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愛溢れる私の起源地に帰りましょう!

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2025.5.20

天苑宮天一聖殿に天の父母様が入宮されることでかつてない大きな変化が起きています。今までは真の父母様のみ言や生活、路程を通して天の父母様のお姿を推し量る道しかなかったのです。真の父母様を通して天の父母様に対する時代でした。

入宮式は天の父母様が真の父母様の所に来られる儀式ではありません。天の父母様が私たちの所に来られ、私たちに道を直接つなげてくださる儀式なのです。ですから、復帰摂理において全く新しい時代を迎えたのです。

 

天の父母様は信仰の対象としてではなく、私たちと共に生活するために来られたのです。今までの時代は自分の本当の父母を信仰するという極めて不自然な時代だったのです。実の父母を崇め信仰する家庭があるとすれば、不自然な家庭です。過去の宗教は復帰のためにこの不自然なことをするしか道がなかったのです。私たちも真の父母様に侍ることはできても天の父母様に侍る道がなかったのです。

 

この新時代の神霊を敏感に感じている方は天の父母様にとても近い方です。多くの食口の前で語る使命を持っておられると思います。是非証詞してくださるようお願いします。また神霊と人間をつなぐ真理も必要です。今回はそれを追及してみました。天の父母様と私たちの真の関係を描くには、愛と真理の根源地に行く必要があります。それでは始めましょう。

 

人間世界に現れることは、堕落の要素以外は神様の世界が実体化したものです。完全な相似形です。

例えば人間の内臓、血管、神経、骨、筋肉などの体の構造は神様の構造と同じです。ですから人間の体は聖なるものです。

また、愛、知情意、五感の感性などもすべて神様由来です。(これらはリアルタイムで神様から相続しているものなので当然のことです。)

 

この目がぱちぱち瞬きするのは、この世の空気中にあるほこりが入るのではないかとそのように瞬きするのです。霊界にはほこりがありますか、ないですか。霊界では神様が目を千年万年開けている、それは気分が良いですか。地上では、習慣性でぱちぱち瞬きしたので、霊界にほこりがなくても瞬きしなければならないのです。なぜですか。私達に似たからです。「人間の生と霊魂の世界」第二章 霊界はどのような所か 一 霊界の実相と法度 5霊界での衣食住問題は自由自在

 

人間が食事をするのは神様も食事をなさるからです。呼吸をするのも、まばたきをするのも神様がそうだからです。

すると人間が誕生する過程も神様に由来していると考えるべきだということになります。

 

それではその観点で神様による「私」の誕生を見ていきましょう。

意識の超難問題といわれている課題があります。それは「なぜ私は私なのか」「なぜ私は他の誰かではなく、この人物なのか?」という問題です。

数学や科学の世界でも難問といわれるものがあります。その追及に一生を賭けた人も多くいます。中には廃人になった学者もいます。それでも難問といわれた問題でも解けたものもあります。

しかし、この意識の超難問題は解ける人がいませんでした。解ける気配すらなかったのです。

 

2020年5月8日に天の父母様聖会の発足が宣布されました。この日お母様は、神様は天の父母様だと正式に宣言されたのです。これは真の父母様によって意識の超難問題がすでに解けていることを宣言された日でもあるのです。それのみならず、この宣言は世界のあらゆる問題の解決策がここにあるという宣言だったのです。

神様が天の父母様だと宣言する方はどういう方なのか世界は分かっていません。私たちも十分には分かっていなかったのです。

 

私たちも神様が天の父母様だという観点で捉えなおす必要があると感じます。

例えば、統一思想において人間の設計図とされているロゴスは、愛を中心として内的な知情意と外的な観念、概念、法則性の授受作用によって生まれるとあります。これらは正しいことは確かなのですが、人間の誕生過程とは違います。天の父母様時代になってロゴス(理法)という言葉ではなく、もっと別の言葉が必要な時を迎えています。

 

人間の誕生では夫婦の愛が始まりです。その次に母親の胎中での約10か月を経て誕生してきます。統一思想ではこの部分が抜けていると感じます。

今や神様は天の父という存在ではなく天の父母様であることが明確になりました。それに合わせて人間の誕生に至る過程も再検討が必要だと思います。

 

愛は、どこから響いてくるのでしょうか。母のおなかの中からです。先に母の愛から受けるのです。子女を中心として、相対的に先に愛する人は母です。父も愛しますが、子女がおなかの中にいる十月の間、大事に抱いて、けがをするのではないか、傷つきはしまいかと、愛する心で言葉にも気をつけ、生活にも気をつけ、すべての態度も端正にして、胎教期間を経る過程で、腹中にいる赤ん坊を自分の生命よりも愛した人が母だというのです。愛は母から始まるのです。第五編 真の家庭 第四章 真の子女の教育と家庭天国 第二節 家庭は天国の教本14

 

父親がいくら子供を愛するといっても、母親の愛にはかないません。母親は、精誠を捧げたとすれば誰よりも精誠を捧げたし、苦労をしたとすれば誰よりも苦労したし、愛したとすれば誰よりも愛したと見るしかありません。

そのような意味でも、女性が情緒的な分野において高く貴い位置を所有しているのであって、父親がいくら子供を愛するといっても母親ほどに子供に対する愛は分かりません。「真の愛」 第二章 愛の実際 六 子女の愛 1.子女は父母の愛の結集体

 

このみ言を見ると人間の母親の通過する心情路程は結果なので、原因がなければならないことになります。

天心苑はお母様の胎中だというみ言があります。ここに深い意味があると思います。

 

前置きが長くなりましたが、心情的に追及すると結論は次のようになります。

私たち人間は天のお父様と天のお母様の夫婦の愛から始まりました。そして天のお母様の胎中に極めて長い時間存在していたということです。胎児に意識がないように、この段階の人間は無形であり意識がありません。私たちには無形の胎児の時代があったことになります。神様世界にいた人間は神様にははっきり見えるし感じる存在です。これはロゴスという存在ではなく明らかに胎児です。

(胎中にいた胎児には一般的に記憶はありませんが、中には覚えている人がいるようです。私たちも天のお母様の胎中にいたときの愛の記憶がよみがえる可能性があります。)

 

地上で生まれた人間の場合は胎中で半自動的に成長していくように見えます。

しかし、無形の天のお母様の胎中にいる無形の胎児は天の父母様の創造力が働かないと成長していきません。創造力は愛の能力です。つまり、無形の人間が天のお母様の胎中にいる時、天の父母様の無限の愛が注がれたと考えられます。特に天のお母様の愛です。

より素晴らしく、より素晴らしくなってほしいという天の父母様の愛は

与えては忘れ、与えては忘れする愛です。そうするうちに無限の愛(精誠)が投入されました。神様の愛は個別的です。必ず1:1です。神様の意識は無限次元ですから無限の数の人間に無限の愛が注がれたわけですが、それは「1:多数」ではなく必ず1:1です。

 

私たち一人一人は天のお母様の胎中で無限の時間愛されていたのです。天の父母様の家庭の子女として愛を受けていました。この時代において私に投入された愛(精誠)は真の愛の次元に昇華しました。つまり、私に対する絶対信仰、絶対愛、絶対服従が完成しました。同時に絶対愛の父、絶対愛の母が生まれたのです。この父母の愛はこの世の父母の愛とは全く別次元です。私が地上に生まれる前に真の愛とはこのように誕生したのです。そして私が地上に誕生したのです。(この時、母親は陣痛、出産という生みの苦しみを通過します。これは推察ですが、その時、天のお母様も同時に生みの苦しみを感じられるのではないかと思います。)

 

真の愛は絶対、不変なので堕落という全く予期せぬことが起こっても絶対、不変なのです。血統が神様の血統からサタンの血統になったとしても真の愛は影響を受けません。人間が罪の限りを尽くしても愛は絶対、不変なのです。堕落論を講義する時、堕落の深刻さを伝えることがとても重要ですが、それと同時に神様の愛の絶対性、不変性を伝えることが不可欠です。

 

さて、天の父母様の愛は堕落によっても永遠、不変ですが、その愛が異次元の強さを持っているため、堕落によって生じる悲しみも一般的な悲しみという言葉では表現できないどん底の悲しみです。この無限ともいうべき悲しみは形を変えた真の愛です。それは絶対愛が原因で生じた絶対的な悲しみだと言えると思います。

 

愛によって生じた創造力によって成長してきた人間です。堕落によって壊れてしまったので愛を受けないと修復できません。

それは天のお母様の胎中が実体化した真のお母様の胎中に戻る必要があります。お母様の先に天のお母様がおられます。その時代に戻る必要があるのです。そこには私に投入された無限の愛があります。それを感じることが肝要となります。この愛をもう一度感じることが、壊れた私たちが元に戻るのにどうしても必要です。

 

特に大事なのは、私がサタンの血統として生まれたこと、天のお母様を知らずに孤児のように育ったこと、罪を行い、罪を背負っていること、すべてに天のお母様は限りなく号泣されたという事実を感じることです。その悲しみを感じることは私たちにとって完全な治療薬です。天のお母様の悲しみは私たちを生み変える力のある愛のエキスとなっています。その悲しみと愛を感じるたびに私が生まれ変わるのです。

 

それと共に、神様世界で本然の私が受けていた本然の愛を感じることがどうしても必要です。

人間の母親が、胎児が子宮内を動くのを感じるように、天のお母様も子宮内を動く胎児を感じられたのです。胎児の動きは無意識的ですが、それは天のお母様に無限の喜びを与えるものでした。私たちは天のお母様の胎中にいた天の父母様の実子なのです。これ以上の素晴らしい事実があるでしょうか。

 

それだけに本然に戻る基地は天のお母様と真のお母様の母の愛なのです。

 

息子が、自分を生かす為にやきもきする情景を見れば、「うちのお母さん、お父さんは、私のゆえにあんなふうなのだな」と言い、千万回罪を悔い改める様になります。そんな母がいて、父がいれば、その子供は、骨が溶け、肉がやせ細るほど悔い改める様になるのです。父母によって、そうし得る道が生じるのです。 「地上生活と霊界」第四章 天国 一 天国に対する理解 5肉身と地獄

 

神様が私たちの父母だということ、特に私たちは天のお母様の胎中にいたということ、それが神霊を通して流れてきています。神霊にアンテナを向ければそれを感じることができると思います。

お母様は天のお母様の切ない愛と心情を完全に相続された方です。お母様が天心苑祈祷会を指示された背後には、お母様が天のお母様の切ない心情を解放して差し上げたいという切ない思いあるのです。

天心苑で更に精誠の祈りを尽くしましょう。真剣に祈っていけば、孤児だった私たちをあまりに長い時間、切なく待ってこられた母に直接出会うことができる時代になりました。私たちは愛溢れる起源地に戻る時を迎えています。

そこで、自分が天の父母様の本当の実子だと骨髄の底から感じることができるのです。

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