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総論Ⅱ 真の愛の観点から見た創造 神様の精誠

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ニュートンとライプニッツは同時期に微分積分学を確立しました。

ニュートンは、「神は世界を創造した後でも、たえずそれに干渉の手を加える。そうでなければ、世界の動きが止まってしまうからだ。」と考えました。一方、理神論の影響を受けたと思われるライプニッツは、「神は世界を創造した後、それに何らの干渉も加えない。そんな干渉をしないでも世界は立派に動いていける。神が世界を中途半端につくるわけがない。」という考えでした。

二人とも神様の存在を信じていました。しかし、その神観は大きく違います。ニュートンは創造後も絶えず働きかける神様を前提としていました。神様の働きかけがなければ宇宙は運行しないと考えました。一方、ライプニッツにとって神様は創造しただけでその後は何もしない存在です。世界は全てが自動で動いていて何もする必要がない、つまり、宇宙自体の中に法則性が組み込まれていて自動機械のように動くという考え方です。

要約すると、宇宙が運行する原因が宇宙自体ではなく外部に存在する神様にあると考えたのがニュートンで、宇宙が運行する原因が、神様から離れて宇宙自体内にあると考えたのがライプニッツです。

原理講論の後編 第五章 メシヤ再降臨準備時代 第二節(一)カイン型人生観には、カイン型人生観とは「神への帰依と宗教的な献身を軽んじ、すべてのことを自然と人間本位のものに代置させる」考え方だとあります。あらゆる現象の原因は自然自体内と人間自体内にあるので、神様を持ち込まなくても説明できるというものです。

お気づきの方もいるかと思いますが、これは現代科学の考え方と同じです。昨今、科学に神様を持ち込むこと自体が科学的姿勢ではないという風潮があるので、神様を持ち出して科学を語る学者は極めて少数です。

多くの人が科学は客観的な学問であり、最大の信用を置けるものだと考えています。そのため、カイン型人生観に流れてしまっている現代科学は、意図しなくても人々を神様から遠ざけてしまう結果を生み出しています。そういった意味で現代科学は神様に大きな苦痛を与えてしまっているのです。

 

現代科学の根となっているカイン型人生観を完全に克服していく時がきています。科学の限界はその根底となっているカイン型人生観そのものが生み出しています。現象や事象の原因が物質、生物、人間などの内部に存在しているという枠組みから出れないので、決して核心的な真理には到達できないのです

これから真の父母様のみ言によって提示された観点によって、科学が今まで解明できなかったことの解明を試みます。

​これは宗教と科学の統一の試案でもあります。

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最初に神様の力(エネルギー)の役事について見てみましょう。ご存じのようにあらゆる力の源は万有原力です。これは性相的エネルギーなので観測することはできません。

宇宙物理学では超高温の爆発する火の玉といえるビッグバンの前に、インフレーションという現象があったと考えられています。インフレーション現象には熱はありません。静かな膨張です。しかし、その膨張速度は凄まじく、光速の3×10の22乗倍であったと言われています。この数字を表わすには兆や京の上の単位である垓(がい)が必要です。光の速度の300垓倍です。インフレーションのエネルギー形態は万有原力とビッグバンの熱エネルギーの中間に位置しており、無形であり性相的な万有原力が形状化していく初期段階であると考えられます。

ビッグバンの約3分後に素粒子が生まれます。この時全ての素粒子は光速で飛んでいました。そこでクオーク凝縮の場や​ヒッグス粒子の場ができてきて光子やニュートリノ以外は光速で飛べなくなります。これは競技場を悠々と走っていた選手が水中を走るようなものです。ここから陽子や電子が集まって原子ができ、分子が形成されて物質化していきます。

この流れを物理学者たちは宇宙が冷えていくにしたがってより安定した状態に移行した結果、必然的にそうなったと主張します。これは、神様と原理を知らないことによって起こる悲劇です。

インフレーション、ビッグバン、素粒子、原子、分子、物質という一連の流れは、無形な性相が有形な形状に見事に姿を変えていく現象です。神様という性相が形状化していく計画的現象です。これが創造ということなのです。

​さて、上記の部分は前置きです。ここからが本題です。

​宇宙は万有原力の場となっています。相対する二つの存在があると力が生まれます。力は単独では生じません。必ず相対が必要です。授受作用の原理に書いてある通りです。上のスライドにあるように、万有原力の場に、相対する二つの存在がある時に生まれる力は4つあります。重力、電磁気力、強い力、弱い力です。これらは物理法則で見ると異なるものですが、力という点では同じです。このうち強い力と弱い力は原子核の中の範囲で生じている力なので、私たちが経験することはほとんどありません。

一方、重力と電磁気力はその届く範囲が無限で、私たちの生活に密接に関係します。

​重力については体に感じるものなので馴染みがありますが、電磁気力もそれに劣らず私たちになくてはならないものです。電磁気力はとても強力で重力の10の38乗倍の強さがあります。電気製品や電気自動車、電車などが動く力であり、雷、あるいは磁石の力など身近に感じることができます。

その他、意外なものがあります。石や金属などの物質が固体化しているのも電磁気力によります。そして化学反応で生じる力も電磁気力です。爆弾の爆発力、ガソリンエンジン、ロケットの推進力も化学反応によって生じる電磁気力です。ダイナマイトが爆発するのもニトログリセリンンと酸素の急激な結合という化学反応です。この化学反応で生じているのは電磁気力なので万有原力がなければ爆発は生じません。

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さて、私たちの生活に最も密着して生じている電磁気力は細胞、筋肉、内臓を動かす力です。。これは体内で作られるATP(アデノシン三リン酸)から加水分解によってリン酸基が一つ外れてADP(アデノシン二リン酸)に変化する化学反応によって生まれる電磁気力です。ATPは超小型バッテリーだと言えます。

これが生命を動かすエネルギー源となっています。筋肉が動くのも、心臓や臓器が動くのも、タンパク質を合成するのも全てATPの持つエネルギーによります。

ATPのエネルギーは化学反応エネルギーですから、電磁気力です。電磁気力は万有原力があって初めて生まれます。つまり、生命が営みを維持するには万有原力なしにはあり得ないのです。

万有原力がなければ瞬きもできません。生命は生きていけません。生かされているというのは信仰の世界の話ではなく紛れもない事実です。

万有原力がなければ筋肉を躍動させて人々を感動させるアスリートの活躍もありません。

 

さて、細胞の中にはミトコンドリアとよばれるエネルギーを作り出す装置があります。一つの細胞に数百から数千存在します。

このミトコンドリアの中にATP合成酵素と呼ばれる超微小な発電モーターが見つかっています。この発電機は水素イオンの流れを利用して回転して電気エネルギーを作っています。この電気エネルギーをADPが受け取ってATPになって必要な生命活動の動力源として使われています。

人間の体温もATPの持っている化学エネルギーすなわち電磁気力によって発生しています。

 

人間が食べたものは消化され、解糖系、クエン酸回路、電子伝達系と呼ばれる複雑な生化学反応を通過しますが、その目的の中心は、ミトコンドリアの膜の外の水素イオンの濃度が、膜の内側の水素イオンの濃度より高くするためです。この濃度差が水素イオンの流れとなりATP合成酵素というナノ発電機を回転させます。ダムの発電が高い所の水が低い所に流れるのを利用して行われるので同じことです。

ナノ発電機に至る途中でも一部のATPが作られますが、最終的にはこのATP合成酵素というナノ発電機が、ADPを充電してほとんどのATPを作り出します。

(ATP合成酵素が一回転すると3個のADPが充電されて3個のATPとなる)

 

生物にはモーターのような回転器官を持つものはないと思われていました。車輪で走る生物はいません。ところが、ミトコンドリアの中に回転するナノモーター型の発電機が見つかったのです。この発電機の回転数は毎秒1400回、毎分8万4000回転です。自動車のエンジンも相当早く回転します。それでも高性能スポーツカーで毎分8000回転くらいです。レースの最高峰であるF1のマシンの回転数は毎分1万8000回転くらいです。1レースで400kmくらい走りますが、消耗が激しく1レース走ればオーバーホールする必要があります。一方、ATP合成酵素の回転軸は固定子の中で浮いているため消耗しません。

 

ミトコンドリアの中にあるATP合成酵素という発電機は、F1マシンのエンジンの4倍以上の速さで回転して発電します。

このATP合成酵素はミトコンドリアの中に数多く存在し、人間の体全体で作り出すATPの一日あたりの総量はその人の体重と同じだと言われています。人間の体内に存在するATPの総重量は数十グラムです。ATPは約3分間しか存在できないので絶えず生産することが必要です。

ATP合成酵素は1400回転/秒なので4200個/秒のATP生産能力

ATP合成酵素は1個のミトコンドリア当たり約15000個

1つミトコンドリアのATP生産能力 約6300万個/秒

一細胞に存在するミトコンドリアは数百から数千個

千個と仮定すると一細胞あたりのATP生産能力は約630億個/秒

気の遠くなるような生産能力です。

​神様の被造世界に対する働きかけが異次元の素晴らしさであることを感じていただけると思います。神様が意識を投入し続けておられることで可能となっています。神様は一瞬たりとも休んでおられないのです。次の動画をご覧ください。​

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前出のATPの合成と共に、細胞内で起こっているトピックとして挙がるのはたんぱく質の合成です。

DNAから伝達RNAに転写され、リボソームで運搬RNAが運んできたアミノ酸をつなぎ合わせて、たんぱく質が合成される流れはセントラルドグマと呼ばれ科学的に解明されてきています。DNAや伝達RNAは高分子有機物ですが単純な構造でタンパク質ですらありません。運搬RNAも73〜93塩基で出来ているだけでこれもタンパク質ですらありません。タンパク質合成工場と言えるリボソームは人間の場合80個程度のタンパク質からできていますが、これは生物ではありません。人間の細胞一個が持っているタンパク質の数は80億個です。細胞は生命と言える存在ですが、その複雑さは桁違いなのです。

 

セントラルドグマを構成するDNA、RNA、リボソームやそれを補助する酵素などはナノ機械と呼べるものです。オートメーションの機械やコンピューターを見れば分かるように、機械が自動的に作業するためにはソフトウェアのような命令を出すプログラムが必要です。また、DNA、伝達RNA、運搬RNA、リボソーム、酵素などの相互間の情報交換システムが必要です。それに加えてセントラルドグマの流れ全体を制御する中央コントロールセンターが必要です。

科学者がこれを見つけようとしていますが見つかりません。もちろんDNAの中にはありません。DNA情報は膨大だと思われていますが、A,T,G,Cを頭文字とする塩基の配列を示しているだけです。これは約2万個ほどあるタンパク質という部品の設計図です。実際、DNAの情報量は700メガバイトほどでわずかCD一枚程度です。

超微細世界でのセントラルドグマの流れは文字通り神業です。細胞に浸透した神様の意識がDNA、伝達RNA、運搬RNA、リボソーム、酵素などの性相となって個々の構成要素に命令を出し、構成要素相互間の情報交換をおこないます。そして、細胞に浸透した神様の意識が原意識として形状化しシステム全体を制御しています。要するにこのすべてが驚くほど巧妙な協業によってなされている原因は、それ自体が持っている能力によるものではなく、全能の神様の意識が源流なので可能なことなのです。

 

余談ですが、神様が全知全能である理由は、神様の意識が被造世界の全存在に浸透しているので全知なのであり、被造世界のあらゆる存在の形状をコントロールしているそれぞれの性相が神様の意識を原因として生まれているという仕組みなので全能なのです。

 

さて、セントラルドグマにおける生産能力は凄まじく高速で、DNAから伝達RNAへのコピー速度は、人間では毎秒40ヌクレオチド、リボソーム内でのアミノ酸の結合速度は毎秒2個から4個です。このアミノ酸の結合作業が1つの細胞に数百万個あるリボソームで行われています。人間が作ったロボットなどはその足元にも及びません。

次の動画からこの様子をご覧ください。

​リアルタイムの速度になっているので良く分かると思います。

人間が作り出したもので最大の部品数を持っているのは航空機で600万個ほどです。自動車の部品数は3万個ほどです。ミニ化技術では、パテック・フィリップの時計で約300個の部品で構成され30以上の機能を持つものが有名です。1個作るのにかかる時間は約10万時間と言われています。価格も破格で普通のもので3億円、最高値のものは34億円します。

一方、人間の細胞は約0.01㎜から0.02㎜と極めて微小ですが、その部品数は1細胞当たり80億個、1細胞にあるタンパク質製造工場は数百万個、肝臓の細胞などでは500以上の化学反応を同時に瞬時に行います。また、細胞は細胞分裂によっていつも新しい状態を保っています。人間の作ったものなど比較の対象ではありません。値段はつけようがありません。世界中のお金を全部集めても買えるものではありません。

​DNAを生命の設計図だと説明したり、思っていたりする人が多いのですが、DNAにはタンパク質を作るための単なるアミノ酸の配列を示す情報があるだけです。2万種類ほどのたんぱく質の設計図ではありますが、これは細胞の設計図ではなくタンパク質という細胞の部品の設計図です。その部品を80億個も使って一つの細胞を作る設計図はDNAには存在しません。まして、細胞の集合体である神経系、臓器、筋肉系などの設計情報は、気が遠くなるほど膨大なのですが、体中くまなく探してもどこにもありません。それは神様の中にあるのです。

​そして、80憶個のタンパク質という部品を集めて同じものを作ったとしても、神様の意識が浸透して原意識や臓器意識が生じなければ単なる分子の集合体に過ぎません。生物学も神様抜きにしては成り立たない学問なのです。

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クオリアについて

さあ、いよいよ神様の創造の山場に入ります。これまで述べてきたことの中心は、被造世界の現象の原因は、個体それぞれの中にあるのではなく神様の中にあるということです。

これは意識現象にも及びます。

力の源泉、生命の源泉としての神様の働きは、驚異的に素晴らしいとしても、私たちの普通の生活の中では感じることは簡単ではありません。

一方意識現象は、それなくして生きている人はいません。一番生活に密着しています。

たとえば、目が覚めれば部屋の風景が自然に飛び込んできます。音も聞こえてきます。みそ汁の香りがしてくるかもしれません。眠さが残っている感じやお腹がすいた感じがするかもしれません。歯を磨くときには手の運動感や口内感覚を感じます。朝食の時に味、香り、噛み応え、のど越しなどを感じます。これは余りにも普通にあることですが、すべて意識現象です。

意識現象は科学がいくら発達しても解明が不可能ではないかと思われています。なぜなら自分の意識で起こっていることは認識できますが、他の人の意識で起こっていることは観察できないからです。観察ができないうえに数式化もできないので科学が成立しません。

観察できないので、ある人が赤いと感じているものが、別の人には青色に見えているかもしれないという学者もいます。

ある人はイチゴなどの甘さを測る糖度計を例に挙げて、客観的に数字で判断できるではないかという人もいますが、あれは名前は糖度計ですが測れるのは糖度ではなく濃度です。ラーメンの塩分もこれで測ります。

機械には甘いなどの意識現象が一切分かりません。

 

​人間は当たり前のように味が分かるので、科学が発達すれば、ロボットやアンドロイドも高度なAIが登載されて、いずれ味も分かるし愛までも分かるようになると信じている学者もいます。しかし、それは永遠に起こりません。

​上の図にある赤色を認識するまでの過程をご覧ください。多くの人は赤いバラを見た時に、バラ自体が赤さを持っていると思っています。事実は赤いと感じるバラが持っているのは約400nm(1ミリの1万分の4)程度の波長の電磁波を反射する性質です。客観的に見るとバラ自体には色はもちろん、明暗すらないのです。

 

単なる物理的な波が色として見えるのです。とんでもない魔法がそこにあるのです。電磁波が目で電気信号に変換され神経を通って脳に行きます。脳が最終到着点に思えるので、脳がすべて生み出していると考えているのです。明暗すらない所に、色彩という概念も知らない脳が色彩を作り出せると信じているのです。脳が扱えるのは電気信号だけです。物理現象しか扱えません。物理現象と意識現象は全く別次元の現象です。

​意識作用は神様の意識と薄皮一枚しか隔てていないほど密着した現象です。意識作用はそれほど神様にダイレクトにつながっています。

意識作用は神様のリアルタイムの役事であり愛です。

自分の力で見たり、聞いたり、味わったりしていると思っていたことが神様のダイレクトな意識作用だと分かれば啓示は必要ありません。神様を知るのに信仰は必要ありません。意識作用に原因があることが分かるなら、神様を信仰するのではなく神様と生活するようになるのです。

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このような意識作用の背後に神様がいることが分からなくなった理由は、一つは堕落によります。霊的な五感が機能しなくなったのもありますが、それ以上に心情感覚が鈍くなってしまったからです。そして、もう一つの理由は意識現象が起こる仕組みがあまりにも見事にできているので、当たり前の現象としか思えないからです。

​上のスライドをご覧ください。バイオリンを弾くと音が出るのが当たり前だと思っていますが、実はバイオリンは空気を振動させているだけです。音波という言葉を使いますが、音波は実際は音の波ではなく単なる空気の振動波です。バイオリンやピアノなどの楽器ができることは物理的な空気の振動を作り出すことだけなのですが誰もそんな風に考える人はいません。私たちの意識に上って来るのは物理現象ではなく音だからです。これは空気の振動という物理現象と、音という意識現象があまりに見事に一つになっていることが原因です。

​リンゴを食べた時に甘酸っぱい味を感じますが、リンゴには果糖やクエン酸は存在しますが味自体はありません。果糖やクエン酸が舌のレセプターを刺激しているだけです。しかし誰もそんな風に感じる人はいません。果糖やクエン酸が舌に与える刺激と、甘い酸っぱいという意識現象があまりに見事に一つになっているからです。

​現在は2022年の1月ですが、例年以上の寒さです。この寒さは客観的には存在しません。物理現象としての低温があるだけです。低温を寒さと感じるので、低温=寒いと思っているのですが、これは低温という物理現象と寒いという意識現象があまりに一つになっていることによって起こる現象です。同様に、寒い時に温かい風呂に入るととても気持ちが良いですが、風呂のお湯が持っているのは、温かさではなく、水分子の運動が作り出す42度ほどの水温だけなのです。その水温を温かいと感じるのは意識現象です。

​このように物理現象と意識現象の見事な一致と、物理現象から生まれる意識現象は、この世界で起こるあらゆる現象の中で最大の神秘であり最大の奇跡です。

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物理現象と意識現象が見事に融合していることは素晴らしいことである一方、その背後の神様を知るにはこの融合の奇跡を客観的にとらえる必要があります。別の言い方をするなら、一旦、神様からかけられた見事な魔法がとける必要があります。そうしないと神様本体が見えてこないからです。

それには原理を初めて聞いた時のように論理的展開が必要です。

クオリアは質感と情感の両方を含む概念ですが、ここでは質感を中心に取り上げます。

動物には霊人体はありませんが、質感ははっきり感じています。質感の原因は霊的なものではないのです。

動物には猛禽類のように人間の視力の10倍ほどあるものがいます。昆虫の中には人間が見えない近紫外線が見えるものがいます。人間が聞こえる高い周波数は2万Hz程までですが、犬は5万Hzまで聞こえるので人間には聞こえない犬笛に反応します。イルカは15万Hzまで聞こえるようです。犬の臭覚は人間の数千倍から一億倍と言われています。動物も人間のように色、音、匂いという質感を感じています。

昆虫、たとえばハエの場合は、捕まえようとした経験がある人なら分かると思いますが、その危険探知能力、空間認識能力、飛行能力は極めて高いものがあります。ドローンのようなロボットであのような能力を発揮するものを作るには極めて困難です。ハエの脳は

0.3㎜×0.6㎜×0.2㎜=0.036㎣ほどであまりにも微小です。脳がその能力の原因ではないことは明らかです。

動物も神様の意識が体に浸透して、それが本能という意識を生じさせているのです。源が神様の意識なので、昆虫のような小さい存在でもその意識作用は極めて高スペックなのです。

さて、動物でも人間でも外界に接した時に目、耳、鼻、舌、皮膚などの感覚器官が生み出しているのは上のスライドにあるように電気信号です。

なぜこれを電気と呼ばず電気信号と呼ぶかというと、これは単なる電流ではなく電気を用いた情報伝達だからです。人間はやっと近年になって電気を信号として用いることで情報を伝達することができるようになりました。この電気による情報伝達を、生物は何億年も前から当たり前のように行っています

普通、電線に電気を流す場合、必ず減衰が起こるので途中に増幅器を付けます。生物では極めて見事な仕組みによって、発生した波形と電位が最後まで同じ波形と電位で伝わります。これは-70mvから+40mvの間の電気信号です。目、耳、舌、鼻、皮膚などの器官が電気信号を生み出します。

この電気信号は有るか無いかの二通りで、全か無かの法則と呼ばれるように0か1で表現できるデジタル信号であるというのが通説でした。

しかし、デジタル信号は正確に情報を伝えるということにおいては優れているのですが、生物が扱いづらい信号です。例えば音楽CDや音楽配信において提供されているのはデジタル情報ですが、そのままでは人間には音楽として聞こえません。このデジタル情報をアナログに変換するDAC(ダック)が必要です。このため音楽プレーヤーには必ずDACが内蔵されています。

驚くべきことに人間の神経系でも同様の現象が発見されました。

神経系は神経細胞とグリア細胞から構成されています。東大の池谷教授らの研究によって、デジタル情報である活動電位が軸索伝導中にアナログ的に変形されることが分かりました。デジタル情報をアナログ的に変換する役割を果たしているのが突起の多い星型をしたグリア細胞(アストログリア)だというのです。この研究は2011年2月4日発行の米国科学雑誌「SCIENCE」に掲載されました。

このように初めはデジタル情報であったものがアナログに変換されることで、その電気信号には無数の種類の波形や強弱が生じます。この電気信号は無限のパターンをもっていることになります。

​ここまでは物理現象の側の体制です。しかし、ここから先があまりに次元が違うのです。

脳に到達した電気信号という物理現象を意識現象に変換するというのは超越的な能力が必要になります。脳がある波形を赤色に変換したり別の波形を青に変換したりしているのでしょうか。色彩は無数にあります。脳が受け取っている電気信号を無数の色彩に変換しているのでしょうか。透明感はどうでしょうか。輝き感はどうでしょうか。遠近感はどうでしょうか。匂いはどうでしょうか。人間は1億種類の香りを感じるを言われています。つまり、1億種類の電気信号を1億種類の匂いのクオリアに変換しなければなりません。

耳から入って来る電気信号の変換もすごいです。音のクオリアの種類は余りにも多様です。楽器の音を作るだけでもどれほど大変でしょうか。音には強弱や位置感もあります。和音やメロディー感、リズム感もあります。舌から生じる電気信号から変換される味も驚異的です。様々な味のハーモニーに感嘆する人はたくさんいます。

五感の器官から来る電気信号だけでも膨大ですが、変換されて生じているクオリアは比較にならないほど膨大です。人間は本を読むだけでも頭が疲れるのに、脳がそんな膨大な異次元の作業をするとすれば、あっという間に疲れ果てるでしょう。

皆さんもメールなどで情報の授受をしていると思います。これを日本人の場合は日本語を電気信号に変えて送受信することで実現しています。受け取ったメールを読むには日本語のひらがな、カタカナ、常用漢字、人名など文字として最低3000ほど必要です。更に、日本人が日常的に使う単語は3万個ほどあるようです。

これだけの基本知識や経験があって初めてメールを読むことができます。日本語を知らない外国人が見たらちんぷんかんぷんです。

私たちが日常的に五感を通して発生させている電気信号の波形や強弱の種類はどれほどでしょうか?私たちが実際感じるクオリアから推測するに無限だと言わざるを得ません。

脳がこの信号を選別して読み取ることができるでしょうか?

 

百歩譲って、脳が電気信号という物理現象を意識現象であるクオリアに変換できるポテンシャンを持っていると仮定しても、無限にパターンのある​電気信号一つ一つについてクオリアに変換できる知識や経験がなければやはり何もできずじっとしているしかないでしょう。神経電気信号の無限のパターンを学習したり数限りなく経験したことがなければ、外国人が日本語のメールを見るのと同じように全く何も分からないので、クオリアへの変換ができるわけがありません。無限にパターンのある電気信号の学習が、日本語の学習より簡単であるはずはありません。世界中の言語を全て学習するよりずっとずっと難しいことです。その上、学ぶために教科書もありません

例えば、こんな文字を見たら意味の分かる人はあまりいないと思います。

Я тебе люблю. Повертайся скоріше. очікування.

これは、ウクライナ語です。

त्वां कामयामि। शीघ्रम् आगच्छतु। उपास्ते।

これはサンスクリット語です。

أحبك. عود قريبا. منتظر.これはアラビア語です。

何も知らなければこれらの言語を1000年見つめていても意味は分かりません。それでも何らかの意味を持つ文字であることは分かります。しかし神経を通っている電気信号は意味のある情報であることすら分かりません。これを解読することの難解度がお分かりかと思います。脳が神経電気信号の意味を理解できるなら、ずっと簡単な上記の言語は当たり前のように理解できないとおかしいことになります。

ちなみに、上の文字は「愛しています。早く帰ってきてね。待ってます。」という意味です。日本語で表示されれば日本語に生活の中で触れ、慣れ親しんだ人なら普通に理解できますが、日本語を知らない外国人にとってはさっぱりわからないのです。

 

感覚器官からやって来る電気信号を読み取ってその意味が分かるのは神様だけです。システム全体の設計と制作をされた神様だけができることです。無限のパターンを持つ物理現象を意識現象に変換するという異次元の作業をしているのは、神様の意識を源泉として生じている形状意識です。人間の場合は肉心です。

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さらに理解を深めていただくために錯覚が起こっている例を挙げてみます。テレビを見るとそこからはカラーの映像と音が出ています。今の最先端の映像技術と音声技術を使えば映像と音を再現することは簡単なことだと思っている人は多いのです。

​テレビ電波の波長は地上デジタルの場合50cmほどです。これをアンテナで受信したものがテレビ本体に入ります。これを人間が扱える波長である380nmから780nm(1万分の3.8ミリから7.8ミリ)に変換してテレビ画面から出しています。音も同様に受信した電波を人間が聞こえる空気の振動に変換しています。テレビができるのはこれで全部です。

要するに物理現象を再現しているだけです。テレビ画面から出ている電磁波を映像に変換しているのは人間であってテレビ自身ではありません。音も同様です。空気振動を音に変換しているのは人間であってテレビではありません。

同じように、テレビカメラは映像を記録しているのではなく電磁波や空気の振動波を記録しているだけです。

なにしろ自然界にあるのは電磁波と空気の振動であって映像や音ではないのです。

これらの錯覚をご理解いただけましたか。

​パソコンやタブレット、携帯電話から出ているのも電磁波と空気の振動です。物理現象とクオリアがあまりにも見事に一致しているので錯覚が起こっているのです。

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電磁波の範囲は広く、プリズムのスライドにあるすべてが電磁波です。光も電磁波です。可視光線とも言います。光と呼んでいるのは人間が見える電磁波だからです。光と呼んでいる電磁波は、電磁波全体からすると本当に狭い帯域にあります。それ以外の帯域の電磁波を人間は見ることができません。

 

プリズムを通った光が七色に変わるという上のような画像をご覧になったことがあると思います。これは可視光線に対する錯覚を起こさせる図です。プレズムは色がない透明な光を七色に変えているのではなく、様々な波長が混在した電磁波である光を波長ごとに分離しているだけです。赤い色の外側には赤外線があり、紫色の外側には紫外線がありますが、人間には見えません。

カント(1724~1804)は物自体は不可知であるとしました。

「これは、目、鼻、舌、耳、皮膚などの五官は分離して存在しているので、五官を通して入って来る表象はそれ自体としては統一性を欠いた雑多な断片に過ぎず、物自体ではありえない。雑多な表象を統一して認識できるようにするには、時間、空間、カテゴリーなどの形式によって再構成する必要がある。この形式がないと認識は成立しない。」というような内容を主張しました。

そして、この形式は先験的(a-priori)であるとしました。先験的とは経験とは関係なく知っているというような意味です。

カントはアベル型人生観を代表する哲学者です。しかし、カントの主張には物自体がクオリアを持っているという前提があります。物自体が不可知なのは事実ですが、その理由はカントの主張とは異なります。物自体が不可知なのはクオリアを一切伴っていないからです。物自体が持っているのは物理現象のみだからです。


世界には一切のクオリアがないので無の世界と同じです。これが物自体、世界自体の真の姿です。

​上のスライドは真っ黒になっていますが、実際は明暗すらありません。

その世界を人間が見たとたんにクオリアが意識に上ってきます。このため世界全体に光や風景が満ち溢れていると錯覚するのですが、実際は視界から外れた所や頭の後ろの方は物体はありますが無の世界です。

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クオリア発現の機序を示したのが上のスライドです。この中で電気信号はクオリアの形状です。クオリアの性相は神様の性相的クオリアです。神様の無形のクオリアが電気信号を着たのが、私たちが感じているクオリアの正体です。

被造世界の存在は形状しかないので、性相は創造前からあったことになります。クオリアという質感、情感も創造前にあったのです。これは夜の神様の中に原型があったものが、夜の神様が昼の神様を創造される前に夜の神様が創造されたと思われます。人間が感じるクオリアは昼の神様も創造に加わられたと思われます。人間が創造される前に万物世界を人間のために創造されたように、夜の神様が昼の神様を創造される前に昼の神様のためにクオリア(質感)のみで出来た万物世界を創造されたと考えられます。

質感は好きだという情感を誘発する美の対象です。色彩、透明感、輝き、遠近感、運動感、音、和音、リズム感、メロディ感、様々な香り、酸っぱい、苦い、甘い、塩辛い、旨い、噛み心地、喉越し、空腹感、満腹感、温冷感、痛感、痒み、時間空間感、重力感、浮遊感などすべてがクオリアです。これらは嫌いだという思いをさせるものもありますが、それは好きだを強めるためにあります。クオリアは、最終的に、好きだという愛を誘発する美の質感です。

 

​情感はもっと愛に直結します。

「美しい」「楽しい」「かわいい」「悲しい」「怒り」「不安」「寂しい」「驚き」「わくわくする躍動感」「心が明るい、暗い」「憎しみ」「焦燥感」「諦め」「嫌悪感」「恐怖感」「後悔」

「忍耐」「辛さ」「屈辱感」「無念さ」「恥ずかしさ」

「懐かしさ」「虚無感」「期待感」「諦め」「挫折感」「希望感」「慕わしさ」「惜別感」「同情」「同感」「親近感」

などなど数えきれないほどあります。これらは最後には、好きだ!という情感の王様に至るためのものです。

​愛自体も源泉は神様にあります。夜の神様、無形の息子である無形アダム、無形の娘である無形エバ、この三者の間にある子女の愛、兄弟の愛、夫婦の愛、父母の愛が原因でこの世界の三対象の愛が生じます。

​この世界に現れる現象の原因は驚くほど神様なのです。

​これが分かって来ると、世界が神様を中心に立体的になっているのを感じる様になります。

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それでは今までの説明を具体例によって再確認したいと思います。

例えば、ある女性を見て奇麗だ、魅力的だと感じたとします。しかし、その女性に色がついているわけではありません。電磁波を反射しているだけです。その電磁波には色は付いていません。その声が魅力的だとしても声帯が空気を振動させているだけで声ではありません。

その女性そのものが奇麗で魅力的なのではありません。何しろ、その女性そのものには色彩はありません。

上の左のグレースケールの写真にはわずかに明暗がありますが、実際の女性そのものには明暗もありません。この写真は魅力的とは言い難いものです。魅力的に聞こえる声も空気が振動しているという物理現象があるだけです。素の被造世界や素の被造物には何の魅力もありません。

客観的に眺めればその女性は奇麗であるはずがなく、魅力的であるはずがないのです。また、奇麗だ、魅力的だと感じる側の感覚も神様源泉のクオリアなのです。要するにその女性を奇麗に見せているのは神様です。

もちろんその女性はエステに行ってスキンケアを行い、スポーツジムでスタイル維持に努力し、食生活にも気を付けているかもしれません。また、メイクやコーディネイトの研究にも余念がないかもしれません。しかしそれは奇麗そのものを作り出しているわけではありません。神様のクオリアの中で、より綺麗なクオリアを引き出すために調整しているだけです。

 

以上のように、その女性が奇麗で魅力的にしている要素はその女性自身にあるのではありません。その女性の側の要因は全体の5%に過ぎません。残りの95%は神様がその女性を奇麗にそして魅力的に仕上げておられるのです。女性から見た男性も同様です。

男性が女性を見て魅力的だと感じ、女性が男性を見て魅力的だと感じるのは、その相手そのものが魅力的だからなのではないのです。魅力的な質感も魅力的だと感じる情感もすべて神様の質感、情感のなせる業なのです。

女性は男性を虜にするだけの魅力にあふれています。(女性から見た男性も同様です。)いわゆるメロメロ状態にまで至ります。男性から見たらその魅力のすべては女性が持っていると思っています。事実は全く違います。客観的に存在する女性は、髪、肌、唇などあらゆるものに色はありません。明暗すらありません。肌の透明感などいう言葉を使いますが、客観的にはそんなものは存在しません。あくまでも肌に反射する電磁波の重なり具合があるだけです。肌に触れても柔らかいという感触はありません。皮膚組織の水分や弾力性のある脂肪やたんぱく質が多いだけです。

実際は物理現象しかない女性という存在を、男性が見ると色彩、輝き、柔らかさに満ちた質感を感じ、それが情感を刺激するのです。このような質感と情感を男性の意識に上らせているのは神様の性相的な質感、情感です。

夫婦が抱擁したりキスをしたり、生殖器を合わせた時に生ずるのは、客観的にみると感覚器を通して生ずる電気信号だけです。その電気信号に愛の情感は一切ありません。物理現象だけです。そこに質感、情感を生じさせているのは神様の性愛の質感、情感です。

​神様が取って食べるなと言われたのはこの質感、情感のことです。

以上のような内容が腑に落ちた方は神様の魔法がとけて神様にまみえ始めたということです。その人には信仰や啓示は必要なくなるようになります。神様と生活するようになるからです。

私の意識と直感と感覚器官一切までも父のものであり、私が感じ意識する全体が父のものだという観が決定されなければなりません。そのようにならない限り、心情を通じて動く天を所有することができないということを、はっきり知らなければなりません「礼節と儀式 」第一章 神様に対して侍る礼法 一 神様に侍って生きるべし  2.一体となった生活をしなければならない

愛から見た神様 人間の95%は神様_1.gif

神様の責任分担95%、人間の責任分担5%という極めて重要な原理がありますが、この責任分担の原理にはその根拠についての説明がありません。

その根拠は人間の95%は神様からできていることにあります。

これは性相と形状の役割の度合いを表しています。性相の役割が95%を占め、形状の役割は5%なのです。創造原理にもその根拠となる記述を見つけることができます。下記のみ言を見れば性相の役割が圧倒的であることが分かります。

いかなる被造物にも、その次元こそ互いに異なるが、いずれも無形の性相、すなわち、人間における心のように、無形の内的な性相があって、それが原因または主体となり、人間における体のようなその形状的部分を動かし、それによってその個性体を、ある目的をもつ被造物として存在せしめるようになるのである第一節 神の二性性相と被造世界(一)神の二性性相

自然界にもそれを象徴するものがあります。例えば、海全体で光が届くのは5%です。残りの95%は光が届かない深海です。光が届かないので見えない海です。深海は見えない神様を象徴しています。見えない海が見える海を支えているとも言えます。

​また、宇宙において見える物質は全体の約5%です。物質であっても観測できないダークマターが26.8%、ダークエネルギーが68.3%で、合わせて約95%です。これもダークマターとダークエネルギーが見える宇宙を支えていると見ることができます。

意識も、感知できない意識である潜在意識と自分で感知できる意識である顕在意識との割合が95:5と言われています。潜在意識が顕在意識を支えているのです。これについて詳しくは潜在意識論で述べています。

 

​人間はあらゆる活動を自分でやっていると思っていますが、実際は神様が95%をなしておられるのです。人間自身がしていることは5%以下なのです。この観点から見ると人間中心主義などあり得ないことは明らかです。神様中心主義は当然の結論です。

愛から見た神様_30.gif

アダムとエバの創造目的は第一に、アダムの体を無形の神様が着ることであり、二番目は、体を着ることによって震動的な衝撃が来るようにするためです。言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。 「真の神様」 第一章 二 1.体をもつためにアダムとエバを創造

一日二十四時間の生活圏内で私が見聞きしたすべてのことは、何のためでしょうか。神様のためです。神様のために見たり聞いたりしなければならないし、感じるのも神様のために感じなければなりません。「礼節と儀式 」第一章 神様に対して侍る礼法 一 神様に侍って生きるべし  2.一体となった生活をしなければならない

神様が形状を創造されそれを着られる目的は、好きだ!という愛の刺激をより震動的で衝撃的にするためです。神様が最後に作られた形状=体が人間という存在です。神様は体を自分の為だけに作っても良かったのですが、ご自分から独立した意識を持つ人間に与えられました。

人間が日々の生活の中で感じている五感のクオリアは、神様が一番感じたかった震動的で衝動的なクオリアなのです。

ですから私たちが感じているあらゆるクオリア、あらゆる意識現象は神様のものなのです。

神様はどんなクオリアを感じたいかという主導権を人間に与えられたのです。その方が神様にとって喜びが大きいのです。

​神様という全知全能であり万王の王である95%の存在が、人間というわずか5%の存在に従われるのです。人間に絶対服従する愛の奴隷になるために人間を創造されたのです。

神様御自身も真の愛を絶対視して、それに絶対服従して生きるというその起源を発表したのは、歴史上レバレンド・ムーンが初めてです。それは観念ではなく事実です。ですから、神様は、真の愛を探し出すために創造されたのです。

「宇宙の根本」第一章 宇宙の根本秩序 二 宇宙は主体と対象でできている 1.ペア・システムが宇宙存在の原則

これが神様がこの世界にいないように見える根本原因です。​すべて人間がやっているように見えるのは神様の愛が見えない愛だからです。

神様が愛する相対が神様よりもっと素晴らしくなると、創造した所望的基準から見るとき、神様より高い位置に立っているのです。ですから私が「神様!」と言えば訪ねてくるし、私が「ようこそ」と言うと神様は後ろからついてきながらも不平を言いません。千里、万里ついていっても、いつも神様は喜びながらついてくるようになっているのです。子供についていく親の喜びというものは、口で言い表すことができないものです。天地が和動して自分以上に歓迎をするのを見るとき、父母の満足した細胞全体が、笑いのふろしきとなり、どっとはちきれて出てくるのです

「成約人への道」第四章 成約人への道 七 愛の皇族となれ 2 愛の人になれ

神様の精誠の図.gif
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