。そして、最後の一人の重生がなされた時に神様の恨が完全に解怨されるのです。

神様にとって人間は「死ぬほど好きだ!」という存在に戻ります。それは神様と人類が待ちに待った愛の王国の実現です。

​​神様が血を流して用意された復帰摂理(堕落の衝撃Ⅱ)⇒

コロナ禍と堕落
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