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天心苑に満ちる愛の空気

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​<天国は自分の中に人を入れてあげる所>

 

2025.5.21

今日の苑長のみ言の中で、子供には二種類あって、一つは自分たち夫婦から生まれる子供、もう一つは自分の中にいる恨霊、悪霊、中心霊を霊界の修練会に送ってあげて復帰することによる子供だという内容がありました。
私たちは自分の中にいる恨霊、悪霊、中心霊を異物のように考える傾向があったと思いますが、実際は自分の腹中にいる子供として父母の心情で愛し出産する対象だということになります。
これを見ると食口であれば男性であっても妊娠、出産するのが私たちの道だと分かります。

天心苑はお母様の腹中なので、お母様はすべての人間をお腹に入れて生まれ変わらせる役事をしておられるのが分かります。天心苑はお父様の執務室でもあるので、その執務室はお母様のお腹の中にあることになります。私たちはお父様とお母様を別の存在と考える傾向にありますが、実際は完全に一体なのでお二人ですが実際はお一人です。ですからお母様の腹中はお父様の腹中でもあります。つまり真の父母として極悪人を含めて全人類をお腹に入れて生み変える役事が進行しているということです。

同様に、私たちも真の父母様と同じ道を歩むようになっています。
恨霊、悪霊、中心霊は既に自分の中にいます。これは恨霊、悪霊、中心霊が天心苑の縮小体である私に入っているのと同じです。
真の父母様が天心苑で全人類を子女としてお腹に入れて救おうとされるように、私たちも父母の立場で恨霊、悪霊、中心霊を父母として救おうとする心情が必要なのです。これでこそ真の父母様の心情に似ることが出来るのです。


同様に、地上界の個人から国家、世界、天宙に至るまで自分の中に入れてあげようとすることで真の父母様の心情を体恤できるのです。
自分と他の人を区別して別存在だという考え方は本然ではないのです。他の人を自分の中に入れてあげる世界が真の愛の世界なのです。

 

こうして見ると愛の世界は妊婦のような世界だと言えます。
どれだけ多くの人を自分の中に入れてあげるかによって、人格の熟成度が決まります。最終的には神様までも入れてあげる自分になることがゴールです。

皆さんは、皆さんが持っている理念や、皆さんが暮らしている生活環境において、隣人をどれくらい同参(一緒に参加すること)させることができ、この民族とこの世界を、どれほどを引き入れることができますか。皆さんの心は大きいのですが、その心の中に自分の一つの体を入れることができない堕落した人間です。皆さんの心は、天地を抱き、神様までも抱いて安息させて差し上げようとします。それにもかかわらず、皆さんは、自分の一つの体を征服できずに、あえいでいるのです。」第八編 信仰生活と修練 第二章第二節8  P858  1959.11.1

今までは「他為」思想について語りましたが、これからは「他為」ではありません。他我主義(他人と私は一つであると考える主義)思想を語らなければなりません。「他」とは何かといえば、「我」だというのです。相対が「私」だというのです。カイン世界のために生きなければならないというのですが、そうではありません。一つの体なので、一つにならなければならないのです。「他為」的思想の時代ではなく、「他我」的思想時代です。「私」が相対を創造し、「私」と一体化させ、より大きな「私」にできる道を行ってこそ天に帰るのであって、自分第一主義で進んでいく人は天国に行けません。それが原理です。』第四編 真の人間 第三章 真の人間に復帰する道 第三節 真の人間の生活7 2003.6.29 p.446

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<天国実現運動を始めましょう>

2025.5.21

神霊と真理の基地である天心苑祈祷会で根本的な重生を実現しながら、いよいよ本格的な天国実現を成し遂げる時を迎えています。特に入宮式後は天の父母様の役事が強力になされていきます。

​内的変革と同時にが実体世界の変革が必要な時です。

堕落によって生まれたサタン文明を神様の文明に変える時です。
現代文明におけるサタンの痕跡の代表的なものは二つあると感じます。

 

一つ目は国境です。世界が分裂している根源です。世界の全ての国境の総合実体相が南北の分断です。南北の分断は韓民族という少数民族で起こっている現象ではありません。世界の分断の代表なのです。
サタン勢力が神様の国として認めるのは真の父母様を元首とする統一韓国だけです。統一韓国という天一国が出来たらどうなるでしょうか?

全世界の食口が天一国に入籍できるようになります。そうなれば私たちは日本人であると同時に天一国の国民となります。また、天の父母様聖会は天一国の国教となるので日本国が宗教的に迫害することはできなくなります。
また、天一国の国民となれば蕩減は一気になくなります。南北統一にはすべての蕩減条件が含まれいるからです。こうしてできた天一国はサタン不可侵です。これは地上的にもそうですし、霊的にもサタン不可侵です。


天一国の国民であれば誰でも天国への道が開かれます。誰でも本然の人間になる道が開かれるのです。私たち食口は言うまでもありません。

それから世界の国境が急速になくなっていきます。世界統一は現実味を帯びるようになります。もちろん戦争や紛争が消えていきます。南北統一の実現によってサタン勢力が急激に衰退していくからです。南北統一を毎日の祈祷や呼名祈祷に入れるのが良いと思います。

もう一つの大きなサタン文明の痕跡はお金経済です。お金は神様の愛が実現するのを妨げる最大の存在です。お金をもらわなければ何もあげないし、お金がなければ何も手に入らないのです。お金は人間同士の無償の愛を妨げます。
家庭には父母を中心に無償の愛がありますが、社会には有償で授受する他人の関係しか見出せません。家庭と社会のギャップは無償の愛の世界と条件付きの愛の世界のギャップです。


今の経済社会には無償で与えるという神様の愛を見つけることが出来ません。すべてが条件付きで成り立っているのが現代の経済社会です。格差が生まれ、犯罪が多発するのは当然の結果です。

これを本然の経済体制に戻していく改革が起こってこなければなりません。
それを始めるのに最適な場所が加平だと思います。
加平の郡民がそこに行けば無償で食料品や衣料品が手に入る市場(ホーリーマザーハン市場)を作ることが出来たらどれほど素晴らしいでしょうか。そこに行けば誰もがいつでも食べられる無償の食堂(ホーリーマザーハン食堂)もあります。文家の伝統を加平で展開していくのです。この市場を日本の食口が主体になって作っていくなら日韓問題も解決していきます。

 

この真なる経済解放区を天一国全体に広げるならば人類が夢にまで見た地上天国が実現するのです。この運動に参加したい人は多くいるはずです。休眠食口の中にも、それならやってみたいという人が多くいると感じます。天国実現運動の時代が始まります。

南北統一で始まる国境撤廃と無償経済社会が進展することで神様文明の世界が見えてきます。

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「悔い改めと服従が願いを成就する鍵」

 

2025.5.22
今日の苑長のみ言の中で天からの啓示が紹介されました。それは、悔い改めないといけない、そして純粋になって祈祷すれば願いは必ず成就するという内容でした。
願いが叶わない原因は何なのでしょうか?

悔い改めできていないこと、そして純粋になっていないことが大きな要因だということになります。
そして、根本的な原因を次のみ言が教えてくれます。

天国へ入って行くのに一番の問題とは何ですか。自分が怨讐だというのです。地獄やサタン世界は自我覚醒から生じたのです。天使長が自分を中心として考えたというのです。深刻に考えたというのです。逆賊とは何ですか。自分を中心として国と主権者を越えて考える人を「逆賊」と言うのです。自分を中心として上がって行くその頂上は、全て逆賊の道と通じるのです。」「人間の生と霊魂の世界」第二章 霊界はどのような所か 二 天国と地獄 5.地獄は神様の愛と関係ない所

堕落性を一言でいう自我意識です。自分を中心に考え行動することです。
信仰生活は自我意識をなくして天の従おうとする生活だと言えます。天に従順に生きる生活をすることです。
ところがそこにも最後の罠があります。次のみ言をご覧ください。

「真の父母に対して絶対信仰、絶対愛、絶対服従すれば、天地が夜も昼も叫んで十回起こしても順応するのです。一夜に百回起こしても、不平を言ってはいけません。それが服従です。従順は、自分の素性はもって従っていくことですが、これにはそれがありません。一日に何千回しても、順応しなければならないのです。」
「真の家庭と家庭盟誓」第二章 家庭盟誓の各節の解説 八 家庭盟誓第八節の解説 2絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって (2)絶対信仰、絶対服従すれば、天国に直行

「絶対服従は、自分という意識がありません。相対としての存在意識だけなのです。」
「真の家庭と家庭盟誓 」第二章 家庭盟誓の各節の解説 八 家庭盟誓第八節の解説 2 絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって ① 創造原則と絶対信仰、絶対愛、絶対服従

真の父母様のみ言に従順に従って実績を捧げる、これは信仰者の鏡のような姿に見えます。しかし、上のみ言にあるように従順は自分の素性をもって従っていくことです。真の父母様のみ言に従順に従っている、かなり良い線を行っていると思っていると悔い改めは出てきません。


み旨の最前線に立って誰よりも実績をあげたとしても自我意識が残っているのです。これが大きな問題なのです。従順は絶対服従に似ていますが、中身は真逆になる可能性もあります。自我意識で目標を立てて祈っても、その願いは天に届かない可能性があるのです。ここにはサタンの自我意識の痕跡が残っています。このため天が答えてあげられない祈祷となってしまうのです。今までの私たちの姿勢はこれではなかったでしょうか?


この悔い改めから祈祷を始まるべきだと感じます。

これを回避して祈りが天に届くようにするにはどうすれば良いのでしょうか?
それは絶対服従です。絶対服従は自分の意識がありません。これは本然の人間の意識状態です。本然の人間の意識状態で祈れば、祈りが聞き届けられるのは必然です。
本然的であれば天に通じるのです。
本然的な神様と人間の関係に近づけることが大事だと分かります。

それでは本然の神様と人間の関係はどうなっているのでしょうか?
それは神様が心で人間は体だということです。神様と真の父母様は完全に一体なので、私たちは真の父母様の体でもあります。

つまり、私の心は私のものではなく、神様と真の父母様の心なのです。そして私は真の父母様の体としてみ旨を成すという意識です。これが絶対服従の本質だと思います。一見、自由のない喜びのない世界に見えますが、ここには今まで誰も味わったことがない幸福があるのです。

「愛の僕となり、愛の奴隷となるのが最大の幸福だという事ができます。」(祝福家庭と理想天国I-1066)

私がやるという気持ちでは自我意識が入ってしまうのです。これは私が主体で神様と真の父母様は私の脇にいる対象存在です。その願いは神様と真の父母様の願いのように見えますが、本質は自我意識による自分の願いなのです。(今の自分の願いが本当に神様と真の父母様の願いなのか祈り求める必要があります。)

そうではなく、神様と真の父母様の体として神様と真の父母様に私の体を使っていただくという気持ちです。極端に言えば、私自身の心はなく、神様と真の父母様の心が私の心だという状態です。その心に従って私の体が動くのです。


これで初めて私は自己意識のない対象になるのです。神様と真の父母様の願いを私の体を通して実現してくださいという祈りは天は聞くなと言っても聞かざるを得ないのです。悔い改めと絶対服従こそ願いを実現する鍵です。

これは今日の祈祷会を通して与えられた内容です。私にとっても一番大事な内容を与えられたと感じました。悔い改めから始めようと思いました。最後に第617次の清平修練会での大母様のみ言をお届けします。

ここにいらっしゃる皆さんは、これから神様と真のご父母様の前に、祝福家庭として「何をしてさしあげましょうか」「どんなことをしてさしあげましょうか」という祈祷をしなくてはいけません。
私たちの祈祷から変わらなくてはいけません。「天のお父様!私は、今これこれこういう苦痛があり、こういう病気にかかっています。治してください」と、柔らかい心情でそう言うのではなく、「そうしてくださらなければ、私はあなたから離れるかもしれません。絶対にそうしてくださらなければなりません。そうしてください」というように祈祷をすることがあるのですが、実は、今私たちが持っている病気と苦痛などの全てのことを眺めながら胸を痛めて泣いておられる方が神様なのです。
私たちが持っている苦痛や大変な問題は、神様の苦痛に比べればとても小さなものなのです。ですから私たちの祈祷内容が「私を助けてください」「私の家庭を幸福にしてくださいませ」という祈祷より、「神様!真のご父母様!何をしてさしあげましょうか」という祈祷が正しいのです。「神様!真のご父母様!私たちが何をしてさしあげましょうか。私の苦痛と私の家庭の苦痛はなんでもありません」「神様と真のご父母様の苦痛に比べれば私たちの苦痛はなんでもありません。ですからお父様!真のご父母様!私たちが何をしてさしあげましょうか」というようにすれば、神様と真のご父母様の全てのことを深く知るようになるのです。
そのようなことを知って歩んでいくようになれば、まさに自分のひどい苦痛や病気、そして大変な生活問題が解決されます。」

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<願いが叶うための正道>

2025.5.23

私たちは願いを実現したい思いで天心苑祈祷会に参加しています。
願いを実現させたい思いが切実な人ほど、願いが叶わない期間が長くなると苦しい思いを抱きます。
お母様がインデアン精神で祈りなさいと言われているのでじっと我慢しながら精誠祈祷に参加しておられる方もいると思います。

最下部に記載した原理講論のみ言の中に解決のヒントがあると思います。


本然の人間では、神様の命令ならざる命令を感じます。命令ならざる命令は願いといったほうが分かりやすいと思います。神様の願いは自動的に自分の願いになります。この部分が私たちはできません。

本然の人間とは違い、私たちは神様の願いが分かりません。それでみ言を通して神様の願いを知ろうとします。具体的には神様と完全に一体である真の父母様のみ言です。原理講論によれば、み言を知ることは肉的過程だとあります。
つまりみ言を聴くだけでは認識の半分でしかないことになります。霊的過程すなわち神霊を感得することが必要です。認識は確信でもあるので半分の認識では実践力は弱くなります。

そこで神霊を感じることが必要となります。その道が天心苑での祈祷です。
天心苑祈祷会の重要な目的の一つが神霊を感じることです。
皆様も天心苑で祈祷する時に願いが叶うよう祈っておられると思います。
しかし、この時に本然の人間とのずれが生じている可能性が大きいのです。

 

本然の人間にはみ言は必要ありません。自分自身がみ言の実体です。後は神霊を感じて喜びながら創造目的の実現に向かいます。

一方、私たちは真理の実体ではないので真理面ではみ言を頼りにしています。真の父母様のみ言を基準として自分の願いを定めていきます。ところが私たちは潜在的に自己中心の意識が働くので、その願いの中に天が取ることが出来ない内容が潜んでいる可能性があります。これは巧妙に入り込みます。
この状態だと願いに善悪が混在しているので、いくら天心苑で真剣に祈っても神様が取れない願いになる可能性があるのです。

これを防ぐためには自分の願いが神様が取ってくださる内容なのか祈って神様に尋ねる必要があります。これは神霊との授受作用です。

 

自分の願いが完全に善なるものであったとしてもやはり神霊と授受する必要があります。神様がその願いを良しとしておられるという手ごたえを得ることで、その願いのお墨付きを得ることになるからです。
願いを叶えてくださいと祈る前に、その願いに対する神様のお墨付きを得るという過程が必要です。お墨付きは祈りの中で霊的、情的に感じることが出来ると思います。
このお墨付きを頂くことで、本然の人間が神様の命令ならざる命令を感じるという段階と同じ基準を達成することになると思います。

この神霊的な手ごたえが感じれたら、その願いの実現を求める祈りはとても強いものになります。願いが叶うことへの確信は揺るがない岩石のようになります。こうなれば神様と真の父母様と絶対善霊の役事はとても強力になります。
願いが実現するしかないような役事が起こってきます。
これこそが本当の成功論です。


「・・・このような人間は、神の心情を体恤し、神のみ旨が完全に分かって、実践するようになるので、あたかも、頭脳が、命令ならざる命令で四肢五体を動かすように、人間も、神の、命令ならざる命令により、神のみ旨のとおりに動いて、創造目的を成し遂げていくようになるのである。
創造原理 第五節 被造世界の創造過程とその成長期間(二)被造物の成長期間 (3) 直接主管圏

「人間は霊人体と肉身が一つになって初めて、完全な人間になるように創造されているので、霊的過程による神霊と肉的過程による真理とが完全に調和され、心霊と知能とが共に開発されることによって、この二つの過程を経てきた両面の認識が完全に一致する。またこのとき、初めて人間は、神と全被造世界に関する完全な認識をもつようになるのである。このように神は、堕落によって無知に陥った人間を、神霊と真理とにより、心霊と知能とを共に開発せしめることによって、創造本然の人間に復帰していく摂理をされるのである。」 人類歴史の終末論 第五節 終末と新しいみ言と我々の姿勢(一)終末と新しい真理

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入宮式がなされたので天の父母様は私たち一人一人の家庭におられます。天のお父様はアボジの姿で、天のお母様はオモニの姿で来ておられます。

手応えを感じる事ができたなら願いの実現に俄然近づきます。

今までは祈祷や祈願書を通して願いを天にお伝えしていただけでしたが、今は天の父母様が家庭に来ておられるので、私の家庭は自動的に天の父母様の家庭となっています。

つまり、願いの実現は天の父母様家庭として成し遂げて行く時代です。

過去においては、私が頑張る、あるいは私と相対者で頑張るというやり方でしたが、今は天の父母様と私たち夫婦が一つの親子家庭として願いを成し遂げる時だと感じます。天の父母様の臨在を感じながら願いの実現に天の父母様と共に歩むという事です。

天の父母様が願いの実現のために全力で役事してくださるのを感じる事ができると思います。

これならば願いの実現は絶対です。

 

祈りの手応えを感じる事ができれば、その願いは私の願いのみならず天の父母様の願いにもなります。それで私の願いは私の家庭すなわち天の父母様家庭全体の願いになります。

願いの実現はこのように実現する時代になったと思います。

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<天は役事する準備をすべて終えている>

2025.5.24

今日もご参加くださりありがとうございました。
皆様の精誠が私にも恩恵として伝わってきました。感謝です。
天心苑は本当に素晴らしいと改めて感じました。

天心苑で一段階上の恩恵が与えられているのを感じます。


今日、苑長が天の啓示を紹介されましたが、その中に、「天は役事する準備をすべて終えている」という内容がありました。
これは私たちが勝利するために必要なすべてが整ったということです。
神様と真の父母様と絶対善霊の役事が勝利するための95%です。後は私たちの5%です。その役事を確実に実行していただくにはどうすれば良いでしょうか?

今日のみ言の中にその5%のヒントがありました。それは「ホーリーマザーハンを命を捧げて守りなさい」というみ言です。また、死生決断、実践躬行、死なんとする者は生きるというみ言もありました。
これを聞いたときに一つのみ言が浮かびました。

「死んで、百回死んでも愛を必要とするが故に、その道をよく求めていかなければならないのです。・・・・神様が愛の為に死ぬという道をつくったのです。それ以上の心をもっていなければ、愛を復帰する事は出来ません。」「真の神様の祖国光復」第一章 真の神様の祖国光復 五 祖国光復は真の愛によって

このみ言は最重要のみ言だと思います。神様が愛のために死ぬという道を造られたのはどうしてなのでしょうか?
それは神様の理想とされた愛は死をも超える基準の愛だからです。
神様の愛の対象は人間なので、人間のためにご自身の命を捧げるという愛です。


神様はお一人だった時からこの愛があったわけではありません。その芽はあったとしても、対象が存在しないお一人の時にこの愛が出現するはずがありません。
次のみ言をご覧ください。

「神様は絶対的であり、また全知全能で遍在する神様ですが、神様も愛だけは思いどおりにできないのです。神様も愛の支配を受けます。それでは神様は何ですか。神様は全知全能ではないのではないでしょうか。「神様、あなたは全能ではないのではありませんか」と言えば、「私は全能だが、愛には全能ではない」と言われるのです。神様がなぜそうなのですか。」
「真の神様」第一章 神様の本体 五 法度の中での全知全能である 2.愛のみが絶対基準である

私は以前このみ言について間違って解釈していました。神様は愛には全能ではないので神様にも愛せない時があったり、恨みを持たれたりする。それで神様に恨が生じた、と解釈していました。
しかし、神様の愛について探求していくとそうではないと分かってきました。


神様はご自身の愛が人間の言動によって左右されるような相対的な愛であるなら、天国はできないと分かっておられました。それはいきなり創造を始めても失敗することを意味しています。

それで神様は人間に対するご自身の愛を絶対不変にすることが不可欠だと思われました。この愛の領域に達することが創造そのものよりも重要だと分かっておられました。

 

それはどうすれば達成できるのか?
それが精誠の投入です。
対象に対して投入することが精誠ですが、精誠を尽くすに従って対象への愛は強く深くなります。つまり好きだという情感が強くなっていきます。

「愛とは、みな好きなことです。愛とは結局、好きになることです。」「真の愛」第一章 真の愛というものは 三 愛が介在する時、調和が成される

心情を投入すればするほど人間が好きだという情感は高まります。しかし、それは絶対ではありません。その程度の愛では天国の基となるような愛ではないのです。そこでその愛が絶対だと言える基準に達するまで無限の心情投入をされました。これは人間の構想段階での話ですが、構想と言っても触れるほどの構想のレベルです。原理講論や統一思想ではこれをロゴスと呼んでいますが、その言葉では表現しきません。命が吹き込まれていないだけで一人一人の人間そのものです。

無限の時間と無限の心情投入によって対象がいかなる状態になったとしても変わらない愛を確立されました。これは神様がこの愛を得られるなら死んでもいいと思われる愛です。この愛のレベルが「愛の為に死ぬという」基準です。
人間一人一人が好きでたまらなく、人間に永遠に喜んで命を捧げるという愛です。これが真の愛です。
神様がサタンまでも許して愛することが出来たのは真の愛が確立されていたからです。

人間に対して絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立てられた時点から神様の時間は始まりました。それ以前は神様が中心でしたが、真の愛が確立してからは真の愛が中心となりました。この真の愛に神様も服従されます。この時から神様の本当の歴史が始まりました。

「神様御自身も真の愛を絶対視して、それに絶対服従して生きるというその起源を発表したのは、歴史上レバレンド・ムーンが初めてです。それは観念ではなく事実です。ですから、神様は、真の愛を探し出すために創造されたのです。」「宇宙の根本」第一章 宇宙の根本秩序 二 宇宙は主体と対象でできている 1.ペア・システムが宇宙存在の原則

人生の目的は三大祝福だと思っている方が多いと思いますが、このように見ていくと真の愛を体恤することが本当の人生の目的だと分かります。
つまり、愛のために死ぬという心情レベルに達することです。
ここで重要なことは、死ぬことが重要なのではなく、相手が大好きで死んでもかまわないというレベルの愛に達することです。

「生命を差し出すにも無理やりするのではなく、狂うように喜んで差し出せというのです。どうせ生命を差し出すのに泣きながら差し出すことを神様が願われるでしょうか。でなければ喜んで狂うほど、死んでもいいと踊りながら差し出すのを好まれるでしょうか。どちらでしょうか。」「礼節と儀式」第一章 神様に対して侍る礼法 三 真の御父母様が神様に仕える法 1至誠感天

狂うほど喜んで踊りながら命を捧げたいと思うほど大好きだ!というレベルです。これが私たちが到達すべき愛のレベルです。
これは気の遠くなるような難しいレベルに思えますが、これを達成できるようにしてくれるのが天心苑祈祷会です。天心苑は精誠を捧げる場です。精誠を捧げるにしたがって真の愛に近づいているのです。

要するに
天の父母様が死ぬほど好きだ!
真のお父様が死ぬほど好きだ!
真のお母様が死ぬほど好きだ!

私たちも神様が到達された「愛のために死ぬ」という道を行くようになっています。この心情世界に到達すれば用意されている神様と真の父母様と絶対善霊の役事が起きるのは必然となります。そうすれば叶わない願いはないという状態になります。
これで地上生活は合格となります。
そして神様の真の愛の相続を受けて天国人に認定されます。

天心苑に集う兄弟姉妹の皆様
神様がなされたように精誠を尽くすことで真の愛の世界に向かいましょう!

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「入宮式に至る天の父母様の心情と入宮式の真の恩恵」

​2025.5.27

神様が復帰摂理を通して感じてこられた心情が分からなくては入宮式における天の父母様とお母様の心情は分かりません。それが分からなくては入宮式の意義をいくら聞いても深く心に響くことはないと思います。
皆様の中には連日背中を床につけることなく精誠を尽くされる方もいらっしゃるようです。皆様の精誠のおかげでその内容の一部を与えられましたので分かち合いましょう。


神様は人間にいきなり息を吹き込むことをされませんでした。それは愛を絶対化する期間を作るためです。それが天地創造前の無限の時間です。その精誠の無限の投入によって、神様はご自分ではなく人間を第一に愛するという真の愛の方になられました。これが真の父母である神様の出現です。それが愛のために死ぬという道を作られた神様です。人間に対して絶対信仰、絶対愛、絶対服従される絶対父母の神様です。

そのような神様にとって堕落の衝撃は想像をはるかに超えるものでした。

「一人しかいないアダムをして家庭を築かせ、創造の大業を果たした立場に立たせようとしたのに、そのアダムが死んだのですから神様の心はいかばかりであったでしょうか。このように、よじれたのですからどうしたらいいのでしょうか。神様はアダムとエバの堕落によって六千年間、衝撃から抜け出せずにいらっしゃいます。」
「真の神様」第四章 真のお父様の見た神様 二 息子を失った衝撃、悲しみの神様 1.永遠のひとり子を失った神様

その後、堕落の血統が地上に増え広がります。それは客観的に見れば堕落した天使長の血統として生まれた天使長一族です。肉身を付けた天使たちです。
創造原理にはない存在です。ごみのように焼却するしかない存在です。
しかし、客観的にはうろこに覆われ、とぐろを巻いている堕落人間でも、神様の目には、掛け替えのない絶対価値の息子、娘としか見えないのです。ですから裁きの気持ちなど微塵もないのです。悲しみしかないのです。
その前提で復帰摂理をなしてこられた神様を捉えないと何も分からないことになります。

神様にとって人間を復帰するということは、人間に蕩減復帰の道を行かせることを意味します。人間が神様の子女としての威信と資格を取り戻すにはこれ以外に道がないのです。しかし、これは愛してやまない人間に苦痛を与えることになります。

洪水審判は一番典型的な蕩減の道です。神様は主人として僕の僕に対さなければなりません。それでノアの時に悪にまみれていた人々を、罪を犯した僕の僕として葬り去らなければなりません。容赦のない刑罰のように見えます。
しかし神様の心情世界から見ると、掛け替えのない息子、娘を殺害しなければならならなかったのです。悪なる僕の僕に罰を与えるならどれほど気持ちが軽いでしょうか。しかし相手は心情的には紛れもなく実の息子、娘です。死の蕩減の道を行かせる以外に本然に復帰する道がないのです。結果的に神様のみ旨をために死んだという蕩減条件を立てさせる以外に救いの道がないのです。

イサク献祭の例が更によくわかります。イサク献祭のアブラハムこそ神様の姿そのものです。愛する者の命を捧げるのです。アブラハムはイサクを捧げようとした瞬間にしなくても良いという天の声がして献祭しなくてすみますが、神様にはそのような温情の道はありません。愛する人間に必ず蕩減の道を行かせなければならないのです。本当の愛しているなら苦痛と死の道を行かせられるかという試練の連続です。本当に愛しているなら命を奪ってでも蕩減の道を行かせることが出来るかという試練です。蕩減しない限り復帰はないのです。

万物以下に落ちた人間は、旧約以前時代、旧約時代、新約時代、成約時代、天一国時代、それぞれに時代で蕩減復帰の厳格な条件を立てなければ本然に戻ることが出来ません。それで神様は僕の僕に対する主人、僕の主人、養子の養父、実子の父という役目をしてこられました。しかしこれらは人間に蕩減復帰の道を歩ませるために仮の姿です。そして復帰摂理の全期間において神様がなしてこられたのがイサク献祭です。


私たちも神様のイサク献祭の対象だったのです。ご自分の人生における供え物イサクのような苦痛の時を思い出してください。目に入れたも痛くない息子、娘に苦痛を与えざるを得なかった神様の心情を感じてください。

愛する息子、娘に苦痛を与え、死に追いやる非情な道です。それをせざるを得なかったが神様の本当の恨です。ご自分の命よりも人間の存在のほうが大事なのです。


復帰歴史を通して神様はサタンに讒訴され、蔑まれ、屈辱受け続けてこられましたが、それが本当の恨ではないのです。ご自身はどうなっても人間を救うことが最優先なのです。神様は驚くほど真の愛のお方なのです。

神様が天の父母様だというのは本当の姿を現される時が来たことを意味します。過去のおいては人間を蕩減に追いやるために僕の僕に対する主人、僕の主人、養子の養父、実子の父という仮の姿を取るしかなかった神様でした。


入宮式は神様が天の父母様という本当の姿で登場することが出来た解怨の日です。選民に対してむごい苦痛の道を行かせなくても良い本然の真の父母の姿で登場された日なのです。神様が復帰摂理におけるイサク献祭の苦痛から解放された日です。神様の解放日記念日です。
天苑宮天一聖殿入宮式 真のお母様のみ言宣布のみ言をご覧ください。

「宇宙の主人であられる、創造主・天の父母様。
きょう、この一日を迎えるまで、人類の堕落によって6000年間、耐え忍び、待ってこられました。
天の父母様、ありがとうございます。感謝いたします。申し訳ありません。しかし、今やあなたが、真正なる、この地の主人であられます。
真の父母によって、多くの祝福家庭を通して、二世・三世圏、四代圏のピュアウォーターが、あなたの地上天国の姿を満天下に知らせるため、世界に向かっています。
天の父母様、きょうから思う存分、子女たちを抱き、愛してください。今や、この世界はあなたの主管下に一つ一つ整理され、真の愛によって天の父母様に侍る人類一家族の世界が必ず広がることでしょう。
ホーリーマザー・ハンの名によって、天の門、天一国の天国門が大きく開いたことを満天下に宣布いたします」

太古の昔において神様は「私」に対して無限の精誠を投入され愛のために死ぬという道を作られました。
それは天の父母様がご自身の命より「私」が大事だと思われる愛です。
死んでも「私」が好きだ!という愛です。
今こそその愛を確認してください。
祈りの中で復帰摂理の神様のご苦労に思いを馳せ慰労したうえで、次のように天の父母様に尋ねてみてください。

天の父母様、あなたはご自身の命よりも「私」を愛しておられますか?
死ぬほど「私」を愛しておられますか?

失われていた親子関係を取り戻す時です。遠慮はいりません。
真剣に求めると、問う途中でも愛が伝わって来ます。
本来の姿の神様と本然の親子関係を確認してください。
入宮式の恩恵はこれです。
そこから親子の生活が始まります。

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