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天心苑―悔い改めと本然の私の誕生の地

悔い改めによる蕩減期間の大幅な短縮

 

隠れてしまう前にアダムが現れて、四十日が満ちる前に「神様、私が間違っていました」と言っていたなら、こんな歴史にはならなかったというのです。アダムは分かっていたというのです。知ってみると、世の中がこのようになったこと、エバの過ちを自分が請け負うことはできないというのです。エバがしたことはエバのものとして返し、カエサルのものはカエサルに、ラバンのものはラバンに、アベルのものはアベルに返しなさいと言うことによって、神様が夜の神様と昼の神様に分かれるしかありませんでした。それゆえに、昼夜共の主人がなくなり、人も体と心の闘争歴史を抜け出すことができなくなったのです。

天地人真の父母定着実体み言宣布の意味 2010年陽暦9月3日 天正宮博物館 安侍日敬礼式および訓読会

 

上記のみ言には衝撃的なことが語られています。

一つはアダムが堕落後40日の間に自分の罪を認めて神様の前に悔い改めていたなら、こんな歴史にはならなかったというのです。アダムが悔い改めることができなかったことが、こんなに悲惨で気が遠くなるほど長い罪悪歴史になった大きな原因だったのです。

もう一つは悔い改められなかった原因として自分が堕落したのはエバのせいだと責任転嫁したことです。これは聖書にも書かれています。

 

それが何をもたらしたかと言えば、天の父母様の性相である夜の神様と形状である昼の神様が別れざるを得なくなったというのです。これは天の父母様が堕落の責任を負われたことを意味します。(詳しくは「夜の神様 昼の神様のみ言の解明」をご覧ください。)

復帰摂理に現れる神様は昼の神様です。夜の神様を中心として昼の神様が95%の責任を負われ、人間が5%の責任を負うという復帰歴史とならざるを得ませんでした。アダムが悔い改めていたなら神様が天の父母様の立場を継続できたので復帰はもっと短期間で終わることができたのです。

 

ここから分かることの一つは、罪を犯した時に悔い改められないのは責任転嫁をしてしまうことが原因だということです。今回の我が教団に対する解散請求が出た時に、多くの食口は、これは国家による宗教迫害だという考えを持ちました。現政権が反対牧師、反対弁護士、共産主義勢力、教会を離れて恨みを持った元教会員などに影響を受けて宗教迫害を行ったという考えです。この考えは受け入れやすい考えだと思います。なぜなら私たちは被害者だという位置づけだからです。アダムも自分が罪の張本人ではなく、エバの罪に巻き込まれた被害者だと思ったのです。

悪いのは自分ではないというのは、気持ちは軽くなりますが、根本的解決から遠ざかります。

 

アダムの例から分かるもう一つのことは、悔い改めないと蕩減期間がとてつもなく長くなってしまうということです。また災禍が次々に襲い掛かってきます。人類歴史は悔い改めない人間と災禍の連続だったと言っても過言ではありません。

 

これらのことは裏返せば、もししっかり悔い改めることができたら全く違うステージが現れ蕩減期間も劇的に短縮されることを意味しています。

ここで重要なことは何を悔い改めるのかということです。

悔い改めるべき公的内容

 

日本の初代教会長だった久保木会長が在位の終わりのころの期間、お父様が久保木会長に言われたみ言が深く印象に残っています。それは「世の中で起こるすべての出来事を自分の責任だと思いなさい。」という内容でした。自分とは関係ないように見えることも、自分に関係している、自分が原因で起こっている、これが信仰者とりわけ祝福家庭、食口の基本姿勢だと思います。

天の父母様と真の父母様が勝利された今、残るのは子女の勝利だけです。私たちが、様々の事件、事故、自然災害を他人事にように捉えるのではなく、すべてのことを当事者意識で捉えることが絶対に必要とされる時代圏に突入しています。事実私達が原因で起こっています。

 

良心の声に耳を傾けてみれば、お父様のイエス様の十字架のような聖和やお母様の侍墓三年路程はすべて私たちに責任だと教えてくれるはずです。

私たちが、この良心基準での悔い改めができていないので、コロナパンデミックが起こり、ウクライナへのロシアの侵攻が起こり、安倍元首相の殺害事件が起こりました。私はその頃、次は私たち食口が打たれる番だと感じてホームページで訴えてきました。

 

今までの宗教迫害は、アベル圏が次子圏だったので邪悪な長子の責任を次子が清算するために起こってきました。長子を守るために次子が犠牲になるのが原理だからです。

いまだに私たちが次子の立場だと考えている方がいますが、それは間違いです。サタンが持っていた長子権は勝利された真の父母様に移っているのです。このため長子は私たちです。

そして、この世界の主権者も、キリスト教会も、世の中の人々も真の父母様を信じ従う私たち以外はすべて次子です。

だから長子である私達の失敗の責任を次子である世界の人々が背負ったのが、コロナでありロシアによるウクライナ侵攻でした。長子の失敗を次子が背負うという原理通りのことが起こっているのです。しかし、私たちの多くは他人事のようにとらえていました。

これらの災禍について私たちが自分の責任として悔い改めないので、安倍元首相が次子圏を代表して代わりに命を捧げました。

 

この次子圏の最高の人物である安倍首相の暗殺は、次子が打たれるだけ打たれたことを意味しています。次子が悲惨な血を流したので、次は長子が責任を取る番だということを示しています。

しかし、それでも私たちが悔い改めできていないので、今回の教会に対する解散請求が起こったのです。

私たちが真っ先にすべきことは、反対勢力の正体を暴いたり、マスコミや国に抗議文を送ったり、弁護士を立てて法的対抗策打ち出すことだと思いますか?

これらが必要ないと言っているのではありません。その分野で活躍される人は重要です。しかし、それらは悔い改めの基台がなければ残念ながらほとんど効力を発揮しません。

 

お母様に、日本は法的闘争しますと報告した時に、お母様は「やるなら必ず勝ちなさい」と言われたといいます。これは子女が法廷闘争を選択したので、そう言われたと考えるべきです。日本の教会が法的次元の戦いに終始すると良い結果にはならない可能性が大きいです。

2023年10月13日に天心苑の李基誠苑長を通してお父様が下さったみ言を聞いて甘くないことを思い知らされました。

霊界では悪の勢力との戦争で負けたとは思わない。何度躓いても立ち上がる、何十回躓いても立ち上がるつもりだ。そして天の父母様がおられるところまで走っていくのみだ。日本の教会が解散となっても放棄しない。」

「教会が解散しても放棄しない」と言われていることは、お父様は解散の可能性が十分あると考えておられることを示しています。

 

状況は私たちが考える以上に深刻です。

WHOのデータによれば2023年3月5日時点で、全世界のコロナの累積感染者数は7億5926万9904人、累積死亡者数は686万5624人です。

ウクライナ戦争では、ニューヨーク・タイムズが2023年8月18日、複数のアメリカ当局者の話として、ロシアとウクライナ双方の兵士の死傷者の数が、あわせて50万人近くにのぼっていると伝えました。(ロシア側の死者はおよそ12万人、ウクライナ側の死者はおよそ7万人)

 

韓国が真の父母様を受け入れずに起こった韓国動乱では、北朝鮮側の死者250万人、韓国側は133万人で死者の大多数が一般市民だったといわれています。合計の死者は383万人です。これよりはるかに多い人がコロナやウクライナ戦争でなくなっています。韓国動乱を遥かに超えるような悲劇が起こっているのです。私達の罪がいかに大きいでしょうか?

 

私達の不信仰を次子圏が死をもって償ったのです。余りにも深刻です。本来なら私たちが背負うべき罪です。

イエス様を十字架につけた12弟子やパウロを始めとした使徒たちはほとんど酷いやり方で殺されました。

長子はもっと責任が大きいのです。血の代償は当然の事態です。

私たちがお父様を十字架につけた代償をお母様が侍墓三年路程で背負ってくださいました。

それでも私たちが悔い改めないので、コロナやウクライナ戦争が起こって多くの人が命を失いました。しかし私たち他人事のように考えてきました。

 

そのようなどうしようもないほどに不忠、不孝な私たちです。それでも真の父母様は私たちを愛してくださっているのです。それも分からないようなら、この道に何のために来たのかと霊界からも讒訴されます。

このような私たちにわずかな条件で蕩減する道を与え、復帰摂理を進めるために真の父母様が与えてくださったのが天心苑特別徹夜精誠です。

この祈祷会に参加してわずかな精誠を捧げることで罪を赦し、真の父母様の長子としての威信と体面を保つようにしてくださったのです。ですからできるだけ多くの食口、祝福家庭が参加されるように働きかけをお願いいたします。

できるだけ多くの食口が、何よりも最優先でこの祈祷会に集合し、深い悔い改めの祈りをすることが重要です。

 

私達の悔い改めが十分か否かは、解散請求が実行されるか、それとも避けられるかで分かります。解散になったら、また責任を果たせなかったことになるので、考える以上に悲惨な状況になるのは明らかです。私たち祝福家庭の一世、二世、三世が血で贖うことが起きると考えるべきです。甘くないと覚悟することが求められます。

​今度は下記の写真のような事態が私たちに降りかかります。

コロナの死者.jpg
ウクライナの遺族_edited.jpg

悔い改めと恩恵

 

悔い改めをなすための基礎となるのは、天の父母様と真の父母様がいかに私を愛しておられるかを深く知ることです。愛されていることを気付いた分だけその愛を裏切った自分の姿が強く浮かび上がり、自然と悔い改めの心情に至ります。

 

息子が自分を生かす為に気をもむ父母の情景を見れば「私のお父さん、お母さんが私の為にあのようにしているんだなあ」と思い、計り知れない罪を全て悔い改めるようになります。そのようなお母さんがいて、お父さんがいるならば、その子女は骨が溶けてやせるほど悔い改めるようになるのです。父母によってそのようにする事ができる道が生じるというのです。「人間の生と霊魂の世界」第二章 霊界はどのような所か 二 天国と地獄 6.天国と地獄は自らが選択する

 

天の父母様の愛については前回アップした「天心苑―良心基準で天の父母様に祈る聖地」をご覧ください。天の父母様の愛をより深くお知りになりたい方は多少難しくなりますが「神様の意識の中で生活する人類Ⅰ」、「神様の意識の中で生活する人類Ⅱ」、「総論Ⅱ 真の愛の観点から見た創造 神様の精誠」などをご覧ください。

 

天心苑では恩恵を強調されます。恩恵は復帰を早めるためであると同時に、恩恵によって神様とご父母様の愛に触れ、それによって深く悔い改めに導かれます。

また悔い改めることで更に恩恵と愛を受けることができるようになります。恩恵を悔い改めは二つで一つです。悔い改めた分だけ恩恵があり、恩恵があった分だけ悔い改めることができるのです。

悔い改めを起点とする重生と堕落性からの解放

 

天心苑では重生の役事が起こっています。現在は病気の奇跡的回復などの外的な役事の証詞が多いですが、恩恵が大きくなるにつれて人間自体の根本的な変革という内的な役事が起こってきます。すなわち重生についての本質的な証詞が増えていきます。つまり、ずっと引きずってきた堕落性が消え、過去の自分とは違う姿に変わったというような証詞が現れてきます。

重生のためには自分を完全否定することが願われます。生命が誕生する時点では自己意識はありません。再誕生である重生はお母様の胎中に入る所から始まります。そこに自己意識があってはお母様の胎中には入れないのです。このため徹底した悔い改めによって自分がない心情に至る必要があります。

これができた分だけ生まれ変われるのです。そうすればその分だけ神様の愛を強く感じるようになるのです。重生のためにも悔い改めは絶対に必要です。

 

しかし、体がばらばらになり、胸が裂けて、骨髄が溶ける立場、体の中にあるのか体の外にあるのか分からない境地、ただ神様やイエス様とのみ通じることができる境地に入るとき、初めて聖霊が臨むのです。聖霊が臨むことによって、霊的な赤ん坊として再生することのできる霊的重生の役事が起こるというのです。

皆さん、そのような体験がありますか。そのような体験がない限り、まだサタン世界の息子、娘だということです。まだサタンの讒訴を受けざるを得ない人だということを皆さんは知らなければなりません。そのような人は、天国に行くことはできません

祝福家庭」第一章 真の父母と祝福 二 真の父母と重生と血統転換 2.重生摂理の核心 ②重生しようとすれば

天心苑精誠で起きる重生現象は堕落性がなくなっていくということで確認できます。

堕落性は自分でどれだけ脱ごうとしても脱ぐことができません。何故でしょうか?堕落性本性というようにこれは後天的なものではありません。先天的な自分そのものの本質だからです。後天的なものは自分の努力で変えることができますが、先天的なものは生まれ変わらない限り変えることができません。

自分で努力すれば変えられると信じている人もいますが、堕落性はそんなに甘いものではないのです。イエス様が新しく生まれなければ天国に入れないと言われたのはこのためです。

 

堕落性を本然の創造本性に変えてくれるのは重生だけです。神様と真の父母様が勝利されたので天心苑において重生の仕組みができ上っています。

キリスト教を含めいかなる宗教を信じ、どれだけ悔い改めても本質は変化しません。しかし、天心苑で心の底から悔い改めると悔い改めた分だけ重生の役事が起こります。つまり堕落性が消えていくのです。悔い改めた分だけ神様と真の父母様が私に入り再創造の役事を行うことができるのです

そして悔い改めるにしたがって徐々に本然の自分の姿が現れてきます。このような役事が起こる宗教は歴史的に一つもありませんでした。正に驚天動地です。

 

堕落性の強い人ほど悔い改めることができません。堕落性まみれな人ほど自分は変える必要はないと思っているのです。自分に酔うほどの人であればあるほど自分の堕落性に気付かないし、認めようとはしません。そのように堕落性が強い人が神様の摂理を遅らせてきました。

 

その様に自己陶酔に陥って生きる男性が世の中に多いという事が問題であり、歴史が悲劇として流れてきた原因であるというのです。自己陶酔に陥ってしまっている世の中を改善し、変化させてきたのが、神様の摂理だったという事を知らなければなりません。(祝福家庭と理想天国I-三四一)

 

深い祈りによって良心の底の奥底まで下りていく必要があります。そこで良心の声を聴く必要があります。そうすると堕落性に満ちた自分の醜い姿が見えてくるのです。

それに気付き自分を恥ずかしいと思う所から悔い改めが始まります。

 

父母の前で堂々と出来ない自分、師の前で恥ずかしい自分、国の君主の前で恥ずかしい自分、神様の前に恥ずかしい自分です。そうである為に、「悔い改めよ」と言うのです。本郷に帰るには、悔い改めなければならないのです。「地上生活と霊界」第六章 我々と霊界入籍 三 霊界入籍 3三大主体思想と入籍

 

良心基準の高い人ほど今の自分を変えたいと切望しますが、いくらもがいてもできません。しかし、天心苑で悔い改めると悔い改めた分だけ堕落性が消え、創造本性が蘇ってきます。そのポイントとなるのが良心基準での悔い改めだと感じます。再創造の役事が起きるだけの悔い改めの基準に到達しているかは自分の良心が良く知っています。

個人次元での悔い改めるべき内容

 

・アダム・エバ問題

非原理的な愛にとらわれた過去に良心基準で後ろめたい、恥ずかしい自分がいる場合、この問題はあいまいにせず、徹底的に悔い改める必要があります。

悔い改める内容の中でアダム・エバ問題は一番影響が大きく痕跡をなくすのが簡単ではない問題です。告白文を書いて天が取ってくださったとしても、自分の良心が引っかかるなら悔い改めは不十分です。(異性にあこがれを持つのは本然的な兄弟姉妹の愛です。これは本然的な美です。悔い改めの対象となる経験ではありません。しかし、堕落的異性愛は、初期においては一見これに似ているので注意が必要です。)

 

アダム、エバ問題が恐ろしい理由の一つは、非原理的な愛の情感が心の深い所に残ってしまっているということです。アダム・エバの情念は非原理的な夫婦の愛の情感です。神様と人間の親子の愛は最強の愛ですがこれ以外で最も強いのが夫婦の愛です。この情感は告白文を書き、何度も悔い改めたとしても甘美な情感が残ってしまっている場合が多いのです。この情感は消えたように見えても心の深い所にしぶとく居座ってしまします。この情感は創造力をもっているため堕落性として定着します。そしてこの情感と堕落性に相対基準が合う悪霊、恨霊を呼び寄せることになります。

 

この情感の恐ろしい理由がもう一つあります。それは人類始祖の非原理的な夫婦の愛の情感がアダムとエバ自身をサタンの似姿に造り替えたということです。そして全人類が天使長に似姿に再創造され、あらゆる堕落性の根源が形成されました。それは堕落性の普遍相と呼んでも良いものだと思います。それが具体的な夫婦の子供として誕生する時に、先祖からの堕落の情感と夫婦間の愛で生じる堕落の情念に従って、具体的な個別的堕落性実体として形状化したのが私という存在です。私という存在を形成したのは愛なのです。その愛が堕落愛ならば堕落人間という実体になるのです。

愛から性相が生まれ、性相が形状化して実体となるというのが原理です。

 愛 ⇒ 性相:愛の形状化⇒ 実体:性相の形状化

他者中心である真の愛から創造本性という性相が生まれ、創造本性という性相が実体化したのが本然の人間です。神様と他者の為に生きたいとい心情が無意識に溢れて止まらないのが本然の人間です。

為に生きたいというのが本然の人間の自然の情です。

 真の愛(他者中心愛)⇒ 創造本性 ⇒ 本然の人間 

サタンの愛である自己中心愛、利己愛から堕落性本性という性相が生まれ、堕落性本性という性相が実体化したのが堕落人間です。

堕落人間は無意識的に思考、行動の全てが自己中心です。無意識的自己中心なので自分が自己中心であることにも気付きません。自己中心は堕落人間の自然の情です。強く意識しないと為に生きることができません。

 サタンの愛(自己中心愛)⇒ 堕落性本性 ⇒ 堕落人間 

重生するためには堕落性をなくそうと努力するだけではだめなのです。更に根源の愛を変えてしまわないと不可能です。根源の根源にさかのぼる必要があります。そうしないと無意識から出てくる自己中心の情を変えられません。これを実現するには真の愛の実体である真の父母様によって重生する以外にありません。

血統転換を成すためにはアダムの骨髄まで、骨肉の中心部まで入って、将来の子供となるその種に神様の愛と結束された勝利的条件を充足させなければ、神様の子女として生まれることができません。これは理論的に間違いないものです。聖書にそのようにしてきた記録があるからです。そうだとしたら、聖書は神様のみ言だというのです。「罪と蕩減復帰」第二章 罪、人間堕落の内的意味 六 真の父母の祝福と血統復帰 1メシヤとして真の父母が必要だ

重生するには真のお父様の種、神様の種にまでさかのぼってつながる必要があります。それは真のお母様の胎中に結集しています。

お母様の胎中は神様の愛、お父様の愛、お母様の愛が結集している再生基地です。天心苑がお母様の胎中だというのはそういう意味です。天心苑は真の愛の根源地なのです。根源から重生するための根本的解決策がそこにあるのです

 

アダム・エバ問題は別の観点から見ると、兄弟が姉妹に対して、姉妹が兄弟に対して情欲を抱くことを意味しています。これは人類一家族世界の最大の破壊者です。兄弟が姉妹に対して情欲を抱く、姉妹が兄弟に対して情欲を抱くのは人類始祖が始めた強烈な堕落の痕跡です。

この情念がなくなるまで悔い改めて神様と真の父母様の再創造の役事を必死にこい願う必要があります。本然の兄弟姉妹の愛を失ったので、重生の役事によって本然の兄弟愛を取り戻す必要があります。

 

私達の中に先天的な堕落性があるのは、人類始祖アダムとエバの間に生じた神様と関係のない横的な自己中心愛、利己愛が生み出したものです。この人類始祖から受け継いだ自己中心愛、利己愛をいかに悔い改めきるかが重生を成し遂げるための最後の関門となります。この自己中心愛、利己愛が私という存在を作っています。私たちが捨てられるような不良品である原因がここにあります。この根源愛を神様と真の父母様の真の愛に完全に置き換える必要があります。これが重生の真の意味です。

 

今日、人々は、自分の生活を中心として、善悪の分岐点と公私の分岐点で、内外にひっくり返って行ったり来たりして、結局は私的におぼれる場合が沢山あります。しかし、その様になれば、滅びるのです。ですから、過去は私的な生活であったと悔い改め、再び公的な生活の為にこれを歯を食いしばってやらなければなりません。そうして行ったり来たりして私的な側に入り込む時が多くなり、そうしてみると公的な善とは遠ざかる生活をします。これが今までの信仰生活です。それ故、私的な生活をする全ての人達は、悔い改めなければなりません。(三一―二四一)「地上生活と霊界」第二章 死と霊界 二 死に対する理解 7 死ぬ前にすべきこと ⑥公的な仕事をせよ

 

この真の愛を受け継いだら本然に私が戻ってくるのです。そうなれば為に生きたり、喜んで犠牲になったりするのが本性になるのです。イエス様や真の父母様のような自分が誕生するのです。

このためにも自分の中にある、真の愛とは真逆の自己中心愛、利己愛を徹底的に悔い改める必要があるのです。この自己中心愛、利己愛が堕落性の根源となっており、そしてそれに呼び寄せられて悪霊、恨霊、中心恨霊がやってきます。中心恨霊が分立されれば重生が起こり堕落性が脱げると共に、重生によって堕落性が脱げるに従って中心恨霊が分立されます。

自分の存在の中心核にある自己中心愛、利己愛を悔い改めることが重生にとって必須となります。

自己中心的、利己的な自分に吐き気がするほどに悔い改める人がいるならば、天が孝子として認めてくださることは確実です。

 

エデンにおいて愛を失ってしまいました。悔い改めなければなりません。エデンにおいて、涙を流しながら神様とアダムとエバが惜別したその何十倍、何百倍の痛哭をしなければなりません。涙と鼻水とよだれの三つが流れ、これがへその線を通じ、あの生殖器を経て落ちなければなりません。これが罪を犯したのです。

「宇宙の根本」第三章 人間堕落と復帰  一人間堕落の内的意味 1人間堕落は愛の事故だった

 

・公金横領

公金とは自分が相続して得た資産や自分が稼いだお金など、自分が所有しているすべてのお金や資産を指しています。教会の財産としてのお金だけを意味しているわけではありません。教会のお金を自分のものとして使ったことはないので自分は公金横領をしていないと考えるなら大きな間違いです。(詳しくは「歴史をひっくり返す経済の大変革を起こす時が来ました」をご覧ください。)

 

公金横領の根源にあるのは万物に対する強い執着心です。堕落世界では私有財産を持つことが憲法によって保証されています。お墨付きをもらっているのでそれが常識と考えています。しかしこれは明確な公金横領です。この万物に対する強い執着心は明確な堕落性です。真の父母様を見ると分かるように自己所有しようという意識が皆無です。

万物に対する自己中心愛、利己愛を基盤とする私的所有欲を徹底的に悔い改める必要があるのです。この万物に対する執着はそれに相対基準の合う恨霊、悪霊を呼び寄せます。そして私の中に居座り万物への執着をさらに強めます。

この堕落性がある限り経済格差はなくなりません。天国実現は不可能です。

自分が他の人より豊かである場合、自分には天賦の才能や能力があり、天に功績を積んできたのだから当然だと考えるとすれば、霊界で歓迎する人は誰もいません。自分が他の人より他の食口より豊かならば落ち着かないのが本然の人間です。平準化は当然なのです。

 

・心情蹂躙

心情蹂躙は自己中心愛、利己愛によって他の人に接する時に生じます。他人よりも自分が大事だという姿勢から生じます。「自分>他の人」という心情姿勢がある限り心情蹂躙は消えません。

これを解決する道は自分の中にある「自分>他の人」をどれほどまでに徹底して悔い改めきれるかにかかっています。これも本然の兄弟愛が失われたことで起こっています。これは公金横領からの解放以上に難しい内容です。

しかしこれができない限り天国はできません。また天国には入場できません。

天国は「自分<他の人」という心情姿勢が本性になっている兄弟姉妹が集う所です。

 

このように見ると堕落性と堕落性から生じた罪を悔い改めることが祈祷するにおいて重要です。そして最終的には自分の中の強烈に居座っている自己中心愛、利己愛を悔い改めることができるかが最重要です。これを悔い改めることが重生への最終関門となります。

そしていかに為に生きる自分になれるか真剣に向き合うことが願われます。天心苑祈祷でも自分のことを祈ると共に、為に生きる祈りが必要です。霊界で私たちを協助してくれる絶対善霊の復活のこともいつも配慮すべきことです。

 

霊界に行っている人々も、私達を通じてこそ救われるという事は知っています。ですから、霊界に行った人々の為に与えれば、霊界の恵みが皆様を訪ねてくるのです。そのように霊界の為に蕩減してあげ、悔い改める人になれば、その霊界が皆様に従ってくるというのです。霊界が皆様を中心として全て動いて行くというのです。蕩減と悔い改めがこのように重要だという事を知らなければなりません。「人間の生と霊魂の世界」第二章 霊界はどのような所か 三 霊界と地上人の関係 4.霊界の協助と確信

 

このような本然とはかけ離れてしまった私たちは、食口、祝福家庭であるにも拘らず自分でも気づかないうちに多くの罪を犯しています。この罪が集積した結果として今回の解散請求が起こったのです。いわれなき迫害と捉えたり、誰かのせいにしたりするのは間違っています。

すべて自分が原因だとして捉えて悔い改めるべきなのです。

このような姿勢で天心苑祈祷会に参加する人が増えれば解散請求問題は解決されます。

自分の命よりもお母様を愛する心情が短期間で勝利するカギ

 

私たちの目標は天の父母様と真の父母様の完全な似姿になることです。

これを実現するには私の内に神様と真の父母様をお迎えして重生の役事をしていただく必要があります。それには私が自己意識をなくしてお母様の胎中に入る必要があります。そのためには堕落の自己を完全否定する必要があります。それが悔い改めの一番重要な意味です。

それと共に、お母様の胎中に入るためにはお母様を自分の命以上に慕うことが到達点となります。

四六時中お母様を慕い、お母様の夢を見るほどの慕い方が理想なのです。

そのためにはお母様のみ言を読んだりお写真を見たりすることが必要ですが、短期間でその心情を得るには映像が近道です。

最後にワンオンマを宣布されるお母様の映像をご覧ください。

少しはにかみながらお母様をワンオンマと呼びなさいと言われる映像は極上です。

​⇒ ワンオンマの映像

悔い改めにより自己意識がない状態をさらに強めるためには真の父母様に対する絶対服従が重要です。絶対服従は自分という自己意識がなくなってしまっている状態です。意識が真の父母様に占領されている状態です。自己意識が入り込む余地がないのです。これは神様と真の父母様を恋慕う生活をすることで実現されます。

​神様と真の父母様に恋焦がれている状態です。

寝ても覚めてもいつもアボジ!オモニ!です

真剣にこれにチャレンジしてみませんか?

重生の役事は始まったばかりです。重生を成し遂げた人はまだ誰もいません。信仰生活の本当のゴールはこれです。 

一番乗りを目指しましょう! 

絶対服従とは、神様御自身までも存在意識がないというのです。・・・絶対服従は、自分という意識がありません。相対としての存在意識だけなのです。「真の家庭と家庭盟誓 」第二章 家庭盟誓の各節の解説 八 家庭盟誓第八節の解説 2 絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって ① 創造原則と絶対信仰、絶対愛、絶対服従

​​⇒ 天心苑役事:イエス様誕生と同じ公式で再誕生

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