本然の人間になれる直前まで来ています
2024.8.14
<神様が本当になされている役事>
天の父母様は天苑宮入宮を見据えて私たち食口の本然への復帰を急いでおられるのを感じます。私たちは原理講論の枠組みで様々な判断をしてきましたが、私たちがより早く成長するためには更に深い新しい観点が必要だと感じます。
今日お知らせする内容は原理講論の観点ではなく御父母様の御言から導かれて出てきた内容です。お聞きになったことがない内容だと思いますので皆様が正しいかどうかを判断してくださることが必要です。天心苑祈祷会で祈ってご判断ください。
結論は簡単なのですが、理論的に述べないと納得してくださる方が少なくなるので多少面倒ですがお付き合いください。
さて、原理講論の緒論には「堕落直後、まだ原罪だけがあり、他の善行も悪行も行わなかったアダムとエバは、神とも、またサタンとも対応することができる中間位置におかれるようになった。」とあります。そして人間が善なる条件を立てれば神様の側に分立され、悪なる条件を立てればサタンの側に分立されるとあります。
このみ言だけ見ると人間の堕落によってサタンは神様と同等の立場に立ったかのように解釈できます。聖書にもサタンをこの世の神と書いてあります。
しかし、前回にもご紹介した御父母様のみ言には次のようにあります。
この天地の大主宰者であられる神様をサタンも無視することができません。自分の業を実行するためには、必ず善の神様の決裁を受けたのちに行動をするのです。その悪なることで神様の理想世界を破綻させるのです。 「宇宙の根本」 第二章 人間創造と愛の理想の完成 五、生殖器を通して天国と地獄が分かれる
原理講論の記述と御父母様のみ言が違う場合、当然、御父母様のみ言が優先です。何故違うのかは御父母様が晩年に語られた夜の神様 昼の神様の内容を解明しないと分かりません。
(御父母様が神様と言われるとき、夜の神様を指す場合、昼の神様と指す場合、天の父母様を指す場合があります。詳しくは夜の神様 昼の神様に関するみ言の解明をご覧ください。上記の御父母様のみ言における神様とは夜の神様を指しています。原理講論が出版された時代は夜の神様と昼の神様のみ言はまだ発表されていません。)
原理結果主管圏では、神様は人間が成した結果に対して父母の責任を負われて再創造の役事をされます。もちろん人間の責任分担には干渉されません。しかし、今はアダムとエバの再臨である真の父母様が勝利された時代です。後は子女の復帰です。私たちは人類歴史の結果の集合体のような存在です。このため結果に責任を持たれる神様は私たちに積極的に関与されます。
この場合、重要なことは私たちの捉え方です。私たちはこの世のサタン勢力、悪霊、恨霊、中心霊の存在を意識します。復帰摂理歴史を見ると必ず神側、サタン側が出てきます。第二次世界大戦でも神側である連合国側、サタン側である枢軸国側に分かれています。一見、歴史は神様とサタンの闘争歴史のように感じられます。
しかし、前述した御父母様のみ言を加味すると、神様がサタン勢力を用いて役事をしておられることが分かります。特に神様はサタン勢力が強く発悪して神側を打つことを許されることがあることが分かります。
堕落論にサタンは時空を超越して人間の心霊を支配するとありますように、サタンがこの力を全面解放して用いるのを神様が裁可される時があるのです。
この時はサタン側にいる人間は普段ではないような凶悪な行動をとるようになります。
例えば、原理講論における世界大戦には次のように記されています。
「蕩減復帰摂理から見た世界大戦の内的な原因は何なのだろうか。第一に、主権を奪われまいとするサタンの最後の発悪によって、世界大戦が起こるようになるのである。」
「イエスを中心とする三大祝福を復帰するための、長成的な蕩減条件を、世界的に立てるべき第二次世界大戦も、アダム、エバ、天使を象徴する天の側の国家が中心となり、同一の型を備えたサタン側の国家と戦って勝利し、それを蕩減復帰する条件を立てなければならない。ゆえに、これを知っているサタンは、この摂理に先立って、サタン側のアダム、エバ、天使型の国家を先に団結させ、天の側のそのような型の国々に向かって攻勢をかけさせたのである。」
神様は神側国家が愛でサタン側国家を屈服することを願われましたが、神側がそれに失敗すると責任を負われました。サタンの発悪を裁可されて戦いによって蕩減条件を立てる道へと導かれました。当時の日本でも冷静に考えて無謀な戦いだと分かっている人もいましたが、サタンの強い発悪によってどんどん戦争のほうに流れていきました。原理講論にはサタンが発悪して枢軸国を先に団結させて連合国を打ったのが第二次世界大戦だとありますが、実際はサタンの最後の発悪を裁可されたのは神様です。
私は日本による韓国併合も同じ流れから起こったと考えています。韓国自体で独り子と独り娘を迎える基準を立てていたなら日本の侵略的行動は起こりませんでした。韓国が独自でその基準が立てられなかったので、神様はサタンを用いて日本を発悪させ日韓併合へと向かわせたと考えられます。もちろん日本に罪があることを否定しているわけではありません。
韓国動乱も独り子を拒否した韓民族が失敗した立場になったので、神様がサタンを用いて北朝鮮を発悪させたとみることができます。
このような神様の行動は苦渋の決断の上になされたものです。人間に対する最上級の愛によってなされました。それは激痛の愛です。
結論的に言えば、世界大戦も韓国併合も韓国動乱も人間が責任を果たせなかったことに対して神様が責任を取られることで起きたことです。これらは神様の愛の業だとは到底思えない内容ですが、神様はご自身が死んでもしたくないことをするしかなかったのです。死の蕩減復帰の環境に人間を追い込むのは絶対愛の父母にしかできないことなのです。
(多くの人が、人間の生命は人間の誕生時に与えられて死ぬまで有効だと考えています。その命を奪うことは余りにも残酷だと考えます。しかし、それは間違っています。神様の一瞬も途切れることのない父母の精誠によって人間は生命を維持できるのです。詳しくは「総論Ⅱ 真の愛の観点から見た創造 神様の精誠」をご覧ください。)
さて結論ですが、人間が犯した罪の清算について神様が全面的に責任を負われます。ノアの洪水から日韓併合、世界大戦、韓国動乱などに至るまで、神様が人間に罪を清算させるために涙を流しながら断腸の思いでなされたことです。
韓国を植民地化した日本、世界大戦でのサタン側国家、韓国動乱における北朝鮮など、神様がサタンの発悪を許すことで、サタンが時空を超越してそれらの国々の人々の心霊を支配して発悪させた結果なのです。すべてを裁可されたのは神様です。政治学や地政学、歴史的経緯をいくら研究しても分からないことなのです。
さて、マタイの福音書7章9節から11節には次のようにあります。
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。
イエス様は当時の人々の心霊に合わせて語られたのですが、神様はパンを求め魚を求める者に石を与えへびを与えるお方であることをよくご存じでした。御父母様も「心配しないでください。私は大丈夫です。もっとへびを与えてください」と天に祈られるような人生でした。
真の愛の観点からすると人間に本当に必要なのは、石でありへびなのです。愛してやまない人間が求める物ではなく苦痛と悲しみを与える神様です。私たちはその最上の愛を与えようと身もだえる神様の心情を知る必要があるのです。
私たちの場合も同様です。悪人、悪の勢力、恨霊、悪霊、中心霊などの悪神の業は私たちが蕩減条件を立てるための神様の役事です。悪人、悪の勢力、恨霊、悪霊、中心霊が直接の原因ではありません。彼らは何も知らずに私たちや私を苦しめているだけです。私たちが病気、事故、いわれなき中傷、迫害、家族の不和、民族的、国家的苦難などの苦痛を受けるのは神様の業です。
今回の教会に対する迫害が神様の最上の愛によって与えられたものだと感じた食口が何人いたでしょうか。ほとんどの食口がサタン勢力、マスコミ、無知な国民や政権のせいにしたのです。私たちは余りにも理解が浅かったのです。私たちが真の愛で与えるのではなく、逆に奪うような結果をもたらしたことに対して、神様が責任を持たれて与えられた苦渋の愛だと感じることからしか解決の道は出てきません。
ですから悪人、悪の勢力、恨霊、悪霊、中心霊は何も知らない脇役に過ぎません。そこにいるのは神様と私たちしかいないのです。
(しかし、恨霊、悪霊、中心霊の解怨、祝福、先祖解怨、先祖祝福、天心苑徹夜精誠が絶対に必要であることには変わりはありません。それらは真の父母様の勝利圏の相続です。それを実行、実践することで私が行く蕩減の道が平たんになっていきます。そして私たちに涙を流して苦痛を与えられる神様を解放できるのです。)
考えてみれば、一人一人の罪の清算について明確に知っておられるのは神様以外にはいないのです。その人がどのような蕩減条件を立てれば良いのか明確にわかる方は神様のみです。それに合わせて悪人、悪の勢力、悪霊、恨霊、中心霊による災禍を見事にマッチングされます。病気、事故、事件、家庭における夫婦問題、親子問題、経済的苦難、心情蹂躙などによって明確な蕩減復帰の道を用意されるのは神様なのです。
今まで私たちは不幸な出来事が起こった時に、悪人や悪の団体、悪霊、恨霊、中心霊を原因とみなしてきました。それらと戦い除去することが幸せになる道だと思ってきました。
しかしすべての原因が神様だとすると全く違う話になります。
悪人や悪の団体、悪霊、恨霊、中心霊の業を甘受するだけでは不十分です。復活論にはそのことは書いていません。
私たちが向き合うのは悪人や悪の団体、悪霊、恨霊、中心霊なのか、それとも神様なのかということです。これをご自分ではっきりさせる必要があります。
悪人や悪の団体、悪霊、恨霊、中心霊が原因と考えるならば、そのせいにすることができます。しかし神様がなされるなら逃げることができません。相手は神様なので憎むこともできません。神様が怨讐の親玉の役目をしておられるのです。いま、私たちは信仰の大転換を迫られています。
私を不幸に陥れるような業をなさる神様を愛せるか否かという深刻さが迫ってきます。
私自身それに気付いた時に間髪を入れず、心情を蹂躙してくる人が現れました。それは理不尽な内容なので反論することもできましたがやめました。
普段はとても穏やかな人なのに人が変わったような心情蹂躙の仕打ちでした。
冷静になって眺めるとその豹変具合に悪霊の発悪を感じました。普通ではない過度の発悪が起こったことに気づきました。
相手はその人ではなく神様だと明確に分かりました。分かったから心が軽くなるかと言えばそんなに甘いものではありませんでした。いままでそんなに酷い心情蹂躙の経験をしたことがありませんでした。
そんな中で苦しんでいると、(私に苦痛を与えてくる)この子は可哀そうな子なんだよという神様の気持ちが少し伝わってきました。それから毎日相手の人の呼名祈祷をしていくと、少しずつ慕わしい気持ちが出てきました。
一見すると不幸を思える内容の原因が神様だと分かると、起こってくる試練は以前より厳しくなります。神様から見て試練を超える基準を持っていると思われるからだと思います。神様は強い試練を与えて短期間に超えてくれることを願われますが、私たちにそれを超える基準がなければ試練を与えることができません。
これらのことは私がやっとたどり着いた結論ですが、もっと昔からこの観点で信仰生活をしていればどんなに良かったかと思いました。
ところがこの観点でずっと以前から信仰生活をしてきた人がいたのです。
その証詞は驚くべきものでした。
<復帰は本然の手前まで来ています>
私はその方が、私が受けた心情蹂躙よりももっと激しい苦難を絶え間なく通過してこられたのを知っていたので「その苦難がサタンや悪神の仕業とは思わなかったのですか?」と質問しました。
それに対して「親なる神様の私に対する絶対愛を確信していたことが中心にあったと思います。(サタンや悪神がなしたというより)神様が私をそのような苦難に追い込まなければならないご事情があるのだと思いました。」
24時間いつも神様に心で問いかけ相談して生活されました。
「考えてみれば、神様の前に、実に率直に素直に自分の心を打ち明けて、相談したりしてきたことが基本にありました。私はこう思い、こう感じるのですか、神様はどうなのでしょうか?と絶えず尋ねる生活でした。」
私がみ言を研究し天心苑祈祷会で祈り求めた結論にすでに到達しておられました。それは心霊的、本性的にそうされたのです。既にお気づきの方もいると思いますが、この方は以前にお話ししたAさんです。
先月7月27日にAさんから次のような連絡が入りました。
『今日は、何をしていても涙が溢れています。
天の父母様が、私の心に共鳴して泣いておられるのでは?なんて畏れ多いことを思ったりしました。
私の涙に天の父母様も涙腺崩壊しておられて、互いに泣いているんだろうかと思いました。私の泣き方が半端じゃないのです。顔面も崩壊寸前くらいの泣き方なのです。
天のお父様が、今、私に叫びました。「お前は、良い子だ〜〜」と。
天のお父様も顔をクシャクシャにして泣かれていました。私と同じくらい!』
そして8月11日に次のようなメールが来ました。
『今日のこの涙は、何の涙なのだろうか、誰の涙なのだろうかとずっと考えたり、霊的リサ―チをしていたりしていたのですが、天の父母様が、私を愛おしいと思われ、お前がいるだけで慰められるという思いで、ギュ―と抱きしめてくださりながら泣いておられるのだと感じました。
しかし、この一方的な感覚は、うぬぼれであったりはしないだろうか?などと、余りの恵みに、そんなことまで考えてしまったのでした。
それと、先月27日に、天のお父様が余りの感動に涙腺崩壊した様子で泣かれたという報告をしたことがありましたが、その1日か2日前には、真のお父様が、「お前には全てを与える」と言われました。
あまりにもすごいことなので、聞き流したほうが良いかと思うほどでした。』
私は次のように返信しました。『お前には全てを与えたいと一人一人に言いたい神様であり父母様ですがその基準にある人がいなかったのです。
その時をどれほど待ってこられた事でしょうか。やっと言える子女が現れてどれほど解放された事でしょうか!
Aさんの使命は神様と父母様が心置きなく「お前には、全てを与えたい」
と言える人を増やしていくことだと思います。』
Aさんの証詞の文章はすべて私個人宛てのものです。私が皆様にそれを開示したのは復帰摂理がここまで進んでいる事実をお知らせするためです。
「お前には、全てを与えたい」というのは神様が人類始祖に与えられた三大祝福以上の祝福です。そのような時代がやってきたのです。
一人が突破することがとても重要なのです。それができれば勝利圏が出来上がるのでその基準に到達しやすくなります。
例を挙げると分かりやすいと思います。1972年のミュンヘン・オリンピックで日本の塚原選手が鉄棒の技であるムーンサルト「後方抱え込み2回宙返り1回ひねり」を披露したとき世界中が驚嘆しました。会場ではアンコールの声が上がりました。一人が成功することで勝利圏が出来上がりました。後に続く人が勝利圏をたやすく相続できる道ができるのです。そして現在ではムーンサルトは小学生女子の体操選手が床の演技で普通に行っています。
このようにAさんの確立した勝利圏は私たちの恩恵となるのです。
Aさんの存在は時が来れば天によって証詞される時が来ると思います。それまではAさんも私もAさんが誰なのか述べることはないと思います。
しかし重要なのはそれではありません。天が一人の方に勝利するための苦難に満ちた道を用意され、それを見事に勝利されたことです。これは少なくともすべての食口が神様と父母様から「お前には、全てを与えたい」言われる道が既に出来上がっているということです。
何という良き時代がやってきたのでしょうか。
億マンセー、億マンセー、億マンセー。