コロナ、ウクライナ、元首相の悲劇の真の原因と私達の使命
誰も予想できなかった元首相の悲劇が起こり、世間が驚くほどに教会攻撃一色となっています。心情的にどう整理したらよいのか困惑している方も多いのではないかと思います。
驚く方もいるかと思いますが、結論的に言いますと今回のことは神様が明確な意図をもって成されたことだということです。神様が何かをなされる時その目的は複数ある場合がほとんどです。時間の経過とともに神様の意図がより明確になって来ると思いますが、現時点では二つの大きな神様の意図を発見することができます。二つの意図について既にお母様が語られた内容に答えがあります。
<神様の意図Ⅰ>
一つ目はコロナが起こった時にお母様が語られた内容です。
お母様はコロナについて神様が待てないので起こったと言われました。
既に述べていることですが、1999年にサタンが復帰されルーシェルに戻り、2001年に神様王権即位式、2009年に万王の王神様解放圏戴冠式、2013年に基元節が宣布され、神様の完全な全権時代になっています。神様の全権時代とは文字通りそのままの意味です。神様がすべてを管理、監督、運行される時代だという意味です。サタンがこの世の主権者だった時ですら、サタンが神様を通さず勝手にできたことはありません。サタンは神様の裁可を得て初めて行動できたのです。これは復帰摂理を見る時に最重要の観点です。
この天地の大主宰者であられる神様をサタンも無視することができません。自分の業を実行するためには、必ず善の神様の決裁を受けたのちに行動をするのです。その悪なることで神様の理想世界を破綻させるのです。 「宇宙の根本」 第二章 人間創造と愛の理想の完成 五、生殖器を通して天国と地獄が分かれる
(サタン全盛時代においてさえも神様が天地の大主宰者であった理由は、神様が神様の位置を確保され原理の主管者の立場に立っていなければ、原理に従って復帰摂理をなすことは不可能だからです。サタンがなぜ神様を大主宰者として認めたのかについては、詳しくは堕落の衝撃Ⅰ、堕落の衝撃Ⅱ、堕落の衝撃Ⅲをご覧ください。)
今やサタンのいない完全な神様全権時代です。これはとても重い事実です。このため、良くないことや不幸なことが起こった時、サタンや堕落した悪なる天使、悪霊、恨霊、共産主義勢力や陰謀的な悪の集団を原因として説明するのは全くの見当違いであり外面的な見方です。神様がこれらの悪の勢力を利用されることはあっても原因はあくまで神様です。
(長い復帰摂理を概観してみると、神様はサタンを利用して摂理を進められたことが分かります。神様は、サタンの悪なる欲望と人間に対する恨みを利用して人間を打つことで、人間に蕩減条件を立てさせ復帰を進められました。今はサタンがいないので神様がその役目もなされます。ただし、その動機はサタンとは真逆です。)
神様の全権時代であり、お母様がコロナは神様がもう待てないので起こったと言われたことを勘案すると、コロナ、ウクライナ、今回の元首相の殺害事件、すべてが同一線上でつながっていることが分かります。すべて神様が待てないので起こったということです。いずれも尊い多くの命が犠牲となりました。
さて、復帰摂理を単純化すると次のようになります。
復帰摂理においては神様が人間を絶対信仰で待っておられる期間があります。その期間に人間が責任分担を成し遂げることができない場合、神様はその結果に責任を持たれ、み言中心に悔い改めに至らせる内的刷新運動を起こされます。内的刷新運動によっても人間が耳を傾けず悔い改めない場合、神様はその結果に責任を持たれ、外力を使って人間を打たれます。これが外的粛清です。これは人間の側から見れば、神様から打たれることで強制的に蕩減条件を立てる道です。
神様のみ旨に対する予定は絶対です。神様は絶対にみ旨を成就するために、最終手段として人間を強制的に死の道に行かせてでも蕩減条件を立てさせる鬼神になられます。
この観点で見ると、ノアの洪水や世界大戦、韓国動乱など復帰摂理のかなりの部分が外的粛清であることが分かります。すべて神様の裁可で起こったことです。これらは人間が責任を全うしていれば必要のないことですが、今回も外的粛清が起こってしまいました。
私たちは、外的粛清は神様が最もやりたくないことであることを知る必要があります。現代においては、神様は全人類を抱く天の父母様の位置に戻られたので、打たれる子女の苦痛以上の父母の苦痛を感じながら実行されたことを知る必要があります。
振り返れば、真のお父様の聖和に至る十字架の道は、明らかに私たちの責任分担の失敗を背負われたものでした。イエス様を十字架につけてしまった12弟子やキリスト教徒が行った道を見ると、ほとんど悲惨極まりない殉教の道です。私たちが天に対して犯した罪はイエス様当時の12弟子や信徒たちの罪より小さいでしょうか?
本来、私たちが失敗の責任を取って悲惨な殉教の道を行かなければならなかったのですが、真のお母様が侍墓三年期間で代わりに背負ってくださいました。この期間に私たちは根本から悔い改めて変革する必要がありました。しかし、それができていませんでした。神様は忍耐強く待ってくださいましたが猶予期間が終わってしまい外的粛清に移行せざるを得なくなったのです。
この結果、コロナやロシアによるウクライナ侵攻が神様の外的粛清として起こりました。もちろん先進国であるキリスト教国家群が真の父母様を受け入れないことに対する外的粛清であることは確かです。コロナ発生の原因ついては中国の研究所からの流出説や様々な見解がありますが、本質ではありません。ロシアのウクライナ侵攻も、プーチン氏の個人的問題やロシヤ人の民族性あるいはロシヤ正教に原因を求める人もいますが、これも本質的原因ではありません。重要なことは今の時代は神様全権時代だということです。このことを本当には信じていない食口が多いことはとても残念なことです。事実は神様が重い判断と決意をもって実行されたということです。
コロナとウクライナ戦争を通して本当に悔い改めるべきは私たちでした。それができなければコロナは更に変異して死者が増えるし、ウクライナでの犠牲者が増えるかもしれないと思っていました。しかし、神様は私の予想など遥かに超えて次の災禍を下されました。それが今回の元首相の殺害事件です。天一国時代の摂理においてはカイン圏がアベル圏に代わって打たれます。何故なら今や私たちはアベル圏と言っても次子ではなく長子だからです。
以前はサタン主権時代だったのでサタンに近いものが長子でした。このため神様に近い選民や信仰者は次子であるため犠牲の道を行きました。今は神様が全権を持っておられるので神様に近い者が長子となります。このため最初に犠牲になるのは次子であるカイン圏です。コロナ、ウクライナ戦争の犠牲者、元首相の犠牲はほとんどすべて次子圏の犠牲です。これらが起こったのは私たち長子が責任を果たせていないからです。責任は私たちにあるので、本来は私たちが犠牲の道を行かなければならなかったのです。
今回、元首相がコロナ、ウクライナに続いて三次目の犠牲となられ、それは同時に私たちに対する天の審判となりました。神様が次子圏を打っても私たちが悟らず悔い改めないので、同時に長子圏である私たちを打たざるを得なくなりました。
それは犯人のターゲットが元首相ではなくお母様だったと言ったことからも分かります。犯人の言っていることが本当かどうかは重要ではありません。ターゲットがお母様だったというのは、天の災禍が教会に向けられたものであることを明確に示しています。お母様がターゲットだったというのは、この事件に責任があるのは他ならぬ私たち自身であることを明確に悟らせるためです。この災禍の責任から逃げてはいけないのです。正義の味方の仮面を被って私達を打つ反対弁護士や視聴率を稼ぐために放送倫理を無視して悪評を垂れ流すマスコミを非難する識者の論評、はては陰謀集団のせいにする見解に耳を傾ける人もいるかと思います。私もその気持ちは良く分かります。しかし、その姿勢は残念ながら神様が願う反応とはなりません。深い悔い改めが先立つ必要があります。
確かに今回の事件に対して巻き起こっている社会の反応には異常なものがあります。いつ終わるとも知れない激しい攻撃が続いています。この事件以前から世の中に不平不満が満ちているため、鬱憤を晴らす攻撃対象を求めている土壌があったので、教会が格好の餌食になったことも事実です。
これは何を意味しているでしょうか。私たちが真の愛を実践できていなかったので、世の中に満たされない思いが蔓延したのです。受けるはずだった愛を受けられなかった恨みが噴出しているのです。
簡単に言えば私たちは真の父母様のみ言と珠玉の真の愛を受けていたにも拘らず、その恩恵を次子圏に連結することができなかったうえに、私たちの愛の姿勢が神様と真の父母様にあまりにも似ていないことが原因なのです。このため神様が教会に対する反対勢力を刺激して総動員して私たちを打っておられます。神様がなされるのですから徹底的になされます。復帰摂理には外的粛清として中心人物、中心民族を打つために神様が反対勢力を動員される例が多くみられます。私たちはこれを明確に認識する必要があります。
今回の我が教会に対する激しい攻撃は、伝道や統一運動を通して築いてきた社会基盤、人的基盤、信用基盤を根こそぎ失うほどの激しさです。これを神様がなされたとすれば何故そこまでされるのでしょうか?
それは復帰摂理の最終局面を迎えているので、真の愛によらないで築き上げてきた実績は神様の御心に叶っていないということを神様が明確に示されるためです。
こう言いますと教会の指導部や責任者が問題だったと思う人もいるかと思いますが、その捉え方は分裂を生むだけであり責任転嫁です。私たち一人一人に責任があります。私たち一人一人が責めを負うべきです。真の愛を合格基準で実践した食口が一人でもいれば神様が災禍を下す必要はなかったのです。神様が愛する食口、祝福家庭を打ちたいわけがありません。神様が真の愛を実践している人を祝福することで教会全体に見本を示すことができたのです。
<神様の意図Ⅱ>
今回の元首相の事件が起こったもう一つの理由は、日本がエバ国家、母国として勝利していないため、総蕩減する必要があったためです。日本がエバの蕩減を成し遂げられたお母様の似姿になるのに必要な苦難の環境を国家次元で再出現させるためです。
エバが神様の心情を蹂躙したことを蕩減するためには、お母様は到底信じられないことを信じるという道を行かなければなりませんでした。しかも、どうしてそのような道を行くのか、その理由についてヒントさえも教えてもらうことはできませんでした。一切の疑いを持たず、ただただ信じぬく道でした。
神の日は、お母様が責任を果たしたので設定することができました。世間にどんなことがあっても、七年間、お母様の私に対する心は変わることがなかったというのです。死んでも変わることなく、夫が行く道をついていこうという覚悟と姿勢で、七年路程を越えました。エバが神様を信じることができない立場で堕落したので、代身して蕩減する立場で神様が信じることのできる立場に立たなければならず、また、エバがアダム(夫)を堕落させたので、夫が百パーセント信じることのできる立場に立たなければならなかったのです。ところで、お母様は不信の人類歴史の中で、初めて神様と夫が百パーセント信じてくれる立場に立つことによって、その心の基台の上で、神の日が設定され得たというのです。そのときが一九六八年でした。「祝福家庭と理想天国」 第六章 ご父母様の聖婚と祝福家庭 第一節 ご父母様の聖婚と七年路程 5、お母様を通した七年路程
お母様が通過された心情世界を相続して勝利した母国の資格を得る必要があります。そのためには到底信じられないことが起こり、到底信じられないことを聞く必要があります。それでも信じて従うことで、日本がお母様の勝利圏を相続できるのです。国家レベルでのエバの蕩減が完了したという条件が成立していないので、超えるべき環境として与えられたのです。これを超えることで初めて神の国が出現する条件が出来上がるのです。堕落はエバが起こしたことなので、復帰摂理の中心はエバの蕩減復帰です。同様に国家復帰の中心はエバ国家の勝利なのです。
この流れの中で、到底信じられない出来事は、今回の元首相の殺害事件とそれに伴う社会からの激しい教会攻撃です。これは神様が全権を持って為されました。もう一つの到底信じられない話は、今年(2022年)の6月上旬に久しぶりに訪韓した日本の指導者たちに向けて語られたお母様のみ言です。時間的にはお母様のみ言が先で元首相殺害事件は後ですがこの二つは一つの意味です。
その時にお母様が語られた内容は激しく衝撃的なものでした。
一つは食口が真のお父様のご苦労については分かっていても、1960年のご聖婚からのお母様の道がどれほど困難極まりない道だったのか、誰も本当には分かっていないという内容です。もう一つは、お母様が以前にも言われたことですが、お父様はお母様とご聖婚されることで原罪なき立場に立つことができたなどです。(これについての私の見解は所見の「お母様によるお父様の原罪論の深意」をご覧ください。)
また、お父様は地獄で苦しんでおられるとも言われました。その時お母様のみ言を直接聞いた日本の指導者たちは内的には相当の葛藤があったことと思います。それほど信仰の根幹を揺るがすような内容でした。正にそのことにお母様が語られた意図があります。要するに、これほどまでに信じがたい内容を聞いても、あなた方は真の父母、特にお母様を信じて従うかということに尽きます。
語られたことに類似する内容は、神様の恨と解怨Ⅳや総論Ⅳで述べていますので、会員登録して覚悟を持ってご覧ください。
堕落によって想像を遥かに超える神様の恨が生じてしまったことと真の父母様の霊肉共に何度も死ぬような解怨路程についての内容です。この解怨路程に比べれば興南路程すらずっと容易く感じてしまいます。
お父様は興南監獄を含む北での苦難路程にについて、それがこれほど大変だと分かっていたら、北に行って伝道することはしなかったと言われたことはありません。お父様は神様の恨の解怨路程について、エバを復帰するための蕩減の道という表現で言及しておられます。お父様は、エバの復帰がこれほど大変だと知っていたらメシヤの使命を受けなかったと言われたのです。お父様をしてそこまで言わしめるほどに霊肉の死の苦しみが連続する道だったのです。これは神様の恨がお父様の予想を遥かに超えていたことを意味しています。
私はこの内容については広く語られることはないものと思っていましたが、今回のお母様の話された内容は、神様の恨の解怨という深い原理的な意味を述べるのではなく、表面的な事実だけを述べられました。それを聞いた日本の指導者の中にはお父様を不信してしまう人が出てもおかしくないほどに赤裸々に語られました。
これを聞いた日本のある中心指導者がお母様の心情に寄り添った孝情の手紙を書きました。これをお読みになったお母様は涙の流されたと聞きました。
今回の事件とそれに続く教会への総攻撃は余りに激しいですが、見方を変えると、これぐらいで済んでいるのが不思議なほどです。コロナから始まった外的粛清では多くの命が失われています。食口、祝福家庭に犠牲者が出てもおかしくないのです。しかし今のところ死者は出ていないようです。これは奇跡です。お母様に孝情の手紙を送った日本の中心指導者に心より感謝いたします。
一方において、この中心指導者と同じレベルの心情でお母様に侍る決意を持った食口が天が認定される数的基準に達していれば、元首相の悲劇やその後の教会に対する総攻撃はなかったと思われます。これは幹部だけの事ではなく私達一般食口も含まれています。
創世記18章23節からの神様とアブラハムの対話は、ソドムに対する外的粛清についての主人と僕の僕の関係での対話なので、今の時代圏とは違いますが参考にはなります。
アブラハムは近寄って言った、「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。
主は言われた、「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。
アブラハムは答えて言った、「わたしはちり灰に過ぎませんが、あえてわが主に申します。もし五十人の正しい者のうち五人欠けたなら、その五人欠けたために町を全く滅ぼされますか」。主は言われた、「もしそこに四十五人いたら、滅ぼさないであろう」。
アブラハムはまた重ねて主に言った、「もしそこに四十人いたら」。主は言われた、「その四十人のために、これをしないであろう」。
アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしは申します。もしそこに三十人いたら」。主は言われた、「そこに三十人いたら、これをしないであろう」。
アブラハムは言った、「いまわたしはあえてわが主に申します。もしそこに二十人いたら」。主は言われた、「わたしはその二十人のために滅ぼさないであろう」。
アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。
主はアブラハムと語り終り、去って行かれた。アブラハムは自分の所に帰った。
<神様と真の父母様に対する重要な基本的認識>
・真の父母様はご聖婚された1960年の時点で個性完成基準にあったと思われますが、個性完成=直接主管圏ではありません。み言をよく読むと、直接主管圏は神様と結婚することでしか実現しません。
真の父母様と神様の結婚は、神様が真のお父様という神様の体を着られ、神様の許嫁である真のお母様と結婚されることで実現します。
そのため結婚する相手が怨讐であったら結婚などあり得ません。
人類始祖の堕落によって、神様の体であり息子として創造されたアダムと神様の娘であり許嫁であったエバが神様の怨讐となってしまいました。
真のお父様と真のお母様は人類始祖アダムとエバの再臨なので、神様のアダムとエバに対する怨恨が完全になくならない限り結婚できるはずもないのです。このため真の父母様の路程は神様のアダムとエバに対する解怨路程がそのほとんどを占めています。
そしてその解怨が完全に終わり、神様と人間の結婚がなされたのが基元節の天地人真の父母様聖婚式です。ここで真の父母様は神様の直接主管圏に入られました。ここで初めて神様も真の父母様も完成されたのです。
・ここから分かることは基元節からは、真の父母様は神様と完全に一体となられているということです。それは同時に真のお父様と真のお母様は完全に一体だということです。つまり、神様と真の父母様は区別しようとしても区別できないほど一つであるということです。また、真のお父様と真のお母様も区別しようとしても区別できないほど一つであるということです。それを一単語で表す天地人真の父母となります。
このため、真のお母様のことを独り娘と呼ぶのは不完全な呼び方であることが分かります。私たちが、真のお母様が神様と一体であることを本当には分かっていないので、いつまでも独り娘と呼んでいるのです。本当は実体の神様です。特に昼の神様の実体です。もちろん昼の神様は、韓鶴子という個性真理体を着られるので、真のお母様の個性の範囲で生きられるため全知全能ではありません。震動的衝撃に満ちた愛の世界を実現したい神様にとって、全知全能の絶対者として生きるより、人間として生きることが最高の幸福なのです。(詳しくは「玉座の神様と人間としての神様」をご覧ください。)
真のお父様は夜の神様の実体として肉界に再臨され、昼の神様の実体として地上摂理を引き継ぐ真のお母様と一心・一体・一和・一念の境地で、摂理を経綸されるようになるでしょう。2012.9.17 お母様の講演文
昼の神様とは復帰摂理を主導された神様です。モーセやイエス様に指示を与え共に歩まれた神様です。
・繰り返しになりますが、天の父母様と真の父母様は完全一体です。真のお父様と真のお母様も完全一体です。その観点から今年6月に訪韓した日本の指導者に語られたお母様のみ言を考えると、特にお父様に恨みを抱き非難されていると思えるみ言も完全な方便であることが分かります。お母様は、食口であるなら到底信じられないようなことを羅列されたのです。日本の食口に到底信じられないことを言ってもそれでも信じ従ったという条件を立てさせるためであることを知ることができます。たとえ方便であっても真に迫っていなければ意味をなしません。お母様は尹本部長が真剣にお諫めするほどの迫力で語られました。
別の面から見ると、私たちは神様と真の父母様が完全に一つであること、真のお父様と真のお母様が完全に一体であることが分かっていないということでもあります。早くこの基準から抜け出さないといけません。
・お母様は神様と一体であり真のお父様と一体なので、今回の元首相の事件やそれに続く食口の受難を予めご存じでした。このため母として深く心配しておられたと推察できます。子女の責任分担未完遂に対して子女が災禍を通過することを回避できないか、あるいは少しでも軽くできないかと思い悩みつつ、日本の指導者たちや食口たちが信仰基準を立ててくれることを祈りつつ到底信じられないことを強烈に語られたのです。
日本の中心指導者がお母様に差し上げた孝情の手紙は、子女への災禍が軽減される条件となるので、お母様は涙を止めることができなかったのです。
<歴史的な夜明けがすぐそこに来ています>
私は重生実現のための条件として天寶家庭摂理が来たことを話してきました。そのためにはアダム国家とエバ国家の主権復帰が必要だと考えていました。しかし天一聖殿、天苑宮の摂理を聞いた時に考えが変わりました。もっと早く重生が実現する可能性があるのです。
み言によれば天苑宮は行政府です。つまり天が国民を治める機関です。天苑宮の中心は天一聖殿で、そこは歴史上初めて人間が直接神様に侍ることができる場所です。神様の住まいである正天宮から神様が天苑宮に下りてこられ、そこで人間に親しく接せられるのです。そして清平聖地全体が国土です。
お母様は2020年2月6日天一国の安着を宣言されました。考えてみれば、これは条件が整えば、お母様が天一国を地上に作る権限を持っておられることを意味します。
真の父母によって、新しい時代、基元節が宣布され、天一国が安着しました。これから、真の父母を通じて地上で天の父母様に侍ることのできる聖殿が2023年に完成します。旧約時代にも新約時代にもなかった事件です。真の父母のみができる内容です。
神統一韓国のための救国救世祈祷会 真のお母様のみ言 韓国・清平の清心平和ワールドセンター 2021年12月5日
国家は主権者だけでは成立しません。国民として満たすべき基準が必要です。すでに述べましたように、神様の解怨において核となるのがエバの蕩減復帰です。お父様はエバの罪を蕩減するために歴史上最も非情な夫の役割を果たさなければなりませんでした。そしてお母様はどのように蕩減するかについて一切教えてもらうことなく越えなければなりませんでしたがお母様はこれを見事に勝利されたのです。
国家を復帰するにおいて最も重要な役目を担うのはエバ国家です。エバ国家は、お母様が行かれたのと同様に言うに言えない苦難の道を甘受して行く必要があります。どうしてそんな道を行くのか全く教えてもらえず、ただひたすら真の父母様を信じて従う道です。極限まで追い込まれそれでも信じて従えるかという道を行くので、容赦なくどん底に落とされます。なぜ日本だけ飛びぬけて願われる万物が多いのかと非難する人もいますが、それはエバが神様に与えた傷の深さ、大罪の重さを知らないからです。エバ国家としてお母様の通過された悲惨な心情世界を再現するためには日本の食口を悲惨な世界に追い込む必要があるのです。
さて、国が成立するためには主権、国民、領土が必要です。
縦的万王の王である神様と横的万王の王である真の父母様の住まいである正天宮は主権を代表します。行政府である天苑宮は国民を代表しています。天苑宮の中の天一聖殿は縦横の万王の王が民の所に下りてこられる場所です。清平聖地全体は領土を意味しています。今まで正天宮と清平聖地はありましたが民を象徴する天苑宮はできていませんでした。2022年5月5日に天苑宮が出来上がるということは、単に立派な建物が出来上がるということではありません。最後のピースである天苑宮が出来上がれば天一国が地上に姿を現します。そうなれば神様が地上に下りてこられ、人類を完全に救うための最後の役事が始まります。それが重生の役事です。
そして天一国の民として認定され重生の恩恵に与ることができる条件が天寶登載です。
詳しくは天寶重生論序、天寶重生論Ⅰ、天寶重生論Ⅱ、天寶重生論Ⅲをご覧ください。
お母様は天苑宮を造ることで2023年5月5日に国家が現れ、国家を基盤として重生の役事が始まるように準備されました。ただし、天苑宮を作るためのお金ができれば重生の役事が始まるわけではありません。実体天一国の国民である天寶家庭が必要です。天寶家庭資格を得る条件として提示されているのはあくまでも外的、形状的なものです。それでは不十分であることは上記に書きました神様の意図Ⅰ、Ⅱにある通りです。
私たちが氏族的メシヤの使命を実践することによって、重生が成されます。重生、再び生むことのできる道が生じます。お母様のおなかの中に入るのです。家庭的メシヤから氏族的、国家的、世界的、天宙的メシヤまで、お母様のおなかの中を通して、頂上の神様とお父様とお母様が愛し合える位置に行き、その色に染まって出てこなければなりません。ですから、左側に入って再び回って出てきて、家庭のお母様のおなかの中から出てこなければなりません。
家庭から出発したので、本然の基準に戻ってすべてのものを清算して現れるとき、サタンとは全く関係のない基盤になるのです。そして、重生の生みの苦しみを体験しなければなりません。そのようになることによって、祝福を受けた家庭は、真の父母になるのです。サタンと永遠に関係のない新しい出発ができる神様の直系子孫の立場に至って真の父母になり、その一族は、真の父母一色となって天国に直行できる氏族になります。氏族と民族を編成して国家と連結されれば、国家が入り、世界が入ることができるのです。第八篇 信仰生活と修練 第三章 真の父母の似るための信仰生活 第三節 真の父母を通して生まれ変わる路程2 1995.10.29
重生はお母様の胎中に入ることから始まりますので、お母様のことしか考えられないほどにお母様を慕うことが基本となります。お母様が、お父様を慕うのではなく私を慕いなさいともとれるみ言を語られるのには明確な意図があるのです。お母様の胎中に入るには、胎児になるということです。母親と胎児は一つの体ですが、お母様と私たちはそうではありません。私たちがお母様の胎中に戻っていくには完全ともいえる心情一体化が不可欠です。要するに死ぬほどお母様を愛する必要があるのです。また、私たちが愛において真の父母様に酷似する必要があります。私たちが御父母様に似るべきなのは外形ではありません。愛が似るべきなのです。私たちは堕落の血統に生まれたので完全に似ることはできませんが、似ているという型が必要です。神様から、堕落の血統に生まれたが真の愛に似た姿だと認定される必要があるのです。何故なら重生の役事は神様の再創造なので、神様が良しとされなければ始まらないからです。
神様は人類を完全に救う重生の役事を急いでおられます。神様がもう待てないのは人類の完全な救いの実現なのです。そのためにどんな犠牲をも厭わず突き進まれます。
人類の最終的な救いである重生の役事がいつから始まるのか、すべては私たち次第です。
2023年5月5日が、神様が予定された日です。
私たちが責任を全うできなければ2027年まで延びることになります。そうなってしまうとお母様は84歳です。2027年にできなければ、2013年から始まった7年路程の三次が終わる時、すなわち2034年になります。その時お母様は91歳です。深刻です。
何としても2023年5月5日に決着をつける必要があります。
食口、祝福家庭の皆様、外界で大騒ぎしている人々は無知ゆえに何も分からないでしているのです。私たちは長子です。神様の長子に相応しい道を堂々と歩み、真の愛でこの世界を覆いつくそうではありませんか!
とにかく、人類歴史が待ちわびた人間の完全な救いがすぐそこまで来ています。
ついに歓喜の夜明けがやってきます。
今は夜明け前の最も暗い時です。
もうすぐ輝く光と共に夜は終わります。
永遠の天国が到来します。
次章では連続した災禍が起こったより深い原因と解決策を示します。
是非ご覧ください。⇒ 食口の失敗をご自身の命で贖われる御父母様(最終摂理時代Ⅱ)