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天心苑祈祷にドライブをかける神様と真の父母様の真実

天心苑を基地とする私たちの戦いは今始まったばかりです。今回の私たちに対する逆風はほんの序の口にすぎません。なぜなら私たちの今までの頑張りではこの世に変化させることができなかったからです。どうしてできなかったのでしょうか?この世界を変える戦いはこれからが本番です。そのためにも勝利するポイントを知る必要があります。

先回のアップから相当に時間がたちましたが、その間、天心苑祈祷会で多くのものが与えられました。まとめる時間がなかったので今回の内容は様々な内容が詰まっています。全体を一つに詰め込んだので少しまとまりに欠けますがご容赦ください。

 

さて、信教の自由を前面に出すことは重要です。しかしそれは防衛にはなりますが勝つことはできません。またそれは相手と同じ土俵での戦いになります。どちらが正しくどちらが間違っているかという法を中心とする善悪の戦いです。天一国時代に生きる私たちにとって法も善も最高の価値基準ではありません。法や原理よりもより価値のあるものを私たちは知っています。善悪を超える素晴らしいものを私たちは知っています。

 

神様が生きておられ、それを信じているのではなく、毎日肌身に感じて生活している信徒が多くいることがこの世界に対する最大級のインパクトです。また、この世は神様が真の父母であることを知りません。

神様が真の父母として絶対信仰、絶対愛、絶対服従で私たちを愛しておられることを前面に出して証しすべきです。私たちはそれを身に染みて知ったので居ても立ってもいられず教会活動をしていることを切実に訴えるべきだと思います。そうすれば地上に降りてこられた神様が共にいて全力で応援の役事を行ってくださいます。

 

このサイトは冒頭にも言っていますが私個人の発信です。教会の公的見解ではありません。私は天心苑長にみ言を借りればみ言の能力を頂いた者だと思っています。

み言の能力は旧約時代なら預言者(み言を授けられた者)の持っていた能力ですが、天心苑時代を迎えた今、天心苑祈祷会に参加してみ言の基礎がある者ならば誰でも得られる能力です。

つたない者ですが私もその役目を果たさなければと切実な思いでいました。

それで今まで抑制し控えていた私の意見をはっきりと申し上げたいと思います。

 

裁判に負けて宗教法人がなくなることを恐れてはいけません。

恐れて判断し行動すればサタン勢力の思うつぼです。

確かに宗教法人の解散は宗教法人の死を意味します。個人でも団体でも私たちはその存在の存続よりも神様と真の父母様を愛します。死なんとする者は生きるのです。ですから個人の死や法人の解散を恐れてはならないのです。

死生決断するべき時です。

私たちは死ぬべき時には堂々と死ぬためにこの道に来たのではないのですか?

 

み旨の為に「死なんとする人は生き、生きんとする人は死なん」というこの言葉はどういう意味でしょうか。み旨の為に死ぬべき立場では、死ななければならないのです

「地上生活と霊界」第二章 死と霊界 二 死に対する理解 九 死の前での姿勢

 

自分の命や法人の存続を優先して神様と父母様が喜ばれるでしょうか。法人制度は所詮この世の制度です。それを失ったとしても一片丹心の心情を優先すべきではないでしょうか。

天心苑で中心霊の解怨を行っていることの何が問題なのでしょうか?

これは今の時代の現れた驚くべき天の役事です。

お母様が発信されたみ言を隠し天心苑の徹夜精誠祈祷を隠すようでは信仰者と言えるでしょうか?

お母様が「何が問題なの」と日本に言われないことが悲しいことです。天心苑の中心スタッフに3時までお祈りすることが「何が問題なの」と言われたのとは対照的です。私たちにはその信仰がないからその言葉を言われないということになります。

 

ローマ帝国でのクリスチャンたちは死に際してもイエス様を信じ福音を恥としないという信念を貫いて殉教していきました。

それに比べて私たちは余りに恥ずかしい姿ではないでしょうか?

死なんとする信仰者がいない団体なので宗教法人としての存続を神様も役事できません。このままでは願ったようではなく心配したように実現していきます。

 

中には法人格を失えば食口が集まる教会施設のみならず霊園までもすべて失い、社会からの信用もなくなると思い心配される方もおられます。宗教法人がなくなるようなら私たちの天に対する精誠はその程度だったということを知るだけです。それを一から作る決意がないなら、世界の三分の一の人々が真の父母様を受け入れるようにするというお母様の構想は到底実現不可能です。

 

さて、反対勢力や国家権力を恐れないことより重要なことがあります。

役事で分立された悪霊、恨霊は修練会に参加する前に神様と真の父母様の愛が満ちている天国に連れて行って見学させられます。これで変わるのです。悪霊、恨霊として生きていくよりもずっと良い世界があることを知ることで一大変化が起きるのです。復帰の重要ポイントはこれです。現状の満足よりもより良いものを提示することです。

 

お母様は神霊と真理で進みなさいと言われます。このうち中心は神霊です。神霊とは真の愛だと言われました。神様の愛、真の父母様の愛がいかに素晴らしいかを証しすること、そして教会の愛に満ちた兄弟姉妹の関係を見せることが私たちの真の武器です。今の所有物、今の生活よりも素晴らしいものを見せてあげるのですから戦う前にすでに勝っているのです。この武器を手に入れれば恐れはなくなります。

 

法という同じ土俵で信教の自由を叫ぶより、神様の愛がいかに素晴らしいかという全く別次元の観点で確信的に証しする方が聴衆の本心に響きます。信教の自由は新約的勝利の上の出現したものですが、私たちが知った世界は新約を遥かに超える愛の世界です。教会に神様の愛の証が満ち溢れるようになれば人々は必ず集まってきます。この世界には本当の意味で幸せな人はいないからです。この世界にはないずっと良いものがあることを感じさせることができれば世界を変えることができるのです。初めのうちは気違いだの洗脳だのと言ったとしても、本当に幸せそうな姿を知る時に興味を持たざるを得ないのです。

雪と氷の世界しか知らない人に温かい緑と花の溢れる世界があることを話しても、初めは気違いと言われ洗脳されたと言うかもしれませんが、こちらが体験と実感を中心に粘り強く証していくなら次第に変わっていくのです。

 

こうしてみると私たちはまだ武器を手にしていません。この武器を手にできれば死をも超えられるのでこれ以上の武器はありません。死を恐れない者が最後は勝ちます。

この武器を手にするために真の父母様が用意してくださったのが天心苑祈祷会です。

しかし天心苑祈祷会の参加回数が増えると惰性になる場合があります。参加することはとても重要なことですが、人々の前で神様の愛、真の父母様の愛を堂々と証しできるレベルにまでいくことを再度決意すべきだと思います。

今回はその決意をするのに役立つと思う神様と真の父母様の真実をお知らせできるかと思います。これらは天心苑祈祷会で与えられた内容です。

<神様の真実>

 

① 父母の愛の誕生

 

愛を最も必要とされる神様が酔いしれる愛を誘発する完全な美。

この極限の美を創造することが創造目的だったのです。

天地創造の前の過程において精誠を完全投入されました。その美を得られるなら死んでもいいと思うまで投入されたのです。

構想の段階でその基準を達成するために無限の心情投入をなされました。初めは被造物という作品でした。この作品をこれ以上ないというレベルにまで仕上げるには精誠を投入し続けることが必要でした。初期の段階では精誠を投入していくとどんどん良くなっていきました。しかし、次第に投入しても良くなる度合いはわずかになります。このため神様にとって完全な美といえる作品に仕上げるには無限の精誠の投入が必要だったのです。時間的には無限の時間が必要でした。

 

この過程で神様の心情に変化が起こりました。最高の美の存在として作られた人間は、ご自分にとって単なる被造物や作品ではなくなっていったのです。精誠の無限の投入によってご自分の存在や命よりも大事な存在だという心情が生まれたのです。

このようにして真の父母の愛の出現したのです。単なる被造物ではなく子女だと感じるまで精誠を投入された過程があったということです。

天心苑精誠祈祷会と呼名祈祷は心情投入と精誠の場です。それは神様が人間創造に投入された無限の精誠の一端を感じ、その心情を相続できる場です。

② 絶対信仰、絶対愛、絶対服従

 

*相対信仰から絶対信仰

条件によって対象を信じたり信じなかったり状態から → どんなことがあっても無条件で絶対に信じられるまで無限の精誠の投入された

 

*相対愛から絶対愛

条件によって愛したり愛さなかったりする状態から → どんなことがあっても無条件で絶対に愛したい心情に到達するまで無限の精誠の投入された

 

*相対服従から絶対服従

条件によって服従したり服従しなかったり → どんなことがあっても無条件で絶対に服従したいという心情に達するまで無限に精誠の投入された

 

このようにして神様は創造者から絶対父母になられたのです。

創造主としての全知全能、偏在を最高価値とする存在から絶対父母を最高価値とする天の父母様となられたのです。

 

人間の創造過程において相対信仰、相対愛、相対服従の期間は神様の成長期間だと言えます。神様が私たち一人一人の人間の種(ロゴス)に対して絶対信仰、絶対愛、絶対服従を完成されたときに神様が完成されたと言えます。(更に人間と完全に一体となることによって完全な完成体すなわち天地人真の父母となられました。)

 

人間は堕落人間という神様とは似ても似つかない存在に落ちました。そして毎日罪を犯しています。堕落人間のサタンに対する忠孝は見事なものです。

このようなサタンの血にまみれた人間に対しても神様の愛は本然の人間に対する愛と全く変わりません。これが神様が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の愛の方だということです。この愛は天地創造前に完全に確立されておりブレることがありません。

 

神様の完成も人間の完成も精誠の完全投入によってなされることが分かります。真の父母様の路程を見ると、真の父母様は精誠の投入こそ完成するための核心的要素であることを良くわかっておられたことになります。再創造である蕩減復帰においても精誠の投入が最も核心的要素なのです。

私たちはそれを悟らなければなりませんでしたが、悟ることができませんでした。そのため精誠の殿堂である天心苑を与えてくださったのです。

 

② 人間が神様の存在が分からない理由

 

人間が天の父母様の愛が分からなかった最大の理由は天の父母様の愛が相対的ではなく絶対だからです。この世のものはすべて相対的です。絶対がありません。それが正常とみなされています。

堕落人間は信じたり信じなかったり、愛したり愛さなかったりが普通の姿です。また、自分から服従することはほとんどありません。服従することを嫌います。

絶対服従の姿は完全に自分がないので存在が消えてしまうのです。絶対服従の実体である神様は存在を完全に消しているかのようにふるまわれるので、服従を嫌う堕落人間の感性では神様を捉えることができないのです。

 

それに加えて、無条件の愛を与えられ続けていても、それがいつもあるので当たり前になっていて与えられているのが分からないことも大きな要因です。

ある面、神様の愛は水や空気のようだと言えますが、事実はそれよりもっと見えない愛です。水や空気は見たり感じたりできますが神様が与えて下さるものは性相なので見えないし感じられないのです。

だから神様は何もしてくれないように感じるのです。

しかし水や空気がなければ死んでしまうように神様の絶対服従がなければ人間は瞬時に死んでしまうのです。

それは赤ちゃんとっての母親のような関係といえます。母親の愛がなければ赤ちゃんは死んでしまいます。

 

神様の愛はそのように絶対服従によるので、あまりに根源的で無いかのように思ってしまうのですが、その中でもより表面にある愛は注意深く求めるとわかってきます。それが生命とクオリア、特にクオリアです。

私たち食口も神様の愛は感じることがありますがいつもではありません。

それで神様と真の父母の愛を確信をもって堂々と証しできないのです。ここに私たちの問題の中心があります。

皆様の中でクオリア論が理解できる方はいますか?

食口でも分かる人は少ないです。クオリアは神様に直結しています。神様の最高の被造物です。クオリア論が分かる人はそれだけで天の恩恵を受けていると思います。

天地創造以前の創造の傑作であるクオリア論

<真の父母様の真実>

 

① 真の父母様と私たちの本当の関係

真の父母様についての重要な真実は真の父母様と私たちの関係です。

メシヤ、再臨主は一般的には救い主を指しますが、実は私たち一人一人の父として誕生されました。これがメシヤの本当の姿です。キリスト教徒だけの父ではありません。全人類一人一人の実の父として来られる方です。独生女、聖霊実体である真の母は全人類一人一人の実の母として誕生された方です。独生女、聖霊実体という言葉は、お母様を外から見た時の姿を言っています。中にある本当の姿は私の実の母です。

 

世界の万民は真の母が現れる前に生まれたので、意味もなく生まれたことになります。それでイエス様と接ぎ木した立場でイエス様の腹の中に入っていって、イエス様が夫婦になったとき、聖霊を通じて再び生まれなければなりません。偽りの愛によって生まれたので、真の愛を通じて再び生まれなければならないということです。キリスト教で愛を強調する理由もそこにあるというのです。 「祝福家庭」第一章 真の父母と祝福 二 真の父母と重生と血統転換 2.重生摂理の核心 ②重生しようとすれば

 

世界の万民は真の母が現れる前に生まれたので、意味もなく生まれたとあります。真の父と真の母と関係なく生まれた人間は意味もなく生まれたのです。これは存在する意味がないということです。もっと言えば存在自体が創造原理の範囲の中にないことを意味します。

そういう観点で見ると下記のイエス様のみ言が当然のことだとわかってきます。

 

わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。 また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。 自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。マタイによる福音書 10:37-39

 

キリスト教徒の中でこのみ言の深い意味と分かって信じ実践している人は極めて少数だと思います。同様に真の父母様のみ言の深い意味を分かっている人は私も含めてほとんどいません。

皆様は、自分は意味もなく生まれたと思っておられますか?

真の父母が来臨された瞬間、私たちの人生が意味あるものに変わり始めます。

私たちには、父を母や兄弟がいて帰るべき家があると思っていたのですが、本当は父も母も家族もいなかったのです。この驚くべき事実を噛み締めてください。真の父母様が降臨された瞬間から私たちの父と母が決まったのです。それまでは孤児だったのです。

 

私たちの父と母は意味のない父と母ということになります。

尊い愛を与えてくださった方々ですが、天が用意された方々ではありません。

真の父母様にも父母があってお生まれになりましたが、その方々が本当の父母ではありません。真の父母様の本当の父母は天の父母様です。天宙の真理を悟られるにつれて本当の父母が分かっていかれたのです。お父様は父が文慶裕、母が金慶継という方ですが、本当の父母は天の父母様です。

お母様は父が韓承運、母が洪順愛(大母様)ですが本当の父母は天の父母様です。それで独生子、独生女なのです。

同様に私たち一人一人の父は真の父です。母は真の母です。真の父母様が、生んでくれた父母から天の父母様に父母を変えていかれたように、私たちも父母を完全に変える必要があります。私たちは意味のない父と母から生まれたのです。父母を変えない限り私の本当の人生は始まりません。

つまり真の父母様に出会うまでの人生は完全に否定されなければなりません。

 

イエス様はニコデモに対して、「あなたが生まれ変わらなければ、天国に入ることができない」と言われました。今まで生きてきた私は、いずれにせよ歴史的に否定されなければなりません。どんなに良くやったと弁解して自ら立てた何かがあるとしても、私自体は否定されなければなりません。堕落人間であるがゆえに、そのような圏内を抜け出すことができないのです。否定されるべき生涯であり、否定されるべき生活であり、否定されるべきしかばねの人生であったというのです。 祝福家庭」第一章 真の父母と祝福 二 真の父母と重生と血統転換 2.重生摂理の核心 ②重生しようとすれば

 

私たちはこれができていませんでした。自分の人生は否定されるべき屍の人生だった言うことです。真の父母様に出会うまでの人生はどうしようもないので仕方がないと思っている食口がほとんどかと思います。み旨の道に来てからは真の父母様が私の父母だと思える方が多いと思います。しかし、真の父母様に出会うまでの私の人生、すなわち私の赤ちゃん時代、少年少女時代、青年時代も私の父母は真の父母様なのです。

肉親の父母と真の父母様を完全に入れ替える心情的作業が不可欠です。

これを記しているのが「天心苑にある究極の恩恵 心情の質的変化」です。私もこれを実践してから真の御父母様やご子女様との心情関係が劇的に近くなりました。今まであまりに遠い存在でしたが、今では本当の家族です。こんな心情世界があるとは思ってもみませんでした。天心苑の最大の恩恵の一つがこれだと思います。皆様も是非この恩恵に与ってください。素晴らしい世界ですよ。本当にこの道に来てよかったです。

 

② この世の本当の姿とこの世との精誠の戦い

 

この世はどのくらい本然に近づいているのでしょうか?

人間一人一人が意味もなく生まれたのですから、人間の集合体であるこの世界も意味もなく存在していることになります。

 

神様の復帰摂理によって本然の近くまで到達したものが多くあるではないかと言われる方もいると思います。事実、終末論の第三祝福復帰の現象にある内容によれば、世界は三大祝福を復帰した本然の世界になりつつあり、再臨主が降臨されれば天国が出来上がるかのように書いてあります。

また原理講論 後編 第五章 メシヤ再降臨準備時代 第四節の世界大戦を見ると、世界大戦はサタン側の民主主義と神側の民主主義の戦いであり、第三次世界大戦で神側の民主主義世界が勝利すれば神様の理想世界が実現すると記されています。

しかし、原理講論が出版されてから何十年も経過した今の世界や民主主義世界を見ると罪悪に染まって身動きができない状態です。それではなぜ原理講論はこのような記述になっているのでしょうか?

一つは真の父母様と共に厳しい蕩減路程を歩む食口に、すぐにでも天国がやってくるように知らせることで元気づけるためです。もう一つは当時の食口の心霊基準に合わせて記述された内容であるためです。

 

真の父母様のみ言に照らし合わせてこの世界を見ると、世界は天国基準とは似ても似つかない姿です。サタン文明の結実世界です。神様が追いやられている世界です。

戦争、殺人、淫乱、詐欺、強盗、差別、経済格差、飢餓などサタン世界である証拠はすぐに見つかります。

そんな中でもこの世がサタン世界であることを示す最大の存在は余りに人間に溶け込んでいて、食口でも本然世界になっても残ると思っている方が多くいます。実に巧妙です。それがお金の存在です。人間をサタンの奴隷にするサタン文明の最高傑作がお金だと思います。

歴史をひっくり返す経済の大変革を起こす時が来ました

​→ お金経済の確実な消滅と天国の趣味経済

 

ほとんどの人がお金を稼ぐために人生のほとんどの時間を使っています。お金を稼ぐ土台となる学歴、資格、人脈を必死で得ようとします。いかに安定した生活できるお金を得られるかを求めて職を探します。成功論もすべてがお金を多く稼いで勝ち組になる道を教えています。しかし自分の本性を殺してお金の奴隷となって生きても、それはサタンの奴隷としての生活なので、天国に行ける訳がないのです。

 

神様はご自身の血肉を材料にこの世界を創造されました。神様は、人間が住む土地も生活に必要な農作物、海産物、鉱物、植物、動物、水、空気なども全てを創造し人間に無償で与えてくださっています。サタンはこの無償の愛の世界をぶち壊しました。

人間は神様の作られ無償で与えてくださったものを自分の所有にして勝手に値段をつけ売り買いしてお金に換えています。私たちはすべてに値段がついている世界に生まれ育ったのでそれが当たり前と思っていますが、お金は社会的にはサタンの最大の産物と言ってもよいと思います。サタンはお金がなければ生きられない世界にしてお金で人間を支配するシステムを作ったのです。これはお金を中心として生きる世界です。人間をサタンの奴隷にする武器がお金です。これにより人間は奴隷として生まれ奴隷として死んでいく悲惨な存在に落ちました。神様の子女の見る影もありません。

 

スーパーでもコンビニでも行けばすべてのものに値段がついています。最近、盗んだ物を売りさばく事件がよく報道されますが、自分たちがまさにそれと同じ強盗だとはと誰も思っていません。皆様はこのお金世界の異常さを感じておられますか。

神様の心情を蹂躙する罪の最たるものがお金のために人生を費やすことです。神様の物を盗んで山に入って生活しているのが堕落人間です。

 

愛する女性とあす、あさってに結婚しようというのに、山賊が盗んでいったも同然です。そのように山に入って、盗んだ物で生活し、息子、娘を生んで一つの民族になったのです

第八篇 信仰生活と修練 第二章 心と体の修練 第一節 修練とは13 2005.4.15

 

本当は2世、3世にお金を稼ぐ道をいかせてはいけなかったのです。

条件付きの愛を土台に出来上がった世界で経済活動すれば、サタンの愛の訓練を受けることになります。2世、3世に必要なのは無条件の愛の修練です。1世の足りなさゆえにこれができていないのです。この点も悔い改めないといけないと強く思います。

 

衣食住、育児、教育、医療、交通、旅行などお金がないと何も手に入らないのが当たり前の世界です。この経済制度は神様の無償の愛から人間を切り離す制度です。この世界が神様がいない証拠になってしまっています。無条件の愛などないことを毎日教育しているようなものです。無償で与えてくれる人など誰もいないという人間不信を増大させるのにこれ以上のシステムはありません。身内以外は敵となります。ました他国など信用できるはずがないのです。人類一家族実現の最大の障壁です。

 

お金を得るために働くことは、毎日サタンの礼拝に参加して一生懸命に実践しているようなものです。私たちの礼拝は一週間に一回ですが、この世の人々は毎日サタンの礼拝に参加して実践しています。

お金のために命を削る人もたくさんいます。正にサタン世界の死生決断、実践躬行です。私たちが精誠条件を積まないで休んでいても、堕落人間は知らないうちにサタンに毎日精誠を積んでいるのです。お金のために労働し、働きすぎて死ぬ人もいます。仕事が忙しすぎて疲れてしまい、一番肝心な人生、神様、霊界ついて考える時間もありません。見事なサタンの罪悪世界です。

 

実は私たちはサタン世界との精誠競争をしているのです。お金のために生きる人たちの為している心情投入よりも、私たちの精誠が勝る必要があるのです。

この世との戦いは内的にはどちらが精誠を積むかという戦いです。日本人は平均的に一日8時間以上働いています。いやいや働いたとしても、これは8時間の精誠と見ることができます。この精誠基準を超えないとこの世を屈服することはできません。

堕落世界の人々がお金を得るために働くことで、知らないうちにサタンを愛しているのです。私たちが神様と真の父母様をそれ以上に愛していなければ勝利することは不可能です。私たちはこの世界の精誠基準と戦って勝利しなければならない運命です。私たちは戦場にいるのです。生活すべてが精誠にならないと勝てません。

 

一方、サタンが人間支配のために使っているお金という武器を復帰に用いる必要があります。ウクライナ軍がロシア軍の戦車を修理して自軍の武器として使うのと似ています。

 

無償で与え無償で頂く、これが天国です。私たちはサタンが作り出したお金を消滅させるために動く時を迎えています。この戦いがいかに激しいものか想像できると思います。私有財産としての動産、不動産、預金、給料など全てが神様の悲しみです。心情蹂躙です。これは山に入った山賊が盗んだ財を蓄えているのと同じです。

人々のこれらに対する未練はどれほど根深いでしょうか。これらを否定しようとすればどれほど大きな抵抗や迫害を受けるでしょうか。経済界、政界のみならず善良だと言われる人々も一斉に攻撃してくることでしょう。

 

しかし私たちはお金による幸福とは比較にならない喜びを知っています。これが私たちの最大の武器です。その喜びが本当であるなら精誠基準でもこの世界の人々を凌駕できます。人々は幸せを求めているので、より幸せな世界があることが分かれば来るなと言っても来るようになるのです。

これからが復帰の本番です。精誠基準で勝たないとこの世の人々が笑います。この戦いに勝利するためにも天心苑を中心とした皆様の更なる精誠をお願いいたします。

​神様と真の父母様の愛を堂々と証しできる基準が必要です。

​皆様はその基準を達成されましたか。

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