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神様が血を流して用意された復帰摂理

サタン主権下で神様はどうして復帰摂理を成すことができたのでしょうか?(復帰摂理の謎の解明)

 

原理講論の後編の緒論を見ると神様とサタンの関係について下記のように書かれています。

 

このような中間位置にいる堕落人間を、神はどのようにしたらサタンから分立させることができるであろうか。サタンは元来、血統的な因縁をもって堕落した人間に対応しているのであるから、あくまでも人間自身が、神の前に出ることのできる一つの条件を立てない限り、無条件に彼を天の側に復帰させることはできないのである。一方においてサタンも、これまた人間の創造主が神であることを熟知しているので、堕落人間自身に再びサタンが侵入できる一つの条件が成立しない限りは、かかる人間を無条件に奪っていくことはできないのである。それゆえ、堕落人間は彼自身が善なる条件を立てたときには天の側に、悪なる条件を立てたときにはサタンの側に分立される。

 

このみ言を見ると神様とサタンは人間を主管できる権限が同等であるかのように取れなくもありません。


実際私たちは原理講義をする時に、下記のような図を用いることが多いと思います。

神様の血による復帰摂理

人間の堕落によって創造主としての神様と血統的因縁を結んだサタンが同等の立場なら、下記のみ言にあるように神様が囹圄(牢獄)におられるという内容と合わなくなります。

 

アダムとエバが完成して息子、娘を生んでこそ、実体的な神様の姿になります。しかし、サタンの息子、娘になりました。天使長の息子、娘になりました。神様と関係のない息子、娘になったのです。ですから、完全に否定しなければなりません。血統を汚したので、神様が思いどおりにできません。

愛する女性とあす、あさってに結婚しようというのに、山賊が盗んでいったも同然です。そのように山に入って、盗んだ物で生活し、息子、娘を生んで一つの民族になったのです。昔、結婚の約束をしていた男性がその姿を見たとき、どれほど惨めでしょうか。神様が全知全能だといっても、天使長を思いどおりにすることはできません。天使長を葬り去ることはできない状況で、その血肉が混ざった息子、娘全体を葬ってしまうことができるかというのです。ですから、神様は、囹圄(牢獄)の身です。監獄に閉じ込められているというのです。

第八篇 信仰生活と修練 第二章 心と体の修練 第一節 修練とは13 2005.4.15

 

事実は神様の立場はサタンに対して極めて劣勢です。神様は創造された被造世界をすべて人間に相続されて、自らは人間の心の中に住もうとされました。そして、人間の体を着て世界を愛で主管される予定でした。しかし、その人間がサタンの主管下に落ちれば、神様は住む所がなく追い出されることになります。この世界に神様の居場所はありません。牢獄のような、この世で一番悲惨の所しか居場所がないのです。

それではサタンはどうでしょうか。彼は神様が人類始祖に与えられた祝福をすべて持っています。被造世界における長子権、父母権、王権です。被造世界の王様はサタンなのです。神様が堕落世界全体を消滅されるという選択をされない限り、サタンに恐れるものは何もありません。サタンは、神様にはそんなことはできるはずもないと達観しています。サタンは神様のことを気にかける必要など全くない立場です。

また、サタンは自分が犯した罪は許されることはないことを知っています。自分の罪が許されないなら、神様を無視して何でも好き勝手にやってやると開き直ることもあり得たのです。

 

それほど多くの罪を許せる神様であるとするならば、エデンの園で一度犯した罪を、どうして許すことができないのでしょうか。 そうではないですか。また、サタンが許される道があったとするならば、サタンは悔い改めたことでしょう。千回、万回涙を流して悔い改めたことでしょう。

「礼節と儀式」第三章 礼拝と教会生活礼節 一 教会に対する正しい認識 1.教会はみ言と人格を総合するところ

 

アダムとエバの心にサタンが入って一つになったので、サタンの血統を受け継いだということです。愛の多い神様がなぜサタンを許せないのでしょうか。殺人強盗も許し、みな許すと言ったのに、イエス様を信じれば許されると言ったのに……。サタンを許すことができない理由とは何かといえば、人類の血統を汚したことです。それは何を意味するのでしょうか。神様の立場から見るとき、サタンは姦夫です。愛の姦夫。何のことか分かりますか。「罪と蕩減復帰」第二章 罪、人間堕落の内的意味 二 堕落はサタンを中心とした血統転換 1.怨讐の血統を受けた

 

人類始祖とサタンの堕落が単に天法違反であるなら、その違反がいくら大きくても神様はサタンと人類始祖を許されたことでしょう。しかし、堕落は天法違反に留まる犯罪ではなかったのです。堕落によって人間はサタンの似姿に再創造されたのです。サタンの血肉で出来ているのが堕落人間なのです。サタンを許すならこの事実も既成事実化することになるのです。ですから神様はサタンを許すことができないのです。

 

一方、神様は囹圄で囚われの身です。囹圄というのは牢獄につながれているということです。無力な姿と言えばこれ以上無力な姿はないことでしょう。

こんな状態で復帰摂理が出発できるとは思えません。

 

神様が復帰摂理をなされるのは当たり前と思ってきた私達でしたが、ここには大きな謎があるのです。

一つ目の謎は、サタンは、復帰摂理をなそうとなさる神様に反対して神様の登場自体を拒否することができたのではないかということです。堕落以前は、神様は万王の王でしたが、堕落後は獄中です。一方、サタンは神様に代わってこの世の君、帝国の帝王なのです。「神様、この世界はあなたとは全く関係ありません。何の権限もありません。獄で大人しくしていてください。」と言うこともできました。サタンがもしそう言ったなら神様は言葉に詰まってしまいます。

 

もう一つの謎は、復帰摂理が進むにつれてサタンは少しずつ追い詰められていったのですが、途中からでも神様の関与を拒否することもできたはずなのです。サタンにはそれだけの権限があるのです。そんな中で、神様はどのようにして復帰摂理を維持されたのかという謎です。

次のみ言がその謎をさらに深めます。

 

この天地の大主宰者であられる神様をサタンも無視することができません。自分の業を実行するためには、必ず善の神様の決裁を受けたのちに行動をするのです。その悪なることで神様の理想世界を破綻させるのです。「宇宙の根本」 第二章 五、生殖器を通して天国と地獄が分かれる

 

どこにも居場所がないような牢獄の神様に、サタンが決済を仰ぐのはどうしてなのでしょうか?これを見ると神様は堕落後のサタン世界においても神様の位置を失わないでおられることが分かります。どうしてそんなことができたのでしょうか?

それには二つの理由があると考えられます。

 

*理由1

神様が人間や天使の罪を問うときにも四位基台の形をとられます。

すなわち神様(裁判官)を中心として訴える者(検事)と訴えられる者(被告)という形です。罪を問うには訴える者が必要です。サタンは検事として人間の罪を神様に訴えます。サタンの訴えが正しいものであれば神様はそれを聞き入れ人間を処罰しなければなりません。

神様の子女であった人間の罪を神様に訴え、人間がいかに出来損ないかを神様に思い知らせる、そして人間を地獄に引っ張っていく。これは神様と人間に恨みを晴らしたいサタンにとっては、この上なく甘美な楽しみなのです。極上の喜びの場なのです。

 

一方、サタンの罪を知るものは誰もいません。裁判官である神様はよくご存じですが、罪を定めるには検事が必要なのです。ですからこの環境はサタンにとっては天国なのです。

神様を決裁者の位置に置いたままにしておくことで、サタンにとっては神様と人間に恨みを晴らす極上の舞台が出来上がるのです。これは神様を全く登場させないよりも圧倒的に喜びが大きいのです。

 

神様がサタンを原理で審判すれば人間も審判しなければならない上に、サタンが神様を完全に拒否する可能性が大きくなります。それでは神様が復帰摂理を行うことができなくなるので、審判を保留されたと考えられます。

 

アダムが罪を犯したのですが、サタンがどうで、アダムとエバがどうだということについて神様はいまだに審判していません。追い出しはしましたが、神様が今でも救いの摂理をしているので、サタンに讒訴されながらも審判することができなかったのです。このような問題は神学的に見て大きな問題です。なぜ処理できなかったのでしょうか。全知全能の神様がなぜ悪魔を処理できないのかというのです。「真の神様」第四章 真のお父様の見た神様 四 サタンを処断できない理由 2.神様は法度を守られる

 

*理由2

神様は人類始祖に与えた三大祝福がサタンのものになったとしても、愛の絶対性を守るためにサタンを三大祝福の基、愛の基として愛さなければならないことをサタンはよく知っています。

神様はアダムとエバを祝福し、神様の持てるすべてを相続させ、人間に絶対服従する愛の喜びを享受されようとされました。これをそっくりそのままサタンにしてあげなければ愛の絶対性は崩壊します。

 

サタンにとってみれば、神様の持てるすべてを与えられ、神様が仕えてくださるのですから、こんな特権を行使しない手はないのです。サタンが王様、帝王として君臨するに相応しいように神様が整えてくださるのです。サタン王国、サタン帝国の僕ともいうべき人間をサタンの血肉を材料として増やし、サタンの血統が増えるように働き、万物的繁栄を謳歌できるようにされるのです。神様も人間もサタンにとっては仕える僕です。

王の位置で世界をすべて自分の思うように支配したいというサタンの欲望が叶うのです。それを神様がしてくれるのです。それなら神様を神様の位置に留めておいた方が得策なのです。

 

理由1、理由2を通して、サタンにとって神様はなくてはならない存在となったのです。

神様はサタンの欲望を利用して、その欲望を満足させてやることで神様の位置を守り復帰摂理を成すことができたのです。

​​神様はサタンに対して自分という意識がない真の愛の姿勢を貫き、サタンの欲望に絶対服従され利用されることを通して復帰摂理を維持してこられたのです。別の言い方をすれば、神様の愛がサタンを占領したということです。

 

神様は怨讐をたたき殺すのではなく、怨讐を愛したという条件と、怨讐であるサタンを、アダムに代わる立場に立つ人として愛したという条件を立てなければなりません。迫害を受けながら涙と血の汗にすべて打ち勝って、耐えに耐えて自然屈服させて、神様の愛を抱いて戻ってきて初めて祝福を受けることができるのです。そこでサタンは放してくれるのです。

「罪と蕩減復帰」 第三章 蕩減と復帰の公式 四 長子権勝利と父母権、王権復帰 1.長子権復帰

 

サタンとは何ですか。神様の愛の姦夫です……その怨讐サタンにエバを抱かせて今まで千回、万回讒訴すれば聞いてあげ、それを愛する立場に立っていたのです。それが神様の立場です。どれほど神様の立場が難しい立場かということを皆さんは知らないでしょう。愛する妻を怨讐に抱かせておいて福を祈ってあげることのできる男の立場、それ以上の立場が神様の立場であることを知らなければなりません。あなた方はそうすることができますか。「罪と蕩減復帰」第二章 罪、人間堕落の内的意味 五 堕落の恨、神様の復帰の心情 1.愛の怨讐、堕落の恨

常に柔和、謙遜で、その人がしようと言うとおりに従順、服従、屈服しなければなりません。それは、その人を完全に占領するためです。人だけを占領するのではなく、その人の全体を占領するための作戦です。したがって信仰世界においては、自分を否定し、代わりに相手の要求に完全に順応していく作戦を取らなければなりません。それは自分自体がなくなるのではなく、相手を完全に占領するための一つの作戦なのです。このようなことを生活において感知しなければなりません。第四編 真の人間 第三章 真の人間に復帰する道 第三節 真の人間の生活20 1971.2.7

 

そのために神様は余りに悲惨で辛酸を舐め尽くす道を行かれたのです。

復帰摂理の発展によって選民圏が拡大しサタンは次第に追い詰められていきますが、選民圏と言っても所詮サタンの血統なのです。

イエス様が降臨された時はさすがにサタンも真剣になりました。しかし、サタンにとってユダヤ民族、70人門徒、12弟子という自分の血統を通してイエス様を追い詰めることは難しくありませんでした。そして第二の独り子を殺害することに成功したのです。神様にとっては悲惨の悲惨だったのですが、サタンにとってこの事件はどれほど気が晴れることだったでしょうか。堕落人間を讒訴して地獄に連れていくのとは比較にならない喜びだったでしょう。神様が悲しみ、人間が不幸になるのがサタンの幸福です。何十億年、何百億年と神様に仕えても結局はすべてを人間に与えようとする神様への恨みが晴らせるのです。自分の苦労も知らず玉座に就こうとした人間に対しての恨みが晴れるのです。

このようにしてサタンは復帰摂理の中に無上の喜びを感じることができたのです。

 

神様が必死になろうとも結局は人間のだめさ加減に絶望する。人間は神様の願いに答えず、神様を裏切り、サタンの願いに沿って動く、このすべてがサタンにとって病みつきの世界です。

サタンはこの神様と人間に苦痛を与えて恨みを晴らすという病みつきの世界にはまっていったのです。全体として客観的にみれば復帰は確実に進んでいったのですが、サタンはこの病みつきの欲望に主管されることで自分を見失っていったのです。神様はその間に着々と摂理を進められました。

ルーシェルが情におぼれて堕落しサタンになり、この堕落世界が出来上がりました。しかし、恨みを晴らし利己愛を満足させたい情念に主管されてすべてを失ったのです。サタンは過分な欲望に主管されたのですが、神様はサタンの過分な欲望を利用して復帰を進められたと言えます。

 

神様にとってみれば、神様が我慢に我慢を重ねて徹底的にサタンに利用され、サタンの欲望を満足させることで復帰摂理を維持できるならば、サタンを屈服して本然の世界を復帰できるという確信があったと見ることができます。

神様の血による復帰摂理

神様が怨讐サタンを愛し続けてこられた理由

 

①愛の絶対性と原理の絶対性を死守するため

神様から頂いた三大祝福は堕落によって人類始祖からサタンに移りました。原理的には神様の愛の基はサタンに移りました。神様は原理の中心であり愛の中心です。神様がアダムの位置にいるサタンをアダムの代わりの存在として愛さない場合は原理の絶対性と愛の絶対性は崩壊します。

神様は姦夫サタンをアダムを愛するように愛することで生ずるとてつもない苦痛を避けることで得られるものと、苦痛に耐えて愛と原理の絶対性を守ることによって得られるものを天秤にかけられました。そしていかに血と汗と涙が流れようと愛の絶対性と原理の絶対性を守ると決意されたのです。

しかし、み言によればこの決意を固めるのに数千万年かかったというのです。

②復帰摂理を維持し続けるため

人類始祖の堕落によって、神様はすべてを失い玉座から監獄につながれる立場になりました。神様が神様として存在できない状態です。このままでは復帰摂理を成す足場がありません。別の見方をすれば、神様が神様の位置に立つことをサタンが良しとしなければ復帰摂理を成すことができません。

そのためにはサタンがそう認めても良いだけのものをサタンに与える必要があることになります。しかも、一時的にではなく復帰摂理が決着するまで途切れることなく与える必要があります。

サタンが最も欲しかったもの、すなわちアダムに注がれたような実の父母の愛と人間界における愛の基の位置です。神様はこれをサタンに与え続けることで摂理の神様の位置を守られたのです。

子供が親の言うことに従うのは愛を受けているという実感があるからです。夫婦の場合も同様です。愛を受けているという実感があるので子供は親を親として接します。子供が親から愛を受けていないと感じたなら親は親の位置を失います

アダムとエバの場合は神様から生まれ神様の愛を実感していたので神様を神様として当然のごとく感じていました。しかしルーシェルは神様の被造物ですがサタンは神様から生まれたのではありません。それどころか姦夫なのです。サタンにとって神様はあれだけ仕えたのに何も報いてくれない怨讐です。神様にとってサタンは怨讐ですが、サタンにとっても神様は怨讐です。

 

簡略化すれば、サタンが神様を父母と感じるところまで神様がサタンを愛せるかです。また、神様が姦夫サタンを子女のように感じるところまで情を投入できるかにあるのです

サタンが神様の決済を受けてから悪行を成すという下記のみ言の意味が長い間分かりませんでした。どうしてサタンは神様の決済を認めるのかというのが謎でした。しかし、これは神様が血を流しながらサタンを本然の子女として愛することで、サタンが神様を愛と原理の決裁者として受け入れた結果だったのです。

 

この天地の大主宰者であられる神様をサタンも無視することができません。自分の業を実行するためには、必ず善の神様の決裁を受けたのちに行動をするのです。その悪なることで神様の理想世界を破綻させるのです。 「宇宙の根本」 第二章 五、生殖器を通して天国と地獄が分かれる

復帰摂理を用意するために神様が流された血の跡

復帰摂理に出てくる神様の責任分担95%は繰り返し出てきます。当たり前のように出てくるので、神様にとってはたやすいことのように感じてしまいます。しかし、これを用意することがどれほどの愛の苦痛が伴ったかについて、私たちは知るべき時に来ていると感じます。

 

私たちは真の父母様の血と汗と涙の道については多少なりとも知っているのですが、その根っこにある怨讐を愛する道を行かれた神様の血の路程については良くわかっていないのが正直なところではないでしょうか。

もし、心情的に深い感性を持った人が世界を見たなら、あらゆる空間に歴史的に溜まりに溜まった神様の苦痛の血が溢れているのを感じることでしょう。

神様の流された赤い血は空間全てを満たしています。

​心情的な目で神様の流された血を見られた真の父母様は、何日も何日も泣かれました。そして神様の血が流れるのを止め、恨を解怨された御父母様によって、空間を染め抜いていた神様の血の95%は奇麗になくなりました。

しかし、まだ5%もあるのでいまだに空間は神様の血で真っ赤です。神様の創造理想世界に神様の血の跡が残ってはいけないのです。残った血の跡は、私たちが重生し全人類を重生に導くことで完全に消さなければならないのです。

​​神様に耐えがたい苦痛を与える堕落人間(堕落の衝撃Ⅲ)⇒

神様の血による復帰摂理
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