潜在意識の痛々しい傷の治癒の役事で健康に
*人間の心と体の病の原因
人類は心と体の病に苦しんでいます。
心の病の代表は堕落性です。
堕落性は先祖から受け継いだものも勿論あるのですが、その人の幼年時代から現在に至るまでの精神歴史の影響も相当のウェイトを占めています。
例えば、血気、怒気について見てみましょう。
潜在意識に沈み込んだ怒りは自分でもコントロールできず、周りにも大きな苦痛をあたえますし、本人も苦しみます。
DV(家庭内暴力)を受けた人は、自分が家庭を持ったら絶対にDVはしないと固く決意していたとしても、いつの間にか家族に暴力をふるってしまうことが起こります。
明らかなDVでなくても、親が子供の将来に不安を感じて行った体罰や叱責であったとしても、受け取る子供がそれを恐怖と感じ、心の傷として残ると、成長してから副作用が出てきます。
この原因は、自分が幼い時に受けた暴力への恐怖とそれによって生じた意識に上らない怒りの感情が潜在意識に深く沈んでいるからです。
その子供が成長して大人になった時、たとえ暴力は振るわないとしても、何かきっかけがあれば言い知れぬ怒りがこみ上げてきます。その怒りの感情を自分で処理できないどころか、怒りに振り回されて自分を失うことが起こります。そんな自分が嫌で、反省し悔い改めたとしても、潜在意識に解消されない怒りが残っている限り、血気、怒気の繰り返しの人生から逃れられません。
潜在意識にこびりついた劣等感や自己卑下という堕落性に苦しむ人も多くいます。
自分を素晴らしい価値ある存在と思いたいけれども、気が付くと自分がいかにだめで価値のない存在だという思いにとらわれてしまっている。
日本人には多く見られますが、日本の食口の中にもかなり苦しんでいる人が多くいます。
創造原理は人間が神様の子女であるという価値観を示してくれます。一方、堕落論は、人間は堕落して罪と堕落性に満ちた存在になってしまったと述べています。
劣等感や自己卑下の堕落性を強く持つ人は、自分のことを堕落論的な観点でのみ見てしまう傾向にあります。神の子女という価値観を聞いても、それは将来のことであって今は関係ないと感じてしまいます。
幼い時から、
「お兄ちゃんは素晴らしいのにどうしてお前は・・・」
「うちは教師の家系なのでそれにふさわしい人間になりなさい」
などといつも言われたきたり、学生時代、社会人になって
「お前はダメな人間だ」
「恥ずかしい存在だ」
「そんなこともできないのか、どうしようもないやつだ」
などといつも言われ続けていると、自分のことを「価値のない人間」にしか思えなくなってしまいます。こういう人はいつも自信がない雰囲気を醸し出しているので、周りの人から軽視されたり、馬鹿にされたりすることが頻繁に起こるようになります。そして、ますます劣等感や自己卑下の精神構造が強化されてしまいます。
これが鬱病へと移行したり、死にたいという思いになったりすることもあります。
ある程度信仰生活をしていくと、自分の堕落性が何であるかが分かるようになると思います。
その堕落性を生み出した、あるいは強めた家庭環境や学校、社会、教会での精神環境があるはずです。
それが何であるか思いを馳せてみてください。
それは、つらかった記憶のなかにあるはずです。
勿論、この作業はその原因を作ったと思われる人を恨んだり裁いたりするためにするのではありません。潜在意識に沈み込んだ恨を解放するための手順として必要なのです。
肉体的な病の原因も、実がそのほとんどが体に原因があるのではなく、心に原因があります。
「潜在意識の神様」の章における「心(性相)の働き=95%、体(形状)の働き=5%」の法則がそのことを示しています。
病気がちな人は、生まれつきの虚弱体質が原因と思ったり、恨霊によるものだと思って甘受したり、あきらめたりします。もちろんそれも原因ではありますが、自分の心の傷の問題があまりに大きいのです。
病気になると病名に囚われがちになりますが、病気は何であれ、それは心が生み出した結果という面では同じです。
明らかに体の問題と考えられる不慮の事故やケガにおいても、その人の心の状態が少なからず関係しています。
痛ましい心の傷が、現実の痛ましい傷や病気を生み出していると言えます。
心の傷とは何でしょうか?
人生の過程で受けた、苦しみ、悲しみ、苦痛、ストレス、不安、恐怖などによる精神的外傷のことです。トラウマとも言われているものです。
これらの中で強く心に刻まれたものは、傷になって残っています。
特に幼年時代の心に傷はその影響が甚大です。
先に述べたDVの連鎖、コントロールできない怒り、消えない劣等感など、堕落性の発現に大きな影響を与えます。それは同時に病気やケガとして現れます。
毎日のように多くの人が病院に行き、治療を受け薬を処方してもらっています。治療院、整体院、漢方、サプリメントに活路を見出そうとする人も多くいます。しかし、治る人はほんの一部で、多くのケースで再発を繰り返したり慢性化しています。当然のことながら医療費は増大の一途をたどっています。病気の原因が肉体にあると見なして治療しようとしている限り、いつまでも治りません。
堕落性や体の病気は、心の傷を治せば完全に消え去るまでにはいかないとしても、肝心な原因が除去されるので、かなり根本的に改善されることは確かです。また、原因がなくなるので病気にかからなくなります。
*心の傷を治す神様と私の解怨
それではこれから、私自身が体験し検証した方法をお伝えします。
これは人間によって行われているセラピーや精神療法とは根本的に違います。神様の役事を呼び寄せることで為されるものだからです。
人の関与は必要ありません。神様と自分だけで行います。
この作業を行う時に最初に必要なことは、今までの人生でいかに神様によって守られ導かれたのかを再確認することです。自分の人生を全体的にふり返ることはことは余りないと思います。やってみるとあまりに多くの場面で神様や霊界に守られてきたことに気付かれると思います。
一方、どうしてあの時に神様の守りや導きがなかったのかと思う場面もあると思います。
私たち食口は、真の父母様の伝統に従って、厳しい状況になっても「神様、助けてください」というふうには祈りません。
天と地に染み込んだ怨恨がどれほど大きいかを知っているがゆえに、血を吐く立場にあっても神様を慰めなければならないのです。「私は死にそうです、神様、助けてください」という祈祷をすることのできない真の父母の立場に立たねばならない悲痛な事情を、誰が知っているでしょうか。知る人は誰一人いません。唯一神様だけが、神様だけが……。
「真の神様」第四章 真のお父様の見た神様 六 神様の解怨と孝子の道 1.真のお父様が歩み来られた復帰の道
このため、食口の皆さんはみ旨の道を歩んでくる中において、神様に弱音を吐いたり、助けを乞うことをしない分、恨が深く蓄積されています。
また、この道に来る以前においても、人一倍、苦痛や苦難、悲しみ、ストレス、不安、恐怖などを感じてこられたはずです。それが復帰される土壌として必要だったとも言えます。
しかし、これが昇華されないまま強く心に残っている場合は、心の傷となり後遺症を生み出します。この痛ましい傷を根本的に治せるのは神様の愛しかありません。
この恨を解く手順としては、まず初めに幼年時代から今に至るまでの人生の中で、心の傷となったと感じる経験をゆっくり思い出してください。
映像、画像として思い出すと共に、苦しかった思い、悲しかった思い、怖かった思い、つらかった思いという情的記憶を呼び起こしてください。
潜在意識に沈んでいる心の傷、トラウマを顕在意識に浮かび上がらせるのです。
傷として残っているかもしれないという情的記憶に、映像、画像を加えて一つずつ順に思い出してください。そしてこれから述べるやり方を、一つのトラウマごとに一回という風に行っても良いですし、人生すべてのトラウマをゆっくり動く走馬灯のように扱って行っても良い思います。
ポイントは、「私」がそのような苦痛の中にあったその時、神様は私を見てどう思われていたのかということです。
神様は、私が通過している苦痛が、このままでは心の傷として残ることを当然ながら分かっておられました。
この世の親も自分の息子、娘が罪を犯して絞首刑に処されることになったとき、その子が死ぬことを願う親はいません。自分の思いどおりに子を助けることができるとすれば、百回でも千回でも助けてやりたいのが父母の心です。母親の気持ちはなおさらのことでしょう。堕落した世界の女性の心もそうであるのに、全知全能なる神様がいったい何ゆえに終わりの日になって審判をしなければならないのでしょうか。どうして神様が許してくださることができないのでしょうか。これです。神様はどれほど愛しておられるでしょうか。
「真の神様」第四章 真のお父様の見た神様 一 歴史的な恨、苦痛の神様 1.人間の堕落により父母の立場を失う
サタンさえいなければ、人間を許して助けてあげたいにもかかわらず、サタンの讒訴から抜け出す事ができないので、切ない心情をもちながらもそれに順応せざるを得ないのです。そのような神様の苦痛を誰が知っているかというのです。それを解放してあげなければなりません。
「人間の生と霊魂の世界」第二章 霊界はどのような所か 六 審判 1.神様には怨讐の概念がない
この息子の歩んできたこの道を、涙で保護し、助けてくださることのできない父の悲しみはいかばかりであったかを知っておりますから、・・・・・。
天地父母天宙安息圏宣布(七・八節)一九九七年八月九日
(この祈りをされている御父母様の動画があります。これは神様と父母様の恨が同時に解怨されている歴史的な場面です。極めて次元の高い例ですがご覧になってみてください。)
「私」が苦痛のただ中にある時、神様は助けたくて救い出したくてたまらなかったのです。しかし、人間に干渉できない責任分担の原理があるので、助けたい思いを抑え込み、耐えるしかなかったのです。私が苦痛の中にある時、神様はそれ以上の苦痛の中にあったのです。これが神様の恨です。
私の人生における恨は、同時に神様の恨でもあったのです。
この観点がとても重要です。
自分の過去において傷として残った様々な苦痛の場面を情的に思い出し、そこに、上記のみ言を握りながら、その時に助けたくても助けられなかった神様の強い愛の情を重ね合わせてください。
この時、過去の時点では愛を現わしたくても現わすことができなかった神様の情が、現時点に蘇って伝わってきます。
傷ついたまま長い間残っていた心の傷に、時を超えて神様の愛が流れ込み、私の過去の恨、過去の傷が癒されるのです。
それは同時に、正に傷つかんとする愛する子女を、助けたくても助けられなかったという神様の恨が解怨される瞬間でもあります。
涙がとめどもなく流れてきます。
このような手順を通して私の心の傷が癒されます。
この手順は解怨が成されたと思えるまで何回も行っても良いものです。
この役事が上手くいくと、過去の苦しかった場面を思い出しても、苦しみの情が薄くなったり消えたりします。凝り固まった辛い情が、癒され解放されたからです。
これは天の父母様の私に対する愛の役事によって実現します。
天のお父様の愛よりも天のお母様の愛が強く現れる役事かもしれません。そういった意味で、この癒しの役事は、真のお母様の勝利の恩恵といえると思います。
堕落性は心の傷を栄養素として次々に生まれてきます。この心の傷が癒される時、堕落性は発現しにくくなるのです。
また、心が解放されるので体も同時に解放され、心身ともに健康への軌道に乗るのです。
霊界に行けば、天のお父様だけがいるのではなく、天のお母様がいるのです。父と母がいなくて生命体が出てくることができますか。そのような父母のように、アダムとエバの背後には、分かれて出ていた神様が一つになっています。ですから、母を通してもそうであり、父を通しても天の国に行ける道が生じるという話になります。
そのようになったならば、あの霊界の天上天国の主人公とは誰でしょうか。実体をもって生きていた「私」の真の父母が、あの世に行って永遠の天国の王、女王になるのです。
第7編 地上生活と霊界 第二章霊界はどのような所か 第二節 霊人の生活 22 1977.1.1
*神様と人間の心の傷が癒されることによる変化
神様は、人間の潜在意識の中に刻まれている辛く悲しく苦しい傷に囲まれておられます。神様は、生々しい傷で覆われた潜在意識の中に住んでおられるのです。神様は父母であるがゆえに、人間が苦しむ以上に苦しい思いでおられます。
そして、その傷ができた時に助けることができなかったという、いたたまれない思いにさいなまれておられます。
この役事によって人間が解放されることも重要ですが、それ以上に、父母ゆえの神様の苦しみが癒され、神様の解怨が成されることに、より重要な意味があります。
私の長年の恨が解放される時、神様の恨も解放されるのです。
わが子の傷が癒えた潜在意識の中で、神様はどれほど安息されるでしょうか。
心の傷が治れば、様々な内的な変化が現れます。
心に大きい傷を持っている人は、人から心的な外傷を受けてそうなったので、人嫌いや人間不信、対人恐怖を抱えている人が多くいます。
いわゆる神経症の症状に悩んでいる場合もあります。
苦しみを誰にも相談できず自分で抱え込んでいる人も多くいます。
また、いつも悲観的な考えの方向に行きやすくなります。
雰囲気も暗い人という印象を与えます。
この人たちの苦しみは本人にしかわからない悲惨さを伴っています。
この状態は堕落の動機と経路から発生した堕落性という分類ではないように見えますが、他の堕落性同様、これも堕落がもたらした災禍です。
人と仲良くしたいという思いと、人への不信感が同時に混在する矛盾の中で苦しむのです。人への警戒心、不信感から外面をよく見せる生活になります。当然、ストレス多い生活になります。
この役事は、こういった苦しみを含め内面の壊れたところを修復してくれる力を持っています。人間不信や対人恐怖、人嫌いを過去のものとしてくれます。
この役事により、その人の背後の霊界も変わります。
それは外的にも変化を生みます。
今までは我知らず人嫌いや人間不信の霊的波動を出していたので、人が寄ってきませんでした。それが人なつっこい霊的波動が流れ出るように変化します。当然、人は寄ってきますし、万物もやってきます。
暗い人から明るい人になり、子供のような無邪気な笑顔が自然に増えていきます。
いわゆる運勢がよくなる現象が起きてきます。
当然のことながら、長年の病気に対しても根本的な効力を発揮します。世界最高の名医は言うまでもなく神様だからです。神様に勝るゴッドハンドはいません。
これらの恩恵は、神氏族メシヤ活動やこれからの世界摂理においても極めて重要な土台となり、み旨成就に貢献してくれることになります。