
神様と人間の夫婦の愛という謎の解明
神様と人間の関係性を人間の家庭生活の延長で捉えようとしてもできない場合が多くみられます。私たちは家庭生活を通して子女の愛、兄弟の愛、夫婦の愛、父母の愛の四大愛を体恤します。家庭で経験した愛の関係をベースにして神様と人間の関係を類推するわけです。勿論それで正しい場合もありますが、それだけでは理解できないことがあります。
例えば、私たちは神様と人間の関係は父母と子女として捉えます。しかしこれを人間世界の親子関係と同じかというと、違う面が多くあります。
神様は目に見えませんが、人間は目に見えます。当たり前のことですが、こんな親子関係は人間世界にはありません。人間の親子は同質ですが、神様と人間は性相と形状です。
これは神様が人間の中に住まわれて人間を着られる方だからです。
神様において、新しい朝を迎える一番の栄光の時とは、肉体をまとうことができる時です。
「天国を開く門 真の家庭」 P67、祝福家庭と理想天国Ⅰ P936 1978.1.22
人間世界の親が子供の中に住んで子供の体をまとうということはあり得ません。人間世界の親子関係とはあまりに次元が違う親密な親子関係であることが分かります。
これに加えて前回述べました内容が加わります。人間の家庭生活において、息子が生まれれば親にとっては大人になっても息子です。娘が生まれれば大きくなっても娘です。
一方、神様が人間を見られる観点は、人間の父母の観点と同じ側面がありますが、全く異なる側面を持ちます。神様は息子をご自身そのものと見られます。正確にはご自身の体です。また娘についてはご自身の許嫁(いいなずけ)と見られます。そして完成すれば娘と結婚されます。これも人間世界においてはあり得ないことです。
この神観、人間観は堕落前のアダムとエバは全く認識できませんでした。神様は取って食べるなとは言われましたが、アダムは神様と一体となるべく予定された神様の体であり、エバは神様の許嫁であり完成したら神様と結婚するとは教えられませんでした。これは長成期完成級を超えて完成期に入ってから神様の知情意に共鳴して初めて分かるようになっていたのです。もし人類始祖がこの真理に到達していたら天使長という万物と堕落するなどということはあり得なかったことです。
過去の歴史において完成期に入った人間はイエス様お一人でした。イエス様は子羊の婚姻の真の意味を語られないまま霊界に行かれたので、歴史を通してこの真理は隠されたままでした。
統一原理や統一思想の中を探してもこの神観、人間観は出てきません。復帰摂理が進展する中で、お父様が珠玉の真理の一つとして遂に語られた内容なのです。
実体をかぶった、神様の体で造ったアダムが、人間の先祖になるのです。言い換えれば、アダムは実体の神様です。無形の神様が実体の世界を主管するためには実体の体がなければなりません。それがあってこそ見たり聞いたりできるので、神様が実体の体として造られたのがアダムだというのです。それでは、エバとは誰ですか。エバはアダムの妻です。実体の妻です。それゆえアダムが実体をもった神様ならば、エバは実体をもった神様の妻です。神聖な神様が妻を得るというので驚くかもしれませんが、アダムは実体をもった神様の体です。エバは実体をもった神様の妻として創造されたのです。「真の愛」 第一章 2.アダムは宗の祖先、有形の神様
神聖な神様が妻を得るということ、しかもそれが実の娘であること、このことが納得できるような説明が必要です。
このことが腑に落ちるのを助けてくれる内容の例が宇宙誕生直後の世界にあります。
下記の図をご覧ください。(http://higgstan.com/unified-theory/に加筆)

宇宙には四つの力が観測されます。強い力、電磁気力、弱い力、重力です。これらの力は力を伝える素粒子を授受して生まれています。この部分は四つの力に共通しています。原理で言う授受作用です。しかし、個別性もはっきりしており、力を伝える素粒子の種類、発生する力の大きさ、力の届く範囲は全く異なります。
発生においては、ビッグバンの 10^-44秒後に重力だけが分離します。10^-38秒後に強い力が分離します。更に10^-11秒後に電磁気力を弱い力が分離して現在の四つの力がすべてそろいました。
ここで興味深いのは天地創造の初めにおいては四つの力は一つだったということです。強い力、電磁気力、弱い力、重力は現象的には違うものという印象がありますが力という点においては同じです。原理的に言えば万有原力という均一な力がインフレーション、ビッグバンを通して物理学で相転移と呼んでいる形状化のなかで四つに分かれたということになります。力においては現象世界から神様の世界にまで遡ると四つの力という性相を内包してはいても一つに溶けているということです。
愛においても同様の見方をすることができます。四大愛である父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛は愛の多様性を求めて分離して現象化しましたが、愛ということにおいては同じです。要するに相手が好きだということです。愛においても現象世界に現れた四つの愛は神様の世界まで遡ると四つ愛という性相を内包してはいても一つに溶けているということです。
このため神様と直接愛の授受作用をする存在である人間は、神様基準の一つに溶けた愛の世界で愛するのです。
神様と人間との間では、縦的愛である親子の愛と横的愛である夫婦の愛が同時の存在します。
私たちは成長期間を通過していくアダムとエバを↑矢印で書き表しますが、この上向きは神様の世界に近づくことを表しています。成長して神様の世界に近づき完成期に入ると、前述のようにアダムは神様自身の体であり、エバは神様の許嫁であり神様と結婚することが分かってくるのです。
成長期間の間は、神様は上で人間は下で↓矢印の親子関係ですが、完成すると神様と人間は→横矢印の夫婦関係になります。これによって神様の愛の完全な相対となるのです。
完成した人間は神様との間で縦横無尽の愛の授受作用をする完全な相対となるのです。
このような観点に立つと、蕩減復帰においてアダムとエバが息子と娘として復帰されれば蕩減のすべてが完了するわけではない理由が明確になります。御父母様は蕩減復帰には八段階があることを1989年8月31日、米国コディアックでの八定式において述べられました。
僕の僕、僕、養子、庶子までは天使長の罪を蕩減して独生子、独生女を迎えるための蕩減条件です。人間としての蕩減は実子から始まります。しかし、実子の蕩減は終点ではなく始点です。そのあとに母、父の段階があります。
この実子、母、父の段階は「真の父母様による神様の恨の実体解怨路程」において明らかにしたように、独生子にとっては息子、夫、父の蕩減期間です。独生女にとっては娘、妻、母の蕩減期間です。
ここから見ても神様と人間の関係は父母と子女の関係に留まらないことがはっきりとわかります。特にお父様にとっての夫の段階、お母様にとっての妻の段階の厳しさは想像を絶する凄まじさがあります。このことを通して、神様の許嫁であるエバが天使長と性的関係を結んだことに対する神様の怨恨が余りにも凄まじいことを知ることができます。