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神様と結婚する夢のような時代の幕開け

2025.1.23

<人間の夢 神様の夢>

 

人間の究極的な夢は神様のようになることです。人間は時間空間の制約から解放され一瞬で行きたい所に行きたいと思います。また、何でも知っているし何でもできる能力を持ちたいという思いがあります。

全知全能であり偏在する存在です。

神様は人間が憧れるものを全部持っておられます。ですから欲しいものは何もないかのように思えます。

 

しかし神様にも欲しいものがあるのです。一つは体です。体がないと愛の衝撃を強く感じることができません。神様は無形なのであえて例えるなら気体のような存在です。空気のように見えない存在です。気体同士がぶつかるとそれなりに衝撃はありますが弱いうえにすぐ混じってしまいます。液体もぶつかれば衝撃はありますがやはり直ぐに混じってしまいます。固体はぶつかれば強烈な衝撃があります。また混じることはありません。

神様は固体のような体をもって強い愛の衝撃を感じたかったのです。相対者や子供を抱きたくても自分が気体や液体のようだと抱くこともできません。これは愛の衝撃を感じられないということ意味します。

 

神様が欲しいものがもう一つあります。それは全知全能でなくなるということです。人間は全知全能に憧れますが、すべてを知ってすべてを為せることはつまらないのです。

自然を見ても人間を見てもご自分で創造されたので全てをご存じです。そこには深みがないのです。神秘がないのです。隠されたもの発見したり楽しんだりすることができません。

 

この二つの問題を解決するために人間を創造されました。人間には体があるので愛し合う時に強い愛の衝撃を感じることができます。神様は人間を体として着ることでこれを実現しようとされました。

もう一つは、人間は全知全能ではないということです。

 

物理学を探求する学者たちは宇宙や素粒子の世界を探求することで病みつきになるほどの刺激を感じます。ニュートンによってニュートン力学が発見されて宇宙の秘密はすべて解明されたと思っていた時代がありましたが、アインシュタインが相対性理論を発見してニュートン力学は相対性理論に吸収されました。その後も学者たちは量子力学、超弦理論などを提唱し宇宙や素粒子やエネルギーを統合しようと試みていますが宇宙や素粒子やエネルギーの世界は余りにも深く、探求して探求しても先が見えません。

神様は宇宙の原理も仕組みも法則も全部作られたので答えをご存じです。全部知ってしまえばその先は何もありません。一方、宇宙や素粒子を探求している学者たちは毎日が刺激的です。寝食を忘れるほどの刺激があるのです。

 

万物世界を見ても神様は無限の宝を隠しておかれました。このため人間にとって万物世界は刺激に満ちています。人間が幸せならそれで良いという面もあるのですが、神様もそれでは寂しいのです。

それで神様は人間として生きるために人間を創造されたのです。

神様はもちろん全知全能で偏在する性質を持っておられますが、それを忘れるほどに人間となって生きたい方なのです。

 

万物世界でも人間として生きれば喜びが大きいのですが、人間世界で生きる喜びはその比ではありません。

真のお父様も真のお母様も人間としては全知全能ではありません。お父様はお母様のすべてが分かるわけではありません。しかしそれが良いのです。お父様にとってお母様は永遠の神秘なのです。お母様にとってもお父様は永遠の神秘です。喜びが尽きることがありません。

ですから神様はお父様として生きたいし、お母様として生きたいのです。

真の父母様にとって私たち子女も永遠の神秘です。人間には神様の無限の精誠が込められているので人間から得られる喜びは無限なのです。

 

神様は多元的なお方です。全人類の父母であると同時に一人一人の人間の父母でもあります。全知全能で偏在する神様ですが、一人一人の人間として生きられる神様です。そして神様にとっては一人一人の人間として生きることの方が圧倒的に幸せなのです。

 

神様がなぜアダムとエバを造ったのか分かりますか。神様も父母の立場で息子、娘を愛する愛を一度もってみたいというのです。その次はアダムとエバのように新郎新婦が愛する愛、その愛を一度体験してみたいというのです。おじいさんの愛、その次は国を一度愛してみたいし、世界を一度愛してみたいし、みなもちたいのです。「罪と蕩減復帰」第二章 罪、人間堕落の内的意味 一 換父易祖(注:父が換わり、先祖が替わったこと)がすなわち堕落 2.堕落しなかったならば……

 

神様のようになりたい人間、人間のようになりたい神様

この両方の願いをかなえるのが結婚なのです。

三大祝福は人間だけのものではありません。神様も三大祝福の世界を生きられます。

本来、霊界は神様と結婚した人間、人間の結婚した神様が住む世界です。

 

<神様と人間の結婚>

 

人間堕落を見ると神様の創造目的の核心を知るヒントがあります。

神様のようになりたいと初めに思ったのはエバではなくルーシェルだったのです。

ルーシェルは神様の創造の行きつくところは神様が人間と結婚することにあることを知ったのです。ルーシェルはその神様の最大の理想を奪ったのです。自分も結婚したいと思ったのです。結婚による愛の喜びを得たいと思ったのです。

 

アダムとエバの結婚は、神様と人間が結婚することです。同じように、皆さんも人間として神様と結婚するようになっています。それでは、神様はどこにいらっしゃるのでしょうか。私の中にいらっしゃいます。「宇宙の根本」第二章 三 神人一体と愛の理想完成 2.神人愛理想の根本原理 (3) 真の血統の根は神様

 

結婚というのは余りに不思議です。全くの他人だった相手が離れることができない存在に一変します。結婚することで初めて愛を知るのです。

 

結婚とは何ですか。生殖器を合わせるための運動ではないですか。そうですか、そうではありませんか。これは下品な話ではありません、神聖な話です。人間の最も高貴なものが生殖器です。「宇宙の根本」第二章 四 3.真の愛は汚いものも消化

 

凹は何をするところですか。凸は何をするところですか。それを合わせることによって、愛が連結されるのです。それを合わせなければ愛が分かりません。完全な愛が現れて、絶対的に一つになるところが生殖器です。他の道はありません。「宇宙の根本」第二章 二 2.神様の創造目的を完成させる器官

 

結婚の不思議さは余りに深いものがあります。

夫婦の愛には親子の愛も子女の愛も兄弟の愛も含まれていることが分かります。妻にとって夫は父のようであり、息子のようでもあります。また兄や弟のようでもあります。夫にとって妻は母のようであり、娘のようでもあります。また姉や妹のようでもあります。つまり夫婦の愛には三対象の愛がすべて結集していることが分かります。

更に、結婚には平準化、平等化作用があります。

 

田舎者の娘だといっても、大臣と結婚すればどうなりますか。同じ道に行くのです。その田舎者の女性が小学校も出ていないといっても、全ての人が大臣の奥様だといいながら、頭を下げなければならないのです。「真の家庭」第七章 真なる夫婦の愛 四 神様も酔う事の出来る真の夫婦の愛

 

あなたと私は、心と体が一つになった同じ位置、それはすなわち夫婦一心、父子一心という位置です。一心は、一つは上にあり、もう一つは下にあるという状況では成立できません。父親が上にいて、息子、娘が下にいれば、一心になる事はできないのです。お互いが同等な立場で平面的に位置していてこそ一心になるのです。内的外的関係が平面線上の位置に立ってこそ一心になるというのです。夫婦も同様です。

横的関係において内外関係、前後関係の位置に立ってこそ一心になるのであって、上下関係では絶対に一心になる事はできないというのです。「天一国主人の生活」 第四章 五、天一国主人の生活  1.一心、一体、一念、一和

 

神様が創造主なので上です。人間は被造物なので下です。しかしこれだけだと本当には一つになれません。この縦的関係を一つにするのが結婚です。神様と人間が結婚することで神様と人間は平準化、平等化します。人間は被造物という立場ではなく神様と同じ位置となり、神様と同じ価値を持ちます。

それが実現したのが天地人真の父母という存在です。天地人真の父母という神様以上の神様です。

 

神様の本当の創造目的は人間という最高の相対を創造し結婚することにあるのです。

 

「神様は縦的な父」という言葉が出てきます。真の愛を中心として神様は縦的な父であり、アダムとエバは真の愛を中心として横的な父母です。縦横が九〇度で定着するのです。これが宇宙の根本です。結局は、神様が結婚式をするために人間を造られたというのです。神様の愛のために創造されたというのです。このように解明することによって、すべての根本的な難問題が解決されるのです。「宇宙の根本」第二章 三 2.神人愛理想の根本原理 (1) 神人一体をどのように解明するのか

 

人間堕落は人間が神様と結婚する資格を失ったことだと見ることができます。真の父母様は再臨のアダムとエバの立場としてこられました。アダムとエバが失った神様と結婚する資格を取り戻すのが独り子と独り娘の使命です。復帰摂理も真の父母様の路程もすべてそこに向かってなされたと見ることができます。

基元節は余りに特別です。神様と真の父母様が結婚された日だからです。神様の復帰摂理と真の父母様の路程が完結した日なのです。

直接主管圏とは神様と人間が結婚することで実現します。

直接主管圏での神様と人間の愛の関係は父母と子女だけではありません。夫婦でもあるのです。神様は人間の息子、娘でもあります。また兄弟でもあります。神様と人間との間で三対象の愛がすべて実現します。

真のお父様も真のお母様も神様と三対象の愛で結ばれた関係なのです。私たちが余りに幼い基準なのでそれは話されません。独り娘だとしか言えないのです。

 

私たちが行くべきところは神様との結婚できる資格を得ることです。神様と結婚しなければ本当の愛は分かりません。神様にとっても人間と結婚することで得られる愛は余りにも素晴らしいのです。それで神様の上位に真の愛があるのです。神様もご自身の存在をお忘れになるほど酔われる愛がそこにはあるのです。

結婚して生殖器を合わせることで生じる愛は奇跡的です。本然の性愛は奇跡の奇跡なのです。それにしても生殖器がもたらす愛は余りにも不思議です。永遠の謎のようです。

神様と被造世界の関係ついて創造原理には神様は性相的男性格主体であり、被造世界は形状的女性格対象だとあります。被造世界の中心は人間なので結局、神様は性相的男性であり、人間は形状的女性です。創造原理にはとても深い意味が隠されていたのです。

 

神様は天苑宮に入宮するために地上に来られます。何をしに来られるのでしょうか?

堕落歴史を完全に終結するために来られます。

そして一番重要な目的は祝福家庭と結婚して天地人真の父母となるために来られます。私たちの行くところは神様と結婚して天地人真の父母となることです。そのための資格を備えることを急がなくてはなりません。天心苑祈祷会の本当の目的はそこにあります。

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