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<序文 重生実現時代の幕が開きました>

 

御父母様の路程は神様の解放と人間の復帰の道であると言えます。

この中で人間の復帰について見てみると、真の父母様が誕生されることで人間の復帰は急速に早まったのですが、それでも私達には完了点がいつ来るのか先が見えないというのが現実でした。

山登りに例えれば、確実に登っていることは分かるけれども、登れども、登れども山頂が見えないというのに似ていると思います。

それが2020年、お父様のご生誕100年、ご聖婚60周年になって、山頂がはっきり見えてきました。しかも見えるや否や山頂が間近に見えたのです。

 

人間の復帰は完全でなければ意味がありません。昨日より今日がより善に変わったというだけでは復帰とは言えません。

人間の復帰においては堕落にまつわるすべてがなくなり、完全な本然基準にならなければなりません。復帰された人間には罪の痕跡や堕落性が少しでもあってはならないのです。今のままの信仰生活を続けているだけでは堕落性はなくなりません。心と体の闘争は終わりません。そのためには血統転換が必要です。そのためには新しく生まれなければなりません。

つまり重生が必要です。

 

簡単に言えば、私たちがイエス様や御父母様のようにならなければ復帰したとは言えません。イエス様や御父母様の歩まれた道、御父母様の自叙伝をみると、あまりに素晴らしいと思う一方、自分とはあまりに違うと感じざるを得ません。追いつくのはもちろんのこと近づくのさえ、不可能ということが身に染みて分かります。

しかし、血統が変わることができれば、不可能が可能に変わります。

 

私は天使長の血統をアダムの血統に切り替える理論を追い求めてきました。分かったような気になっても、結局は解明できていないという現実を突きつけられるだけでした。

しかし、お母様から示された天寶入籍勝利家庭になるために必要な条件を見た時、忽然と血統転換の論理が見えました。完全ではないとしても、かなり見えたのです。

お父様のみ言でもお母様のみ言でも、本当に不思議に思うことは、事細かに手取り足取りというふうには語られないということです。私たち子女の責任で理解するという責任分担が残る形で語られます。これはあまりに見事になされます。

天寶入籍勝利家庭についても、一見名門家の称号のように感じられます。しかし、この達成条件には極めて重要な内容が隠されています。

それは、天使長からアダムへの重生の論理です。

これをここに開示いたします。

 

遂に重生できる時が来たのです。

イエス様でも御父母様でも生まれた時から神様の血統でした。一方、堕落人間という天使長の血統から本然の神様の血統に重生した人は今まで誰一人としていませんでした。これがなされれば神様が願われた本当の天国がやってきます。

重生の論理が現実化する素晴らしい時代が幕を開けたのです。

原罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪は祝福で完全消滅

この章は下記の内容で構成されます。

Ⅰ 真の父母様の勝利圏の相続によるあらゆる罪の清算

Ⅱ 相反するみ言をどう解釈すれば良いのでしょうか?

Ⅲ 命を懸けて真の父母様を愛するべき切迫した時代

Ⅳ 肉身を持って生きていることの絶大な恩恵と国家基盤

Ⅴ 重生=再誕生に必要な条件は何なのでしょうか

Ⅵ 原罪以外の罪の蕩減に約6年間、原罪の蕩減に約59年間

2022.2.15.祝勝会

Ⅰ 真の父母様の勝利圏の相続によるあらゆる罪の清算

 

多くの食口の方々が罪の問題で悩んでこられたと思います。原罪はメシヤのよって清算されるとしても、自己の責任で遺伝的罪、連帯罪、自犯罪を清算するということが信仰生活の中心だと考える方も多いと思います。

この問題について悩む原因の一つに次のような内容があると思います。

それは原理講論を読んでも罪の種類については書いてありますが、どう清算するのかについては明確に書いてないことにあります。原理の内容から推測して、復帰摂理はカイン・アベルの方式で為されているので、それを教会生活にあてはめて、中心者はアベル、その他の会員はカインとして、会員が中心者を愛し、仲保とし屈服して善の繁殖をすることで罪の清算が成し遂げられると考えている方も多いのではないかと思います。緒論(一)蕩減復帰原理 (2)メシヤのための基台 ② 実体基台にある下記の内容などが、そういった考え方の根拠となっていると思います。

 

人間始祖は堕落して原罪をもつようになるに従って、創造本性を完成することができず、堕落性本性をもつようになった。ゆえに、堕落人間がメシヤを迎えて、原罪を取り除き、創造本性を復帰するための「実体基台」を立てるためには、まずその「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てなければならないのである。

 

御父母様のみ言にも、一見、罪をどうやって清算するかについては書いてないように思えますが、八段階の復帰の道については明確に書いてあります。それによれば、罪の清算の道は、次子アベルとして長子カインを真の愛で屈服することで長子権を復帰することで為し遂げることが分かります。

自分が勝利するには出ていかなければなりません。出ていって長子権を復帰しなければなりません。長子が弟のような次子を兄として侍り、祝福はすべてお前によって受けるというほどにならなければなりません。そうして長子が次子の立場に来て、次子が長子の立場に上がらなければなりません。そうして長子が「お前が私の代わりに上がりなさい」と押し出してくれて初めて長子権氏族から長子権民族へと進みます。こうして初めて一段階ずつ上がっていくのです。長子が代わりに押してくれてこそ上がっていくのです。そのままでは上がっていくことができません。このような原理的な内容があるがゆえに、この内容をもって長子権復帰基準を完成しなければなりません。そうせずしては神様の摂理を成し遂げることができないというのが歴史の秘密です「罪と蕩減復帰」第三章 蕩減と復帰の公式 四 長子権勝利と父母権、王権復帰 1.長子権復帰

また、私たちは原罪、遺伝的罪、連帯罪、自犯罪と分けて考える傾向が強くあります。しかし、罪という観点では同じです。

 

例えば、今死ねば地獄に行く人がいるとします。この人は八段階で言えば僕の僕です。ここから僕に上がるために他の僕の僕たちとその背後にいるサタンを屈服して長子権を復帰するのが蕩減の道です。これに勝利すれば、その人が僕の僕霊界である地獄にとどまっている原因である罪=讒訴条件がすべて清算されます。するとその人は僕の霊界、すなわち旧約霊界に行けるのです。僕の僕霊界すなわち地獄霊界に止まらざるを得ない讒訴条件の内容が、先祖の殺人、淫乱、心情蹂躙などの遺伝的な罪、民族的な侵略による強奪、性的蹂躙、虐殺などによる連帯的な罪、あるいは自分が犯した様々な罪であるかもしれませんが、罪という観点ではどの罪でも同じです。

 

それらの罪を清算する道がカイン圏の屈服です。僕の僕基準にいる人においては、僕の僕基準にいる他の地上人たちを愛で屈服することで為されます。その過程で、様々な罪を清算するために必要な迫害、苦痛、中傷罵倒などがサタンと他の僕の僕基準の地上人や霊人から加えられます。これを甘受し更に僕の僕基準の地上人や霊人たちが屈服するだけの愛の基準を立てることで地獄から僕霊界に上れます。

このようにして僕圏に行けばそこにいる僕たちから蕩減=罪の清算に必要な様々な苦痛が加えられ、それに耐え甘受したうえで、彼らを屈服するだけの信仰と愛の基準を立てることで初めて養子圏に上がれることになります。これによりその人が僕圏にとどまらなければならない原因となっている罪=讒訴条件が清算されます。

養子圏から庶子圏、庶子圏から実子圏に上るためにも同様の清算路程を歩む必要があります。

 

しかし、お気づきかと思いますが、誰もが行けるような生易しい道ではありません。そこで神様はその道を行ける人物を立てられます。それは、その人物が勝利すれば他の人々はその人を信じて従うことで同じ恩恵にあずかることができるようにするためです。

事実、神様から選びたてられた宗教の開祖がその道を作り、信徒がその教祖を信じ従うことで、多くの人が恩恵にあずかってきたのです。

いわゆる勝利圏相続の道です。

 

勝利圏の相続は何も宗教世界だけの話ではなく、他の世界でも見つけることができる普遍的な法則です。スポーツの例が分かりやすいかもしれません。

1964年の東京オリンピックで女子バレーボールチームが金メダルを獲得しました。当時は初めて見る見事な技に感動したものでした。しかし、今になって当時の映像を見ると、現在の中学生のバレーボールチームの方がずっと上手いように感じます。

また、1972年のミュンヘンオリンピックにおいて塚原選手が鉄棒で行ったムーンサルト(月面宙返り、後方2回宙返り1回ひねり)は、当時あまりに衝撃的で会場ではアンコールの声が起こったほどでした。しかし、現在では小学生の女子選手が床運動でも普通に行う技になっています。

フィギュアスケートでも4回転ジャンプを1988年にカナダのカート・ブラウニング選手が初めて成功しましたが、今では世界大会に出る男子選手は飛べないと話にならないほど、必須のジャンプになっています。

 

これは指導者の教え方のスキルが高まったり、選手の体格が良くなったりということだけでは十分に説明できません。

一度勝利圏が確立すると、それに続く人がより簡単にその世界に行けるという法則があるのです。

ある人がある基準を達成すると、それにより一つの霊界が突破されて勝利圏の霊的領域が出来上がります。後に続く人は既にある霊的領域に自然にアクセスするようになり、初めてその道を行った人よりもずっとたやすく行くことができるというような感じではないかと思います。

これは荒唐無稽な話ではありません。

下記の霊界についてのみ言をご覧ください。

皆さんは霊界を知らないからそうであって、霊界に行って知るという事は、一週間以内に皆終わります。心を鏡の様に見る事が出来る世界が霊界です。 

霊界は、いくら優れて、いくら立派な知識人がいるとしても、彼が持っている知識を一週間以内に凌駕し得る、直感の世界です。 

「地上生活と霊界」 第三章 霊界 三 霊界の内容と状況  6霊界での知識と権力の使い道

これは、相手の心を鏡のように見ることで知識を相続する方法について述べられた内容だと思います。このみ言によって類推すると、知識以外の部分も、相手の心に直接的にアクセスすることで極めて短時間で相続できると考えられます。このような相続の法則があるので、完成して霊界に行けば、誰でも天才になれるし、だれでもオリンピックの金メダリストのようになれると思います。

​地上人の場合はそんなわけにはいきませんが、習得速度や習得の深度は霊界ほどではないとしても、様々な分野の先達の勝利圏をよりたやすく相続できる道ができているのです。(どれくらい真剣にそれを相続しようとするかが重要であることは言うまでもありません。)

 

これと関連した法則に私が心情ワープの法則と呼んでいるものがあります。

人間は堕落することで天使長の子女になりました。天使長は神様の僕なので、堕落人間はいくら善なる人でも、神様の僕以上には上がれません。

ところが、イエス様という神様の実子が現れることで、僕にしかなれない堕落人間がイエス様につながることで一気に養子なれたのです。

蕩減復帰は一見、冷酷で容赦のない法則のように感じてしまいますが、神様の心情の琴線に触れると一気にワープすることができます。

蕩減復帰は、人間の罪によって生じた天法違反を埋め合わせるだけの代償を支払って、違反を帳消しにすることのように見えます。しかし、罪によって生じるのは、天法違反という外的なこと以上に神様に恨が生じてしまうことなのです。つまり、神様の恨の解怨にダイレクトにつながると、わずかな条件で一気に蕩減復帰がなされるということになります。

 

愛する息子に友人ができて、その友人が息子を慕い仲睦まじくしている姿を見たら、親はどんな心情になるでしょうか?息子の友人を自分の息子のように感じて優遇しようという思いが湧いてきます。

イエス様に従ったキリスト教徒が神様の養子になれたのは、この心情関係によるものです。イエス様の語られた新約のみ言を信じたことも重要ですが、その基台の上でイエス様を慕ったことで、神様がその人を息子、娘のように感じられたことで蕩減の川を一気に渡ることができたのです。

 

イエス様の最後の場面に右側の強盗が出てきます。この強盗は律法に反するような悪を重ねてきたために十字架の刑に処されたです。十字架上で悲惨な最後を遂げて、その後地獄霊界に行く運命でした。しかし、人生最後のわずかな時間、イエス様に死を超えて愛し従った右側の強盗は、この心情ワープの恩恵でイエス様の勝利圏を瞬時に相続して楽園に行ったのです。これは右側の強盗が死の絶頂でイエス様を信じ愛することで一瞬で罪が清算されたことを意味しています。右側の強盗の心情と行動は、たった一人で孤独な死の道を行かれるイエス様を救うことができない神様の無念な心情を慰めることになったので、神様がその恩に報いてくださった結果だとも言えます。

 

それでは真の父母様を慕い祝福を頂いた私たちは、どのような恩恵にあずかれるのでしょうか?

皆さんが統一教会の原理を習うときに、僕の僕とか、養子とか何とかいう道を誰が行くのか? その道は、先生が行く道です。先生は、その道を行き、戦い、生き残って、迫害するのに対して勝利したために、その橋を置いてやるのです「真の父母」 第四章 真の父母の使命  二 真の父母の道

 

私たちが真の父母様を迎えるようになれば、僕の僕として来た人も、僕として来た人も、養子として来た人も、みな直系子女としてその価値が上がるようになります。そうでなければ、真の父母と連結されず、関係を結ぶこともできないのです。

第八篇 信仰生活と修練 第三章 真の父母の似るための信仰生活 第二節 真の父母を迎えるための路程3 1970.12.6

 

このみ言には驚くべき恩恵について述べられています。私たちが真の父母様を迎えるようになれば、旧約時代、新約時代の蕩減を一気に飛び越えて、いきなり実子の立場に立てるということです。つまり、僕の僕、僕、養子、庶子の蕩減路程は必要ないということです。旧約時代、新約時代の聖人義人たちが歩んだ蕩減路程を行く必要がないということを意味しています。​真の父母様がその道を勝利し橋を架けてくださったのです。

​愛の観点で見るなら、神様は私達食口、祝福家庭を息子、娘として感じて愛してくださるということです。

原理講論の後編に出てくる各論の最後には教訓が書いてあります。これにより私たちもその道を行かなければならないかのような気持ちになります。しかし、それは必要ないのです。その道を歩まなくても良いようにするために真の父母様が道を作られたのです。

端的に言えば、祝福を受けたなら神様にとって心情的には即、実子なのです。

 

これを原罪、遺伝的罪、連帯罪、自犯罪の清算という観点から見るとどうなるでしょうか?

先に述べましたように、罪の清算は僕の僕から僕へ、僕から養子へ、養子から庶子へ、庶子から実子へと上がっていく過程で為されます。真の父母様の蕩減復帰の道は個人的なものではありません。全人類の罪をすべて背負ってなされたものです。

 

その罪にはアダムとエバが犯した原罪はもちろんの事、私たちの先祖が犯した、殺人、淫乱、心情蹂躙、公金横領、略奪、放火などの罪、民族的に他国を侵略したり蹂躙したりした罪、自分個人で犯した罪などがすべて含まれます。そうでなければ真の父母として一段一段と上がることができないのです。真の父母様は全人類の罪をすべて清算することで、一切罪がなかった世界に戻す蕩減条件を立てられました。それが真の父母様が蕩減路程をすべて勝利されたということの意味です。

(後述しますが、祝福を受けることで相続されるのは8段階の長子権復帰の恩恵に止まらず、真の父母様のあらゆる勝利圏を含んでいます。)

真の父母様の勝利圏は個人から天宙までのすべてを含んでいます。

横的主権復帰の範囲が個人、家庭のみならず、天宙まであることをみれば、その蕩減復帰の範囲が全地上人と全霊人のすべてを含んでいることは明らかです。

当然のことながら、私たち一人一人が持っている原罪、遺伝的罪、連帯罪、自犯罪の清算は終わっているのです。これが真の父母様が作られた高速道路です。

 

私たちに必要なことは、遺伝的罪、連帯罪、自犯罪を自分で清算することではなく、既に人類始祖の時代から現代までの全人類のすべての罪を蕩減完了された真の父母様を自分の命よりも慕うことで、勝利圏を相続することだけなのです。信仰生活の秘訣は結局真の父母様なのです。

つまり、祝福を頂くことで、原罪、遺伝的罪、連帯罪、自犯罪の清算は終わるのです。

あまりにも溢れんばかりの恩恵です。真の父母様にいくら感謝しても感謝しきれません。このような恩恵がほかにあるでしょうか。

​祝福を受けた食口が生を終えて霊界に行ってみると、そこがあまりにも素晴らしい所であることに驚いたという証がたくさんありますが、祝福はすべての罪を消すので、過去の聖人、義人の誰も行ったことのない楽園を超えた最高級霊界に行けるのです。

Ⅱ 相反するみ言をどう解釈すれば良いのでしょうか?

 

上記の内容について述べられているみ言が下記です。

私たちは、サタンの血統を受けたので、これを取り消す式をしなければなりません。その式が聖酒式です。私たちがサタン世界の血統の跡を残していては、神様のみ前で祝福を受けるということが、原理的な観点で絶対に不可能です。ですから、サタン世界から受け継いだすべての血統、それから今までのすべての罪を清算しなければなりません。罪の中には遺伝的な罪、歴史的な罪、個人的な罪などたくさんありますが、そのすべての罪が清算される条件になるのが聖酒式です。

・・・・・この一杯の聖酒を飲むことは何でもないようですが、そうではありません。皆さんが信じて飲む日には、そのような勝利的条件の基盤の上に立って、サタン世界の血統を切り、皆さんの先祖たちが犯した罪、先祖たちと結ばれたすべての縁故を切るというのです 第五編 真の家庭 第二章 第三節 祝福結婚を通じた重生16 522P  1981.5.10

 

一方、それとは相反する内容のみ言があります。

 

罪には、原罪があり、自犯罪があり、連帯罪があり、先祖から受け継いだ遺伝的罪があります。それを清算していかなければなりません。主の弟子になっても、各自の蕩減の道は残っています1993.10.17

 

蕩減の過程が残っているのです。イエス様が言うように、「誰よりも愛せ」「自分の十字架を担って、誰よりも私を愛さなければ、私の弟子になることはできない」と、はっきり言っているように、自分の十字架は、各自が蕩減があるのです。先祖が違うと同じようにです。それは歴史的連帯罪とか、自分の直接つくった罪とか、歴史的罪があるのだから、みんなそのレベルが違うことによって蕩減量が違ってきます。分かりましたか? 分かりましたか? (はい)。それを総合的に摂理総決算するには、一六〇軒を早くすることによって、総決算になります。分かりましたか? (はい)。

訪韓修練会御言集 十六万女性修練会 真の父母と重生1993年12月20日 韓国・済州研修院

 

このみ言によれば、祝福を受けても遺伝的罪、連帯罪、自犯罪は残るので、各自、蕩減量に違いがあるということになります。

このように、罪の清算についての相反する二つのみ言についてどう解釈したらよいのでしょうか?

これを解くカギは原理講論の第四章 メシヤの降臨とその再臨の目的 第一節 (五) 十字架に対する預言の両面、にあります。

イザヤ書53章はユダヤ民族が責任を果たさなかった場合の預言であり、イザヤ書9、11、60章などはユダヤ民族が責任を果たした場合の預言です。

それと同様に、罪の清算についても私たちが責任を果たした場合と、果たせなかった場合では結果が異なるということです。

​それでは、罪の清算についての人間の側の責任とは何でしょうか?
上記の第五編 真の家庭 第二章 第三節 祝福結婚を通じた重生16のみ言にも、皆さんが信じて飲む日には、そのような勝利的条件の基盤の上に立って、サタン世界の血統を切り、皆さんの先祖たちが犯した罪、先祖たちと結ばれたすべての縁故を切るというのです。

とあります。聖酒にそのような恩恵があることを信じて飲むという責任があるのです。

それでは、その信じる度合いはどの程度必要なのでしょうか?

それで、出発する時、血統転換式をします。それを、自分の生命よりもっと信じなければならないのです。統一教会の一つの礼式だといって、ただ一般の宗教儀式として考えてはいけないのです。これは、死んだ立場から回生させる注射の薬と同じです。解毒注射です。

「地上生活と霊界」第一章 有形、無形世界での人間の存在 9出生の基準と生涯の基準 ①過った出生の基準

命を越えて御父母様を愛するのか、それともそれ以下なのかで天地の差が出ることになります。責任分担があるのです。下記のみ言にもはっきり述べられています。

サタンの血統を取り除いてしまうことは、メシヤがします。しかし、除去されるようにする行動は、自分がしなければなりません。そこに一体になって従順にしなければなりません。このような基準が成立しない以上、私たちは救援されません

それは、死ぬか生きるかという境地を通過しなければならないのです。そこを通過してこそ、悪の血統が除去されます。生死が交錯する境地に入らなければなりません。死の境地を手探りしていかなければならないのです第五編 真の家庭 第二章 本然の男女の愛と祝福結婚 第三節 祝福結婚を通じた重生10 1970.10.13

 

イエス様の時の右側の強盗が模範を示してくれたように、命を越えて信じることで罪の清算の恩恵が現れるのです。真の父母様を自分の命以上に信じ愛すれば、原罪のみならず、遺伝的罪、連帯罪、自犯罪も消滅する恩恵が現れるけれども、その基準に至らない場合は、遺伝的罪、連帯罪、自犯罪が残ってしまうということになります。

人類始祖は死んでもいいと思って堕落したので、真の父母様の勝利圏を相続してサタン世界とのあらゆる因縁を切って罪から解放されるには命を懸けて真の父母様を愛するのは当然のこととなります。

上記の訪韓修練会御言集のみ言は、その修練会参加者たちは、残念ながらその基準に達してないと判断されて語られたということになります。

それで二次路程として、一六〇軒伝道によって清算する道を示されたと考えられます。これは他人事ではなく私たちの基準も同様なのです。

私自身もこの相反する二つのみ言を統合しきれていませんでした。

一つには祝福によって清算されるのは原罪だけだという先入観がありました。より根本的には真の父母様の勝利圏の大きさが本当には分かっていなかったことです。

このみ言の意味は書いてある通りです。命よりも信じて聖酒を飲むことで、真の父母様の勝利圏が相続され、原罪、遺伝的罪、連帯罪、自犯罪がきれいに消え去るのです。

​それが現実化するの必要な唯一の条件が自分の命よりも真の父母様を慕い愛することです。これにより真の父母様の罪の完全蕩減の勝利圏が連結されます。

今まで教会において祝福について一般的に信じられてきたように、原罪のみが清算され他の罪は残るという考え方は、祝福の恩恵が現実化するのを妨げる考え方となります。そのように考えるなら、真の父母様の勝利圏に連結できていないわけですから、遺伝的罪、連帯罪、自犯罪は清算されていないのと同じ現象が現れることになります。

父母様が聖酒式によってすべての罪とサタンとの因縁が切れると言われているのですから命を懸けて信じるべきなのです

Ⅲ 命を懸けて真の父母様を愛するべき切迫した時代

 

2022年3月19日現在、連日のようにロシアのウクライナ侵攻とコロナ変異株の話が報道されています。コロナが蔓延し始めた時、お母様は「神様がもう待てない」ので起きたと言われました。

2022年2月24日 ロシアはウクライナへの軍事侵攻を開始しました。お母様はその10日ほど前の2月15日の韓半島平和サミット祝勝会において次のようなみ言を語られました。

今日の強大国と呼ばれる国々、特に、天を知らない、宗教に反対する強大国と呼ばれる国が、地球星にロシアと中国です。そうですね。 

この国々の前に、キリスト教文化圏が出発したヨーロッパ大陸のすべての国々が、立ち上がらなければなりません。天の父母様の子女となる道、その道は、真の父母を受け入れて、天の父母様、その懐に兄弟として共にする道しかありません。・・・・

最後に天の父母様に侍る人類一家族の道において、今やヨーロッパ大陸が直面している東ヨーロッパの問題、北東アジアの問題を置いてみたときに、完全に真の父母様と一つになった立場で、天の父母様の真の子女として先立つ者となり、この天を知らぬ二つの国々を抱くことができる兄の立場として、弟を教育し抱けるそのような環境圏を作ることのできる機会がまさに今だということを知らなければなりません。・・・・

ヨーロッパが一つとなって中国とロシア、二つの強大国を教育して、弟として天の父母様の前に連れてきてください。

真のお父様の聖和の原因の大部分は子女である私たちにあることは述べてきました。イエス様の十字架の蕩減には12弟子やキリスト教徒の殉教や苦難が必要でした。

お父様が地上の神主権国家で生活された後に霊界に行かれるという最低限の道を作れずに、苦痛に満ちた悲惨な最後を通過せざるを得なくした私たちの罪はイエス様の12弟子の罪以下でしょうか?

私たちが真の父母様から受けた恩恵は、12弟子たちがイエス様から受けた恩恵より小さいでしょうか?

12弟子以上の悲惨な死の道が当然なのです。しかし、天の父母様が頼れるのは食口、祝福家庭しかいないので、私たちに代わって真のお母様が三年の侍墓路程で蕩減してくださいました。私たちはその間にお母様に同期して悔い改め、死生決断で間断なき前進をすべきでした。しかし、残念ながら不十分であると言わざるを得ない状況です。

 

こういった中でコロナ禍が起こってきました。

お母様は「神様がもう待てない」と言われたのです。一つは再臨の父母のために用意され祝福を受けてきた欧米諸国とキリスト教が真の父母様を受け入れていないことです。コロナ禍だけでは不十分と判断された神様は、更に欧米諸国を打ち、覚醒させるためにウクライナへのロシアの侵攻を裁可されたのです。

コロナ禍とロシア軍のウクライナ侵攻は同じ意味です。内的刷新できないことによる外的粛清現象がコロナ禍でありウクライナ侵攻なのです。

今は神様の全権時代です。災禍において神様の関与がないものはありません。国際情勢などの現象を政治学者や軍事の専門家がいくら研究しても本当の原因は分かりません。神様が先頭切って指揮しておられます。神様は今のままの世界で人類が幸せになってほしいとはまったく思っておられません。コロナ禍をもたらし戦争を起こしても目的を達成されます。コロナももっと恐ろしい変異株が猛威を振るう可能性もあります。ロシアによる戦争がもっと拡大し悲惨になる可能性もあります。

 

コロナ禍やロシアによる軍事侵攻において一番当事者として受け止めなければならないのは誰でしょうか?

欧米の諸国家やキリスト教でしょうか?

彼らは次子です。本当には責任を持てません。長子が責任を果たせないので代わりに打たれているのです。

長子とは私たち食口、祝福家庭なのです。

死を恐れずロシア兵に立ち向かうウクライナの人々の姿が放送されるのを見ると、これは神様から私たちへのメッセージだと強く思わされます。外国での安全な生活を捨てウクライナ人が続々と祖国の戦争に集結しています。彼らは勇者です。

まるでヨシュアに従った内的イスラエルの勇者を見るようです。

私たちはそれ以下で良いのでしょうか?

死生決断とは死ぬ覚悟をすることです。

真の父母様のために喜んで命を捧げる人が何人いるかで勝敗は決まります。

国を作ろうとする戦いには死が伴います。

歴史上最高の聖戦を迎えている今、死を恐れぬ勇者として喜んで戦場に向かいますか?

それとも傍観者が良いですか?

コロナ禍とロシアの軍事侵攻に示された神様のメッセージを是非受け取って下さることを願ってやみません。

 

Ⅳ 肉身を持って生きていることの絶大な恩恵と国家基盤

大母様は霊界の霊人が絶対善霊になる道は、先祖解怨してから100日間の精誠期間が必要であり、体感時間としては100年間になるほどの長く辛い時間だと言われました。このように気が遠くなるほどの時間がかかるのは、霊人には肉体がないからではないかと思います。

 

余談ですが、絶対善霊というのは完成した人間の事ではありません。地上の天寶家庭が重生するより先に霊人が完成するということはありません。絶対善霊というのは完成した天使基準に達した霊人のことです。

地上の天寶家庭が重生して天一国に入籍することで先祖を含めて一族の第一先祖として真の父母様の族譜に入籍します。それがなされた後に先祖圏の重生が始まり、順番に子孫として入籍していきます。

さて、イエス様の十字架の時に自分の死を顧みずイエス様を慕った右側の強盗は、その一瞬ともいえる精誠によって地獄から楽園に行ったのです。地上に生きて肉身を持っているということは、これほどまでに大きなことなのです。私たちは肉身をもって真の父母様の祝福を受けたので一瞬で実子に上がれるのです。

 

一方、完全に本然の人間として生まれ変わるには祝福を受けただけでは不十分です。祝福を受けてそれを命よりも信じることで、罪なき存在となります。しかしそれは罪なき人間ではありません。罪なき天使長です。

​​罪というのは天法に違反し神様の心情を蹂躙したことですが、それは祝福によって完全に清算されます。しかし、祝福によって実体は変化しません。実体は変化しないので堕落性も消えません。堕落は天法に違反した罪の中で最大ですが、それに止まらず、サタンの被造物として重生したという変化を引き起こしました。これが問題なのです。

​堕落性が微塵もない本然の人間に復帰するには、最後の創造役事が必要です。天使長から人間に生まれ変わる再創造が必須なのです。どうすれば重生して本然の人間に戻ることができるのかを述べているのがこの天寶重生論です。

 

聖酒式、祝福式、蕩減棒、3日行事の恩恵により実子の立場に立ちますが、それは実子としてのスタートラインに着いたという意味です。そこから実子として勝利する必要があります。更に母の勝利、父の勝利が必要です。実子、母、父の段階で勝利することが真の父母様の子女としての私たちの責任分担です。これを勝利した姿が天寶登載家庭です。

 

イエス様は弟子たちに奇跡の権能を授けられましたが、真の父母様は私たち子女に祝福を授ける権能を与えてくださいました。これはとてつもない権能なのです。私たちが祝福を受けることで何の努力もなくすべての罪の清算がなされたように、私たちが祝福を与えることで、地上人や霊人を罪なき立場にすることができるのです。この権能があることで天寶家庭を勝利できるのです。これこそ真の奇跡の権能です。詳しくは天寶重生論Ⅰ、Ⅱ、Ⅲをご覧ください。

 

ところで、重生を実体化するための真の父母様と私たち祝福家庭の完全一体化が必要ですが、そのためには欠かすことのできない基盤が必要です。父母と子女の一体化には何が必要なのかは、御父母様の路程が指し示しています。

 

1989年8月31日に八定式として縦横の八段階の長子権復帰の勝利を宣布されました。そして1997年8月9日(陰暦7月7日)天地父母天宙安息圏宣布(七・八節)がなされました。これにより復帰摂理の95%を背負ってこられた昼の神様の解放が実現しました。しかしこれだけでは昼の神様と真の父母様の一体化は実現できませんでした。

 

天一国には、主権と国と国民が必要です。ですから、昨年(2001年)の神様王権即位式は主権復帰でした。それから、神様祖国定着大会は領土復帰であり、その次には天一国国民として入籍するのです。分かりますか。ですから、カードをもって初めて国民になるのです。国が形成される為には、主権と領土と国民が完備されなければなりません。それが完備された上で、このような天一国の万世安着を宣布したという事実を信じ、神様のように自信をもち、文総裁、真の父母のように自信をもって一気に押せば、押す事のできないものはないというのです。 「天一国主人の生活」 第四章 天一国の民となる道 二 天一国は本然の故郷

 

主権、領土、国民の条件基盤が出来上がった基台の上で、2003年2月6日、昼の神様と真の父母様の結婚式(天地父母様天一国開門祝福聖婚式)が真の父母様の2度目の聖婚式として挙行されました。これにより昼の神様と真の父母様の完全一体が成し遂げられ、真の父母様は昼の神様実体となられました。

 

そうです、完全一体化のためには国が必要なのです。重生とは真の父母様との一体化だけではなく、創造主である神様との一体化によって造り変えられる役事が起きることです。このためには父母国が必要です。統一された父国だけでなく母国が必要です。韓国でもなく、日本でもなく単一主権で国境のない統一された天一国が必要なのです。

重生は神様の息子、娘として新しく誕生することです。誕生したなら神様の国である天一国の戸籍に入籍します。この観点からも天一国が絶対に必要なのです。

(復帰摂理の進展によって父国、母国の両方の国が復帰統一されなくても重生が実現する可能性が出てきました。ポイントは天苑宮です。

詳しくはコロナ、ウクライナ、元首相の悲劇の真の原因と私達の使命(最終摂理時代Ⅰ)をご覧ください。)

天一国を中心としなければ、天地父母が聖婚式をすることができません。「神様王権即位式」をしなければ、聖婚式をして出生届を出せないというのです。それは、国がないからです。「神様王権即位式」をしたあと、満二年がたち、お母様の満六十歳の御聖誕日に「天地父母様天一国開門祝福聖婚式」を挙行しました。初めて、神様と真の父母様が祖国光復の土台を整えたその基盤の上で、聖婚式を行ったのです。第十二篇 天一国  第一章 神様の祖国と天一国 第二節 天一国宣布とその背景16  2004.1.1

 

天一国で実現する重生役事によって天使長実体から神様の息子、娘として完全に生まれ変わり、本然の自分、本然の夫婦、本然の家庭となるのです。

 

なぜ、『家庭教会』が必要かというと、今までの統一教会の祝福は天使長家庭だからです。堕落する可能性がいくらでもあるのです。なぜ、『家庭教会』か。天使長家庭からアダム家庭に帰らなければ、永遠に地上には天国は顕現しません。・・・天使長の血統をアダムの血統に切り替える復活の理論を知らなければなりません。FAXNEWS106号 1994・9・13 アラスカ・日本家庭協会特別修」

Ⅴ 重生=再誕生に必要な条件は何なのでしょうか

重生というのは再誕生のことです。人間が誕生するには本然基準が必要です。本来、本然の人間は善なる環境に守られた神様の直接主管の世界で、直接主管に到達した父母から生まれる様になっています。この原理は変えることはできません。

このため重生が実現するためには次のような要件が必須となります。

①人間の誕生には縦的父母である神様と横的父母である真の父母が必要です。

神様が天の父母様として縦的父母の位置を復帰されたのは2013年1月13日の基元節です。また、真の父母様が天の父母様の直接主管圏に入られ横的父母の位置に就かれたのも基元節です。

このため、基元節以降、重生する側の準備は整いました。

②重生される側の人間にも条件が必要です。

本然の人間は生まれてから後に間接主管圏を行きますが、生まれる前は完成している母の胎中なので直接主管圏に存在します。

重生は誕生と反対の経路を行くので、母の胎中に入り、父の種につながり更に神様の種に戻って、そこからもう一度、父の種となり母の胎中から生まれるという経路を行きます。ここにおいてこの直接主管圏内にある誕生の経路を行こうとするには、私たちが直接主管圏に到達したかのような象徴的な条件を立てる必要があります。

この条件が実子、母、父の勝利です。祝福を受けることで長成期完成級を越えて完成期に入りますが、この完成期で為すべきことは実子、母、父の長子権復帰の勝利です。これを全うすることで象徴的に完成したという基準を達成します。これが天寶登載家庭です。

③重生という本然の誕生にふさわしい環境が必要です。

それには主権者が神様と真の父母様であるという国家が必要です。全国民が真の父母様の国民という国です。本然世界の再現のためには完全なサタン不可侵圏が必要です。

復帰摂理の進展によって父国、母国の両方の国が復帰統一されなくても重生が実現する可能性が出てきました。ポイントは天苑宮です。

詳しくはコロナ、ウクライナ、元首相の悲劇の真の原因と私達の使命(最終摂理時代Ⅰ)をご覧ください。

こうして環境的にも父母なる大地で再誕生できます。

この本然的環境下で神様と真の父母様という縦横の父母による私たちの再誕生の役事が始まります。

 

Ⅵ 原罪以外の罪の蕩減に約6年間、原罪の蕩減に約59年間

原理講論にある蕩減復帰歴史と真の父母様の路程を見ると、罪の清算歴史をはっきりと知ることができます。

罪の歴史はアダムとエバによる原罪とそれ以後の人類による遺伝的罪、連帯罪、それから自犯罪です。

ここで重要なことは、アダムとエバの原罪以降の罪は、天使長の血統に落ちた堕落人間によるものです。このため、肉身をつけた堕落天使である堕落人間の犯した遺伝的罪、連帯罪、自犯罪の清算は本来、堕落天使である堕落人間が清算しなければなりません。

復帰摂理歴史と御父母様の路程を概観して、遺伝的罪、連帯罪、自犯罪の清算にはどれだけの期間が必要だったのでしょうか?

また、原罪の完全清算にはどれだけの期間が必要だったのでしょうか?

 

さて、原理講論の後編第一節 アダムの家庭を中心とする復帰摂理(三)アダムの家庭におけるメシヤのための基台とその喪失、には重要なことが書かれています。

「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てることによって、「実体献祭」をするためには、その献祭の中心人物が決定されなければならない。ゆえに、アベルの「象徴献祭」には、アダムの代わりに「信仰基台」を立てるためと、アベルを「実体献祭」の中心人物に決定するためという、二つの目的があったことを知らなければならない。
 「堕落性を脱ぐための蕩減条件」はカインが代表して立てなければならないのであるが、これが、いかなるわけで、アダムの家庭全体が立てたのと同じ結果になるかということを我々は知らなければならない。

アベルは信仰基台の中心人物であり、実体基台の中心人物でもあります。しかし、実体基台の代表はカインです。どうしてなのでしょうか。後編第一節 アダムの家庭を中心とする復帰摂理(二)実体基台には次のようにあります。

天使長が、神の愛をより多く受けていたアダムを愛することができなかったことによって堕落したので、「神と同じ立場をとれない堕落性」が生じた。それゆえに、この堕落性を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルを愛して、神の立場にあるのと同じ立場をとるべきであったのである。

 

カインは天使長の立場なのです。これは実体基台の目的が天使長の罪の蕩減復帰であることを示しています。

アベルはアダムの立場ではありますが、アダムの罪を蕩減するために立てられたのではなく、カインが天使長の罪の蕩減を成し遂げるように助け導くことが目的です。アベルは神側の人間ではあっても堕落人間です。アダムの蕩減ができるわけがないのです。アダムの蕩減は再臨のアダム以外にはできません。

このようにみると、原理講論に出てくる復帰摂理歴史のすべてが天使長の蕩減路程であることが分かります。

原理講論において最後の部分に当たる世界大戦についてのみ言を見てみましょう。

霊肉を中心として、サタン世界と天側の天使圏が戦って勝敗を競うというのが第二次大戦であったと見るのです。聖書から見れば、ハルマゲドン戦争なのです。 

「真の父母様の生涯路程」第一節 解放を前後した摂理的基台 一九四五・八・一五 前後 一 第二次世界大戦とキリスト教文化圏

アベルとカイン、天の側とサタンの側、全てが天使圏であることが分かります。原理講論に出てくる復帰摂理のすべてが堕落人間という体をつけた天使の罪、すなわち全人類の遺伝的罪、連帯罪、自犯罪を蕩減してきた道筋であることが分かります。

アダムとエバが生まれる前に罪とは関係のない善なる天使界があったことを蕩減する必要があるので、アダムとエバの再臨である独り子と独り娘が登場する前に、肉体をつけた天使である堕落人間の原罪以外のすべての罪を清算する必要があるのです。

本来なら少なくとも第一次世界大戦においてすべて終了すべきでした。これはカイン圏がアベル圏を愛し、仲保とし、屈服し、善を繁殖することで内的な勝利としてなすべきでしたが、それができなかったので力によって強制的に屈服する戦争の形になりました。

第一は、武器でサタン側を屈伏させて統一する道である。しかし、統一されたのちにきたるべき理想世界は、全人類が共に喜ぶ世界でなければならないので、この世界は、敵を武器で外的に屈伏させるだけでは決して実現できない。ゆえに、彼らを再び内的にも屈伏させて衷心から喜べるようにしなければならない。そのためには、人間の本性的な欲求を満足させる完全無欠な理念がなくてはならないのである。

後編第五章 メシヤ再降臨準備時代 第四節 世界大戦 (四)第三次世界大戦 (1) 第三次世界大戦は必然的に起こるのであろうか

武力で屈服した後は、内的にも屈伏させて衷心から喜べるようにしなければなりません。上記の講論の内容ではそれには完全無欠な理念が必要だとありますが、理念以上に必要なのは真の愛であることは言うまでもありません。第一次世界大戦では勝利した米英仏が敗戦国であるドイツに真の愛で接することが不可欠でしたが、逆に重すぎる賠償金を課すことでナチスドイツの出現につながったのです。敵を愛するキリスト教の精神とは真逆の行動を取ることで、サタンが侵入したのです。

本来、独り子と独り娘が生きる時代に戦争があってはならないのですが、第二次世界大戦で再蕩減する道に行かざるを得なくなりました。

 

第二次世界大戦で神側が勝利することで、縦的には僕の僕、僕、養子、庶子の長子権、横的には世界的な長子権を復帰し罪なき天使界を復帰できたので、独り子、独り娘が登場できる環境が整いました。

罪なき天使界が復帰されたということは、堕落人間が犯してきた遺伝的罪、連帯罪、自犯罪がすべて蕩減復帰されたことを意味します。

この勝利圏を独り子と独り娘に連結することで子羊の婚宴がなされ真の父母が出現すれば、人間が真の父母から祝福を受ければ、その人のすべての罪は一瞬で清算されるようになっていました。

しかし、ご存じのように養子の立場にあるキリスト教団や庶子の立場であるキリスト教アベル教団が真のお父様に従わなかったので、お父様は神様が苦労して作り上げた勝利圏のすべてを失われました。そして1948年2月22日の僕の僕と僕が集まる地獄である平壌内務省とそれに続く興南強制収容所から再出発されました。そこで囚人仲間はもちろんの事、毎回模範労働者として表彰されたことが示すように、主人の位置にある看守たちも全て自然屈服されました。

働く人たちは数十人ではなく、千人近くいるのですが、看守たちが私を選定して、最高の実績を上げ得る材料にするのです。そのようになるのはたやすいことでしょうか。

そのようにして生き残ったのです。・・・このようにしていたところ、表彰があるたびに、毎回模範労働者に選ばれて賞をもらいました。そのようにして生き残ったのです「真の父母経」第三篇 第一章 真のお父様の公式路程出発 第四節 興南監獄とイエス様の使命継承路程

お父様は、計画していたすべてのことを完遂したので、天は、天使長国家であるアメリカと国連軍を通して北朝鮮を攻撃するようにし、お父様を解放しました。そうして、監獄から出てくるようになったのですが、その時、四人の人が私に従いました。国連軍が韓国を守ってくれたので、その条件によって、天の運勢は再び民主世界に戻ってくることができ、キリスト教を復帰するための役事を始めることができたのです「真の父母経」第三篇 第一章 真のお父様の公式路程出発 第四節 興南監獄とイエス様の使命継承路程

キリスト教国家が中心と形成された国連軍がお父様を解放することで、僕の僕と僕の蕩減復帰に勝利されたお父様に養子圏、庶子圏であるキリスト教圏が再び連結されました。

ここから養子、庶子の段階の蕩減復帰に向かわれました。釜山のボンネッコルから伝道を始められ、梨花女子大での大迫害を初めとして打たれて復帰する道を行かれ、1954年5月1日世界基督教統一神霊協会というキリスト教アベル教団を設立することで養子、庶子の長子権を復帰する条件を確立されました。こうして堕落前の天使長基盤を完全復帰されました。これは肉身を持った天使である堕落人間の持っている遺伝的罪、連帯罪、自犯罪をすべて清算する条件を立てることができたことを意味します。

この時点で、お父様は全人類の遺伝的罪、連帯罪、自犯罪を赦す勝利圏を確立しておられました。自分で遺伝的罪、連帯罪、自犯罪を清算しようとすることが、全くの的外れなことであることをご理解いただけると思います。

さて、ここから原罪を蕩減復帰する路程が始まります。

私たちは神様の直系の子女である独り子と独り娘ならば自動的に原罪の清算ができると考える傾向があると思いますが、そうではありません。

原罪を清算するだけの蕩減条件を立てる必要があります。

アダムとエバによる原罪は神様に対して千秋万代に渡って消えない悲しみのみならず、永遠に終わることのないような、のた打ち回るほどの苦痛を与えました。これは神様の独り子、独り娘であったアダムとエバによって引き起こされたので、それを蕩減できるのは再臨の独り子、独り娘だけです。

原理講論の堕落論では、原罪は神様の息子であるアダムと娘であるエバが犯した罪であり、父母である神様に対する最大の親不孝者として描かれています。勿論それも正しいのですが、み言によればアダムは神様の体であり、エバは神様の妻だというより重要な概念が述べられています。

サタンが奪ったのは神様の娘であるエバ以上に神様の妻であるエバなのです。それでサタンは神様にとって姦夫なのです。

これを蕩減復帰するのが独り子、独り娘の使命です。

 

皆様は、逆の経路で蕩減するという蕩減復帰原理からしてどうすれば堕落の罪を清算できると思われますか?

それには堕落において神様の感じられたのと同じ心情世界を独り子と独り娘が追体験することから始まります。独り子にとっては愛する妻を姦夫に奪われるような体験、独り娘にとっては独り子の妻が自分だけではないという想像を遥かに超える体験です。

つまり、独り子にとっての姦夫、独り娘にとっての姦婦が絶対に必要だということになります。これは堕落論の再現なので、興南路程のような分かりやすい蕩減路程ではなく、目をそむけたくなるような堕落の沼を行くような蕩減路程です。興南路程はいずれ映画化され多くの人が感動するでしょうが、堕落の蕩減による原罪清算の路程は後世には残せないかもしれません。

第二次世界大戦終了前、実子として立っておられたお父様は、1943年10月、後に教会で第一のお母様と呼ばれるようになる崔先吉女史と結婚されました。それと同様の基盤を復帰されたのが1954年5月1日、横的には小さな基盤でしたが世界基督教統一神霊協会の設立によって、お父様は縦的にはアベル教団という庶子圏の基盤の上に実子として登場されたので、1954年金明熙女史と結婚されました。この方は第二のお母様と呼ばれるようになった方です。崔先吉女史が信仰を持ってこの時まで待つことができたら、金明熙女史が登場する必要はありませんでした。 

 

ところで、真のお母様が、独生女宣言をされるまで、私達は真のお母様を第三のお母様と考えていたのです。崔先吉女史、金明熙女史と真のお母様を同列と考えていたわけですから蕩減復帰摂理について何も分かっていなかったのです。あまりに情けない話です。下記のみ言の中にも明確に述べられているのに長い間知らず来ました。

それでは再臨主は何をしに来られるのでしょうか。再臨時代は完成基準の時代であるために、再臨主は人類の母を探しに来られるのです。すなわち、新婦を探しに来られるのです。新郎であられる主がこの地上で探される新婦は、堕落圏内で探す新婦ではありません。堕落していない純粋な血統をもって生まれた方を探すのです。祝福家庭と理想天国 第四節 祝福の過程とその意義 2、聖酒式の成立過程と意義

 

また、真の父母様による罪の清算は原罪だけであって遺伝的な罪、連帯罪、自犯罪は自分の責任分担として清算するというのも教会で一般的に信じられている間違った解釈です。

このように解釈してしまった原因は原理講論にもあると思います。原理講論にはメシヤによって原罪が清算されると書いてある箇所がたくさんあります。その他の罪についての記述はありませんが、普通に読むとメシヤはそこまではされないと解釈してしまうのも仕方のないことだと思います。

それに拍車をかけるのが、全ての罪が清算されれば本然に戻るという考え方です。これは堕落によってサタンの愛を中心に実体そのものが再創造されたことが堕落の血統を意味するということを理解していないことによると思います。人間が人間ではなくなったことについて堕落論ではサタンの血統に落ちたと記してありますが、それについて明確に理解できるような突っ込んだ記述を見出すことはできません。

真の父母様のみ言にその答えを求めなければ解決しない問題です。

さて、1954年5月1日にお父様が実子の立場に立たれてから、1960年のご聖婚までは独り息子アダムの堕落についての蕩減期間です。この期間はアダムの堕落によって神様が通過された心情世界の再現です。

お父様は、金明熙女史はレアの立場の妻であり、神様の恨の解怨路程にとって絶対に必要な方であり、これがなされないと独り娘との子羊の婚姻を迎えることができないことを良く分かっておられました。しかし、お父様は人情においても誰よりも情の深い方です。金明熙女史は1955年に日本の復帰に関する使命を帯びて日本に行かれます。そして、1955年8月17日に喜進様を日本で出産されます。お父様は異国にいる母子にどれほど会いたく、傍にいてあげたいと思われたことでしょうか。

そんな中、1958年金明熙女史は韓国人の同胞から苦難を受けられます。この男性はお父様にとって姦夫です。エデンで起こった堕落の再現です。お父様は神様の通過された心情世界を追体験されました。これを実行したのはサタンですが、決済は神様が成されました。

 

この天地の大主宰者であられる神様をサタンも無視することができません。自分の業を実行するためには、必ず善の神様の決裁を受けたのちに行動をするのです。その悪なることで神様の理想世界を破綻させるのです。 「宇宙の根本」 第二章 人間創造と愛の理想の完成 五、生殖器を通して天国と地獄が分かれる

 

それでもお父様の神様に対する絶対信仰、絶対愛、絶対服従は微塵も揺るぎませんでした。それどころか今こそ神様への愛を貫くときだと覚悟を決められました。これにより神様の独り子に対する恨が解怨されたのです。

この勝利圏ゆえに独り子と独り娘のご聖婚が実現できたのです。

しかし、これで原罪の清算が終わったわけではありません。1960年のご聖婚から1968年の神の日の制定までの期間は神様の独り娘に対する解怨路程です。お母様は、姦婦を屈服することで、この熾烈な蕩減路程に勝利されたので神の日が制定されました。

神の日は、お母様が責任を果たしたので設定することができました。世間にどんなことがあっても、七年間、お母様の私に対する心は変わることがなかったというのです。死んでも変わることなく、夫が行く道をついていこうという覚悟と姿勢で、七年路程を越えました。

エバが神様を信じることができない立場で堕落したので、代身して蕩減する立場で神様が信じることのできる立場に立たなければならず、また、エバがアダム(夫)を堕落させたので、夫が百パーセント信じることのできる立場に立たなければならなかったのです。ところで、お母様は不信の人類歴史の中で、初めて神様と夫が百パーセント信じてくれる立場に立つことによって、その心の基台の上で、神の日が設定され得たというのです。

そのときが一九六八年でした。男性の蕩減復帰基準と女性の蕩減復帰基準を立てて、アダムとエバが長成期完成級で堕落したのを復帰する七年過程を経て、八年目を迎える一九六八年に初めて完成期完成級で夫婦の資格、夫の資格を備え、この地上に現れることができました。「祝福家庭と理想天国」 第六章 ご父母様の聖婚と祝福家庭 第一節 ご父母様の聖婚と七年路程 5、お母様を通した七年路程

 

人類始祖の堕落による恨は息子、娘に対するものだけではありません。神様はアダムという体を着て、エバを妻として迎え家庭を築き父母となるようになっていましたが、堕落がこのすべてを破壊しました。

​このため、夫、妻の蕩減路程、父、母の蕩減路程が必要です。夫と妻の蕩減路程が終わったのは1975年の崔元福先生を中心に執り行われた総解怨式です。この間の生死の境をさまようような真の父母様の神様の恨の解怨路程は「御父母様による神様の恨の実体解怨路程」をご覧ください。これには会員登録が必要となります。

また、母と父の蕩減路程が終わりサタンの持っていた縦的横的8段階の長子権を復帰されたのが1989年8月31日の八定式です。

八定式で原罪の全てが清算されたかと言えばそうではありません。これは2013年の基元節まで続きます。この部分については上記の「御父母様による神様の恨の実体解怨路程」ないし天寶重生論ⅠのⅢ 直接主管圏に入られた真の父母様の路程概観(付録)、総論Ⅳをご覧ください。

 

このように真の父母様の路程を概観してみると次のような事実が明確になります。

①1946年に北に行かれた後の、1948年2月22日、平壌内務省に拘束され更に興南に送られ1950年10月14日に解放されるまでの2年8か月・・・僕の僕、僕の段階の蕩減路程

お父様が北に到着されたのは1946年6月6日ですが、北において庶子格のキリスト教アベル教団である腹中教が失敗し、養子格の平壌のキリスト教団群がお父様を共産党に告発することで、お父様につながるよう準備されていたキリスト教基盤のすべてが失われたのが、1948年2月22日の平壌内務省への収監なので、ここからが僕の僕、僕路程の出発と見ることができます。

②興南解放から梨花女子大事件などの迫害、中傷、罵倒を越えられ1954年5月1日のキリスト教アベル教団の立場としての教会設立までの約3年半・・・養子、庶子の蕩減路程

 

この間にお父様が行かれた僕の僕、僕、養子、庶子の範疇は地上界、霊界全てを含む天宙的次元なので、霊界に行った人々から現在に生きている人に至るまですべての人が入ります。このため、この期間は全人類の罪を背負いすべてを完全に蕩減された期間です。この罪とは原罪以外のすべての罪、すなわち遺伝的罪、連帯罪、自犯罪です。これらの全人類の罪の清算はこの期間で全て終わっています。そこには私たちの遺伝的罪、連帯罪、自犯罪も勿論含まれます。

③1954年の教会設立から1989年の八定式まで・・・実子、母、父の蕩減路程の完結

この期間で狭義的にはアダムとエバの堕落による原罪の清算がなされたと見ることもできます。しかし、アダムとエバは堕落によりサタンの直接主管圏まで落ちたので、広義的には神様の直接主管圏に行くことで初めて原罪のすべてを蕩減復帰したと言えることになります。

④八定式から2001年1月13日の神様王権即位式まで・・・父母権、王権の復帰路程

⑤2003年2月6日天地父母様天一国開門祝福聖婚式・・・これにより昼の神様と真の父母様の結婚式がなされ真の父母様は昼の神様の直接主管圏に入られます。しかしこの時点では夜の神様の解怨はなされていません。

⑥2009年1月万王の王神様解放圏戴冠式・・・夜の神様の解怨による夜の神様と昼の神様の一体化がなされ、神様が万王の王の位置に復帰されました。

⑦2013年1月13日の基元節における天地人真の父母様聖婚式によって夜の神様、昼の神様、真の父母様の結婚式が挙行され、真の父母様が夜の神様と昼の神様が一つになった天の父母様の直接主管圏に入られ、これによりアダムとエバによる原罪の清算が完全に完結しました。

こうしてみると原罪以外の遺伝的罪、連帯罪、自犯罪の清算は1948年2月22日から1954年5月1日の教会設立までに達成されました。

1954年から1960年のご聖婚までに独り子としての蕩減復帰は完了したので独り子と独り娘の婚姻がなされました。これは原罪の清算の終了ではなく始まりだったのです。その後の蕩減路程は結婚した後でなければできない内容なのです。

原罪の完全な清算がなされ神様の恨が完全に解怨されたのは2013年1月13日の天地人真の父母様聖婚式の時でした。

 

このように見ると原罪清算がどれほど大変だったかが分かります。

全人類の遺伝的罪、連帯罪、自犯罪の清算に実質6年間少々(1948年2月22日~1954年5月1日)、原罪の完全清算に約59年間(1954年5月1日~2013年1月13日)ほど必要でした

 

期間からだけでは、蕩減復帰の困難さを単純に比べることはできませんが、あえて比べてみると、遺伝的罪、連帯罪、自犯罪を蕩減された期間を1とすると、原罪を蕩減された期間は10となります。

これを分かりやすく比較すると、人類始祖は堕落により1000メートルの崖下に滑落し、その後の人類が100メートル更に落ちたようなイメージです。

この100メートルの崖を上がるのに旧約以前時代、旧約時代、新約時代と6000年かかって復帰したかに見えましたが、それを真の父母様に連結することに失敗して、また100メートル滑り落ちました。本来、人間が100メールを登った上で真の父母を迎えるべきでしたが、失敗したので真の父母様がこの100メートルも代わりに登られました。

そこから更に1000メートルの崖を登り切って復帰が終わったのです。これを見ても原罪の恐ろしさとその清算の気の遠くなるほどの難しさが身に染みて分かります。

なお、私たちが真の父母様の勝利圏を完全に相続して重生する道を探った天寶重生論には下記の章があります。

天寶登載家庭は重生し天国に入る最初の復活(天寶重生論Ⅰ)

天寶登載家庭が重生できる理由と現実化条件(天寶重生論Ⅱ)

天の父母様の形は? 重生は何時起きるのか?(天寶重生論Ⅲ)

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