天寶登載家庭が重生できる理由と現実化条件
Ⅰ 祝福と重生についての原理講論の記述とお父様のみ言
① 原理講論の祝福と重生についての記述と重生の現実化
緒論には下記のようにあります。
堕落した人間はサタン分立の路程を通して、アダムとエバが成長した基準、すなわち、長成期の完成級まで復帰した型を備えた基台の上でメシヤを迎え、重生することによって、アダムとエバの堕落以前の立場を復帰したのち、メシヤに従って更に成長し、そこで初めて創造目的を完成することができるのである。
これは、長成期完成級でメシヤを迎え、重生して堕落以前の立場に復帰し、完成期を成長して完成するという意味になります。
長成期完成級が重生点ということになります。そして、完成期は本然の成長期間という意味合いです。祝福を受ければ、そこで原罪清算と重生が同時に実現するという表現です。
この講論の記述を正解とすると、約婚式、聖酒式、結婚式、三日行事を通過しても重生の実感がないという現実とのギャップを、整合性をもって説明できません。
そうするとこの記述は次節でお伝えするお父様のみ言とは違っているので間違っているのかといえば、そうではありません。
このみ言には「長成期の完成級まで復帰した型」という言葉が出てきます。復帰した型というのは条件的な観点で復帰した立場、あるいは復帰したような立場という意味です。この型という観点で「重生することによって、アダムとエバの堕落以前の立場を復帰したのち、」の部分を見てみましょう。長成期完成級まで復帰したのが型であるならば、長成期完成級での重生も型であり、アダムとエバの堕落以前の立場を復帰するのも型であると考えたほうが妥当です。これならば祝福を受けても重生の実感がないという現実とギャップがあっても整合性があります。なぜ型という表現を使う必要があったのかについは後述します。
しかし、次のお父様のみ言を見ると、祝福を受けるだけでは重生が実現しない理由について、原理講論には書かれていないもっと根本的な原因があることが分かります。
② 天と地の父母様が結婚されなければ重生は始まらない
皆さんは、お父様、お母様に会うためにどのようにしなければならないでしょうか。皆さんは、御父母様の前に直接出ることはできません。皆さんは血統が違うので、入籍するまでは相続権をもらうことはできません。
まだ、皆さんは入籍していません。先生の族譜に入籍しましたか。していないのです。では、いつ入籍するのでしょうか。祝福を受けたからといって、みな入籍するわけではありません。祝福を受けた位置は、長成期完成級です。七段階完成級の七年路程が残っているのです。それが原理です。その原理を中心として復帰していくのです。
「祝福家庭」第四章 祝福家庭と入籍 二 入籍のための条件1.所有権、血統圏、心情圏転換 ②血統転換
このみ言によれば、長成期完成級で祝福を受けても神様の血統になっていないので、相続権を頂くことはできない、神様の血統に重生して相続権を得るためには完成期の七年路程を歩む必要があるということになります。
下記は2011年天暦8月4日~7日に天正宮で語られた「天地共鳴圏と真の御父母様の聖婚」のみ言です。かなり難解ですが、重生について検証することにおいてもとても重要なのでご覧ください。
その祝福も本当ではないのです。サタン世界の網から抜け出すための条件です。祝福を受けて本当にひっくり返るべきなのです。真っ直ぐにならなければいけないのです。
先生も1次2次祝福はしました。3次が最後です。
真の父母となり祝福を受けたことはありません。
・・・・・・
先生は93歳ですが、今だ結婚式ができていません。お父さんお母さんがいなくなりました。
夜の神様 昼の神様の結婚式はありません。
その大きな事件を、先生が知りました。
先生を誰が結婚させてくれますか!?
・・・・・・
真の父母が結婚できなかったのに、誰によって結婚を受けるのですか?真の父母の(結婚の)日があなたたちの結婚する日になるのかが分からないですか。今まで原理を間違えて理解してきました。その日が必要なのか、そうではないか?答えは?(必要です)
・・・・・
神様も寡夫だし!昼の神様 夜の神様も寡夫達なのです!寡夫はいなくなります。先生のせいで、先生のせいでなくなることができません!…そうでしょう?…先生が必要だからその日を待っているからそれを…先生が知っている人が思い通りにできません。あなたたちははっきりと知りなさい。父母様の聖婚式、その日を同じ時間に祝福してあげるならばそれ以上の福はないでしょう。
天地共鳴圏と真の御父母様の聖婚 2011年天暦8月4日~7日 天正宮
これは基元節の約一年半前のみ言ですが、基元節の実現によってなそうとされる内容が述べられています。
意訳すると次のようになると考えられます。
「基元節を迎えるまでは真の父母も結婚しているとは言えない。なにしろ夜の神様も昼の神様も結婚できていない。神様が結婚していないのに、人間が先に結婚することはあり得ない。
基元節において歴史上初めて夜の神様、昼の神様、真の父母様の結婚がなされる。
真の結婚がなければ、真の夫婦にはなれないので当然真の父母にもなれない。基元節の聖婚式は真の結婚なので、神様も天の父母様となられ、真の父母も本当の意味で真の父母様となる。そこに皆さんも同参できることはこれ以上ない福だ。
今までの祝福はサタンの網を抜けるための条件としての祝福だ。しかし、基元節の聖婚式によって夜の神様、昼の神様、真の父母様の結婚が実現するので完全な父母が出現する。完全な父母が出現すれば堕落人間の完全な重生がなされる道が開門する。」
重生の実現は、私達祝福家庭の問題以上に、神様の結婚が実現していないというより本質的な問題があったことが分かります。
本来、人類始祖アダムとエバの結婚は、人間の結婚でもありますが、完成したアダムとエバの中身は神様です。このため、神様がアダムという陽性の体とエバという陰性の体を着たうえで為される結婚なのです。人間の結婚、神様の結婚、神様と人間の結婚が同時になされるのが本然の結婚なのです。(詳しくは、「夜の神様 昼の神様に関するみ言の解明」をご覧ください。)
しかし、人間の堕落によって一つずつ結婚を復帰していく必要があります。
1960年のご聖婚は人間としての真の父母様の結婚です。2003年の「天地父母様天一国開門祝福聖婚式」は昼の神様と真の父母様の結婚です。2013年の基元節における「天地人真の父母様聖婚式」は夜の神様と昼の神様と真の父母様の結婚という本然の結婚式です。これ以前の結婚は復帰のための結婚なので実質は結婚ではないということになります。このため、夜の神様も昼の神様も基元節以前は寡夫だということなのです。寡夫とは、妻と死別又は離別し、再婚していない男性、妻のない独身の男性を意味します。エバは神様の妻として予定されていたので許嫁(いいなずけ)です。神様はアダムの体を着て許嫁であるエバと結婚する前にサタンにエバを奪われました。このため神様は歴史を通してずっと寡夫だったのです。
神様も結婚していなければ父母にはなれません。以前は神様を天の父あるいは天のお父様と呼んでいましたが、現在は天の父母様と呼んでいます。基元節になされた本然の結婚によってついに天の父母様の立場を復帰されたのです。
基元節のご聖婚によって神様と真の父母様が完全に一体となられたことで、天地人真の父母様となられました。完全な父母が復帰されたことで子女の重生を実行できる基台が出来上がりました。裏を返せば、基元節以前においては完成した父母がいないので、生みかえるという重生の役事をすることができなかったということです。
③ 真の父母様の勝利圏があって初めて罪の清算や重生が起こる
罪の蕩減も重生も真の父母様の勝利圏があって、その勝利圏を相続することで実現するものです。
重生論序論でも述べましたが、真の父母様の歩まれた道は個人的な路程ではありません。全人類の罪を蕩減するための歩みでした。それは、復帰歴史の登場する中心人物や選民の犯した罪はもちろんの事、地上に生まれては死んでいった全ての霊人の罪、原罪となった人類始祖アダムとエバの罪に至るまですべての罪を蕩減し清算されました。それらすべて罪が全くなかった状態に戻されたのです。
その中にはAさんの原罪、遺伝的な罪、連帯罪、自犯罪、Bさんの原罪、遺伝的な罪、連帯罪、自犯罪、Cさんの、Dさんの・・・・・・・・・・・・・という風に具体的で個別的な一人一人の罪があるわけですが、それらすべての罪を完全に清算されたのです。それらは縦的横的八段階の勝利と基元節までの路程の勝利によってなされました。
ですから私たちは、自分の先祖の罪は何であり、連帯罪は何であり、自犯罪は何であるかを知り、具体的に一つ一つ蕩減復帰する必要はありませんし、知ったとしても蕩減復帰できるような生易しいものではありません。私たちはすべきことはそれらのすべてを私に代わって清算して下さった真の父母様に深い感謝を抱きつつ慕うことで、真の父母様の勝利圏を相続することです。具体的には祝福を受けることです。
祝福は相続式です。祝福によって真の父母様と同じ蕩減の道を歩み、全てを蕩減復帰した立場に立つのです。
端的に言えば、祝福を受けることで原罪、遺伝的な罪、連帯罪、自犯罪のすべてがきれいになくなります。これを命を懸けて信じているかがポイントとなります。命を懸けて信じることで罪の清算は完了します。そうなれば自分の罪の問題で悩む必要は全くなくなります。
私たちは、サタンの血統を受けたので、これを取り消す式をしなければなりません。その式が聖酒式です。私たちがサタン世界の血統の跡を残していては、神様のみ前で祝福を受けるということが、原理的な観点で絶対に不可能です。ですから、サタン世界から受け継いだすべての血統、それから今までのすべての罪を清算しなければなりません。罪の中には遺伝的な罪、歴史的な罪、個人的な罪などたくさんありますが、そのすべての罪が清算される条件になるのが聖酒式です。
・・・・・この一杯の聖酒を飲むことは何でもないようですが、そうではありません。皆さんが信じて飲む日には、そのような勝利的条件の基盤の上に立って、サタン世界の血統を切り、皆さんの先祖たちが犯した罪、先祖たちと結ばれたすべての縁故を切るというのです。 第五編 真の家庭 第二章 第三節 祝福結婚を通じた重生16 522P 1981.5.10
それで、出発する時、血統転換式をします。それを、自分の生命よりもっと信じなければならないのです。統一教会の一つの礼式だといって、ただ一般の宗教儀式として考えてはいけないのです。これは、死んだ立場から回生させる注射の薬と同じです。解毒注射です。
「地上生活と霊界」第一章 有形、無形世界での人間の存在 9出生の基準と生涯の基準 ①過った出生の基準
罪の清算と重生について一つ重要なポイントがあります。それは、罪の清算は祝福を受けて、真の父母様と祝福の恩恵を命がけで信じることで完了しますが、その後に即座に重生は起きないということです。祝福によって罪の清算はなされますが、それだけではサタンの血統として持ってしまった堕落性本性が変わるわけではありません。
重生は祝福を受けて後に、実子、母、父の勝利圏を真の父母様から相続する必要があります。それを成し遂げたと認定されたのが天寶登載家庭です。
Ⅱ 実体蕩減と条件蕩減
① 条件蕩減あるいは型の意義
再臨主は条件的な蕩減復帰ではなく実体蕩減復帰です。そのような闘いを経て来たので……。この世で勝利する為には、霊界で闘うのと同じ様にそれを中心として、全て実体圏を蕩減復帰していかなければならないのです。
「人間の生と霊魂の世界」 第三章 真の父母様と霊界 3 地上・天上地獄、真の愛による解放
このように闘って勝利した父母様の、すべての偉業を相続するという自負心をもたなければなりません。そのようにして、世界を一つの世界に追い立てていかなければならないのが、皆さんの責任です。先生は実体蕩減をしてきましたが、皆さんは条件蕩減をするのです。その条件的な運動が、家庭教会運動です。
第九篇 家庭教会と氏族的メシヤ 第一章 家庭教会 第三節 家庭教会の完成3 1977.1.18
実体蕩減は御父母様が歩まれた路程ですが、私たちが歩むのは父母の実体蕩減復帰の基台の上での条件蕩減です。それでは条件蕩減とはどのようなものなのでしょうか。
先ほど取り上げた原理講論の緒論には「長成期の完成級まで復帰した型を備えた基台の上でメシヤを迎え」とありますが、この型こそが条件蕩減です。
本然の長成期完成級と復帰における長成期完成級は同じではありません。お父様の自叙伝に10歳の時の逸話が出てきます。
十歳の時でした。大みそかの日になって、村じゅう餅を作るのに大忙しだったのに、暮らし向きが困難で食べる物にも事欠く村民がいました。私はその人たちの顔が目に焼き付いて離れず、一日中、家の中をぐるぐる回ってどうしようかと悩んだあげく、米一斗(一斗は十升、約十八リットル)を担いで家を飛び出しました。家族に気づかれないように米袋を持ち出そうとして、袋に縄を一本結んでおく余裕もありませんでした。それでも、米袋を肩に担いだまま、つらさも忘れて、勾配が険しい崖道を二十里(約八キロメートル。)も跳ねるように駆けていきました。おなかを空かした人たちを腹いっぱい食べさせることができると思うと、気分が良くて、胸がわくわくしました。
「平和の愛する世界人として」 第一章 ご飯が愛である
これが10歳における本然の人間の基準です。堕落人間の到達しうる長成期完成級の基準では到底及ばないレベルです。
長成期完成級と言っても真の父母様の勝利圏を相続することで条件的に実現する型なのです。
緒論にある「長成期の完成級まで復帰した型を備えた基台の上でメシヤを迎え、重生することによって、アダムとエバの堕落以前の立場を復帰したのち、」という記述もその観点で見て初めて理解できます。
これは、長成期完成級までに条件的に復帰した立場に立ち、条件的な重生したという立場に立つことでアダムとエバの堕落以前の立場に条件的に立つことができるという意味になります。実際は本然の長成期完成級の基準でなく重生もしていないけれども、真の父母様の勝利圏に基づくサタン不可侵圏があることで、本然の長成期完成級にあるかのような、重生したかのような立場に立つことができるということなのです。
② 実際の重生が起きる位置と条件蕩減(型)
長成期完成級での原罪清算と重生が型であるならば、実際の重生はどの位置で為されるのでしょうか。
重生を実現する一番重要な要素である縦的八段階を見てみましょう。
僕の僕、僕、養子、庶子、実子、母、父、神
これは長子権復帰の八段階ですが最後にある神というのは、神様が長子権を復帰されることを意味しています。それと共に神の段階は直接主管を意味する段階です。
重生というのは神様による直接的な再創造なので、人間が神様の直接主管に値する立場に立つ必要があります。堕落人間は本来完成期ですら行けるところではありません。まして完成することなど絶対に不可能です。
この問題を解決するのが型(条件的蕩減条件達成基準)なのです。真の父母様の実体蕩減の勝利と恩恵の上でなされる御業です。
人間が完成基準に入ったとしても、これはまだ血統的には完全に清算されていません。サタンの血統を受け継いだので、血統的にはまだ清算されていないのです。血統的清算をするには必ずメシヤが必要です。ですから、信仰基台、実体基台、メシヤのための基台が、堕落した人間には絶対に必要なのです。最後の問題は、どのようにメシヤのための基台をつくり、メシヤを通して自分が血統転換を成し遂げるかということです。
第四編 真の人間 第三章 真の人間に復帰する道 第二節 祝福を通した復帰の道7 1972.5.7
なぜ、『家庭教会』が必要かというと、今までの統一教会の祝福は天使長家庭だからです。堕落する可能性がいくらでもあるのです。なぜ、『家庭教会』か。天使長家庭からアダム家庭に帰らなければ、永遠に地上には天国は顕現しません。・・・天使長の血統をアダムの血統に切り替える復活の理論を知らなければなりません。FAXNEWS106号 1994・9・13 アラスカ・日本家庭協会特別修
今日の統一教会の祝福家庭は長成期完成級で天の側の天使長として結婚した立場です。‥‥‥この家庭は直接、天国に入れないのですが、なぜでしょうか? 現在、祝福を受けていると大丈夫だと思いますが、そうではありません。 ファミリー95年1月 P10
祝福の恩恵を絶対信仰して信仰基台を立て、サタン屈服の長子権復帰の条件を実子、母、父の段階で勝利することで、直接主管圏に入る型が達成できる条件を立てます。こうしてすべてを蕩減し完成した人間の型を立てます。これが天寶入籍勝利家庭です。
天寶入籍勝利家庭は条件的に完成した型を備えています。間接主管圏の一番上まで到達した条件を立てたことになるわけです。ここで神様の直接主管的な御業である実体再創造すなわち実体重生の役事がなされます。
本然においては、人間の誕生は父と母が神様の直接主管圏に入った後に起きることなので、その時点を見ると、直接主管圏にいる母の胎中にいる子女も直接主管圏にいることになります。このため、再び誕生することを意味する重生においても、人間が条件的に直接主管圏に入ったという型が必要なのです。
これは天使長から人間へ生まれ変わるという、人間創造以上の本格的な再創造の御業なのです。このように実体の重生は直接主管圏に入る型を達成した基台の上で為されます。この基台が天寶登載勝利です。
Ⅲ 蕩減復帰と長子権復帰および解怨の関係
① 御父母様の実体蕩減
御父母様の行かれた実体蕩減においては、縦的八段階の各段階において、横的にカイン圏を代表する個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の次元に至るまですべての恨み、憎しみを引き受けられました。
御父母様を打ってくるのはカイン圏ばかりではありません。サタンも御父母様に怨恨をぶつけてきます。サタンはこの世の神となったとしても地獄の王者のような立場なので幸福ではなく愛を失った苦痛の中にあり、人間のせいで不幸になったと思っています。そして神様も怨恨をぶつけてこられたのです。神様も人間の堕落によってすべてを失ったしまった怨恨を人間にぶつけなければ解放されません。
御父母様が実子の立場に立たれた場合の例を挙げると、実子の立場というスタート地点から実子の長子の立場というゴールに到達する必要があります。堕落によって神様の実子が失われたことによって生じたあらゆる怨恨を積極的に引き受け、甘受しきらないと実子の勝利者である実子の長子にはなれないのです。
この路程を僕の僕から僕、養子、庶子、実子、母、父の段階において勝利し長子権を復帰し、神様を本然の位置に戻して差し上げなければなりません。
この過程は、蕩減復帰の道であり、長子権復帰の道であり、サタン屈服の道であり、解怨の道なのです。
② 子女の条件蕩減
子女の条件蕩減の道はあまりにも恩恵に溢れています。
重生論Ⅰでも述べましたが、子女の条件蕩減は御父母様による祝福の権能が主役としてなされます。その権能は神様主権世界となった現代においては驚異的な権能として現れます。御父母様が実体蕩減で勝ち取られた勝利圏をほとんど条件なく相続できるのです。
例えば自分の肉親の父母を祝福した場合、それだけで父母は堕落しなかった立場に立つことができます。また、父はその兄弟の中で長子の立場に自動的に立ち、母はその兄弟の中で長子の立場に自動的に立つことができます。
この祝福の権能があるために先祖解怨、先祖祝福をしていくことで上の代、上の代へとどんどん長子権を復帰しながら先祖の階段を上がっていくことができます。このように清平の役事は御父母様の勝利圏の上で現れる奇跡的な役事です。
Ⅳ 父母の実体蕩減八段階と子女の条件蕩減八段階の違い
父母の実体蕩減と子女の条件蕩減には上記のⅢの内容のほかに大きな違いがあります。
① 父母の実体蕩減における実子、母、父、神の内容
真の父母様の実子、母、父の段階における蕩減路程はアダムとエバの実体蕩減路程となります。アダムとエバは堕落することで神様の息子、娘の立場を失いました。またアダムは神様の体として妻を迎える夫の立場を失いました。エバは神様の妻でありアダムの妻の立場を失いました。更に人類の父母としての立場を失いました。
この蕩減路程を表わしているのが実子、母、父の三段階です。これについての詳しい内容は
「真の父母様による神様の恨の実体解怨路程」をご覧ください。そのために留意点をお読みなったうえで会員登録してお進みください。
また、母と父の段階は重生の主体として立つための蕩減路程です。
例えばお母様の母の段階は、母としてアベルの子女であるご子女様とカインの子女である祝福家庭を全く同等に愛するというだけではなく、アベルの立場にあるご子女様を犠牲にしてでもカインの子女を救おうとする心情を確立する段階です。事実、興進様が犠牲の道を行かれました。この時にカインの子女を救うために興進様を喜んで捧げるという心情世界を勝利されました。これによりカインの子女である祝福家庭がお母様の胎中に入って重生することができる道ができたのです。お父様も同じ心情を通過され更にお母様の勝利を主導されることで父として祝福家庭をご自身の種として迎え入れる心情を確立されたのです。
このようにして神様の怨恨を解怨され、神様を本然の位置にお立てになり、堕落人間を体中に迎え入れて生みかえる父母としての基台を確立されました。
② 子女の条件蕩減における実子、母、父、神の内容
子女である私たちの実子の立場は基元節の勝利によって神様の完全の主権が確立したことで、基元節とその後の祝福を受けるだけで自動的に実子の長子の立場に立つことができます。
ただし、自分の命よりも神様と父母様を愛するという信仰基台は不可欠です。
母と父の段階は肉親の父母を祝福し父方、母方の先祖圏430代まで祝福することで、父と母および父と母の先祖たちを堕落しなかった立場に立てることができます。これにより自分と相対者は先祖全てを罪なき立場として解放したので代わりに先祖の位置に立つのです。(いわゆるイサクの原理です。)
自分たちの家庭が全先祖の先祖の位置に立つことによって、人類始祖の立場に立たれた真の父母様に直結するのです。これにより真の父母様に直接重生していただく道ができたことになります。
私たちが行く母、父の段階は、父母様の実体蕩減における母、父と違い、真の母の胎中に入り真の父の種に到達し重生するための条件です。
また、地上での43家庭と430家庭を復帰することで、それが神氏族メシヤ家庭に侍るカイン家庭の立場であると同時に神氏族メシヤ家庭を守る天使長圏ともなります。これにより堕落によって失ったすべてを復帰し、堕落がなかったことにできる条件が成立します。完成期完成級まで間接主管圏のすべてを全うして完成した型を作り上げたことなります。
これで祝福家庭が完成したという型、すなわち直接主管圏に入るための型ができたことになります。これが天寶入籍勝利家庭です。この認定を受け直接主管的な再創造の御業である実体重生に向かいます。
Ⅴ 自我覚醒から絶対服従の無の世界に行って重生
① 重生前の自分は深い悲しみと苦痛の海の中
重生前は信仰生活をすればするほど大きな恵みがある一方、自分が本然の姿からは程遠いことが嫌というほど分かってきます。心と体の分裂は解消されず、堕落性はしぶとく残って一向に消える気配はなく、神様から遠い自分を発見します。本然の人間が遥か遠いという深い悲しみと苦痛に沈む絶望的な姿がそこにあります。
皆さんは、取り戻すべき本然の自分を置いたまま、喜ぶことをできない自らであることを知らなければなりません。悲しみに置かれている自らであることを知らなければならないのです。しかし、ある世界を見て悲しく思うのではありません。悲しみや苦痛を感じるとしても、ある相対的な世界で起こる悲しみや苦痛を感じるのではなく、「真の私」を探せない悲しみ、真の私を探せない苦痛を感じなければなりません。世の中の悲しみと苦痛がたくさんあるとしても、真の私を探せない悲しみと苦痛よりひどい苦痛と悲しみはありません。
それでは、創造主である神様は、今まで誰を求め続けていらっしゃいますか。皆さん自体、すなわち私を訪ねて来ていらっしゃいます。ですから、真の私が完全に決定されなければなりません。第八篇 信仰生活と修練 第一章 第三節22 P835 1958.12.21
人間の本性の無限な価値を喪失した人間は、いくら行楽の席で踊っても、悲嘆の声が良心の奥深くから、昼夜休まずに聞こえてくるというのです。これを避けることができないので、人間の行く道を苦行の道だと言うのです。これを解決するために修養の道を尋ね歩くのです。そのような苦悩は、男性でも女性でも、人間として生まれた誰にでもあります。これは、万民が共同で解決すべき一つの宿題だというのです。これを連結させて「私」が神様のみ前に行くようになる時は、万事が思いどおりになるのです。大宇宙が私の所有になるのです。
第八篇 信仰生活と修練 第四章 真の父母の人生から見た信仰者の道 第三節 養育の人生3 1983.3.27
心と体の統一世界をもつには、神様の本質的愛を回復しなければなりません。そのような命題が残っているということを知らなければなりません。どんな苦労があったとしても、これを克服して、その境地を取り戻してから霊界に行かなければ、大変なことになります。「祝福家庭」 第四章 二 入籍の為の条件
② 天寶登載家庭から本然の家庭に重生
③ 天寶家庭から本然家庭に重生する時に必要なのは絶対服従
新郎のイエス様の愛と新婦の聖霊の愛が一体となったその愛が、私の骨肉と一つにならなければなりません。すなわち、「私があなた方の中にあり、あなた方が私の中にあって」というイエス様のみ言のように、愛の心情基盤が成される前には、キリスト教でいう永生はあり得ないということです。「祝福家庭」第一章 真の父母と祝福 二 真の父母と重生と血統転換 2 重生摂理の核心 ②重生しようとすれば
皆さんは重生されなければならないといいますが、重生されるには、イエス様を誰よりも愛さなければなりません。堕落圏内で、すなわちサタンの愛圏内でなされるそのいかなる愛よりも、神様を中心としてなされる愛が、より次元が高くない限り、神様と連結することができる道がないということを知るべきです。これが受難の道であり、宗教人たちが行くべき険しい道だというのです。
「祝福家庭」第一章 真の父母と祝福 二 真の父母と重生と血統転換 2 重生摂理の核心 ②重生しようとすれば
キリスト教徒たちもイエス様を日ごとに思慕しており、イエス様が再臨されることを首を長くして待っており、無心になって「新郎イエス様、いらしてください」と二千年間叫んできませんでしたか。しかし、体がばらばらになり、胸が裂けて、骨髄が溶ける立場、体の中にあるのか体の外にあるのか分からない境地、ただ神様やイエス様とのみ通じることができる境地に入るとき、初めて聖霊が臨むのです。聖霊が臨むことによって、霊的な赤ん坊として再生することのできる霊的重生の役事が起こるというのです。
皆さん、そのような体験がありますか。そのような体験がない限り、まだサタン世界の息子、娘だということです。まだサタンの讒訴を受けざるを得ない人だということを皆さんは知らなければなりません。そのような人は、天国に行くことはできません。
「祝福家庭」第一章 真の父母と祝福 二 真の父母と重生と血統転換 2 重生摂理の核心 ②重生しようとすれば
上記のみ言から類推すると、重生が起きるために必要な心情的な要素は、真のお父様とお母様を愛する愛が自分の命を超える基準に到達することだということになります。
別々の存在を一つにできるものは愛しかありません。存在の根源は愛だからです。
自分の命がなくなることがあっても御父母様が大事だ、御父母様に自分の命を捧げますという心情世界です。自分の死を御父母様に捧げる愛です。これにより私の生命と御父母様の生命の境がなくなります。
私の中に御父母様がおられる、御父母様の中に私が存在すると感じる世界です。
私という意識がなくなり、御父母様中に溶けていく感覚です。
この自己意識がなくなることが極めて重要です。
本然の人間は自分という意識がほとんどありません。意識に浮かび上がるのは神様と他の人のことです。自分のことは忘れてしまっています。自分のことよりも神様と他の人を幸せにすることに心を砕きます。
しかし、サタンと堕落エバの血統を受け継いだ堕落人間は、自分のことが第一です。
それが当たり前なので、それが異常なことだとも分からなくなっています。み言では自我覚醒あるいは自己覚醒という表現が使われていますが、意識に上ってくるのは自分のことばかりです。堕落性はこの自我覚醒から生じています。
天国へ入って行くのに一番の問題とは何ですか。自分が怨讐だというのです。地獄やサタン世界は自我覚醒から生じたのです。天使長が自分を中心として考えたというのです。深刻に考えたというのです。逆賊とは何ですか。自分を中心として国と主権者を越えて考える人を「逆賊」と言うのです。自分を中心として上がって行くその頂上は、全て逆賊の道と通じるのです。地獄の道と通じるのです。人間自体において敗亡の道と通じるのです。自分を中心とするこの基盤は、死亡と通じるのです。
「人間の生と霊魂の世界」第二章 霊界はどのような所か 二 天国と地獄 5 地獄は神様の愛と関係ない所
原理結果主管圏内で神様のために生き、互いにために生きる位置に立てば、自然に育つというのです。
ところが、これを悪魔が知って、自己覚醒させました。自己覚醒は、天使長から始まったのです。天使の誘惑をエバが受け、第二の自我覚醒によって堕落したのです。そのため信仰生活は、サタン世界に対して完全否定をするのです。ですから、サタン世界の血縁間係をどのように克服するかということが大きな問題です。真の愛の真の父母から皆さんの生命が始まれば、ここから心情圏が造成されるのです。
第四編 真の人間 第二章 人間の責任分担と堕落 第一節人間の成長と責任分担10 1988.10.16
神様と真の父母様の子女として再誕生するということは、堕落というサタンの生命として生まれた道を逆に行く必要があります。このため神様と真の父母様を愛することで自己意識が消えるという過程が必要です。これは絶対服従の世界です。
神様は、絶対信仰の上で宇宙を創造しました。神様が語られたことは、必ず成就するというのです。成就しないものがありません。また創造は、愛の対象をつくるためのものです。絶対愛です。疑う心がありません。二心がないというのです。その次に、絶対服従です。絶対服従する瞬間には、神様御自身までも存在意識がないのです。
従順と服従は違います。服従には自己意識がありません。従順に従うというのは、自己意識をもって従っていくことを意味します。神様は、服従する立場、自己意識のない立場ですべて投入したというのです。神様がそのようにアダムとエバを造ったので、アダムとエバに求めることも、絶対信仰の上で絶対愛、絶対服従をすることなのです。
第十二篇 天一国 第三章 天一国国民と「家庭盟誓」第五節天一国 主人の生活と「家庭盟誓」98 1995.11.3
重生に向かう姿勢においては自己意識がなくなる、自分という存在感が消えるほどに自分の心が神様と御父母様で占領される必要があります。別の言い方をするなら自己意識が消えるほどに神様と御父母様を愛する基準が絶対服従のレベルに達するということです。神様と真の父母様を恋い慕う心情が頂点に達し、絶対服従の基準になり神様と父母様に溶け込むような心情世界に達した時、天寶家庭の重生が現実化します。
(ただし、実際に重生が実現するには天寶重生論序論で述べましたように、実体天一国の復帰が必要です。詳しくはコロナ、ウクライナ、元首相の悲劇の真の原因と私達の使命(最終摂理時代Ⅰ)をご覧ください。)
なお、神様の絶対服従の基準が良くわかる内容として「潜在意識の神様の絶対信仰、絶対愛、絶対服従に似る極楽」などの潜在意識シリーズが参考になるのではないかと思います。絶対服従は自分という存在意識がなく意識の関心は相手のみの状態です。神様の場合、それが具体的にどのような基準なのか、よく理解していただけると思います。
④ 重生するとどうなるのか?
重生すれば、堕落性、自我中心意識、サタンの血統などすべてがきれいさっぱり消え去ります。別の人間として生まれ変わります。これは真の父母様の降臨に次ぐ天宙史的大事件です。
具体的には次のような特徴を備えた人間になると考えられます。
・堕落の痕跡が全くない本然の人間
・堕落人間が持つ根源的な悲しみや苦痛からの解放
・心と体が統一される
・神様の愛の絶対対象
・真の愛がとめどなく流れ出る人格
・キリスト論にある神的価値、唯一無二、天宙的価値を持つ
・イエス様や真の父母様の人格基準と同じ内容と備える
・夫婦は神様実体である真の父母となり天国で永生する
堕落した人間は、自分の心と体に神様の愛が顕現できるその日を訪ね求めていくのです。そうすれば、爆発するような神様の愛が顕現します。既に数千年間仲違いしてきた体が、完全に一つになることができます。
この日は、サタン世界では恐怖と革命の一日であり、天の世界では歓喜と勝利の一日です。その位置に立ってみれば、神様の愛がどのようなものなのかがわかります。どれほど良いことか、細胞が奮い立つようです。すべての骨と肉が一カ所に集まって固まるのを感じます。化石のようになるのです。すべての五官が完全に一つになるのを感じます。
第七編 地上生活と霊界 第二章 第一節 霊界の実相 21 1977.10.1
真の愛の共鳴圏に入っていけば、天地がはっきり見えます。お釈迦様が「天上天下唯我独尊」と言ったのはどういうことでしょうか。その共鳴圏の核心に入っていってみれば、天下がすべて私の手の中に入っていて、神様が私の中にいらっしゃり、天理が私と連結されているので、そのような言葉を言うことができたのです。真の愛の共鳴圏に入っていけば、信仰は必要ありません。救世主は必要ありません。解放なのです。第三篇 真の愛 第一章 真の愛の根源 第四節 真の愛の力35 1990.4.30
責任分担は成熟する時まで必要なものです。成熟して思春期に入ればすべて終わるのです。愛の圏内に入れば直接主管圏内です。神様であると同時に私であり、私であると同時に神様です。
「罪と蕩減復帰」第一章 蕩減・復帰原理の根拠 一 間接主管圏と直接主管圏 2.直接主管圏
⑤基元節における霊人体の出現
重生すると④に記したように革命的ともいうべき変化が起こるのは、創造原理にある霊人体が出現するからです。
堕落人間として生まれたとしても、人間である限りは霊人体はあるだろうと思われるかもしれませんが、そうではありません。
紳士淑女の皆様、神様は私達を神様の子供として、創造されました。本然で、絶対で、唯一普遍で永遠の存在として、神様の息を吹き込みながら魂をそこに入れたのです。それは魂です。霊人体ではありません。霊人体は私の聖婚式の後に現れる。 2012・3・20 天正宮訓読会
これは2012年3月20日のみ言ですので、ここでの聖婚とは基元節での聖婚のことです。基元節後の恩恵によって魂が霊人体に変わることを意味しています。
これはどう解釈したらよいのでしょうか。
御父母様の定義では神様が息を吹き入れられただけでは魂だというのです。この魂に神様がお住まいになると、霊人体という呼び名になるということです。
すなわちこのみ言は、基元節のご聖婚によって神様が御父母様に住まわれ直接主管されることを意味しています。
神人一体が実現した魂のことを霊人体と呼ぶのです。
私たちも天寶登載を実現した基台の上で重生して神様を迎え入れ霊人体を持つようになるのです。
追補:
ご子女様に様々な問題が起こる原因と重生した人間との違い
ご子女様に関することは、あまりにデリケートな問題であるため、あくまでも推論であるという前提でお読みください。
さて、私たちはご子女様は御父母様の直系としてお生まれになったのでイエス様や御父母様と同じ本然の基準で誕生されたと思ってきました。
このためご子女様が祝福の位置を離れたり、分派を作って御父母様とたもとを分かつお姿を見た時に、私自身もご子女様の通過してこられた厳しい生育環境ゆえに心情的には理解できる部分はあったとしても、原理的には整理がつかない部分がありました。
生育環境といえばご子女様よりイエス様の方がずっと悲惨です。それでもイエス様の天に対する姿勢は完全に垂直でした。
天一国が安着し、天寶登載家庭が重生する時代を迎えているので、この点について原理的にすっきり理解できることが必要ではないかと思いました。そこで、その原因を推察すると同時に、完全な重生によって生まれ変わる人間との比較検証をしてみたいと思います。
結論から申し上げれば、ご子女様は本然の環境でお生まれになってはいません。すでに述べましたように、本然の世界では結婚して直接主管圏に入った夫婦から子女が誕生します。これが本然の子女の誕生経路です。
しかし、ご子女様が誕生される時期は、御父母様が実体蕩減路程を歩んでおられる真っ最中でした。そしてこの蕩減路程を勝利するためには、ご子女様の存在が絶対に必要でした。ご子女様がおられなければ御父母様の勝利も私たちの復帰もあり得なかったのです。御父母様の実体蕩減路程が終わったのが2013年の基元節です。基元節において初めて御父母様は神様の直接主管圏に入られました。(詳しくは「夜の神様 昼の神様のみ言の解明」をご覧ください。)
ご子女様はみ旨成就において神様と人間の解放に対して圧倒的に重要な役目を果たされました。その一方で、このことはご子女様が直接主管圏内の父母から生まれるという本然の環境でお生まれになることができなかったことを物語っています。
イエス様や御父母様とご子女様の違いはどこにあるのでしょうか。
次にみ言をご覧ください。
神様は、なぜアダムとエバを造ったのでしょうか。神様は無形でいらっしゃるお方なので、実体の形状をもった父母にならなければ、形状の子女を愛することができません。それで、体をまとうために造りました。
第一に、無形の神様が体をまとうためであり、第二に、体をもつことによって震動するような衝撃が来るようにするためです。それは、言葉だけではできません。一つの言葉があれば、音楽がなければならず、その音楽に合わせなければなりません。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。第三に、神様は中心軸をもった垂直の父なので面積がありません。神様御自身を中心として見てみるとき、一点しかないこの軸には繁殖の根拠地がありません。なぜ体が必要なのかというと、東西甫北の三六〇度を中心として面積が必要だからです。
第一編 神様 第一章 神様の存在と属性 第三節 愛で創造された神様8 1985.12.16
アダムとエバを造った目的は天国の民を生産することです。霊界では生産ということがありません。神様は縦的な愛の主人であるがゆえに、縦的なことにおいて軸が一つしかありません。一点しかないのです。一点では生産することができないので、横的な面積が必要なのです。それで人間と一つとなって天国の民をたくさん繁殖して移譲するというのが神様の創造目的です。このようなことを聞くのも初めてでしょう。「真の神様」第二章 神様と創造の役事 三 アダムとエバを通じた愛の理想 2 夫婦は第二創造主の位置
無形の神様は実体がないのでその形体を身代わりしたのが真の父母だというのです。真の父母は個人的な父母、家庭的な父母、氏族的な父母、民族的な父母、国家的な父母であり、霊界に行ってもこれからは真の父母の形状で神様が現れるのです。統一教会が偉大なのはそれです。レバレンド・ムーンが偉大なのは何かと言えば、レバレンド・ムーンの形状を神様が使うというのです。何の話か分かりますか。
「真の神様」第一章 神様の本体 二 無形の神様は体が必要 2 アダムは宗の祖先、有形の神様
以上のみ言を総合すると神様が直接創造されるのは人類始祖だけだということです。それ以降は神様が完成した人間の体を着て繁殖していかれます。本来、人類始祖の子女は、人類始祖が完成し神様がその体を着てから神様と人類始祖の子供として生まれてきます。
しかし、人類始祖が失敗し、第二の人類始祖としてこられたイエス様も十字架で肉身を奪われたため、神様は完成した夫婦の体を着ることができませんでした。
第三の人類始祖としてこられた御父母様は神様の解怨と人間の救いに必要なすべての蕩減条件を完全に立てられましたが、その道はあまりに困難を極め、神様が完全に御父母様の体を着ることができたのは基元節以降なのです。
これは、ご子女様がお生まれになった時は、御父母様は神様の直接主管内ではないことを意味しています。
堕落前のアダムとエバ、イエス様、御父母様は神様が縦的な一点において直接創造されたので、本然の人間として生まれました。
しかし、御父母様がご子女様をお産みになったのは、御父母様の実体蕩減路程の真っ最中でした。このため、ご子女様は直接主管圏に入られた父母を通してお生まれになることはできなかったのです。
神様は蕩減過程の父母様の体を着ることはできません。蕩減を完了して本然の人間として完成した父母様の体を着られるのです。このため、ご子女様の誕生時は、神様は父母様を体として着ることができない時期でした。この誕生環境は明らかに創造本然ではなかったのです。
キリスト論の重生論と三位一体論の観点で言えば、神様、真の父、真の母の三位一体の完成形ではなく、そこから神様が本然の位置にないような基台からお生まれになったのがご子女様だということになります。
それゆえ、ご子女様はイエス様や御父母様のような本然の創造本性を持ってお生まれになっていないのです。いくら御父母様が素晴らしいとしても、神様が内におられない状態で生まれてくる子女は完全とは言えないのです。創造本然ではないのです。
これがご子女様に様々な問題が起こる原因ではないかと考えられます。
一方、今回の天寶登載家庭に対する役事として現れようとする重生は、直接主管圏内での人間誕生という本然の環境が完全に整ったうえで為されます。神様が御父母様の体を着たうえで為される重生の役事です。そのため、実体天一国が出来上がった上で重生の役事を通過する天寶登載家庭は完全に生まれ変わることができるのです。
そして、重生の役事が完了すれば、イエス様や御父母様のような完全な本然の人間に生まれ変わります。