
天の父と母の形は? 重生時の天寶夫婦の姿勢

Ⅰ 天のお父様、天のお母様、天の父母様が見えたならどんなお姿か?
あの世へ行ってみれば神様は無形です。空中で太陽のような光が二十四時間いつも浮かんでいるのです。空中から神様がみな無形で管理しているのです。その無形の神様が、実体をもった人間の愛の対象ではむなしいのです。ですからアダムとエバは無形の神様の愛の理想の絶対作品です。パートナーとして体をもったアダムとエバを造ったのです。神様は誰の姿かと言えば、アダムとエバの姿です。一つは内的な父であり、一つは外的な父なのです。一つは内的な父母であり、一つは外的な父母だというのです。「真の神様」第一章 神様の本体 二 無形の神様は体が必要 2.アダムは宗の祖先、有形の神様1986.3.16
原理において無形とは形がないことではなく、形があるけれども見えないことを指します。見えない神様のお姿が見える姿として現れたのがアダムとエバです。神様が性相で人間が形状の関係です。これで神様と人間の関係の根本が説明できるように感じますが、実際は更に深い内容が隠れているようです。
生殖器を中心として造られたということを知らなければなりません。男性がそのようになっているのは、生殖器に似てそのようになったのです。女性がそのようになったのは、生殖器に似てそのようになったのです。このような言葉は文総裁から始まるのです。誰もそのような話をしませんでした。図書館にはありません。人類歴史にない新しい言葉です。
「宇宙の根本」 第二章人間創造と愛の理想の完成 二生殖器は三大本宮、天の至聖所 2.神様の創造目的を完成させる器官
神様が創造される時に、生殖器をかたどって男性と女性を造り始めました。それゆえに、生殖器を動かすところには、人間全体のすべての構成要素が入っているというのです。
「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想の完成 二 生殖器は三大本宮、天の至聖所 2.神様の創造目的を完成させる器官
男性がこのように生まれたのは、自分の生殖器に似てこのように生まれたというのです。女性は、女性の生殖器に似てそのように生まれました。女性が女性になり、男性が男性になったのは、生殖器によってそのようになったということを知らずに生きていたというのです。それは本当でしょうか、うそでしょうか。「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想の完成 二 生殖器は三大本宮、天の至聖所 2.神様の創造目的を完成させる器官
このみ言を見ると、男性の生殖器は男性の原型であり、男性を総合した実体であり、男性全体に対して性相の立場であることが分かります。女性の生殖器と女性との関係も同じです。人間の生殖器が至聖所であり人間は聖所です。
また、神様は人間全体ではなく生殖器にお住まいになります。
神様に、「神様、どこにいらっしゃいますか」と尋ねれば、「愛の中心にいる」と言われるのです。「愛の中心とはどこですか」と尋ねれば、「愛の定着地だ」と言われるのです。「愛の定着地とはどこですか」と尋ねれば、「生殖器だ!」と言われるのです。 「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想の完成 二、生殖器は三大本宮、天の至聖所 2
このように見ていくと、神様は人間全体と人間の生殖器とどちらに似ておられるかが分かります。神様のお姿は人間の生殖器の姿だと分かります。
霊界に行けば、天のお父様だけがいるのではなく、天のお母様がいるのです。父と母がいなくて生命体が出てくることができますか。そのような父母のように、アダムとエバの背後には、分かれて出ていた神様が一つになっています。第7編 地上生活と霊界 第二章霊界はどのような所か 第二節 霊人の生活 22 1977.1.1
天の父は無形のアダムです。天の父はアダムに似ておられますが、それ以上にアダムの生殖器に似ておられます。天の母は無形のエバです。天の母はエバに似ておられますが、それ以上にエバの生殖器に似ておられます。
人間は生殖器について歴史的に堕落的な観点で見てきましたが、このような観点は根本から変える必要があります。
天のお父様はどんなお姿なのですか?
それは男性の生殖器の姿です。
天のお母様はどんなお姿なのですか?
それは女性の生殖器の姿です。
天の父母様はどんなお姿なのですか?
それは、男性と女性の生殖器が結合したお姿です。
このことは生殖器にたいする認識の革命です。
自分の持っている生殖器は何にも勝って貴重な存在です。
人間はこの尊い生殖器を中心に生活するようになっています。
男性と女性が愛する本宮、生殖器とは何ですか。愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮です。おじいさん、おばあさんもそれを中心として生き、父と母もそれを中心として生き、自分たち夫婦もそれを中心として生き、将来生まれる息子、娘もみなそれを中心として生きるのでしょう? それを中心としないで生きる女性がいて、男性がいますか。
種がありません。ところが、それがなぜ悪いものになりましたか。下品な言葉だというでしょう? なぜ下品な言葉なのですか。神聖な言葉です。神聖な言葉として受け止めなければなりません。ここで永遠の愛が連結され、永遠の生命、永遠の血統が出てきます。最も貴いのです。
「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想の完成 二 生殖器は三大本宮、天の至聖所 1.愛と生命と血統の本宮
それがなければ何も存在できません。すべての被造世界がストップするのです。今まで人類はこのように貴い生殖器を知らなかったのです。「私が世界で一番だ!」と誇らしく思ったかもしれませんが、生殖器がなければなんでもないのです。その生殖器は、真の生殖器をいうのです。「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想の完成 二 生殖器は三大本宮、天の至聖所 1.愛と生命と血統の本宮
無形である神様が天地創造をされたのは有形なる体を着るためです。そしてその体を通して無形では十分に感じることができない震動的な衝撃を感じるためです。
神様はなぜアダムとエバを造られたのでしょうか。神様は無形でいらっしゃる方なので、実体の形状をもった父母になれなければ形状の子女を愛することができないので、体を着るためなのです。アダムとエバの創造目的は第一に、アダムの体を無形の神様が着ることであり、二番目は、体を着ることによって震動的な衝撃が来るようにするためです。言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。「真の神様」第一章 神様の本体 二 無形の神様は体が必要 1.体をもつためにアダムとエバを創造
上記の内容を総合してみると次のような結論にたどり着きます。
天のお父様はどこにおられますか?
天のお父様は体を着て存在されます。
天のお父様が体を着た姿が祝福家庭の男性の生殖器です。
祝福家庭の男性が天のお父様のお姿を見たいのなら、自分自身の生殖器がそのお姿です。
天のお母様はどこにおられますか?
天のお母様は体を着て存在されます。
天のお母様が体を着た姿が祝福家庭の女性の生殖器です。
祝福家庭の男性が天のお母様のお姿を見たいのなら、相対者の生殖器がそのお姿です。
私という存在はもともと私のものではありませんが、生殖器は特にそうです。生殖器は神様そのものです。下記のみ言にありますように、朝起きた時に最初に挨拶すべきなのは神様である自分の生殖器です。(そして次に挨拶するべきは相対者の生殖器と相対者です。)
真の愛のこの驚くべきところが、下品な言葉になりました。天地を滅ぼす亡国の種になったが故に、今まで最も悪いものとして取り扱われました。本来は神聖なものです。先生方、お分かりですか。朝起きてあいさつをする時、生殖器に「よくお休みになりましたか」と言わなければならないというのです。先祖よりも、先祖の愛に仕える事ができる場がその場である事を知らなければなりません。
「人間の生と霊魂の世界」第一章 人生の行くべき道 四 天国に入る秘訣 4.絶対「性」を中心として天国、地獄が分かれる
生殖器に関するみ言から導かれるこのような見解は衝撃的ですが、創造原理の神髄と言えるのではないでしょうか。この観点が重生を実現するにおいて特に重要な認識となります。

Ⅱ 神様の真の愛の創造力は生殖器の結合で生まれる
皆さんの生殖器もそうです。「やあ、この生殖器を通して子供が創造される」、このことを考えてみましたか。重大な内容です。
「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想の完成 二 生殖器は三大本宮、天の至聖所1.愛と生命と血統の本宮
人間において、生理学的に神経と血管が最も集中しているのが生殖器です。それゆえに、自分と同じ者を再創造することができる器官になるのです。最も苦労してつくったものです。そうですか、そうではありませんか。それが肥おけになってしまっているのです。
「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想完成 二 生殖器は三大本宮、天の至聖所 2.神様の創造目的を完成させる器官
人間の人生において生み出すものとして子供に勝るものはありません。人生におけるいかなる創造活動や業績とも比較になりません。宝の中の宝である子供は男性の生殖器と女性の生殖器が一体となった時に生ずる創造力によって生まれます。
これは人間だけではありません。神様の創造も同様です。
神様においても全く同じです。神様も息子、娘を育ててこられたということを知らなければなりません。神様にも赤ん坊のような時があり、兄弟(妹)のような時があり、夫婦のような時があり、父母になった時に創造なさったということを知らなければなりません。無形なる神様もそのように大きくなってこられたということです。
無形の神様にとって、実体のアダムとエバが成長する姿を見ることは実に刺激的なことです。アイゴー、私も兄弟(妹)げんかをしてこのように育ち、夫婦となり、父母となりました。ちょうどそれを再び眺めるようになるのです。ですから、神様が創造されたのと全く同じように、神様はアダムとエバが実体の神様として成長し、息子、娘を生んでいく姿を平面的に感じてこられたはずだったのです。
ファミリー94年4月 P33~34 真の父母と創造理想家庭 1994年1月15日世界宣教本部
統一思想の原相論(二)原相の構造 1 心情中心の四位基台形成 ⑤ロゴスの内部構造、には創造は二段構造によってなされるとあります。愛(心情)を中心として内的性相(知情意)と内的形状(観念、概念、法則性)の授受作用によってロゴス(理法=設計図)が作られ、次にロゴスと本形状が授受作用して被造物が創造されると説明されています。
この創造の二段構造において中心にあるのは愛です。愛によって創造がなされたのですが、これがどのような愛なのかについては詳しく述べられていませんでした。
この創造活動の原動力となる愛は、天の父(無形のアダム)と天の母(無形のエバ)が生殖器を合わせる時に生ずる愛なのです。
これによって人間の夫婦が生殖器を合わせることによって子供が創造されるのは、神様の人間創造の追体験であることが明確に理解できます。
(子供ができる仕組みについての一般的な理解としては、男性の精子に存在する半分のDNAと女性の卵子に存在する半分のDNAが一つになって子供の設計図が出来上がり、それによって人間が形成されるというものです。
これは完全に間違っています。このDNAの情報だけでは一個の細胞の設計図にすらなりません。詳しくは神様の精誠Ⅰをご覧ください。)
Ⅲ サタン中心の生殖器の結合が本然の人類始祖をサタンの似姿に再創造した

堕落は天法に違反したというだけに止まりません。
血統が変わってしまったのです。それは実体が変化したことを意味しています。
神様の実体としての姿ではなく、サタンの実体に生まれ変わりました。
アダムとエバは成長の途上にあり完成していませんでした。このため、実体を変化させるだけの強い力が加われば実体がその力によって変化します。この強い力が非原理的な夫婦の愛です。この夫婦の愛の力は非原理的ではありますが子女を作り出す創造力を持ちます。
この夫婦の愛の力は未完成であったアダムとエバ自体を生み変えてしまいました。
子女繁殖は肉身を持ってのみ可能なので、天使長とエバとの霊的堕落において、エバは天使長の要素を受け継いだことは事実ですが、実体が完全に変化するまでは行かなかったと考えられます。しかし、肉体を持って為された肉的堕落においては、夫婦の愛による子女創造の力が働き、その力がアダムとエバをサタンの子女実体に生み変えてしまったと考えられます。
実体が決定的に変化してしまったので、善なる条件をいくら積んでも元には戻らないのです。罪の清算だけでは元に戻れません。堕落の時に生じた夫婦の愛以上の愛がなければ元には戻れないのです。
Ⅳ 神様中心の生殖器の結合がサタンの血統を神様の血統に再創造する

重生論Ⅱにおいて上記の図を用いましたが、これは重生が実現する内的な心情世界を表わしています。実際の重生においては実体を根本から変化させるだけの実体的愛が必要です。
堕落においてはアダムとエバの心にサタンが入って非原理的な夫婦の愛が生じたのですが、重生においては夫婦の心に神様が入ることで生ずる本然的な夫婦の愛が必要です。
人間において、生理学的に神経と血管が最も集中しているのが生殖器です。それゆえに、自分と同じ者を再創造することができる器官になるのです。最も苦労してつくったものです。そうですか、そうではありませんか。それが肥おけになってしまっているのです。
「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想完成 二 生殖器は三大本宮、天の至聖所 2.神様の創造目的を完成させる器官
堕落においてアダムとエバの間に生じた非原理的な性愛によって当事者であるアダムとエバの実体がサタンの似姿に変化したように、重生においても重生したい当事者である夫婦の愛の行為が必要です。
この夫婦の心には神様がお入りになって、神様が夫の体と妻の体を着て性関係を結ぶことで生じる本然的な夫婦の愛が必要です。
このように神様が夫婦の体に直接入って性関係を結ぶことができる基台を立てたのが、完成した型を成し遂げた天寶入籍勝利家庭です。
天の父が天寶家庭の夫の生殖器に入られ、天の母が天寶家庭の妻の生殖器に入られて愛の関係を結ぶことで重生を達成する本然的な夫婦の愛が生じるのです。
人間が成熟して結婚するということは、神様の愛と人間の愛が関係を結ぶことを意味するのです。何を中心としてですか。愛の器官を中心としてです。霊的に見るとき、アダムの生殖器は神様の内的な生殖器であり、エバの生殖器も神様の内的な生殖器です。そして、相対的に女性の生殖器と一つになるのです。「宇宙の根本」第二章 三 2.神人愛理想の根本原理 (1) 神人一体をどのように解明するのか
旧約聖書を見れば、聖所や至聖所という言葉が出てきます。聖所は人を象徴し、至聖所は愛の家を象徴します。愛することができる家のことを意味します。すべての人が聖所をもっていて、至聖所をもっています。聖所は、神様をお迎えできる家です。
至聖所は神様だけが特権的な愛の主管権をもつことができるので、神様と関係を結ぶことができる場所です。
至聖所は、天と通じることができる場なのです。
神様と直接関係を結ぶことができる至聖所が、正にそこです。
それが人間のどこにあるかといえば、皆さんの生殖器です。
第三篇 真の愛 第二章 真の愛の類型 第三節 夫婦の愛30 1984.6.20
この場合、夫は真のお父様の代身であり、妻は真のお母様の代身でもあります。
天寶家庭の夫婦は、神様が生殖器に臨在された基台の上で本然的な夫婦の愛が現れる状況において、夫婦が双子のように真のお母様の代身である天寶家庭の妻の胎中に入り、次に真のお父様の代身である天寶家庭の夫の種を通して神様に到達します。
そのうえで、真のお父様の代身である天寶家庭の夫の種に戻ってきて、更に真のお母様の代身である天寶家庭の妻の胎中に戻ってきて再度生まれるという役事を通して重生が実現します。
堕落した人間は、自分の心と体に神様の愛が顕現できるその日を訪ね求めていくのです。そうすれば、爆発するような神様の愛が顕現します。既に数千年間仲違いしてきた体が、完全に一つになることができます。
この日は、サタン世界では恐怖と革命の一日であり、天の世界では歓喜と勝利の一日です。その位置に立ってみれば、神様の愛がどのようなものなのかがわかります。どれほど良いことか、細胞が奮い立つようです。すべての骨と肉が一カ所に集まって固まるのを感じます。化石のようになるのです。すべての五官が完全に一つになるのを感じます。
第七編 地上生活と霊界 第二章 第一節 霊界の実相 21 1977.10.1


Ⅴ 重生に向かう天寶夫婦の姿勢と重生実現
それは真の愛を中心とする夫婦生活です。
真の愛を中心とする夫婦生活とは、神様と相対者に対する絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。
真の愛の完成形は絶対服従です。
重生を実現するための神様と真の父母様に対する絶対服従については重生論Ⅱで述べました。ここでは重生実現の最後のピースともいうべき相対者に対する絶対服従について述べたいと思います。
神様と父母様に対しては天的基準で対したとしても、相対者に対してはどうしても人間的に見てしまうことが多くなりがちです。しかし、これでは重生実現のための夫婦の愛は生じません。
神様は真の愛の本体なので、真の愛に連結されればみな同じ体になります。父母は神様に代わる、生きた神様であり、夫と妻は互いにもう一方の神様であり、息子、娘もまた、一つの小さな神様です。このように三代が、真の愛を中心とする家庭の組織が、天国の基盤です。そのような基盤を築かずしては、天国はできません。
「成約人への道」第二章 家庭観 一 理想的な家庭とはどのような家庭か 2.家庭において社会愛、民族愛、人類愛が芽生える
夫からみて妻は生ける神様です。妻からみて夫は生ける神様です。
天寶家庭の重生においては完成した型の上で為されるので、夫は妻を、真のお母様の代身であり天のお母様の実体として侍り、妻は夫を、真のお父様の代身であり天のお父様の実体として侍る必要があります。
この時、夫にとっては真のお母様の代身であり天のお母様の実体である妻しか見えません。妻にとっては真のお父様の代身であり天のお父様の実体である夫しか見えません。自分がない状態です。これが天寶家庭の夫婦において到達すべき絶対服従の世界です。
お互いに相対を心から神様であり真の父母様として感じて接することができるかが重生のカギを握ります。人間的な先入観を捨て、相手を生ける神様、真の父母様として貴重視して対することができるようになることで重生の役事が始まります。
これをいかに徹底的に実行するかがポイントとなります。天寶家庭は天の皇族です。天寶家庭の夫と妻は皇族にふさわしい言葉遣いや立ち振る舞いが必要です。また、一般の人にありがちな単純な繰り返しの生活ではなく天から見てもお互いに関係を見ても、芸術的だと感じるような生活が望まれると思います。
理想的夫婦とは、どのような夫婦でしょうか。最高の芸術を実体に展開できる夫婦、最高の文学を実体に展開できる夫婦なのです。最高の理想、最高の文化世界に接する前に、最高の愛によって夫婦が授け受ける甘味な愛が世界最高の芸術作品にならなければなりません。夫婦生活自体が最高の文学作品であり、それ自体が文学の実体にならなければなりません。「真の愛」第二章 愛の実際 四 夫婦の愛 1.夫婦の愛は全宇宙の花
普段の生活が重要です。そこから一変する必要があるかもしれません。
これは外的な体面を整えるためではありません。すべての面で皇族にふさわしい姿になることを通して、夫婦がお互いで好きだという情感を最高に高めるためです。普段の生活からお互いが「好きだ!」という情感が溢れる夫婦であることが基礎となります。
これを実現するためには相対に対する真の愛の姿勢、特に絶対服従の実践がキーとなります。
これについては「真の愛の驚異的な感化力と実践の奥義」や「潜在意識の神様の絶対信仰、絶対愛、絶対服従」が役立つかと思います。
いずれ全ての祝福家庭が天寶家庭となり天の皇族になりますが、その伝統を立てるは最初の復活にあずかる天寶家庭の使命でもあります。
このような愛の基準に立った天寶家庭の夫と妻という実体が夫婦の愛で一つになる時に、無形アダムである天の父と無形エバである天の母が一つになられます。
見える姿としては相対者ですが、中身は見えない天の父母様なので、そのように接することで天の父母様と実体の天寶夫婦が共鳴できるのです。
天寶家庭は神様の体の位置にいるのでその意識を徹底することが重生にとって不可欠です。
皆さんがその長い棒をいい加減に扱ってはいけません。それに侍って生きなければなりません。それが最も貴いのです。神様が見下ろしているのです。神様がそこに臨むのです。そして、皆さんの妻のものは神様の夫人、女王のものであり、皆さんの夫のものは神様のスティック(棒)と言いましょうか。神様と一緒にぶらさがっていると考えなければならないのです。それは二重ではありません。心と体のように、神様が心ならば、皆さんは体になるのです。神様は見えませんが、その生殖器と一緒にいらっしゃるのです。私たちの体にそれがぶらさがっていますが、それは二つが一つになってぶらさがっているのだと考えなければなりません。
「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想完成 三 神人一体の愛の理想完成 2 神人愛理想の根本原理 ② 神人一体の拠点
夫の生殖器が神様の生殖器だと考えてみましたか。どれほど近づきますか。神様をどこか天のてっぺんに置いて信じるのではありません。自分の心の中に入ってきているのです。一つになっているから分からないのです。「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想完成 三 神人一体の愛の理想完成 2 神人愛理想の根本原理 ② 神人一体の拠点
神様と人間がどこで出会うのですか。男性と女性が一つになって愛する時間、生殖器を中心として一つになる時間に会うのです。これが堕落したために、世の中を滅ぼし、天地を滅ぼしたのです。それゆえに悪いものになりました。男性と女性が愛する時、神様を迎えにいくのだと考えなければならないというのです。下半身を見る時、「どうやってこの器官を、愛を中心として連結させようか。どのように奉仕して歓迎しようか。どうすれば真の愛を中心とした夫婦生活をすることができるだろうか」と毎日考えなさいというのです。私の体がそのような位置にいるのです。
「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想完成 二 生殖器は三大本宮、天の至聖所 3 生殖器は天が臨在する至聖所
重生するまでは本然の夫婦ではありません。しかし、重生がなされる時には天の父母様が天寶家庭の体を着て性関係を結ばれることで重生に必要な愛が生じます。このため天寶家庭の夫婦の愛は天の父と天の母が愛しあう愛の波動に共鳴するレベルが必要です。
バイオリンソナタではバイオリンに合わせてピアノが伴奏しますが、ピアノが主体で旋律を奏でることもあります。この授受作用が美を作り出します。事実はバイオリンもピアノも空気を振動させているだけです。音というクオリアは神様から来ます。演奏者は相手の楽器の音色に合わせながら神様の最高の音のクオリアに近づこうとします。演奏家はその仕組みは知らないとしても、自分たちの演奏が神様の最高の音のクオリアに共鳴できるように全力を尽くしてチューニングしていきます。このような結果として初めて名演奏になるのです。
これと同様です。夫婦に愛が生じるのは神様の夫婦の愛を頂くからです。天寶家庭の夫婦は天の父母様の最高の愛に如何に共鳴できるかに全力を尽くす必要があります。神様の愛は人間の夫婦という実体を通して震動的衝撃をもって出現します。その愛に神様も人間も酔いしれます。
そのような衝撃的な共鳴がなされているかどうかは、この世の夫婦を遥かに超えるような愛の稲妻が生じているかどうかで分かるわけです。バイオリンソナタの例にあるように夫婦で最高の愛の演奏をすることが必要です。愛の旋律を奏でるのです。これ以上の芸術はありません。
それは愛の稲妻が爆発する世界です。神様が参加されるからです。
要するに、夫婦の愛の行為に神様が参加していただけるレベルに達すれば良いのです。天寶家庭は歴史上初めてそのレベルを実現できる基台を持っています。お互いに相手が神様であり、真の父母様の代身だと感じることができれば相手が好きでたまらなくなります。
恋愛に酔う世界です。
自分の命よりも相対が貴重だという世界です。
好きで好きでたまらない世界です。
この愛の稲妻によって天寶家庭の夫婦の重生が達成されます。
男女が互いに愛し合う時、「ああ、電気が通じる」と言います。その時、生じる電気は天使長から始まるもので、単細胞的なものです。本然の世界で生じる愛の電気は宇宙的な愛の稲妻で、強度において数千倍を越えるだけでなく、人体の各器官の細胞が動く音も雷の音と同じです。本然の世界において真の愛で愛し合う男女は、愛の稲妻が出会う接触点に向かって総力を結集しなければ神様と出会えない、というのが愛の原理観です。
「真の愛」第二章 愛の実際 五 性愛 1 性は愛の本宮、天の至聖所
アダムとエバが神様と生命一体、愛一体、血統一体、このように和合した喜びとともに爆発して、蘇生するところから生まれるべきなのが私たち人類です。これがアダムとエバの子女になることであり、神様の孫になることです。「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想の完成 三 神人一体と愛の理想完成 2 神人愛理想の根本原理 (2) 神人一体の拠点



Ⅵ 重生を実現するための夫婦間の愛の更なる深淵(付録)
前節のⅤにおいて夫婦間の絶対服従の愛について述べましたが、更なる深淵について述べたいと思います。
① 天的な夫婦関係と一般的な夫婦関係は相当違います。
一般的な夫婦関係においては夫婦間に流れる愛は夫婦の愛だけです。
一方、天的な夫婦関係では、四つの愛がすべて出現します。
父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛は人間世界では相手がそれぞれ異なります。
父母の愛と子女の愛は親子間、夫婦の愛は夫婦間、兄弟の愛は兄弟間です。しかし神様と人間では両者の間にこの四つの愛がすべて同時に出現します。神様と人間の関係は親子であると同時に夫婦でもあり兄弟でもあります。四つの愛は、表面上は違う性質の愛ですが愛ということでは同じです。愛は元をたどれば一つなのです。愛とは好きだという情感のことです。
愛の始原は夜の神様が自分自身に対して感じておられた自己愛から始まったと考えられますが、愛の喜びの多様性を求めて四つに分離していきました。正分合の原理から見て、分かれていた四つの愛は合として一つに再結合します。その四つの愛が一つに溶けるのは何時かといえば本然の夫と妻が生殖器を合わせる時です。ここで四つの愛が一度に出現し、高い温度とまばゆい輝きを発するのです。また、夜の神様と昼の神様の愛、天の父母様の愛と人間の愛が一つに溶けます。陽陰、性形、上下、左右、内外、高低などがすべて一つに溶けます。正から始まったすべての分が高次元の合として結集します。真の愛の完成形が出現する創造理想の完結です。
いつ四大心情圏である子女、兄弟、夫婦、父母が一体を完成するのかというと、神様を中心として、人間が結婚して初愛を結ぶ位置が、すべての完成の結実点であり、中心になるのです。したがって、結婚は天地人の合徳であり、縦横、左右、前後、全体を完成するのです。結婚は、真の子女、兄弟、夫婦、父母の理想の、そして真の愛の完成地なのです。
「宇宙の根本」第三章 人間堕落と復帰 三 真の父母と根本復帰 4.最後の目標は真の家庭理想実現
アダムの結婚式は、神様の結婚式です。これが天の最大の秘密です。気がついてみると、統一教会の文教主が生殖器解剖学の代表者になりました。生殖器ですべて一つになるのです。それなくしては愛が分からないのです。それ以外には、男性の生命と女性の生命が結ばれる場所がありません。そこで女性の血と男性の血が出会います。そこから歴史が連結します。そこから良心が出発します。そのようになっているのです。
「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想の完成 三 神人一体と愛の理想完成 2 神人愛理想の根本原理 ② 神人一体の拠点
このように生殖器の結合は夫婦の愛の出現に止まりません。四つの愛を初めとしてすべてが出現し一つになります。生殖器の結合によってすべてが高次元で統一されるのです。生殖器の結合は夫婦の愛の出現のためであると限定的に考えると生殖器の結合についての本質的な意味を捉えきれないことになります。
本然的な生殖器の結合では、単純な天使長次元の男女の愛とは比較にならない数千倍の強度の愛が出現するのです。
② 夫と妻は二人で一人の完成した人間になる
個性完成が第一祝福ですが、これは本当の完成のための準備が完成したということであって人間の完成そのものではありません。
私たちは個人主義的な考え方に慣れており、個人を単位として考えることが習慣化しています。しかし、これは堕落が原因で生まれた発想です。個人では絶対に完成できないというのが原理です。個人は原理的には正分合の分の段階です。個性完成とは分の段階が完成したということなのです。合になって本当に完成します。
このように、男性は女性と一体とならなければ完成できません。本当は男女が一体となって一個体なのです。個性完成しても男性だけ、女性だけでは半人前です。
神様でも同様です。天のお父様、天のお母様がそれぞれ単体では半人前の神様です。一体のなられた合の神様が完全な神様です。
天寶登載家庭が重生するにおいても夫と妻の片方だけが重生することはできません。夫が神様と妻を愛する愛の基準、妻が神様と夫を愛する愛の基準が同レベルにそろう必要があります。それは自分の命よりも神様と相対を愛するという基準です。二人ともこの基準の到達していないと重生を達成するだけの愛が出現しません。
責任分担は個人一人一人にあると考えがちですが、夫と妻は二人ではなく一人として完成するので、完成は夫と妻の共同責任です。夫と妻のどちらかがより高い基準に到達していたとしても、二人ともに重生できる愛の基準に到達する責任は二人の共同責任です。
③ 自分の生殖器と相対者の生殖器に侍る生活の結果として重生実現
男性の生殖器は天のお父様の実体です。女性の生殖器は天のお母様の実体です。このため、男性は自分の生殖器を天のお父様だと感じて侍る生活が基本となります。女性は自分の生殖器を天のお母様だと感じて侍る生活が基本となります。
過去において信仰者は天空におられる神様に向けて祈りを捧げてきましたが、神様は天空ではなく生殖器におられます。
生殖器におられる神様に向かって報告し、生殖器の神様に相談してすべてを行うべきです。これは祝福家庭の祈り方であり天の父母様との相談方法です。歴史上誰も行使したことがない祝福家庭だけの特権です。この特権行使の生活抜きにしては、重生することはもちろんのこと霊人体の成長も難しいと感じます。
男性と女性が愛する本宮、生殖器とは何ですか。愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮です。おじいさん、おばあさんもそれを中心として生き、父と母もそれを中心として生き、自分たち夫婦もそれを中心として生き、将来生まれる息子、娘もみなそれを中心として生きるのでしょう? それを中心としないで生きる女性がいて、男性がいますか。種がありません。ところが、それがなぜ悪いものになりましたか。下品な言葉だというでしょう? なぜ下品な言葉なのですか。神聖な言葉です。神聖な言葉として受け止めなければなりません。ここで永遠の愛が連結され、永遠の生命、永遠の血統が出てきます。最も貴いのです。「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想の完成 二 生殖器は三大本宮、天の至聖所 1.愛と生命と血統の本宮
神様は、見えない内的なアダムの位置にいらっしゃり、また見えない内的なエバの位置にいらっしゃいます。アダムは、人類の前において、内的なお父様に侍る実体の父として立とうというのであり、またエバは、内的な母の神様に侍る実体の母として立とうというのです。このようにして縦的な基準から横的基盤へ拡大させようというのです。
「宇宙の根本」第二章 人間想像と愛の理想の完成 三 神人一体と愛の理想完成 2 神人愛理想の根本原理 ③ 真の血統の根は神様
次に相対者に侍るのですが、その核心は相対者に侍ることを通して相対者の生殖器に侍るということです。
絶対信仰、絶対愛、絶対服従の起源は、天のお父様が天のお母様に対される姿勢であり、天のお母様が天のお父様に対される姿勢です。そのうえで天の父母様として一体となられ、子女である人間に絶対服従されます。二存在が一存在になる道はお互いが絶対服従するしかありません。
私たちはこの伝統を受け継ぐ必要があります。特に天寶登載家庭にとって絶対服従は重生への絶対的な要件です。
夫が妻に絶対服従すること。絶対服従とは自分の心に自分がない状態です。自分の心には妻しか存在しません。そして、あらゆることにおいて喜んで妻に完全に利用されることです。
妻が夫に絶対服従すること。絶対服従とは自分の心に自分がない状態です。自分の心には夫しか存在しません。そして、あらゆることにおいて喜んで夫に完全に利用されることです。
この世の実態とは真逆です。
これを成し遂げることによって何が起こるでしょうか?
妻は夫が好きでたまらなくなります。夫は妻が好きでたまらなくなります。愛が止まらなくなります。
その次には、絶対服従です! 絶対服従とは、神様御自身までも存在意識がないというのです。・・・・・・・
絶対服従は、自分という意識がありません。相対としての存在意識だけなのです。
「真の家庭と家庭盟誓」第二章 家庭盟誓各節の解説 二 家庭盟誓第八節の解説 2.絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって ① 創造原則と絶対信仰、絶対愛、絶対服従
愛の道は、利用される道です。もっと大きな所に向かって利用される道なのです。個人は家庭に利用されようとし、家庭を引っ張って国のところに行って利用されようとする道です。また、国を引っ張っていって世界で利用されようとする道なのです。世界を引っ張っていって天地で利用されようとし、天地を引っ張っていって神様に利用されようとする道が真の愛の道です。第三篇 真の愛 第三章 真の愛の実践 第二節 真の愛の実践9 1990.10.7
妻の生殖器は天のお母様の実体ですので、夫が妻に絶対服従するという本質的な意味は、天のお母様に絶対服従することを意味します。また、夫の生殖器は天のお父様の実体ですので、妻が夫に絶対服従するという本質的な意味は、天のお父様に絶対服従することを意味します。
夫の存在は、妻とその本質である天のお母様の幸せのために存在するということになります。また、妻の存在は、夫とその本質である天のお父様の幸せのために存在するということになります。このような天的な夫婦の普段の生活は、すべてが生殖器を合わせるという目標点に向かっています。家庭生活の焦点は既存の価値観では到底計れないところにあるのです。
これが成し遂げられたなら何が起こるでしょうか?
天のお父様は夫と妻が好きでたまらなくなります。天のお母様も夫と妻が好きでたまらなくなります。このように天のお父様、天のお母様、夫と妻がお互いに好きでたまらなくなったうえで生殖器を合わせれば重生するに余りある愛が生ずるのです。
絶対信仰、絶対愛、絶対服従、それは生殖器についていう言葉です。堕落とは、神様と人間の生殖器が一つになれなかったことです。合徳(和合)できなかったのです。それを絶対信仰しなければなりません。「私」の家庭の歴史の柱であり、「私」の一族の歴史の柱であり、「私」の血統の歴史の柱だというのです。
第四編 真の人間 第二章 人間の責任分担と堕落 第二節人間の堕落31 1999.10.10
④ 生殖器の結合が真の愛の起源地
真の愛は生殖器の結合によって生じます。この真の愛が天のお父様と天のお母様を一つにし、夫と妻を一つにし、神様と人間を一つにし、天宙を一つにします。そして、この強力な真の愛が重生を成し遂げます。
愛の本宮が生殖器であり、生命の本宮が生殖器であり、血統の本宮が生殖器です。
神様が最高に探し求めていた真の愛の起源地であり定着地は男性と女性の生殖器です。「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想の完成 二 生殖器は三大本宮、天の至聖所 1 愛と生命と血統の本宮

