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五感から得られる感覚は神様の奇跡的な役事

人間は神様の体として創造されたという観点に立って人間と世界を見ていくと今までとは全く違った景色が見えてきます。

神様と人間は別々の存在でもありますが、より中心的には神様は心で人間は体という一存在です。この一存在は神人一体神と呼んでも良いと思います。

神人一体神として一存在と見た場合、神様の機能の全てを人間が神様とは別に持つ必要はないことになります。つまり、人間が独自で持っている機能だと思っているものが実は神様がリアルタイムで人間に相続して下さっている役事だということです。

役事と言えば宗教的な人のみが体験できる神様の働きと思われがちですが、神様の役事は信仰的な生活をしている人だけにしか分からないものではありません。

 

結論から申し上げると、私達が日常生活で感じている五官の感覚に上ってくる内容全てが神様の役事です。

役事というのは天地創造のような過去にあったことを指すより現在進行形の神様の働きに対して使う言葉です。五官が感覚している映像、音、味、香り、感触の全てが神様のリアルタイムの役事です。そんなことがあるはずがないと思われる方もあるかと思いますが、五官を通して感じる質感(クオリア)は実はとてつもなく奇跡的な現象なのです。

(wikipediaではクオリアについて次のように定義しています。『クオリアとは「感じ」のことである。「イチゴのあの赤い感じ」、「空のあの青々とした感じ」、「二日酔いで頭がズキズキ痛むあの感じ」、「面白い映画を見ている時のワクワクするあの感じ」といった、主観的に体験される様々な質のことである。』 )

 

モーセの時の三大奇跡や十災禍、紅海が割れた奇跡、イエス様が水の上を歩いたり病を癒されたりした奇跡よりもずっとずっと驚異的な神様の御業なのです。人間は堕落により霊肉の無知に陥り、日々の生活で当たり前のように感じているクオリアの出現という奇跡的現象の比類なき素晴らしさが全く分からなくなってしまいました。

 

一番身近で分かりやすい視覚について考えてみましょう。この世界は色彩に溢れています。神様はこの世界の被造物に色を付けて創造されたのかというと、そうではありません。

被造物は太陽や電灯などから発せられる電磁波を反射しているにすぎません。例えば赤に見えるバラに表面は約1万分の7ミリ(610nm-780nm)程度の波長の電磁波を反射しているだけです。また、晴天の空は青色に色付けして創造されたのではありません。約1万分の5ミリ(460nm-500nm)程度の波長の電磁波を反射するように創造されただけです。(詳しくは「神様の精誠」の章の⑤神様のクオリア(質感・情感)の精誠、をご覧ください。)

その電磁波は目の感覚器官で電気信号に変換されて神経細胞を通って脳に到達します。著名な学者においてもこの電気信号を色彩に変換しているのが脳だと考えています。脳のどの部分がそれを成しているのか探していますが見つかりません。見つかるはずがないのです。

脳が電気信号を色彩や透明感あるいは遠近感や運動感に変化させていると考える事は余りに稚拙で安易です。

 

食口の皆さんの中には、電気信号をクオリアに変換させる原因は霊人体の中にあるとお考えの方もあるかと思います。しかし、霊的部分のない動物でも色彩、音、味、香り、感触が分かります。

生物もクオリアがわかる

この写真は左が、人間が見た花の姿ですが、蜂が同じ花を見た時には右のように見えると考えられています。

動物の中には音を人間以上に分かる物がいます。また臭いは犬のように人間以上にかぎ分けるものが多いです。

また、スピード感、加速感、空間感、運動感などのクオリアへの感度は人間よりも優れているものが多数います。

犬などは「忠」という言う高度なクオリアも分かります。また、多くの動物は愛に敏感ですし、その裏返しとして嫉妬したりします。情が分かるのです。犬が喜んで尻尾を振ったり、じゃれついてきたりする姿は人間顔負けです。

 

五感のクオリア以外の話は後ほど扱うとして、話を五感に戻しましょう。

人間の脳が約1万分の4ミリから7ミリ(380nm-780nm)までの電磁波の微細な変化を電気信号化した情報を読み取れるでしょうか?この微小な電磁波の変化幅に対応する無限の色彩が存在します。

人間は1ミリほどの針の穴に糸を通すのも簡単ではないのにです。

 

コンピューターのグラフィックボードやテレビの発達によって今やディープカラーと呼ばれる280兆色を超える色彩を扱える映像システムが開発されています。また、自動運転技術が自動車購入のポイントになる現代、例えばスバルのアイサイトver.3はテールランプの赤色を認識できるようになったなどと報道されています。

石ころは意識がないので色彩、味、音などは感じないというのは誰でも認めます。しかし、人工知能AIの発達によってコンピューターのような人間以上の計算機能を持つ物にセンサーを取り付ければ、コンピューターは人工知能化し人間を超える日(技術的特異点)がやってくる、人間が不要な時代が来るかもしれない、その時は2045年、いや2029年だなどと主張する知識人の言葉を信じている人は多数います。

 

しかし人間が作り出した様々な機器や機械と人間や生物との決定的な違いがあります。

ディープカラーと呼ばれる280兆色を超える色彩を扱える映像システムは280兆の色を再現できるのではありません。380nmから780nmまでの電磁波の波長幅である400nmを280兆個に極めて細かく分けて再生できるだけです。色ではなく電磁波の波長幅を極めて細かく変化させて再生しているだけのシステムです。

 

スバルのアイサイトがテールランプの赤色を認識できるとされるのも人間が赤と感じる610-780 nmの波長の電磁波を他の波長帯域の電磁波と区別しているに過ぎません。

同様に人工知能がいくら発達しても電磁波の波長の大きさは区別は出来ますが色彩は永遠に分かりません。電磁波の波長と色彩はあまりにかけ離れた別次元の現象です。

 

味も同様です。例えば糖度計は液体の濃度を光の屈折率から割り出し糖度として表示するだけです。ラーメンのスープの濃さも糖度計と同じ機器を使います。要するに濃度が分かるだけです。塩辛さ、辛さ、苦さ、酸っぱさ、美味しさを測るセンサーは開発できてもあくまでも物理的な数値を計測するだけで味は決して分かりません。

電気信号がクオリアに変わる奇蹟
視覚と聴覚のクオリア出現の解明
味覚と臭覚のクオリアの出現の解明

五つ星のレストランのシェフは味を作り出しているわけではありません。舌のレセプターを刺激して電気信号を発生させるような食材群の混合作業の名手です。味そのものは食材の中にはありません。果物の多くは甘く感じますが、その甘さの元となっているのが果糖です。しかし、果糖は舌のレセプターを刺激して電気信号を発生させているだけです。電気信号が甘いはずがありません。甘さの原因は果糖でもなく電気信号でもありません。リアルタイムで別のところからやってきます。

 

オーディオ機器に何百万、何千万かける人がいる程に音響の世界も魅力的です。しかしオーディオ機器は音を再生しているわけではありません。ためしにスピーカーのカバーを取ってみるとスピーカーが空気を振動させているのが分かります。オーディオ機器は空気の振動装置です。楽器もそうです。バイオリンもピアノもトランペットも空気振動を発生させる道具です。音が出ているわけではありません。世界にはベルリンフィルやウィーンフィルのような名オーケストラがありますが、この演奏家たちは音を奏でる芸術家ではありません。事実は空気振動の名手です。

 

380nmから780nmまでの波長の電磁波が目の器官によって電気信号に変換されるのですが、その電気信号をどうして色彩と感じるのでしょうか?

梅干しに含まれるクエン酸という化学物質が舌のレセプターによって電気信号に変換されるのですが、その電気信号をどうして酸っぱいと感じるのでしょうか?

到達した空気の振動が電気信号に変換されるのですが、その電気信号をどうして音と感じるのでしょうか?

明らかに分かることは電気信号が真の原因で色彩、音、味、香り、感触が生ずるわけではないということです。

 

このような五官に生ずる質感(クオリア)の原因は神様にあります。そしてこのクオリアこそが神様の本当の神秘です。

クオリアの原因は夜の神様の中にあります。

最高のクオリアは「好きだ!」という愛の質感、情感ですが、色彩、味、音、香り、感触などの五感の質感はこの「好きだ!」を誘発する美の質感です。

夜の神様は、この「好きだ!」をより刺激的に感じるために体を着られたのです。それが昼の神様です。

心身一体の夜昼の神様は、夜の神様お一人の時よりもずっと刺激的な五感の質感を感じられるようになりました。

夜の神様も「美味しい」という質感・情感を感じられますが、体である昼の神様を着た後は「美味しい!」というふうにより刺激的に感じることができるようになられました。

そして最終的な体である人間を着られることで「美味しい!!!」という最高の質感・情感を感じることができるようになるのです。

 

私達が食事をするのは体を動かすエネルギーを補給したいからではありません。味や香り、食感や満腹感という情感・質感を得たいからです。そして最終的には食べ物に対して「好きだ!」という愛の情感に満たされることが目的です。

私達は食べ物と言う物質を食べているように思いがちですが、実際は食べ物によって得られる味や食感、美味しさ、好きだという質感、情感を得ているのです。

そしてこれらは食べ物自体内には存在しないのです。

しつこいようですが食べ物自体が人間に与えるのは電気信号だけです。

 

電気信号の主体となるのが神様の持っておられるクオリア(質感・情感)です。この観点がとても重要です。

私達は食事をする時に万物を頂くことには感謝しますが、神様のクオリアをリアルタイムで分けて頂いている事には感謝していないのではないでしょうか?

奇跡的に貴重なクオリアの役事に感謝すれば、神様は「お前はそれが分かったか」と喜ばれることは間違いありません。

クオリアを神様の奇跡の役事と感じていつも感謝する生活をすることは、立体的で心情的な生活であることは間違いありません。

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