人間の能力の源は自分の中か、神様が源か?
神様の愛を知るにはどうしても性相論(クオリア論)について知る必要があります。しかし、私の過去のクオリア論では論理的に説明することを優先したため、かえって複雑になったようです。そこで今回はシンプルで明瞭な説明をします。
人間には体の能力と五感、知情意、愛など心の能力があります。ほとんどの人が、こういった能力が人間自体の中に独自で持っていると考えています。
この能力とは原理的に表現すると性相です。
オリンピックで金メダルと取れば人々はその人を称え誇りに思ったりします。ノーベル賞を受賞したり芸術、政治、経済などの様々な分野で卓越した実績をあげれば、人々はその人を称賛したり尊敬したりします。これはごく普通のことで当たり前だと思っています。
つまり大多数の人々は、人間の能力(性相)は自分自体の中にあって自分のものだと思っています。
人間の能力(性相)は素晴らしいものです。人間は五感の感性、知情意、愛、躍動する体、すべてが自分の能力だと思っています。
これらが自分自身の能力だと思う所から自分に酔う世界が生じます。自己賛美であり自己陶酔です。これが神様の復帰摂理の大きな障害だったというみ言があります。
自分の容姿や健康に酔って生きる男性は、どうしようもない存在であるだけです。そのように自我に陶酔して回っていくこの世を改善して、変化させていくのが神様の摂理だったということを知らなければなりません。「真の愛」第三章 愛と結婚 一 真の結婚は宇宙的合一の愛を成すこと
しかし、原理講論、統一思想、ご父母様のみ言を探求していくと全く違う風景が見えてきます。例えば良心作用についての創造原理の記述をご覧ください。
このような良心作用の力はいかにして生じるのであろうか。あらゆる力が授受作用によってのみ生じることができるのだとすれば、良心もやはり独自的にその作用の力を起こすことはできない。すなわち、良心もまた、ある主体に対する対象として立ち、その主体と相対基準を造成して授受作用をするからこそ、その力が発揮されるのである。我々は、この良心の主体を神と呼ぶのである。創造原理 第二章(二)授受作用
このみ言を見ると良心は自分自体の中に独自に存在するのではなく、主体である神様との授受作用の結果として生じていることが分かります。これは良心が人間自体の中に植え付けられているかのように独自に存在するものではないことが分かります。
更に統一思想には次のように書いてあります。
意識は心の状態といえるので、原存在の性相が意識の根源(source)であらざるを得ない。それでは、その性相はどこにあるのだろうか。すなわち、神の心(意識)はどこにあるのだろうか。遍在する神であるから、その意識は時空を超えていつでもいかなるところにもあると見なければならないであろう。このような場の状態にある意識が、人間の頭脳(高度に発達した有機体)を通して総合的に現れたものが人間の心であり、細胞や原生動物のような低級な有機体を通じて現れたものが原意識であると思われる。(そうして、生心は霊人体を通じて現れた高次元の意識であろう)
統一思想要綱 第二部 第二章 認識論 第三節 統一認識論 (五)認識作用と身体的条件 2 原意識と原影像の根源と形成 ① 原意識の根源と形成
少し難しい内容ですが、要するに、人間の心、細胞の意識、霊人体の意識である生心、これらはすべて神様の意識が根源であるということが述べられています。つまり、人間の意識から細胞意識に至るまで、あるいは分子、原子、素粒子、エネルギーの性相に至るまで、あらゆる被造物の性相の根源は神様の意識だという意味です。これは人間や万物の性相が神様から独立して存在しているのではないことを示しています。
これまでの話をまとめると、人間の性相(能力)が人間自体にあると考えるのが一般社会の圧倒的な主流であり常識です。これは神様を信じている宗教界でも大差ありません。一方、み言は人間の性相(能力)は人間自体の中にはなく、神様がその時その時に適合する能力を与えてくださっているという見解になります。
この二つの内どちらが正しいのでしょうか?これを真剣に確かめる必要があります。
もし人間の体の能力(性相)や心の能力(性相)が、人間自体が持っている物ならば、その能力が生み出す結果はその人に帰属します。だから様々な分野で能力の高い人はほとんど傲慢になります。多くのお金を持っている人、地位の高い人、知的、情的、意的な能力の高い人などが傲慢になったとしても褒められたことではないですが、仕方のないことだという結論になります。
一方、人間の性相である能力が神様からリアルタイムで相続してもらっているのだとすれば世界観は一変します。クオリア論で述べていますように、神様からのリアルタイムの能力の相続が途切れたとすればどうなるでしょうか?
目も見えません。耳も聞こえません。味も感じません。香りも感触も消滅します。知情意の機能や能力も消え意識もありません。植物人間以下です。もちろん愛することも愛を感じることもできません。
それだけに私たちが自分の能力だと思っていたことが神様からのリアルタイムの相続によるものだと分かれば、神様は自分の命以上にかけがえのない存在になります。神様の有難さは日常的に感じます。神様なしの生活はあり得ないという状態になります。神様と共に生活することは普通のこと、つまり日常になります。これは侍義の実現です。
本当にそうならこの世界に人類史上かつてない大転換が起こります。
人間中心主義は消え去ります。誰もが神様中心主義は当然のこととだと思います。
経済、芸術、科学、政治、スポーツなどの分野で突出した実績をあげた人が多くの富を手に入れることもなくなります。それらは神様の能力を相続することなしにはあり得ないからです。特許権、著作権、私有財産などは過去の遺物となります。
更に、お金自体が無くなります。お金は自分以外の人を他人と見る価値観の上に成り立ったものです。他人という家族でもない身内でもないカテゴリーは本然では存在しません。堕落故に始まったのです。自分の家族を相手に商売をしてお金をもらうのは余りにおかしいことです。本然では全人類が神様中心の兄弟姉妹だと実感するので、すべて無償で与え、無償でもらうのです。このようにお金を土台とする資本主義経済や貨幣経済は消え去ります。(詳しい内容は「お金経済の確実な消滅と天国の趣味経済」をご覧ください。)
以上のことは本当なのでしょうか?
人間が持っていると思っている機能や能力が神様からのリアルタイムでの相続物、あるいは借り物だとすると、中身を持っているのは神様で、人間自体の中身は空(から)だということになります。そんなことがあり得るのでしょうか?
本来、心と体は、切り離そうにも切り離すことのできない一つのものでした。人間の心は神様の心であり、人間の体はその心を入れる器でした。第四篇 真の人間 第一章 神様が創造された真の人間 第二節33 1991.8.27
空の器とは、その器に入っていくものと対等な価値をもつのです。「天一国主人の生活」第一章 創造の言動力は神様の真の愛 二 神様と真の父母と一体を成し遂げるための真の愛
結局、宇宙万象は、創造主である神様の内的性相が多様な実体として現れた外的形状なのです。第十篇 平和思想 第三章 世界平和の実現方案 第三節 文化と世界平和4 2000.2.9
以上のみ言を総合的に考えると神様が創造されたのは器だけだということです。器は空(から)の器でそこに神様が入られるということになります。これが神様の創造のやり方だとはっきりわかるみ言があります。次の二つのみ言を統合的にお読みください。
今までは「他為」思想について語りましたが、これからは「他為」ではありません。他我主義(他人と私は一つであると考える主義)思想を語らなければなりません。「他」とは何かといえば、「我」だというのです。相対が「私」だというのです。カイン世界のために生きなければならないというのですが、そうではありません。一つの体なので、一つにならなければならないのです。「他為」的思想の時代ではなく、「他我」的思想時代です。
「私」が相対を創造し、「私」と一体化させ、より大きな「私」にできる道を行ってこそ天に帰るのであって、自分第一主義で進んでいく人は天国に行けません。それが原理です。 第四編 真の人間 第三章 真の人間に復帰する道 第三節 真の人間の生活7 2003.6.29 p.446
このみ言によれば、「私」が対象のために生きるのというよりも、対象は外にあるのではなく「私」そのものだというのです。「私」が対象を創造して、他我主義によってより大きな「私」となることが原理だというのです。
皆さんは神様を知らないけれど、お一人の神様がお一人だけではないのです。夜いらっしゃる神様と昼いらっしゃる神様がお一人であるはずなのに、知ってみると、なんと夜の神様、昼の神様、心的な世界の神様、体的な世界の神様が、一つになった立場にいることができないような立場でした。「清平役事16周年記念真の父母様特別集会」のみ言 天基元年天暦12月19日(2011.1.11)天宙清平修練苑天城旺臨宮殿
心の神様である夜の神様が体である昼の神様を創造し、他我主義によって一つになられたのです。一つの神様です。これが天の父母様です。
夜の神様と昼の神様の関係も心と体の関係なのです。つまり、性相と形状の関係です。心が体を創造して一体となる、これが神様の創造方式なのです。
神様が入られる器(形状)のことを神様の体あるいは肉体と表現しているみ言が他にもあります。
アダムとエバの創造目的は第一に、アダムの体を無形の神様が着ることであり、二番目は、体を着ることによって震動的な衝撃が来るようにするためです。言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。
「真の神様」第一章 神様の本体 二 無形の神様は体が必要 1.体をもつためにアダムとエバを創造
神様において、新しい朝を迎える一番の栄光の時とは、肉体をまとうことができる時です。
「天国を開く門 真の家庭」 P67、祝福家庭と理想天国Ⅰ P936 1978.1.22
これらのみ言は神様と人間の関係である性相と形状の関係をより分かりやすく、よりリアルに述べています。性相と形状の関係について原理講論には次のように述べられています。
いかなる被造物にも、その次元こそ互いに異なるが、いずれも無形の性相、すなわち、人間における心のように、無形の内的な性相があって、それが原因または主体となり、人間における体のようなその形状的部分を動かし、それによってその個性体を、ある目的をもつ被造物として存在せしめるようになるのである。創造原理 第一節 神の二性性相と被造世界(一) 神の二性性相
これによれば、性相の役割は圧倒的です。性相が形状を動かしているのです。
性相は中身であり形状は空の器であり、空の器である形状は性相に着られるという関係です。
もちろん形状が性相に影響を与える面はあります。人間の心と体の関係を見れば分かります。
しかし、圧倒的に性相が形状を動かしています。これは人間の責任分担にも表れています。
神様の責任分担95%+人間の責任分担5%という箇所です。このみ言が性相と形状の関係を如実に表しています。
神人一体化した存在が神人完成体です。これは天地人真の父母様と呼ばれます。神人一体化において神様(性相)の役割は圧倒的です。それは95%です。そして人間(形状)の役割は5%です。
完成した神様=完成した人間です。ここにおいて中身は神様で、神様を入れる空の器は人間です。人間の責任は神様の形の通りに空の器を完成することです。
(神様が人間をなぜ空の器として創造されたのかについてはこのリンクをクリックやタップしてご覧ください。)
人間は空の器(形状)で神様が中身(性相)だというのは完成してから初めて起きることではありません。人間は未完成期、間接主管圏においても既に神様の器なのです。神様は間接主管圏において、すでに人間の中身です。そして神様は人間を完成させるのに必要な95%をなしておられます。自分の完成は自分だけの責任だと考えるのは間違いです。
創造原理には人間の霊人体を成長させる要素は生素と生力要素となっており、人間の善の実践によって生じる生力要素が中心的にとらえられています。しかし、生力要素が人間の成長・完成に占める割合は5%です。人間の成長・完成にとって圧倒的な役割を果たしているのは神様の95%です。
神様の95%とは何なのかを知ることが侍義にとって一番重要なことです。これこそが神様の性相的な愛です。見えない愛、人間が気付いていない愛です。
これについて知る重要な手掛かりになるのは夜の神様、昼の神様についてのみ言です。(詳しくは「総論Ⅰ」、「夜昼の神様論Ⅰ」、「夜昼の神様論Ⅱ」をご覧ください。)
神様の本体は夜の神様です。昼の神様は夜の神様を入れる空の器です。つまり、夜の神様が性相で昼の神様が形状です。昼の神様は夜の神様の体です。昼の神様は夜の神様の被造物でしたが、昼の神様という器に夜の神様が入られることで被造物から神様になられたのです。
夜の神様と昼の神様が一体となられたことで呼び名が変わります。天の父母様という呼び名です。
私達人間も同じ道をたどります。人間は神様の被造物ですが、人間という空の器に天の父母様が入られると神様になります。そうすると呼び名が変わります。天地人真の父母と呼ばれます。これは完成した人間の呼び名であると同時に、最終的に完成した神様の呼び名です。
天地人真の父母の主体は天の父母様なので、性相である天の父母様の願い通りに形状である人間が動くのが創造目的のように思われるかもしれません。しかし天の父母様にとって絶対主体としてご自分の思い通りに人間を従わせることで得られる喜びよりも、神様が人間に絶対服従することで得られる喜びの方が圧倒的に大きいのです。
これが天の父母様と人間の最終的な関係です。
行儀と信義の時代の神様と人間の関係とは余りにも違うのです。
愛の僕となり、愛の奴隷となるのが最大の幸福だという事ができます。(祝福家庭と理想天国I-一〇六六)
人間を余りも愛しているから絶対服従したくなるのです。また、絶対服従すればするほど人間にもっと愛が流れるのです。
神様が愛する相対が神様よりもっと素晴らしくなると、創造した所望的基準から見るとき、神様より高い位置に立っているのです。ですから私が「神様!」と言えば訪ねてくるし、私が「ようこそ」と言うと神様は後ろからついてきながらも不平を言いません。千里、万里ついていっても、いつも神様は喜びながらついてくるようになっているのです。子供についていく親の喜びというものは、口で言い表すことができないものです。天地が和動して自分以上に歓迎をするのを見るとき、父母の満足した細胞全体が、笑いのふろしきとなり、どっとはちきれて出てくるのです。
「成約人への道」第四章 成約人への道 七 愛の皇族となれ 2 愛の人になれ
真の愛の基本は絶対服従なのです。人間に対して与えに与えて、それでも与え足りず、不十分で申し訳ないと思いながら人間に絶対服従するのが神様の真の愛の姿です。
神様が人間に与えに与えてくださっているのが、性相的な愛です。
人間に与えてくださっているものは、天地創造以前に創造されたものです。父母である夜の神様が子女である昼の神様に与えられたものが基本となっています。
結果には必ず原因があるので、そこから類推するしかありません。私たちが知っている被造物は性相に形状が一体となっています。しかし、夜の神様と昼の神様の世界にある万物は、私達から見ると性相だけで存在するかのように思える万物です。
例えば、神様世界にもイチゴ、リンゴ、ミカンなどの果物があります。それらは性相と形状を持っていますが、私たち人間から見ると性相だけで出来ているように見えます。私たちが知るイチゴを見てみましょう。赤を中心とする色彩、みずみずしい外見、甘酸っぱさ、噛み心地、香り、噛むときの音、喉越しなどの様々な性質の元になるものがイチゴという姿の中に含まれています。
しかし、神様世界の万物はそれらが初めから一つです。分かれていません。イチゴを見るだけで味、香り、噛み心地、噛むときの音、喉越しが同時に感じられます。また、それらの刺激は私たちが実体のイチゴを通して感じるものよりもずっと弱いものです。
このイチゴの姿は正分合の正の状態です。
アダムとエバの創造目的は第一に、アダムの体を無形の神様が着ることであり、二番目は、体を着ることによって震動的な衝撃が来るようにするためです。言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。
「真の神様」第一章 神様の本体 二 無形の神様は体が必要 1.体をもつためにアダムとエバを創造
人間がイチゴを食べる時、まずは目で色彩やみずみずしさを感じます。次に食べようとする時に香りを感じます。食べた時に甘酸っぱさや、みずみずしさや鼻に抜ける香り、喉越し、噛むときの音などを別々にそして次々に感じていきます。そして最後はそれらが一つになってイチゴから大きな喜びを得ます。これが分と合です。
これが上記のみ言にある震動的な衝撃です。神様世界の性相だけでできたイチゴから得られる喜びよりも遥かに大きい刺激であり喜びがあります。
愛で和合して喜ぶことができるものは、昔創世前の時代の神様の喜びと、創世以降の相対的実体たちが出会って同化して感じる刺激的な愛の衝撃とは、天地の間の差があるのです。踊りを千年、万年踊っても終わることがないというのです。
「成約人への道」第四章 成約人への道 七 愛の皇族となれ 2.愛の人になれ
神様世界のイチゴの性相を正として、イチゴに形状を持たせると共に、人間が体を持ち、更に目、耳、舌、鼻、皮膚などの五官が別々に働くようにして、イチゴの持つ色彩、味、香り、食した時の音、喉越しなどを別個に感じるようにして、最終的にはそれらが一つとなって強い刺激と喜びが出現するようにされたのです。これが夜の神様と昼の神様が一つになった天の父母様による創造です。そして、その強い刺激と喜びを先に人間に与えられたのです。ですからそれは本来神様のものだということを感じて生活する必要があります。
私の意識と直感と感覚器官一切までも父のものであり、私が感じ意識する全体が父のものだという観が決定されなければなりません。そのようにならない限り、心情を通じて動く天を所有することができないということを、はっきり知らなければなりません。「礼節と儀式 」第一章 神様に対して侍る礼法 一 神様に侍って生きるべし 2.一体となった生活をしなければならない
私の心も父のものであり、私の心情も父のものであり、私の意識と直観と感覚器官のすべてが父のものであり、私が感じ、意識する全体が父のものだという思想が確立されていなければなりません。第十一篇 礼式と名節 第一章 侍る礼法 第二節 神様に侍る生活8 1960.2.14
人間が万物から得られる質感は神様世界にあったものです。それに形状を付けて人間が質感を五官で別々に強く感じるようにされたのです。
試しに自然の豊かな所に行ってみてください。様々な色彩や輝き、明暗、透明感、遠近感があります。川の流れる音や海の波の音があるかもしれません。様々の香りがあるかもしれません。肌を通り過ぎる風の感覚、呼吸をした時に鼻を通って流れる空気の感じや温度、大地を踏みしめる感覚などを感じます。これらは分です。
これらの五感の感覚や体感を別々ではなく一つのものとして感じてください。これが神様が人間に与え、人間を通して感じたかった合なのです。この大きな刺激と喜びを感じてください。
これが万物の創造目的です。
知情意も同様だと考えられます。神様世界では知情意は同時に感じられます。それを知と情と意と別々に機能するようにされたと思います。それらが合となって大きな刺激と喜びを生じさせるためです。
愛もそうです。神様世界では父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛は分化してはいますが、一つの愛として感じられます。人間世界では完全に分化しています。分化した愛は本然の夫婦が愛し合う時に完全に一つの愛となります。強烈な愛となって出現します。この時、五官も一つになり、神様もそこに同参され、性相と形状、陽性と陰性、神様と人間、別れていたものが完全に一つとなって合となります。神様の創造目的が完成する瞬間です。
いつ四大心情圏である子女、兄弟、夫婦、父母が一体を完成するのかというと、神様を中心として、人間が結婚して初愛を結ぶ位置が、すべての完成の結実点であり、中心になるのです。したがって、結婚は天地人の合徳であり、縦横、左右、前後、全体を完成するのです。結婚は、真の子女、兄弟、夫婦、父母の理想の、そして真の愛の完成地なのです。「宇宙の根本」 第三章 4 最後の目標は真の家庭理想実現
まとめると、人間が感じている五官から得られる質感、知情意、愛、すべてが神様世界にあるものです。これを人間が見たり、聞いたり、味わったり、嗅いだり、触れたりするのに合わせてその質感をリアルタイムで人間に与えてくださっているのです。人間が知情意、愛の能力を働かせようとする時、それに合わせてリアルタイムでその能力を人間に与えてくださっているのです。これは時々刻々と様々な選択と行動をする人間に絶対服従しないと決してできないことなのです。人間自体は空の器なので、神様が与えてくださらないと無なのです。これは人間が神様の意識の中で生活しているので初めて可能となることです。
知性を働かせて知識を吸収する、推理する、論理性、整合性を判断する、法則を発見する、発明するなどは知の働きです。これらは神様の知性を借りているのです。
綺麗な景色に感動する、親子や夫婦のドラマを見て涙する、芸術を堪能する、これらは神様の情を借りることで初めて可能となっています。
子供を見て可愛いと思う、相対に慕わしい情を感じ愛し合いたくなる、真の父母様を親として慕う、兄弟や食口を慕わしく思う、これらは神様の愛の情を借りることで初めて可能なのです。人間自体は空の器です。神様から頂いて初めて知情意と愛が動きます。
以上の内容を日常生活の中において日々ご自分でお確かめください。それが神様から頂いていることが腑に落ちてから日常生活が侍義になります。
神様の愛は既に溢れています。それを感じられるようになれば新しい人生が始まります。
これら全ては神様が人間をご自身の意識の中に入れてくださっていることで実現しています。つまり、神様は既に人間と生活しておられるということです。しかし人間は全くそれに気付いていません。
神様は余りに孤独で余りに寂しい神様です。私たちが侍義の生活を始められれば、神様を孤独と寂しさの暗闇から解放できるのです。
(詳しくは「衝撃の神観 衝撃の人間観」「神様の意識の中で生活する人類Ⅰ」「神様の意識の中で生活する人類Ⅱ」をご覧ください。題名にリンクを張ってあります。)
参考までに、神様が人間に対してリアルタイムで与えてくださっているものを列挙します。無限と言ってよいほどにあります。
これらはみな性相です。見えなく深いものばかりです。
神様の愛は性相愛なので、見えなく深いものばかりです。
神様が与えてくださったものなのに、人間は自分の能力であり、自分の中にあるものと思ってきたのです。
人間が神様の意識の中で生活していることで、神様から無意識に相続しているものです。人間がこれらの性相が自分の中にあると思うほどに、神様から人間への相続は絶妙です。正に神業です。
人間が気付かないように与える、これが神様の愛し方です。
これが神様の愛の伝統です。
これらは当たり前にあると思っている物ばかりですが、これらがなければ人間生活は成立しません。
人間はこれらを自分で持っている機能や能力だと勘違いしています。
人間は空の器です。すべて神様の意識の中でリアルタイムで頂いているのです。
一見すると「好きでない、嫌いだ」に関係するように思える性相は、「新しい共産主義批判]の「相応相克の法則」にありますように、あくまでも「好きだ」を「好きだ!」に強めるために存在します。
*見た時に感じる質感:「色彩」「明暗」「輝度」「コントラスト」「色彩の調和感」「透明感」「遠近感」「立体感」「壮大感」
「微細感」「躍動感」など
*聞いたときに感じる質感:「音」「音の強弱、高低感」
「音の和音感」「リズム感」「メロディー感」「音の遠近感」
「音の方向感」など
*味わった時に感じる質感:「甘い」「辛い」「酸っぱい」「苦い」「塩辛い」「新鮮さなどの食感」「味の濃淡」「味のハーモニー感」など
*臭いの質感:「甘い香り」「刺激臭」「酸っぱい香り」「臭さ」「新鮮な香り、腐った香り」「香りの方向感」など
*接触した時に感じる質感:「圧力感」「熱感、温感、冷感」
「硬質感、柔軟感」「痛感」「乾燥感、湿感」「粘着感」「掻痒感」「噛み心地」「喉越し」など
*その他の体感:「加速感」「重力感、上下感、無重力感」
「空間感」「時間感」「空腹感、満腹感」「眠気、覚醒感」
「尿意、便意、排泄感」「渇き感」「四肢や内蔵の存在感」など
*知の関連:「理論性」「真理性」「整合性」「矛盾性」「数理性」「法則性」「因果性」など
*情の関連:「美しい」「楽しい」「かわいい」「悲しい」「怒り」「不安」「寂しい」「驚き」「わくわくする躍動感」
「心が明るい、暗い」「憎しみ」「焦燥感」「諦め」「嫌悪感」
「恐怖感」「後悔」「忍耐」「辛さ」「屈辱感」「無念さ」
「恥ずかしさ」「懐かしさ」「虚無感」「期待感」「挫折感」
「希望感」「慕わしさ」「惜別感」「同情」「同感」「親近感」など
*意の関連:「正義感」「達成感」「義務感」「使命感」「責任感」「勇気」「実行力」「継続力」など
*愛の質感、情感 ⇔ 美の質感、情感
愛と美は授受作用しながらより深くより強くなります
1.子女が父と母に感じる質感、情感(父の美、母の美、父母の美)
⇒子女の愛を誘発=父母が好きだ
2.兄や姉に感じる質感、情感(兄の美、姉の美)
弟や妹に感じる質感、情感(弟の美、妹の美)
⇒兄弟姉妹の愛を誘発=兄弟姉妹が好きだ
3.夫が妻に、妻が夫に対して感じる質感、情感(妻の美、夫の美)
夫が妻に感じる女性美、妻が夫に感じる男性美
⇒夫婦の愛を誘発=相対者が好きだ
4.父母が息子、娘に対して感じる質感、情感(息子娘の美)
⇒父母の愛を誘発=息子娘が好きだ
5.家族に感じる質感、情感(家族から感じる美)
⇒家族愛を誘発=家族が好きだ
氏族、民族、国家、世界に感じる質感、情感
(氏族、民族、国家、世界から感じる美)
⇒氏族愛、民族愛、愛国心、世界愛を誘発
=氏族、民族、国家、世界が好きだ
6.男性美(男性的質感)、女性美(女性的質感)は、
全ての美、すべての質感の根底に存在しています。
性相美(性相、原因に感じる質感、情感)や
形状美(形状、結果に感じる 質感、情感)とともに質感の
根源にある質感です。
⇒愛の根底にある深い愛を誘発します
神様は私たちに愛を与えるとき、どれくらい与えたがるのでしょうか。神様の愛はこれくらいならいいだろうという限界を引いて与える、そんな愛ではありません。無限に与えようとする愛です。神様はすべて与えても、「お前によって、お前の中で生きたい」と言います。そのようにさせる本質とは何でしょうか。愛です。神様も愛の中に入って僕になってもいいというのです。父は愛する息子が自分の食卓の上に上がってうんこをしても、それを眺めて喜びを感じるのです。愛は法を超越します。
「真の神様」 第一章 神様の本体 四 神様は父であられる1.神様と人間は父子の関係