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神様の精誠の私物化と心情蹂躙する人間の姿

公共料金と言えば電気、ガス、水道などにかかる料金の事です。ライフラインと言われるように生命にかかわるものなので、ほとんどの人がすべての支払いに優先して支払っているのではないでしょうか。

たいていの人は自分が必要とする物やサービスを与えてもらえばそれに対する対価を支払うのは当然と考えます。もし、有用な物やサービスを受け取ったのにそれにふさわしい対価を支払わないとすれば罪に問われる場合があります。公共料金の場合などは強制的に供給をストップされます。

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さて、この線上で神様の恵みについて考えてみましょう。

神様を信じる人たちにとっての神様の恵みの基本は天地創造の恵みです。ただ、それは太古の昔の事なので一般的にはありがたみは薄くなりがちです。

ここで重要なことは天地創造において神様の創造の御業は完結したのかということです。有神論の論者の多くも、神様は、創造はされたがその後は天の高き所から眺めておられる存在と考えています。

 

この点においても統一原理、統一思想の主張は画期的です。

まず、創造原理第二節の万有原力の存在です。

現時点の宇宙においてもそこに現れている重力、電磁気力、弱い力、強い力のエネルギーの総量は凄まじいものがあります。

重力はこれらの4つの力に中では最も微弱な力です。しかしこの重力のエネルギーですら気の遠くなるほどのエネルギー量です。

ハンマー投げを例にとると分かりやすいかもしれません。ハンマー投げの選手はワイヤーのついた鉄球を回します。重い鉄球を回せば大きな遠心力が選手にかかります。それに耐えながら更に回転速度を上げていくことで遠くに飛ばすわけです。手を放せば一気に猛スピードで飛んでいきます。

同じことが太陽と地球の間でも起こります。地球は太陽の周りを回っています。地球で生きている人間には地球が太陽を回る速度は速いようには感じません。しかし事実は秒速29.8 kmです。太陽と地球がもの凄い力で引き合っているので飛んでいかないで軌道に留まっているのです。この強力に引き合う力が重力です。太陽と地球が引き合う重力と同じ力を人間が作り出すことは当分の間できないでしょう。地球上の原爆、水爆などのエネルギーをすべて使ってもハエの羽ばたきに過ぎません。

​(ちなみに、太陽系が銀河系で公転する速度は秒速230 kmです。)

 

この重力の届く範囲は無限なので宇宙全体の重力エネルギー総量は想像を超える量になります。例えば銀河系を形成させている力も重力です。銀河系には恒星が2000億個ほどあります。そのすべての恒星間に重力が働いています。銀河間にも重力が働いています。私達の住む銀河系と隣の銀河であるアンドロメダ大星雲はお互いの重力によって40億年以内に合体すると考えられています。約2000億個の恒星を有する銀河と銀河が引き合う力は言葉を失うほど強大です。

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こんな強大な重力でも電磁気力の10の38乗分の1に過ぎないのです。

陽子と電子を結び付けて原子を形成させているのは電磁気力です。重力も電磁気力も突き詰めれば素粒子と素粒子に働く力です。このため宇宙にある重力の総量の10の38乗倍くらいの電磁気力のエネルギーがあることになります。

重力の100000000000000000000000000000000000000倍です。

気が遠くなるエネルギー量です。

これらのエネルギーを生み出す母体は万有原力です。神様が天地創造後も休むことなく不断に投入し続けておられる力です。

 

これらは宇宙規模での力ですが身近な視点で見るとどうでしょうか。もし重力がなければ人間が地球表面に立つことは出来ません。更に地球が球形の塊として存在することもできません。バラバラに別れてしまいます。また、重力がないと大気が宇宙に拡散します。

 

私達は重力をただで利用していますが、もしお金に換算したらいくら位になるでしょうか。神様が重力料金を払えと言われたらどうなさいますか。

 

更に私達が支払っている電気料金の根源となる力も万有原力です。私達は電気料金を支払っていますが電力会社はその電気エネルギーの根源である万有原力を自分たちが無断で使っているとは知りません。

私達も自動車や飛行機に乗れば燃料代に多くのお金を使いますが、ガソリンや軽油が生み出す力は電磁気力です。その元は万有原力です。

筋肉が動くのも電磁気力によります。その元は万有原力です。万有原力がなければ手も足も一ミリも動きません。心臓も止まります。

もし、電磁気力が消えたらどうなるでしょうか?

電磁気力は陽子と電子を結び付けている力です。この力が無くなれば原子は存在できません。私達の体はばらばらになり、宇宙も素粒子に分解されます。

神様が、万有原力の生み出す恩恵に対して人間が何の恩も返さないことに憤慨して万有原力の供給をストップされたらどうなるでしょうか?

世界は文字通り消滅します。

 

人間は上手くいかないことが重なると、神様は何もしてくれないと恨んだりしますが、神様が人間に与えて下さっている内容が本当に分かれば、負債で神様に顔を上げられなくなります。

 

次に生命について見てみましょう。力(エネルギー)が現れる原因は神様の形状的な働きかけによるものですが、神様の性相的な働きかけは法則性、生命、植物心、本能、心として現象化しています。これらの性相と呼んでいるものは神様の意識が被造物に浸透することで生じます。平たく言えば神様の心が被造物に浸透して二次的な心的現象として現れているのが法則性、生命、植物心、動物の本能、人間の心です。これらは神様の心そのものに対して独立性と自由性を持ちます。

それでも全知全能なる神様の分身のような存在なのでその高性能度は想像を絶します。

 

生命の最小単位である細胞の働きを人智の粋を集めて再現しようとしても永遠に不可能ではないかと思われます。

一例として、体を外敵から守るリンパ球の一つであるB細胞が作る抗体という糖たんぱく分子について見てみましょう。

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外界には無数の細菌やウィルスが存在しますが、B細胞はそのすべてに対応する生産体制を持っています。

細菌とウィルスの種類は100万ほどではないかと考えられています。

一つの抗体で処理できるのは一つの抗原のみなので、細菌とウィルスに対応する抗体は100万種類必要です。

B細胞はV(D)J遺伝子再構成という仕組みを持っていて、これだけで150万種類の抗体を作ることができます。一つのB細胞が作りだせる抗体は一種類なので、B細胞は150万種類のB細胞に変化できることを意味しています。

しかし、細菌やウィルスは変異して姿を変えていくものがあります。外界からの侵入者はその他にも異種タンパク質、多糖類、毒物など数えきれないほど存在します。

そこで、B細胞は体細胞超変異、遺伝子変換、クラススイッチ組み換えといった仕組みを使って実に1000兆種類もの抗体を作り出せるように変身する能力を持っています。

 

このすべてをコントロールしているのが統一思想において原意識と呼ばれる生命です。原意識は神様の意識が細胞に浸透して生まれるのですが、この原意識の働きは正に神業です。

新種のウィルスなどの初めて遭遇する抗原があった場合、対抗する抗体を作り出すのには時間がかかるため病が重くなることも起こりますが、体制そのものは完璧です。

この防衛システムの恩恵を私達は無償で受けています。このシステムが有料だとすればどんな金持ちでも支払えないほど高価です。

 

傷ができれば修復されます。疲れても休んだり栄養を取ったりすれば回復します。これらは全て自分でしているのではありません。神様の意識が浸透してできた原意識や臓器の意識や肉心のおかげです。

 

畜産業や農業の発達によって穀物、野菜、肉、卵などがふんだんに流通して食卓に乗ります。また漁業の発達によって魚介類、海藻類も同様に身近な存在です。これらをもたらしてくれた農家や漁師の苦労に感謝する人は多いと思いますが、農作物や家畜、魚介類を大きく育てたのは神様です。稲、小麦、牛や豚、魚などの細胞に意識を浸透させて細かく管理し成長させていたのは神様です。これらの食べ物はスーパーに行けば買うことができますが、神様が丹精込めて作られたこれらの食物は本来お金で買えないほど高価なものです。

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ここまで見てみても、私達は神様に返しきれない負債を負って生活している事が分かります。しかし負債はそれだけに止まりません。

 

神様による天地創造は今まで考えられていたものとは大きく違う部分があります。既に度々述べていますように、神様が天地創造において造られたのは存在の形状だけです。

神様の形状である体を造るのが天地創造の目的だからです。性相は神様自体なので別に造る必要はないのです。被造物に神様の意識を浸透させることで被造物の性相が出現するという仕組みで創造されたのです。

このため被造物の性相部分は神様の心の二次的存在であり独立性と自由性を持ちますが、神様から丸ごと借りていると言っても過言ではありません。

 

意識も神様からの借り物です。意識の主体的要素である知情意も神様からの借り物です。意識に上ってくる色彩、音、味、香り、触感も全て神様からの借り物です。

 

何しろ愛も借り物です。父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛の全てが神様の愛が人間に連結されて生じています。

 

父母はどうして子女に情が流れるのでしょう?

子女はどうして父母に情が流れるのでしょう?

夫は妻に、妻は夫にどうして情が流れるのでしょう?

兄弟同士にどうして情が流れるのでしょう?

神様の世界に父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛が既に存在しているのです。(詳しくは「夜の神様 昼の神様に関するみ言の解明」をご覧ください。)

神様が形状を創造してそれを着られる理由は震動的衝撃を得るためです。だから人間は神様の愛をより衝撃的にするために存在するのです。人間は神様が体を持って味わいたかった全ての愛を神様と同様に味わうことができるのです。これ以上の特権があるでしょうか。神様は神様の宝の中の宝である愛の喜びを無償で与えて下さっているのです。

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それだけに神様の最高の恩恵である愛を神様抜きで用いることは罪の中の罪です。神様の宝の中の宝である愛を自分勝手に使うとすればこれ以上の泥棒はいないのですが、人間は無知に陥ってしまいこの深刻さが分からなくなってしまいました。

 

このように見てくると、人間世界において、これは私の所有の土地だ、この知的財産は私のものだ、この著作権、特許権は私のものだ、これは私の資産、財産だ、などの様々な民主主義で保障されている権利を主張し権利を行使することは如何に愚かなことかがお分かりになるかと思います。人間中心主義から生じた民主主義的な価値観は人類が到達した最終的で崇高なものでも何でもありません。

先進国の持っている知的財産や資産は神様から頂いた物なので発展途上国に無償で分け与えるべきものです。

 

人間中心主義は無知以外の何物でもありません。根本において間違っているのです。人間中心主義は根本から徹底的に否定されるべき時が来ています。

ほとんどの人は神様の無償の恩恵に恩返しするどころか自分中心に貪っているのです。知らないとはいえ、人生の全てにおいて神様の恩恵の私物化と心情蹂躙と言う大きな罪のなかで生活して霊界に行きます。

この世的に常識的で善良な生活をしていると自認している大多数の人が結果的に地獄に行くのは天法から見ると極めて妥当なのです。それだけ大きな罪を毎日犯しています。 

(以上について詳しく知りたい方は「絶えず私に注がれている神様の精誠の驚くべき実像(神様の精誠Ⅰ)」をご覧ください。)

 

さて、私達人間が神様の気の遠くなるような恩恵に対してどうしたら恩返しができるのでしょうか?この恩に対して恩返しできる道は、人間は神様の体であるという創造目的に適う存在になる事、そしてなろうと必死になることです。これが基本です。

その上で神様が惚れこまれるような美の対象となることです。

素晴らしいものには愛が流れます。素晴らしければ素晴らしいほど愛がとめどもなく流れるものです。だから神様は人間が自分以上に素晴らしい存在になることを願われるのです。

私達は神様以上の存在になることを目指して永遠の人生を生きるのです。

 

「神様、あなたは、あなたの愛の対象が御自身より劣っていることを願いますか、優れていることを願いますか」と尋ねれば、「お前たちと同じだ!」という答えです。

 この驚くべき事実、この宇宙の根本がこのようになっているという驚くべき事実です! その次には「あなたも息子、娘がいれば、息子、娘が御自身より立派であることを願うでしょう?」と尋ねれば、「同じだ」と言われるのです。 「宇宙の根本」 第二章 一 3.生殖器は根本問題解決の出発点と終着点

⇒ 対称性の破れと心と体、生老病死の密接な関係(神様の精誠Ⅲ)

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