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2025年、ついに天国が始まろうとしています

2024.12.31

私にとって今年の最大の収穫は私たち食口の責任分担について明確に知ることができたことです。

やはりみ言を捉える観点で性相と形状が一番大切な物差しであることを改めて感じました。結局、原理のみ言が深く理解できるかどうかは性相と形状の原理を理解しているかどうかにかかっていると感じます。

 

お父様が晩年語られた夜の神様と昼の神様についても性相と形状の原理が良く分かっていれば直ぐに分かることができたと思います。しかし誰も分からなかったということは私たちの原理に対する理解が不十分だったことを表しています。

 

創造本然の責任分担について考えてみましょう。神様の95%の責任分担の上に人類始祖が5%の責任を果たせば完成することができたわけです。ところで神様の責任分担と人間の責任分担は質が違うことが分かります。

神様の責任分担は神様の創造のことです。神様の創造は天地創造前と天地創造に分かれます。天地創造前の創造については、いかなるキリスト教徒、宗教家、哲学者、科学者も知らなかったことです。真の父母様がその一部を明かしておられます。次のみ言などがその例です。

神様においても全く同じです。神様も息子、娘を育ててこられたということを知らなければなりません。神様にも赤ん坊のような時があり、兄弟(妹)のような時があり、夫婦のような時があり、父母になった時に創造なさったということを知らなければなりません。無形なる神様もそのように大きくなってこられたということです。無形の神様にとって、実体のアダムとエバが成長する姿を見ることは実に刺激的なことです。アイゴー、私も兄弟(妹)げんかをしてこのように育ち、夫婦となり、父母となりました。ちょうどそれを再び眺めるようになるのです。ですから、神様が創造されたのと全く同じように、神様はアダムとエバが実体の神様として成長し、息子、娘を生んでいく姿を平面的に感じてこられたはずだったのです。ファミリー94年4月 P33~34 真の父母と創造理想家庭 1994年1月15日世界宣教本部

 

冬になると暖房やお風呂がありがたいと感じます。寒さから解放されます。エアコンやストーブや給湯器が熱を発してくれるからですが、熱が温かいわけでありません。

水を熱すれば温度が上がります。適温のお風呂は冬には特に気持ちがいいです。しかしお風呂には42度前後の温度はありますが、それだけです。お風呂に入って感じる温かさ、気持ち良さは別物です。暖房器具や適温のお風呂に入った時に感じる温かさや気持ち良さは神様の天地創造前の傑作です。お風呂に入った時に温かく気持ち良く感じるのはお湯が持っている性質ではありません。物理的にはある温度を持っている水に過ぎません。これはお湯の持っている性質です。これを形状としてそこに性相が加わります。性相は温かさや気持ち良さです。これは神様から来ます。これを肉心が受信しています。

神様からくる性相と物理現象としても形状は瞬時に一体化するのでお湯自体が温かく気持ちが良いものと錯覚しています。本然の人間は形状の背後にある性相を本性的に理解できるので、普通の生活の中で神様を感じます。

このような性相の創造は天地創造前になされました。これらは一般的にはクオリアと呼ばれているものですが、この世の人々は神様の創造の傑作であることは全く知りません。(詳しくはクオリア論をご覧ください。)

 

神様の天地創造前の創造のもう一つが個性真理体の性相の創造と形状の設計です。とりわけ人間一人一人の創造には無限に時間と精誠を投入されました。

 

これに対して人間の責任分担はこのような神様の創造とは違います。心情的要素は相似ですが、それ以外は全く別物と言っても良いと思います。人間の責任分担は神様のように創造することではなく、神様を絶対信仰し絶対に愛し絶対に服従することでした。要するに神様の95%と人間の5%は、責任分担という観点では同じですが内容は違います。

人類始祖のやるべきことは、戒めを守ることを含めて神様に対する絶対信仰、絶対愛、絶対服従を貫くことでした。これによって神様につながる橋が出来上がるのです。いったん橋ができれば子孫はその橋を渡って天国に直行します。

 

人類始祖と真の父母様の道が大きく違うのは、真の父母様は人類始祖が破壊してしまった被造世界と人間、そして神様との関係性をすべて元に戻す蕩減条件を立てなければならなかったことです。

僕の僕、僕、養子、庶子の段階を復帰する蕩減条件は選民が立てるべきでしたがすべて失敗したので、これも真の父母様が蕩減条件を立てられました。これが北韓路程とそのあとの養子、庶子の段階を復帰する蕩減条件が立てられた教会設立までです。ここまでは天使長の復帰のための蕩減条件です。その後がアダムとエバと子孫を復帰するための蕩減条件です。これが八段階蕩減路程です。1989年8月31日の八定式で完了しました。

 

その後の路程は神様を本然の立場に戻すために蕩減路程です。八段階の神の段階は昼の神様について分かるとすんなり分かります。人類始祖の堕落によりサタンは長子の位置の神様になり、昼の神様は次子の位置の神様となられました。復帰摂理において選民を率いて復帰摂理を為して来られたのは昼の神様です。それで復帰摂理における神様の責任分担があるのです。

夜の神様を中心に長子がサタン、次子が昼の神様です。ルーシェルは夜の神様が創造されたというみ言があります。サタンは神様の決裁をもらった後に悪なることをするというみ言がありますが、その決裁をされるのは夜の神様です。サタンが対峙してきた神様は昼の神様です。

 

八段階の最後の神の段階はサタンが持っていた神の長子権を昼の神様に取り戻して差し上げたことを意味しています。更に真の父母様は昼の神様に父母権を取り戻して差し上げ、2001年1月13日に昼の神様が王権を取り戻して王座に就かれたことを宣布する神様王権即位式がなされました。

こうして昼の神様が本然の位置に戻られたので、真の父母様は昼の神様の直接主管圏に入られました。人間が神様の直接主管圏に入る仕組みは結婚式です。結婚は平準化、同格化の仕組みです。小学校しか出ていない女性でも大統領と結婚すればその女性は大統領と同じ位置と価値も持つというみ言がありますが、神様と人間の結婚も同じです。

結婚によって人間は神様と同じ位置、同じ価値を持ちます。これによって人間は被造物から神様になります。

 

アダムとエバの結婚は、神様と人間が結婚することです。同じように、皆さんも人間として神様と結婚するようになっています。それでは、神様はどこにいらっしゃるのでしょうか。私の中にいらっしゃいます。「宇宙の根本」第二章 三 神人一体と愛の理想完成 2.神人愛理想の根本原理 (3) 真の血統の根は神様

 

昼の神様と真の父母様のご聖婚がなされたのは2003年2月6日の天地父母様天一国開門祝福聖婚式です。により真の父母様は昼の神様の直接主管圏に入られました。真の父母様はこの時点から昼の神様実体になられたのです。

 

その後、真の父母様は夜の神様の解放に向かわれます。その過程で孝進様の聖和、ヘリコプター事故がありました。そのような犠牲の上で、2009年1月に3回(1日、15日、31日)にわたって「万王の王神様解放圏戴冠式」が挙行されました。これは夜の神様と昼の神様が一体となられ万王の王としての位置を復帰され、同時に真の父母様も横的万王の王としての立場に立たれたことを祝うものです。

 

このように真の父母様の怒涛の勝利が続きましたが、私たち子女がついて行けず、子女としての蕩減条件が不備でした。それでお父様がそれを埋め合わせるために聖和の十字架路程を行かれました。それは何としても復帰摂理を終わらせるためです。

そして2013年2月22日(天歴1月13日)に天の父母様と真の父母様の結婚式が挙行されました。これが基元節です。これにより真の父母様は天の父母様の直接主管圏に入られました。このため真の父母様は天の父母様実体です。個別的にはお父様は夜の神様実体でもあり、お母様は昼の神様実体でもあります。お母様を悪くいう人たちはこれが分かっていないのです。お母様は神様実体なのです。これは神様を悪く言うのと同じなのです。

 

真のお父様は夜の神様の実体として肉界に再臨され、昼の神様の実体として地上摂理を引き継ぐ真のお母様と一心・一体・一和・一念の境地で、摂理を経綸されるようになるでしょう。2012.9.17 真のお母様の講演文

 

以上の内容は夜の神様 昼の神様のみ言の解明をご覧ください。

 

さてここからが今回の本論です。

神様の責任分担と人間の責任分担は性相と形状の関係にあります。同質ではありません。

神様の責任は性相として100%です。人間の責任も形状として100%です。

それを責任の分担として表現すると95%と5%となります。

 

そして真の父母様の責任分担と私たちの責任分担も性相と形状の関係です。心情的には似ていますが同質ではありません。私たちがすべきことは真の父母様と同じ道を行くことではありません。私たちのすべき責任分担は真の父母様に対して絶対信仰、絶対愛、絶対服従することです。

蕩減復帰の総責任者は真の父母様です。それは真の父母様しかできません。それは100%成されました。蕩減は何も残っていない本然に戻れるためのすべての蕩減条件を立てられました。それは完全です。歴史を逆回ししてアダムとエバが堕落する前に戻りました。これで堕落歴史がなかったことになります。更に責任分担を成し遂げて神様と一体となられました。

 

氏族的メシヤ権を皆さんに与えたことは、歴史上の数多くの宗教を総合した公義の実績をすべてもってきてあげたということです。アダムが堕落せず、ノアが失敗せず、アブラハム、イサク、ヤコブが失敗せず、モーセが失敗せず、イエス様が失敗せず、先生が失敗せず、苦労の十字架を負わず、受難を受けなかった歴史時代の全体を、解放された場で備えたその結実を、何も知らない皆さんにもってきてあげたのです。第九篇 家庭教会と氏族的メシヤ 第二章 氏族的メシヤ 第一節 氏族的メシヤの宣布31 1990.2.4

 

この世の中に蕩減が残っているような様々な現象がおこり堕落人間も堕落人間のままで変わらないのは、本然に至るためのすべての蕩減条件を払われた真の父母様につながっていないからです。真の父母様は神様とつながるためにこの道を歩まれました。それで高速道路が天につながりました。

私たちは真の父母様が作ってくださった高速道路に乗って走るだけです。真の父母様を絶対信仰すればその高速道路を走って必ず天に直結します。私たちも天の父母様と結婚して神様実体になれるのです。そして祝福家庭の男性は夜の神様実体、女性は昼の神様実体です。夫婦は天の父母様実体になるようになっています。

 

しかし、真の父母様から私たちへの勝利圏の相続はたやすい道ではありませんでした。明らかに相続が始まったと思われるのは360軒ホームチャーチです。その次に氏族メシヤです。更に天寶家庭摂理です。それでも勝利圏の相続は簡単にはいきませんでした。

そして天心苑徹夜精誠が用意されました。苑長を初めとしてスタッフの方々の精誠の基台の上で、お母様は「天心苑で祈れば必ずかなう」「天心苑で精誠を尽くせばできないことはない」と言われました。これは天心苑で真の父母様の勝利圏をすべて相続できることを意味したみ言です。

真の父母様の勝利圏は性相的です。​私たち子女に連結されることで形状化、実体化します。このため天国実現は私たち子女から始まります。

人間の共通する願いは三大祝福です。つまり天心苑は真の父母様が復帰された三大祝福がそれぞれの家庭で実現する場だということです。

何とありがたい真の父母様でしょうか!

何とありがたい天心苑でしょうか!

ついに天国が始まろうとしています!

希望溢れる2025年が始まりました

2025.1.6

 

いよいよ新しい一年が本格的に始動します。

私たちも、私たちの周りの環境も本然化するための条件が満ちています。

真の父母様の勝利圏が私たち食口を通して形状化、現実化しようとしています。本然化する奇跡が次々と起ころうとしています。

イエス様の弟子がイエス様の勝利圏を受けついて奇跡を起こしながら伝道していき、ついにローマ帝国を飲み込みました。しかしその時には多くの殉教の血が流れました。

今やその時をはるかに上回る奇跡が起きようとしています。殉教精神は必要ですが殉教の血は必要ありません。

実体聖霊の奇跡は私たち食口、祝福家庭から始まります。そして奇跡の火は世界に広まっていき世界が聖霊の火に包まれるのです。世界がお母様を通して生まれ変わります。その起点となるのが2025年です。明るく希望に満ちて強く雄々しく進みましょう!

<性相、形状と責任分担>

 

さて、創造原理の基礎にあるのが二性性相です。性相と形状、陽性と陰性の中に原理の根源がすべて入っています。

創造原理の中にある性相と形状の定義から見ていきましょう。

 

存在するものはすべて、その外形と内性とを備えている。そして、その見えるところの外形は、見ることのできない内性が、そのごとくに現れたものである。したがって、内性は目に見ることはできないが、必ずある種のかたちをもっているから、それに似て、外形も目に見える何らかのかたちとして現れているのである。そこで、前者を性相といい、後者を形状と名づける。ところで、性相と形状とは、同一なる存在の相対的な両面のかたちを言い表しており、形状は第二の性相であるともいえるので、これらを総合して、二性性相と称するのである。」

 

性相と形状とは、お互いにいかなる関係をもっているのであろうか。無形の内的な性相が原因となって、それが主体的な立場にあるので、その形状は有形の外的な結果となり、その対象の立場に立つようになる。したがってこの両者はお互いに、内的なものと外的なもの、原因的なものと結果的なもの、主体的なものと対象的なもの、縦的なものと横的なものとの相対的関係をもつようになるのである。

 

こういった創造原理のみ言の上に、真の父母様のみ言を加えるとより鮮明にわかるようになります。

 

本来、心と体は、切り離そうにも切り離すことのできない一つのものでした。人間の心は神様の心であり、人間の体はその心を入れる器でした。第四篇 真の人間 第一章 神様が創造された真の人間 第二節33  1991.8.27

 

真の愛は、女性から始まるのではなく、神様を通して、男性を通して来るのです。それ故に、女性に生命の種を植えようと、男性たちが女性を尋ね求めて歩くのです。女性は器です。完全に空の器です。空の器とは、その器に入っていくものと対等な価値をもつのです。「天一国主人の生活」第一章 二 神様と真の父母と一体を成し遂げるための真の愛

 

宇宙の原則的な秘密は何かというと、親と子の関係なのです。その縦的な父と子の関係を横的に展開したものが、夫婦の愛なのです。分かりましたか。ファミリー 88年7月 52p 種となる幸福 1988年3月1日 ソウル本部教会

 

これらは余りにも深く直ぐには理解できないみ言です。

深い部分は別として、直ぐにわかることは、形状は性相を入れる器であり、陰性は陽性を入れる器であるということです。このようなことが分かる真の父母様の超越的な凄みを感じます。その鋭さは恐ろしいほどです。

 

神様は中身で人間は器です。器は中身と同じ形でなければなりません。

中身と同じ形になるのが器の責任分担です。

先に中身があってその次に器です。先に性相があってその次に形状です。

 

ところで神様と私たちが親子だという時、私たちはこの世界にある親子関係を当てはめて神様と人間の関係を推し量ります。しかし、これでは本当のところは分かりません。この世の親子関係は原因と結果の関係ではありますが、性相と形状の関係ではありません。人間の親子関係は、親は無形で子は有形というような完全な縦的関係ではなく、より横的です。

 

ただ人類の中で独り子と独り娘だけは私たちとは違う親子関係を持つ必要があります。お父様もお母様も父母がおられますが、それは仮の親であり、本当の親は神様だという心的環境で成長されました。

このような観点から見ると、真の父母の行く道はその他の人類とは違う部分があります。天国ができても子女は父母から生まれ父母に育てられます。その父母は神様と一体となった完成した父母です。

しかしお父様とお母様には神様と一体となった父母はいませんでした。お父様の父母は素晴らしい方々でした。お母様の母親は大母様でしたから、この世では最高の母だったわけですが、大母様でも本然の母ではありません。

このためお父様とお母様は神様の子女として生まれて見えない無形の父母と一体となるという道を行かなければなりません。これが真の父母の責任分担です。このような道は真の父母だけが行く道です。他の人間には決して行けない道です。

 

真の父母様も人間ですが、その責任分担の質も内容も私たちとは違うのです。天の父母様と子女である人間を繋ぐための橋を造るのが真の父母様の使命なのです。このため真の父母様の責任分担はより性相的な責任分担なのです。私たちの責任分担は形状的なのです。

つまり私たちがすべきことは真の父母様と同じ道を行くことではありません。真の父母様が入る器を作ることです。

 

アダムとエバが責任分担を果たしていたならば、後孫は責任分担圏にいるのではありません。その次は統治法的家庭倫理時代に入るのです。そのときは地上に真の父母がいるので、即刻、平面的な面から教えてあげることができるのです。「罪と蕩減復帰」第一章  蕩減・復帰原理の根拠  三 責任分担を完成すれば 1.責任分担の自由化圏が必要

 

何度も言うようで恐縮ですが、真の父母様の責任分担と私たちの責任分担は違います。人類始祖と子女の責任は明確に違うのです。

これは神様の責任分担と人間の責任分担の観点と同じです。

本当は、神様の責任分担100%+人間の責任分担100%です。

これを全体的に役割分担という観点でみると神様の責任分担95%+人間の責任分担5%となるのです。神様の責任は創造です。人間の責任は神様を絶対信仰、絶対愛、絶対服従することです。神様の責任分担と人間の責任分担は心情的には深く重なります。しかし、神様のやり残した5%を人間がするのではないのです。

同様に、私たちの責任分担は真の父母様があえて残された5%を為すことではなく、真の父母様が完全になされた100%を相続することです。

 

私たちの責任分担は真の父母様がお入りなる器を作ることです。その器は真の父母様とその勝利圏を絶対信仰することから始まります。絶対信仰ができれば真の父母様を絶対に愛し、絶対的に服従することへと進みます。そうすれば真の父母様がお入りになる完全な器になれるのです。

本来、真の父母様と私たちは完全に一つであって切り離すことのできないものなのです。一つになれば私たちも真の父母様と同一の価値を持つのです。

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