天心苑にある究極の恩恵
2024年2月25日の天心苑祈祷会における苑長のみ言において真の父母様と自分との心情的距離のことについての話がありました。この内容を聞いて私がお伝えしようと考えていることが間違いないと確信しました。
2013年11月16日(天一国元年10月14日)に神様からみ言の深意を解明しなさいと指示された時、「私にそんなことができるでしょうか?」と尋ねました。すると神様は「お前がするのではない、私がするのだ」と言われました。それ以来、私は神様のみ言を受け止める器になることが人生の使命となりました。余りにも器として不十分であるため間違いもありますし、不十分な所もありました。それでも導かれる中で何とか今まで続けてきました。
そして今回、とても大事な内容に導かれました。それは2024年2月19日に始まりました。天心苑祈祷会に参加して133回目でした。その日から始まった恩恵をメモしているので掲載します。
『原理、勝共、統一思想という知性中心の時代から天心苑の情中心の時代に大転換しています。時代の急展開についてこられない食口がいるのは仕方のない部分があります。
天心苑はお父様の執務室であり、お母様の腹中ですが、更に深い意味も隠されているのを感じました。天心苑には真の父母様と孝進様、興進様、大母様のお写真が掲げられています。これには深い理由があります。
お父様、お母様、孝進様、興進様、大母様が揃う天心苑は家庭の愛の再養育の場です。私たちは本然の家庭の愛を知りません。お父様、お母様、孝進様、興進様、大母様が私達の実の父、母、長兄、次兄、祖母として愛してくださる場が天心苑なのです。つまりお父様、お母様、孝進様、興進様、大母様を自分の本当の父、母、兄、祖母と思って接しなさいというのが天心苑です。家庭的四位基台という概念は知っていてもそこに流れる情は体験しなければ分かりません。遠くにいる偉大なお父様、お母様、偉大な孝進様、興進様、大母様ではなく、自分の実の家族として接するために出現したのが天心苑なのです。私のような不足なものがと距離を置く事は天の願いではありません。
本然の情、本然の愛を体験しなければ本然の私になる事はできません。天心苑で本然の家族の情を思う存分味わってください。本然の家族の愛のある所、天心苑に天国があります。神様と呼ばず天の父母様と呼ぶ時代は実の家族の時代なのです。』2/19
『昨日与えられた内容があまりにもインパクトが大きく呼名祈祷しながら確かめてみました。いつもそうなのですが語られた御言に背後にはもっと深い意味が隠れているので、それを探し出す必要があります。天寶家庭の御言の場合もそうでした。
天心苑に関する御言も沢山ありますが、一番重要な内容は探し出さなければならないようになっています。私が恩恵を頂いた内容は次のようなことです。
『天心苑は「私」の家庭です。
真聖徳皇帝、再臨主、真のお父様は「私」の実の父です。
独生女、聖霊実体、真のお母様は「私」の実の母です。
深天開放苑 忠孝開門主 孝進様は「私」の実の長兄です。
天総官 興進様は「私」の実の次兄です。
忠心奉天 大母様は「私」の実の祖母です。
人は家族を選んで生まれるのではなく、生まれてみたら父母、兄や姉、祖母がいる事を知るのです。天心苑は重生と養育の場なので家族の仲間入りをする所です。
真の父母様、孝進様、興進様、大母様が実の家族なのかご自身でお確かめください。もし私の言っている事が正しければ私たちは既に天国に入り始めています。
信仰的に真の父母様を父母として接する、信仰的に孝進様、興進様を兄と信じるのではなく、本当に実の家族なのです。
「私」の事を実の子女、実の弟や妹、実の孫だと感じている強い心情が溢れているのが天心苑です。』2/20
『信仰の時代は終わろうとしています。家族間に信仰は必要ないからです。
真の父母という言葉は本当の父親と母親という意味です。私たち一人一人、全人類が真の父母様を父母と感じるような道を歩むというのは気が遠くなるような愛の世界です。ご父母様から見れば一人一人、全人類を実の子女と心の底から感じる愛の世界です。
天心苑の奇蹟は願った事が叶うことから始まりますが、奇蹟の核心は信じることから感じる世界に導いてくれることだと思います。
今日は氷点下だから寒いのではなく、寒いと感じて気温を調べると氷点下だったというのが普通です。信仰の世界は氷点下なので寒いに違いないという世界です。
信仰の世界は感じる世界からすると変な世界です。
神様を父母と感じ、真の父母様を自分の父母だと感じること以上の奇蹟があるでしょうか。天心苑にはそれがあります。
信仰が終わり、宗教が終わろうとしています。信じるのではなく感じるという本然の世界がやってきています。』2/21
天心苑は「私」が誕生する所です。私たちは神様と真の父母様、孝進様、興進様、大母様を知っていましたが相当距離があったのではないでしょうか?私の場合も距離がないとは言えませんでした。
私たちがお父様とお母様を歴史上かつてない偉大な方だと思い、考え、祈れば、良い部分もありますが近づきがたい遠い存在になってしまうことが起こります。
神様と真の父母様からすると、「私」を思えば限りなく慕わしい息子、娘です。孝進様、興進様が「私」を思えば限りなく慕わしい弟、妹です。大母様が「私」を思えば限りなく慕わしい孫息子、孫娘です。
天心苑ができるまで私たちは放蕩息子、放蕩娘ではなかったとしても帰る家のない孤児、あるいは放浪息子、放浪娘でした。神様と真の父母様という実の父母、孝進様、興進様という実の兄、大母様と言う実の祖母が大事な家族である「私」を迎えるための帰る家を用意してくださったのです。神様と真の父母様のご苦労は全人類という不特定多数を救うために犠牲の道を行かれたのではなく「私」を息子、娘として迎えるためにご苦労されたのです。
真の父母様と孝進様、興進様、大母様の歩まれた死の道は摂理的使命と言う以上に「私」を家族として迎えるために行かれたのです。
天心苑祈祷会で、私の大事な息子よ、娘よ、家に帰って来なさいという実の父母の声を聴いてください。真の父母様は信仰の対象としての存在ではなく肉親の父母なのです。私たちは天心苑でお母様のお腹で育っています。ですからすでに家族なのです。
天苑宮奉献式がなされ天心苑が姿を現す以前の時代は「私」はまだ存在しなかったと同じなのです。天心苑で生まれてみたら父親は真聖徳皇帝、再臨主だったのです。生まれてみたら母親は独生女、聖霊実体だったのです。
あまりに素晴らしい親を持った人が私たちなのです。孝進様、興進様、大母様が「私」の肉親です。何と素晴らしいことでしょうか。
以上の内容をもう少し理論的に考えてみましょう。
私たちは堕落世界に生まれました。このような人は霊界も含めて数千億人に達します。この人々は永遠の歴史において貴重な証詞人になり天国の核になります。天国ができて時間が経てば経つほど堕落世界を知らない人が増えていき、私たちは堕落歴史を知る数少ない存在となります。
しかし一方において本然世界で生まれ育っていないので修正される必要がある部分があまりに多くあります。
本然世界でも生んでくれた父母は永遠に父母なのではありません。霊界に行けば一番近い兄弟姉妹になります。
霊界で最も近い兄弟は誰でしょうか。霊界で最も近い兄弟は横的な兄弟ではありません。この世で親子の関係と兄弟の関係の中でどのような関係がもっと近いですか。兄弟の関係より親子の関係がより近いので霊界に行っても私のお父さんが最も近く、その次はお爺さん、その次はお爺さんのお爺さん、またその上のお爺さんになるでしょう。そのように上がっていけば最後のお爺さんが誰でしょうか。その方が正に神様です。「人間の生と霊魂の世界」第二章 霊界はどのような所か 一 霊界の実相と法度 4.霊人達の生、霊人達の相互関係
霊界では天の父母様が父母として現れる時、真の父母様として現れます。ですから霊界では父母は真の父母様だけです。真の父母様はこれから生まれてくる何兆、何京、何垓・・・・という無数の人間の唯一永遠の父母です。
そういう意味で今は地上に真の父母が生きておられるという極めて特別な時代です。地上でも完成した祝福家庭がいないので、本然の父母は真の父母様のみという時代です。
孝進様や興進様は地上の父母が真の父母様で永遠の父母も真の父母様と言う特別な方々です。そして実は私たちもそうなのです。
前述のみ言にあるように、本然の天国でも地上の父母は永遠の父母ではありません。霊界に行けば地上の父母とは兄弟姉妹になるので、地上での父母は仮の父母だと言えます。そうすると堕落世界で私たちを産み育ててくれた肉親の父母は仮の仮の父母なのです。私たちが真の父母様という本当の肉親の父母に出会うまでのあいだ養育してくれた存在です。
私たちは孝進様や興進様の立場と同じなのです。肉親の父母が真の父母様であり、霊界に行ってからの永遠の父母も真の父母様です。
ですから孝進様や興進様と同じように真の父母様から肉親の父母の愛を受けて育つ必要があるのです。真の父母様は堕落世界で生まれた数千億の人類の肉親の父母でもあるのです。これは数千億の人々を一まとめにして子女を捉えるのではなく、一人一人の個性真理体の父母なのです。子女の立場から見ると、みんなの父母、全体の父母ではなく、私の父母なのです。このような愛の世界を実現しなければ真の父母とは言えません。気が遠くなるほど大変です。それで気が遠くなるほどの苦労の道を今も行っておられます。
それで私達統一家の食口と霊界の絶対善霊の方々が本然の肉親の父母の愛を受けて育つために用意されたのが天心苑です。これから復帰されてくる何十億の地上人や数千億の霊人にとっても本当に肉親の父母や兄弟がいる唯一の家庭が天心苑です。天心苑はわずかな空間に見えますが、全人類が入れる家庭なのです。孝進様や興進様は先に父母の愛を受けられたので私達の本当の兄です。私たちは同じ肉親の父母から生まれ、同じ肉親の愛を受けて育った本当の兄弟なのです。人類一家族世界は人々が本当の肉親の兄弟姉妹ならば自然に実現します。それ以外の方法では人類一家族世界は決して実現できません。私達統一家の食口も天心苑で初めて本当に兄弟姉妹になって行くのです。
さて、お母様と一つになればできないことはない、成就しないことはないというみ言を何度も聞いておられると思います。実の親子以上に一体となった関係はありません。天心苑は真の家庭の一人として私が入るために用意されたところです。子供は立派であろうがダメであろうが子供なのです。堕落性が色濃く残っていても、霊人体が醜いとしても子供なのです。これは兄にとっても祖母にとっても同じです。
天心苑は「私」を迎えるために血と汗と涙の精誠で用意された私の本当の家庭なのです。
「私」の父は真のお父様以外にはいないのです。「私」の母は真のお母様以外にはいないのです。自分を産んでくれ育ててくれた両親が父や母なのではありません。とてもありがたい存在ですが、真の父母様につなげてくれる役目をなしてくれた方々です。
まだ十分に探究しきれていないので違うかもしれませんが、二世、三世にとってもそうではないかと思います。二世、三世の親が子女に与えた愛は本然の真の愛とは言えないからです。
天心苑祈祷会で天心苑におられる本当の肉親、本当の家族に出会ってください。
一般世界でも父母は慕わしい存在ですが、涙を流し嗚咽するほど慕わしいかと言えば、そこまではいきません。真の父母様と言う本当の肉親の父母に感じるのは嗚咽の涙を伴う情です。
今は摂理機関も教会もすべて天心苑の元にあります。それは天心苑に一番重要なものがあるからです。各摂理機関や各教会での課題解決のため役事してくださいと祈る方も多いと思います。それも重要なのですが、一番重要なことは本然の家庭の情を感じることです。真の父母様を信じるだけでは空しいのです。真の父母様を実の肉親の父母として感じなければこの道に来た目的を達したとは言えません。これがなければいくら他の願いが成就しても本心は喜びません。
信仰の時代は終わろうとしています。真の父母様の愛を感じ、天の父母様の愛を感じる時代です。ただ感じるのではなく嗚咽するほど感じる時代を迎えています。天国は笑顔の世界と言うより嗚咽するほどの涙の世界なのです。
なかには今は日本の危機で祈っている時ではなく運動すべき時だと思っている方がいますが、今こそ祈る時なのです。アボジ、オモニと呼べば涙が溢れる、これこそが復帰摂理の到着地です。涙で父母を慕う姿を天の父母様がご覧になれば、全知全能の力を発揮できるのです。天の父母様に勝る力を行使できる人は一人もいないのです。天の父母様は涙を流して慕う世界を実現するために創造されたのです。
ここ数日はワンオンマ、ワンアッパ、孝進様・・・と呼名祈祷することができない時が多くなってきました。情が高まって言葉が出なくなり嗚咽状態になることがあります。本然の家庭にある情的世界は余りに強いものです。天国は笑顔の世界だと思っていましたが、本当に涙と嗚咽の世界だと感じます。
祝福を受けた人は霊界に行っても先生が永遠に責任を取ります。先生が主管して指導します。祝福とはこのように先生と永遠の因縁を結ぶものでもあるのです。
「礼節と儀式」 第四章 祝福家庭の伝統と生活礼式 十三 祝福家庭の生涯儀礼 2.祝福、祝福式