
十災禍とコロナ禍に現れた神様の苦難史
*十災禍
十災禍には、エジプト人に苦しみを与え、へブル人の神がいかに偉大であるかを思い知らせるというような旧約的な観点だけでは測れない内容が含まれています。また、第二次民族的カナン復帰路程のおける出発のための摂理としての意義の奥に更に深淵が横たわっています。
モーセの出エジプト時に起こった十災禍を見てみましょう。
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ナイル川の水が血に染まる(7:14-25)
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蛙の大群が押し寄せエジプト人の体にも這い上がる(8:1-15)
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ぶよの大群(8:16-19)ぶよは人の皮膚を噛み切り吸血すると同時に毒素の注入する。患部が通常の2~3倍ほどに赤く膨れ上がり激しい痒みや疼痛、発熱の症状が1~2週間程現れる(ブユ刺咬症、ブユ刺症)。体質や咬まれた部位により腫れが1ヵ月以上ひかないこともままあり、慢性痒疹の状態になってしまうと完治まで数年に及ぶことすらある。多く吸血されるなどした場合はリンパ管炎やリンパ節炎を併発したり呼吸困難などで重篤状態に陥ったりすることもある。
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アブの大群(8:20-32) 血を吸う害虫として忌み嫌われている。刺された瞬間、チクッというような痛みがあり、アブに刺されたことがすぐにわかる。一般的に強いかゆみがある。アレルギーがある場合、化膿し水ぶくれができることがある。
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激しい疫病によりエジプト人の家畜が全滅(9:1-7)
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全エジプト人に膿みの出る腫れ物を生じさせる(9:8-12)
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かつてない恐ろしく大きい雹(ひょう)が襲い、野外にいるものは人も獣も全滅(9:13-35)
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イナゴの大群が地を覆いつくす(10:1-20)雹を逃れた草木も食べ尽くされて全滅
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人の顔が見えないほどの濃い暗闇がエジプトを覆う(10:21-29)
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パロの長子、エジプト人の長子、家畜の初子がすべて死亡 (11章、12:29-33)
原理講論のモーセを中心とする復帰摂理(2) 第二次民族的カナン復帰路程② 実体基台には十災禍について下記のように記されています。
神は、モーセを通じて十災禍の奇跡を行われることにより、イスラエル民族をエジプトから救いだされたのであるが(出エ七・10~一二・36)、これも将来イエスが来られて、奇跡をもって神の選民を救われるということを、見せてくださったのであった。ヤコブがハランにおいて、二十一年間の苦役をするとき、ラバンは当然ヤコブに与えなければならない報酬を与えないで、十回も彼を欺いた(創三一・7)。それゆえに、ヤコブの路程を歩むモーセの路程においても、パロがイスラエル民族を、限度を越えて苦役させたばかりでなく、十回も彼らを解放すると言いながら、そのつど彼らを欺いたので、その蕩減として十回の災禍を下し、パロを打つことができたのである。
これは蕩減復帰として起こってくることなので、神様の恨と解怨に必ず関係があります。つまり、神様が下された十災禍は、神様自身が通過してこられた災禍だということです。
神様が経験もしていない災禍を人間に下され、人間を苦しめようとされるような残酷なだけの神様ではありません。人間世界に現れる現象には必ず原因があります。原因は必ず神様の世界にあるのです。
蕩減復帰は正にその現象なのです。
蕩減復帰の本質は神様の解怨によって神様と人間の関係を本然に戻すことにあります。
神様の恨は全知全能の神様でもご自身で清算することができません。
神様でもご自身の情を自由に操ることはできないのです。
蕩減復帰には失敗したのと同じ環境、同じ心的状況が再現されます。
これは天法違反を清算するという表面的なことだけではありません。
神様の恨はこの方法でなければ解けないのです。
この観点で見ると、災禍は神様の解怨として起こってくることだと分かります。人間との関係を本然に戻すために、そして神様の心情世界が快晴になるために身もだえながらなされる御業なのです。神様の心情が本然に戻らない限り天国はあり得ないことを神様が一番ご存じなのです。
最も公的な心情を持っておられる神様は、ご自身が犠牲になれば天国ができるのならいくらでも犠牲の道を行かれる方です。しかしそれでは恨が消えないのです。神様の恨が残ったままの天国などあり得ないのです。
神人一体天国を成就するために人間が自発的に蕩減路程を歩めなければ、災禍によって打つという、したくないことをしてでも清算して天国建設に向かわざるを得ない神様なのです。
そういう観点で十災禍とコロナ禍を見てみましょう。
・血色に染まったナイル川は、
生命なき無機物が生命ある有機物に変わると同様に、生命なき堕落人間が真の父母様の降臨により生命ある人間に重生することを象徴しています。
その一方、災禍という観点から見るとこれは復帰歴史を通して流された神様に血を表わしていると言えます。
・体に這い上がるカエルの大群
・皮膚を噛み切って吸血し更に毒を注入するぶよの大群
・刺された痛みの後に強いかゆみをもたらすアブの大群
・膿みの出る腫物
これらのカエルや虫の大群はサタンの血統をもって生まれた堕落人間による神様の苦痛を象徴しています。神様にとって堕落人間は気持ち悪いカエルであり、毒を持ったぶよやアブなのです。また堕落人間の持っている毒素によって神様の体は膿の出る腫物で覆われています。
・恐ろしく大きい雹が降ってきて死ぬほどの打撃を受ける
これもサタンと堕落人間から神様が絶え間ない強烈な打撃による死の拷問を受けてこられたことを表わしています。
・激しい疫病で家畜が全滅
・イナゴの大群がすべての草木を食べ尽くす
これはサタンと堕落人間が、神様が精誠こめて創造された万物を奪い、我欲で蹂躙し尽くしたこと示しています。
・触れるほどに真っ暗な闇
これは一切の希望が失われ真っ暗な囹圄に閉じ込められた神様の絶望的な心を描写しています。
・すべての長子が死亡
これは神様の長男、長女であるアダムとエバがサタンによって殺され、その後の長子もすべてサタンの所有となったという、やるせない神様の心情世界を表わしています。

*コロナ禍
コロナ禍は神様が十災禍と同様に苦痛と死の道を行かれたことを示しています。
コロナ禍の描く世界は十災禍の世界よりも更に内的です。
既に神様の精誠Ⅰの⑫死の苦痛に耐えてなされた神様の復帰の精誠において述べましたが、コロナ禍において神様はウィルスと人間の免疫の力関係を ウィルス>免疫 にされました。神様にとってウィルスを変異させ人間の免疫を発現しにくいようにすることはたやすいことです。人間は無知に陥り分からなくなっていますが、ウィルスも人間の免疫も神様が動かしておられます。
「神様の精誠の私物化と心情蹂躙という罪の中に生きる人間の姿」を参照してください。
今回のコロナ禍は、神様と真の父母様の完全な勝利の恩恵を拒否し、サタン世界の刹那の幸福にしがみついて悔い改めない堕落人間に対する外的粛清として現れました。これは蕩減復帰として現れているのですが、蕩減復帰は必ず神様の恨の解怨でもあります。つまり、蕩減復帰として現れた今回のコロナ禍も神様が通過された恨の世界を表わしているのです。
そういう観点で見た場合、人間の体内に侵入するウィルスは神様の体内に侵入する堕落人間を表わしています。神様が三大祝福を与えたアダムとエバはサタンと愛の関係を結ぶことで人間の所有権はサタンに移り、三大祝福もサタンの所有となりました。
本来、創造理想の中では愛は所有を決定する様になります。愛の関係を結べば、その愛を中心に主体と対象は必ず互いの所有権をもち合うようになるのが原理です。従って、この原理的な基準でよく見る時、エバが天使と不倫なる愛の因縁によって堕落するようになったので、エバの後孫として生まれる人間の所有権は天使長であるサタンがもつようになったのであり、サタンはその所有権を堂々と主張出来るようになったのです。 「真の家庭」第10章 復帰すべき人類の真の家庭 二 サタンの所有物になったアダム家庭
ウィルスが人間の細胞のシステムを乗っ取って繁殖するように、サタンと堕落人間は神様の人間創造の仕組みを乗っ取ったのです。神様は堕落人間を創造することを強いられました。神様の似姿の人間を創造するのではなく、姦夫サタンの似姿の堕落人間を創造されたのは神様です。神様の尊い創造力を堕落人間の創造に使わざるを得なかったのです。姦夫サタンの子孫が繁殖するようサタンを「生めよ、ふえよ」と祝福し実際に増やされたのは神様です。
どれほど惨めでしょうか!
どれほど屈辱でしょうか!
どれほど悔しいでしょうか!
どれほどの苦痛でしょうか!
しかし、神様は真の愛を貫かれ堕落人間が増える様にしか働かれませんでした。ウィルスと免疫で言えば免疫を一切発動させない状態と同じです。そうなればウィルスは宿主を死に追いやるまで苦しめます。神様の体の中を堕落人間が好き放題暴れるのと同じです。それは神様にとって死の苦しみです。
今回のコロナ禍でたくさんの人が死んだのは、神様が堕落人間の繁殖によって死の苦しみを通過されたことの再現なのです。神様に肉身の命があったなら何度死なれたか分かりません。

ノアの洪水もそうです。人間や万物が水に飲み込まれ虚しく死んでいく姿。これは堕落によって人間や万物がサタンの死の沼に飲み込まれていくのを眺めるしかなかった神様が通過された底なしの悲惨を表わしています。
このような観点で復帰歴史を俯瞰するとノアの洪水からコロナ禍に至るまであらゆる苦難、災禍は神様が通過された世界の再現であることが分かります。これが蕩減復帰の真の意味なのです。
御父母様が通過された興南などの外的苦難や語られることのなかった内的苦難のすべてが、神様が先に通過された苦難なのです。
私たちの通過した苦難、現在通過中の苦難も必ず神様の通過された苦難と重なっているのです。
下のコロナの重症患者の画像をご覧ください。この姿は歴史を通して死の路程を歩まれた神様の姿と完全に重なっています。
この患者たちはベッドで横たわっていますが、神様は死の床から立ち上がり気力を振り絞って復帰摂理を担ってこられたのです。そうしてくださらなければ世界は終わったのです。
神様の歩まれた復帰路程の真の姿は涙なくして見ることはできません。
今日、既成教会では「神様が栄光の中にある審判主として、地獄へ送り、天国に送る」と言います。この世で最もかわいそうなお方が神様です。最も悲痛で身もだえしながらも光明の天地が暗黒の地獄へと落ちるかもしれないのを克服して、そこで身を持ち直し、目を開けて意識を確かにもって、死にはしたが、この子らを生き返らせようという心をもった方が神様です。創造主の能力、絶体者の力があったのでそれが可能だと考えるのであり、そうでなければおしまいなのです。
「真の神様」第四章 真のお父様の見た神様 一 歴史的な恨、苦痛の神様 1 人間の堕落により父母の立場を失う


