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序文

 

重生において基礎となのは、自分の命よりも、相対者よりも、子女よりも神様と父母様を信仰からではなく自然に愛せるかということです。

しかし、これを成し遂げるためには、まず神様が人間に対して命を削って精誠を尽くして下さっている事を具体的に知って実感する必要があります。命を懸けて愛されたという経験と体感を経て、初めて命を懸けて愛したいと思えるようになります。

神様は天地創造から今日に至るまで途切れることなくリアルタイムで精誠を尽くしてこられました。しかし、人間は堕落することでこのことが全く分からなくなってしまいました。神様の愛に対する無知です。この神様の精誠が分かれば神様抜きの自分や世界はあり得ないと分かります。一般でも「私は生かされている」などと言いますが、ここではその本当の意味が明らかになります。

​神様は人間に対してここまで与えられるのか!と感嘆符なしでは表せないほどに骨身を削り命を削って愛しておられるのを感じて頂けると思います。

ここでは力の精誠、生命の精誠、五感のクオリアの精誠、知情意の精誠、愛の精誠についてお話しします。

この章は計らずも総序に記されている宗教と科学の統一についての原理的な見解の一つとなっていると思います。み言は宗教世界のみならずあらゆる分野の隠された一番大切な扉を開くカギです。このカギは天使長は持っていません。アダムが持ってこられるのです。

この章の内容は真の父母様が下さったカギを用いて様々の分野の核心的な扉を開けて垣間見たものです。

キリスト教徒、仏教徒、儒教徒、イスラム教徒などの宗教の信徒はもちろんのこと、物理学者、化学者、生物学者、脳科学者などの自然科学者及び社会科学者、人間科学者、歴史学者などあらゆる人文科学の分野の学者、あるいは哲学者、芸術家、政治家、経済人そして一般の人々に至るまで、真の父母様のみ言を知らないがゆえに、的外れなことに集中し人生を浪費しています。

一番肝心なことを知らないで悩める魂のまま虚しく人生を終えていきます。

生きている間は自分も人並み以上の人生を歩んだと自負している人は数多くいます。しかし、霊界に行った時にいやでも知ることになります。

しかしそれでは遅いのです。み言に比べればノーベル賞級の学者の研究も小学校レベルです。本当にそうなのです。優秀な天使長であっても神様と一体となった本然のアダムとの差はあまりに大きいのです。

この章は、あまりに不十分ではありますが、み言の持つ真理性、整合性、統一性が、この世すなわち天使長世界のものと比べてあまりに次元が違う素晴らしいものであることを俯瞰していただけると思います。

先生はかつて、長きにわたる祈りと瞑想の生活の末、ついに実存する神様と出会い、絶対真理を伝授されました。それは、宇宙と人生と歴史の背後に隠されたあらゆる秘密を明らかにする、驚くべき内容でした。

 

この内容を社会に適用すれば社会の問題が解決され、世界に適用すれば世界の問題が解決されます。それだけでなく、宗教の未解決問題や哲学の未解決問題も解決されるのです。

れは、かつてなかった新しい世界観であり、新しい宇宙観であり、新しい人生観であり、新しい摂理観であり、新しい歴史観です。

また、あらゆる宗教の教理や哲学の特性を生かしながら、全体を一つに包容できる統合原理でもあるのです。

第一篇 神様 第一章 神様の存在と属性 第一節 神様の実存 1985.12.16

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①神様の精誠を見えなくさせた科学の罪

同時期に微分積分学を確立したニュートン(1643-1727)とライプニッツ(1646-1716)の神観の論争は、科学がどの方向に行くのかを決める分岐点の一つでした。

ニュートンは人間的には気難しく偏屈で人嫌いの面がありました。ニュートンが笑ったのは論敵がぼろを出したときに嘲って笑った一度だけだったという逸話も残っています。一方ライプニッツは生涯、手紙をやり取りした相手は千人を超えると言われるほど人間好きでした。一般的に言えばニュートンはカイン的、ライプニッツはアベル的と言うことになります。

しかし、神観の観点で見ると評価が真反対になります。

ニュートンは、「神は世界を創造した後でも、たえずそれに干渉の手を加える。そうでなければ、世界の動きが止まってしまうからだ。」と考えました。

一方、理神論の影響を受けたと思われるライプニッツは、「神は世界を創造した後、それに何らの干渉も加えない。そんな干渉をしないでも世界は立派に動いていける。神が世界を中途半端につくるわけがない。」という考えでした。

ライプニッツの神観は一見信仰的に見えますが、神様は存在しないのと同じことになります。

多くの人は宗教や哲学については様々な考えを持ちますが、科学に対しては無条件に正しいと考える傾向にあります。実際、科学が人類に多大な貢献をしてきたことも確かです。それだけに、科学がどういう神観、世界観の上に成り立っているかは極めて重要です。

 

科学はその後、ライプニッツ的なカイン型人生観に基づく神観の方向に流れ、現在に至っては、科学に神様を持ち込むこと自体が科学的姿勢ではないという所まで来てしまっています。

 

カイン型人生観とは、原理講論によれば「神への帰依と宗教的な献身を軽んじ、すべてのことを自然と人間本位のものに代置させる」考え方とあります。あらゆる事象は、神を持ち込まなくても、自然や人間を原因として説明できるとして、神なき人生観・世界観を構築しました。

神様の存在を可能性の一つとして仮定さえもしない科学は、それだけで論理的とは言えません。

 

科学は中立的なものと考えられていますが、実はこのカイン型人生観の影響の上に成り立っています。事実、様々な科学的現象の原因は外部には存在せず、宇宙、自然、人間などの存在自体内にあるという考え方を前提として出発しています。

科学は、事象の原因がそれ自体にあるのか、事象の外にあるのかどうかも検証しないで真理を見つけようとするので、表面的な真理は分かっても本質的な真理には到達できるはずがありません。

多次元宇宙論は罪悪

たとえば、宇宙はインフレーション・ビッグバンによって始まったことは事実として分かってきましたが、多くの科学者は、その原因は宇宙そのものが持っていたと考えています。

この発想に基づいて、今の私たちの宇宙は多くある宇宙の内の一つに過ぎないとする多次元宇宙論を一流と言われる学者が唱え、世の中で真実であるかのように信じられています。

また、宇宙は約138億年前にインフレーション・ビッグバンによって急速に膨張しましたが、約70億年前から加速度的に再膨張を始めました。事象そのものに原因が内包されているという科学の前提に反して、外部原因からエネルギーが投入されたかのような事実が見つかり、多くの学者は戸惑いました。

それでも真空自体が持っているエネルギーをダークエネルギーと名付け、あくまでも宇宙自体の中に原因があるとしてそこで思考停止しています。その先にある原因について追及しないままに終わり、事象の根本にある神様を登場させることはありません。

この科学の姿勢では真理に到達できないというだけではありません。事象を存在せしめるために骨身を削られる神様の精誠を無視することになります。

宇宙誕生の奇跡は神様の血肉を材料として成されました。その後の宇宙存在のためのエネルギーも神様がリアルタイムで血肉を削って与えておられるのです。

今も宇宙は光速以上の速度で拡大していると言われていますが、その現象の背後にご自身の血肉を削って成しておられる神様がいらっしゃるのです。

 

では、何のために神様はそうされるのでしょうか?

原理から見れば明白です。2016年、NASAは、宇宙には2兆個の銀河があると発表しました。一つの銀河には1000億個以上の恒星(太陽)があります。宇宙全体の太陽の数は2兆×1000億個以上というとてつもない数になります。多くの太陽が惑星を抱えており、その中には地球型の惑星も見つかっています。

 

太陽からの距離が人間の居住にちょうど良い地帯をハビタブルゾーンと呼んでいますが、今後、創造本然の人間が増え科学が異次元の発達を遂げていけば、原状では暑すぎたり寒すぎたりする惑星をハビタブルゾーンに移動させることも可能になります。また、重力をコントロールすることができるようになり巨大惑星の重力を地球と同じにすることができるようになります。

こうなると人間が移住可能な惑星はとてつもなく多くなります。

それでも宇宙が等速度で拡大するだけでは人類の幾何級数的な繁殖速度にいずれは追いつかれてしまうので、神様は宇宙を加速膨張させておられるのです。

 

さて、今まで宇宙観測においてはダークエネルギーと呼ばれているエネルギーだけがどんどん増えているかのように見えます。

現在、ダークエネルギーとダークマターを含めた物質の割合は7:3です。どこかで見た数字ではありませんか?

そうです。海と陸の割合であり、人間の水分とそれ以外の割合です。

人間は天宙の総合実体相なので、万物世界は人間に似て展開されています。神様は創造原理通りに創造されるので、今後もこの7:3の割合は変わりません。

 

科学者たちはこの根本原理を知らないので、ダークエネルギーの割合がこれからもどんどん大きくなり物質のすべてがばらばらになって空疎な宇宙となり終焉する、などとする無駄な研究に人生を浪費し人を惑わせています。

<エネルギー⇔物質>の現象は双方向ですが特に重要なのは<エネルギー⇒物質>という方向の現象です。これは無形が有形化する創造現象です。インフレーション・ビッグバンのエネルギーが物質に変換されてこの宇宙が出来上がったように、いずれダークエネルギーがダークマターに、ダークマターが通常の物質に変換されていく創造現象が観測されることでしょう。

神様の創造は今後も永遠に継続するのです。なぜなら創造は愛が実体化する現象だからです。神様の愛は永遠であり絶対なのです。

 

今後も神様の精誠によって宇宙も無限に大きくなっていくし、銀河の数も恒星、惑星の数も無限に増えていくのです。

つまり、神様は愛する子女の居住地を拡大する為にこれからも無限に血肉を削って精誠を尽くして創造活動をされるのです。

それにしても、このダークという「暗い、闇の」を意味する形容詞は削除され、神様の精誠を賛美する言葉に変えられるべきです。これは科学が犯してきた罪と無知を象徴するような言葉です。

人類は、神様を探し出さなければなりません。無形の真の父母が分からない、その無知から抜け出さなければなりません。全知全能性の示現としてつくられた宇宙の、無窮で奥妙な秩序の中に暮らしながらも、創造主の偉業に感謝することを知らない悖逆(はいぎゃく)を、これ以上繰り返してはいけないのです。堕落した人間は、自分の生命の主人が自分だという傲慢から抜け出し、神様の真の愛の絶対「性」の前に自覚された霊性を育てなければなりません第十二篇 天一国  第三章 天一国国民と「家庭盟誓」第三節 神人愛一体と侍る人生6 2002.12.27

②神様の力の精誠

宇宙には4種類の力が存在することが分かっています。強い相互作用、弱い相互作用、電磁相互作用、重力相互作用です。

一方的な力というものは存在せず、全て2つの物質の間の相互作用です。これは創造原理で言う授受作用の力です。

物理学者たちはこの4つの力の統一方程式を見つけようと躍起になって研究しています。4つの力は元は一つでしたが、ビッグバンの後すぐに分離が始まり10の-11乗秒後に完全に四つに分かれました。このため元は一つの力だった4つの力の方程式を統一できることは明白です。この超大統一方程式を解明すればノーベル賞は確実です。

しかし、学者たちは現象世界の先にある原因の力については全く分かりません。

それが万有原力です。

力は授受作用で生まれる
力の根源は神様の万有原力

万有原力がなければ4つの力は生まれません。

私達に身近な重力や電磁気力が消えたらどうなるでしょうか?

銀河も、太陽系も、地球もばらばらに分解して素粒子だけの世界になります。更に原子核内部に働く強い力や弱い力が無くなれば、素粒子も存在できず全てが消えてしまいます。

 

電磁気力一つとっても、私達は大きな恩恵を受けています。例えば

 

筋肉を動かす力、

電気製品を動かす力、

磁石の力、

車、電車、飛行機、ロケットなどを動かす力、

石や金属などに見られるように物質を固体化させる力、

地震や雷、

化学反応を生じさせる力、

弾性の力、

摩擦力

などの身近なほとんどの力は電磁気力です。神様が万有原力を注いでくださるので、それが電磁気力として現象化するのです。その力の恩恵はあまりに大きいです。

神様の万有原力の精誠がなければ筋肉も動かせないし、電気製品も車や電車も動きません。それどころか分子同士固まることができず、原子核と電子も一つになって原子を形成することができずばらばらになります。

私達は神様の力の精誠がなければ存在することすらできません。

それでは、神様は、あらゆる力の元となっている万有原力をどうやって生み出しているのでしょうか?

神様はどこかから力の元となる燃料を持ってくることは出来ません。神様ご自身の血肉を材料として万有原力を作っておられます。もちろん神様自身が存在するためにも万有原力が必要ですが、それよりもずっと大量の万有原力を被造世界に注いでおられます。

この神様の途切れることのない力の精誠によって初めて人も万物も存在することができます。

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③神様の生命の精誠 - 原理の力と間接主管、直接主管の意味

神様の精誠についての無知は、生命にも及びます。

生命を形作る基本はすべてDNAにあると多くの人は考えています。生命の原因はすべて細胞の中にあるという考え方です。

生物学者たちの多くは、DNAこそ生命の謎を解くカギだと思いました。しかし研究が進むと人間のDNAの70%がナメクジやウニと共通、98.8%チンパンジーと共通、99.9%が他の人と共通であることが分かってきました。

DNAは生命の設計図ではない

また、多くの人は、DNAは生物の設計図だと思っています。DNAは20種類のアミノ酸の配列を指示するものです。つまり、アミノ酸を並べる順番を指示しています。

遺伝子と呼ばれるものは全DNA情報の中で、意味を有するまとまったDNA群のことをいいます。遺伝子は、アミノ酸を直線的に連結させてたんぱく質を作るよう指示する設計図です。タンパク質は、分子量約4000前後のものから、数千万から億単位になるウイルスタンパク質まで多くの種類が存在しますが、この遺伝子というたんぱく質設計図の総数は人間では約2万少々です。つまり、人間のDNAには基本的に約2万種類のたんぱく質の設計図が書かれているわけですが、この約2万種類あるタンパク質の設計図に基づいて糖、リン酸、原子を付加するなどの修飾を加えて約10万種類以上のたんぱく質を作り出します。

 

人間の遺伝子情報には、細胞の材料となるタンパク質や体に必要な様々な働きをするタンパク質の設計図が書かれています。しかし、これ以上の情報はDNA・遺伝子にはありません。

DNAはA、T、G、Cの4文字で表される物質が30億個つながってできあがっています。30億という数字はとても大きな数字に思えますが、コンピューターのデータ量に直すと僅か750MB、約CD一枚分しかありません。こんなわずかな情報量で人間というあまりに複雑で高度な生命体を作ることができると本当に信じている学者があまりにも多いのです。あまりに悲しい現実です。

https://cbs.biol.tsukuba.ac.jp/update/640

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それでも、装飾を加えると10万種類以上のたんぱく質の組立情報を持つDNAはすごいと思う人もいるのですが、一個の細胞を構成するタンパク質の数は80億個です。10万種類のたんぱく質は10万種類のパーツと考えることができます。その10万種類あるパーツを80億個用いて、立体構造を持つ細胞を作らなければなりません。しかし、そのパーツの立体的な並べ方を指示する情報部分はDNAのどこにもありません。この80億個のたんぱく質を立体的に組み立てる設計図はあまりに複雑、膨大でDNAの情報領域に収まる程度のものではありません。

​皆さんの前に10万種類の部品が種類ごとにたくさんあると想像してみてください。その10万種類の部品を80億個使って複雑な機能を持つ有機体を作る必要があるとします。これは平均すると部品であるタンパク質一種類当たり8万個を使うことになります。何の設計図もなく作るわけですから、取り掛かろうとする気持ちすら失せてしまうレベルです。細胞一個作るのがいかに至難の業であるかがお分かりになると思います。

要するに、DNA情報だけでは細胞一個すら組み立てることはできないという極めてシンプルな事実があります。

 

まして、細胞の集合体である心臓、肺、肝臓、脳、胃腸、血管系、神経系、骨格系などのもっと複雑な設計図は情報量がけた違いに大きく、到底DNAには記録できません。

要するにあまりに複雑で高度である生物の設計図は生物自体の中にはないということです。

こんなことは少し考えれば分かりそうなものですが、生物を生物たらしめている原因が生物自体内にあるとする間違った科学的思考法に縛られて、正しい判断ができなくなっています。

DNAに収まらない人体情報

結論から言えば、生命の設計図は神様の中にあります。

タンパク質はDNA、メッセンジャーRNA、運搬RNA、リボソームの共同作業で作られます。DNAをコピーして出てきたメッセンジャーRNAの情報に基づき、運搬RNAがその設計図に従って必要な20種類のアミノ酸を組立工場であるリボソームに運んできます。

大腸菌の場合、リボソームで毎秒16個の速度でアミノ酸をつなげていきます。人間の場合は毎秒2個の速度です。これは正確性を優先するためと思われますが、それでもとても高速です。タンパク質製造工場であるリボソームの数は細胞一個当たり数百万個あります。その生産能力は驚異的です。

DNA、メッセンジャーRNA、運搬RNA、リボソームは生物ではありません。最も複雑なリボソームでも50個程度のタンパク質でできています。細胞を構成するタンパク質の数は80億個ですから、いかにシンプルかが分かります。

これが細胞内微小ロボットと言っても過言ではない位、その働きは迅速で正確無比です。生物ですらない、この細胞内微小ロボットの能力は自動車製造工場のロボットなど比較にならないくらいの高度な能力を持っています。まるで五感があるようです。

このあまりに複雑な機能を持つDNAやRNA、リボソームを制御しているプログラムは細胞内にはありません。

人間はやっと最近になってタンパク質の化学合成が少しづつできるようになってはきました。それも化学実験室で大きな装置を使って初めて可能です。

たんぱく質は神様の設計

人間の作った文明の利器と比較してみましょう。

自動車は約3万個の部品からなっており、その設計図は極めて複雑です。価格もそれに見合って高額です。

更に高度な機械である飛行機は、例えばジャンボジェットの場合、600万個の部品からなり、価格は100億円を超えます。

 

一方、微小化技術で見てみると、例えば、機械時計の場合、300個の部品を小さなスペースに詰め込んで20の機能を持たせたものがあります。製作時間は10万時間、価格は3億円です。

 

細胞はと言うと、部品数は80億個、これが0.02ミリ程の球形体に収まっています。機能面をみると10万種類のたんぱく質を作り出し、例えば肝臓の細胞の場合、500種類もの化学反応を同時に瞬時に行います。しかも細胞は自分で増殖します。

細胞に比べれば人間が作ったものは比較の土俵にすら上れません。細胞はどこにでもあるので大して価値が有るようには見えませんが、実際の価値は宇宙と同等かそれ以上です。

 

進化論は、生物の最初にこの驚異的なタンパク質製造システムや高度な化学工場を備え、更に自己修復機能や自己増殖機能を持つ細胞が忽然と出現したことをどう説明するのでしょうか?

飛行機が自然現象で偶然できたと主張すれば狂人扱いされます。しかし、それよりもずっと複雑で超高性能な細胞は偶然できたと唱えれば学識ある人間とみなされます。これはあまりに滑稽です。

細胞は神様の傑作

宇宙人や地球外生命体は存在しません

 

細胞を構成しているたんぱく質や脂質などをそっくりそのまま組み立てたとしても、細胞が生命を持つわけではありません。後述しますように神様の意識が細胞に浸透して初めて生命体となります。神様を抜きに生命が存在することはありません。

 

神様の創造は原理に従ってなされます。「新しい共産主義批判」の第七節 統一史観概観 (二)創造の諸法則③に中心の主管の法則というものがあります。それによれば創造において神様は中心を立て、そこから全体に広がるようになされます。人類始祖もたくさんいたのではなく一組から始まり全体に広がりました。復帰においてもこの法則に従って再創造されるので、一組の真の父母が必要となります。

生命の誕生と繁殖においてもこの法則に従ってなされます。宇宙には生命が生存できるような惑星が無数にあると思われますが、神様はそのすべてに生命を存在させるようなやり方はなされません。地球に生命を誕生させ、それが人間の手で宇宙に広がるように計画されました。

SETI(地球外知的生命体探査)に数多くの研究機関や学者が参加しています。これは、電波望遠鏡で受信した電波を解析し、地球外知的生命から発せられたものがないか探すというものです。また、1972年1973年に打ち上げられた宇宙探査機パイオニア10号11号に取り付けられた金属板には、人類からのメッセージを絵で記してあります。

これらは夢のある計画のように感じる人も多いのですが、事実は神様と生命についての無知の最たるものなのです。宇宙には宇宙人のような知的生命はおろか単細胞生物すら存在していません。神様の創造の計画にはないからです。

宇宙を生命で満たすのは神人一体化した人間の責任です。宇宙に無数に散らばっている惑星を改造し、生命が存在できる環境に変え、人間と生物の楽園を造り上げることは、人類にとってもっともエキサイティングな事業なのです。

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さて、統一思想によれば、神様の意識が存在に浸透して存在の性相を出現させます。性相はそれ自体の中に初めから存在するわけではありません。神様が創造後に意識を浸透させて性相として機能するようになさいます。

 

統一思想では、神様が細胞に意識を浸透させて出来上がる細胞意識の事を原意識と呼んでいます。神様が植物に意識を浸透させて出来上がるのが植物心、動物に意識を浸透させて出来上がるのが本能、肉身に意識を浸透させて出来上がるのが肉心です。本然の人間の霊人体は、神様が意識を外から浸透させると同時に至聖所に直接にも臨在されます。これが生心です。

(参照:統一思想要綱 第二部 第二章 第三節 統一認識論 (五)2原意識と原影像の根源と形成 P300)

神様の意識が形状に浸透

神様と原意識の関係は性相と形状です。原意識と細胞の関係も性相と形状ですので、二段階の性相・形状関係となっています。

 

創造原理第一節には「いかなる被造物にも、その次元こそ互いに異なるが、いずれも無形の性相、すなわち、人間における心のように、無形の内的な性相があって、それが原因または主体となり、人間における体のようなその形状的部分を動かし、それによってその個性体を、ある目的をもつ被造物として存在せしめるようになるのである。」とあります。

 

つまり、神様が原意識を形成し、原意識が細胞を動かすという関係にあります。神様は原意識を媒介体として細胞を主管されます。ワンクッション入ります。

これが間接主管ということです。

同様に、神様と物質を媒介するのが法則性であり、神様と植物を媒介するのが植物心であり、神様と動物を媒介するのが本能です。

こういった性相部分は神様に対して、独立性、自主性を有しますが、あくまでも神様が意識を浸透させて生じさせているものです。

このように、神様の意識が存在に浸透することで存在の性相が生じます。この性相は、神様と存在との媒介体として機能します。

この性相部分の働きを原理の力と呼んでいます。

神様が、この原理の力により存在を主管することを間接主管と呼びます。

 

一方、直接主管とは、神様が意識を浸透させることで生ずる性相による主管に加えて、神様そのものが人間の性相となられる主管のことです。

この直接主管は人間が完成した場合に実現します。

実際は、至聖所に神様が臨在されることが直接主管の序章です。

そこから完成期を全うし、相対を得て結婚することで直接主管が完結します。直接主管は神様の直接愛による主管のことです。

 

別の見方をすれば、神様が性相として祝福家庭の夫婦の体を完全に着られる時が、直接主管です。

このため、神様の直接主管は人間に対してのみなされます。万物は神様によって直接主管された人間を通して直接主管されます。

天使も万物ですので、神様の直接主管を受けることはできません。

天使は、体を着た神様、すなわち完成した人間によって直接主管されます。

 

さて、原理の力というのは、ロボットのプログラムの様に存在その物の中に神様が埋め込み、神様が何もしなくても自動で作用しているものではありません。

神様が意識を投入され続けることで原理の力は生じています。

それに伴い神様は心のエネルギーをどれほど消耗されるでしょうか。

神様が被造世界に意識を注がれなくなった瞬間に全被造物は崩壊します。

一瞬も途切れることなく被造世界に意識を注いで全被造世界を動かしておられる神様の精誠は想像を絶します。

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④神様のクオリア(質感・情感)の精誠 

クオリアの原因を解明

クオリアとは「イチゴの真っ赤な感じ」、「空や海の抜けるような青さの感じ」、「歯痛でズキズキ痛むあの感じ」、「面白い映画を見てワクワクするあの感じ」、といった主観的に体験される様々な質感と情感のことを言っています。

一流と言われる科学者や哲学者にとって共通する難問があります。

クオリア問題あるいは意識のハードプロブレム(難問題)と呼ばれている問題です。

民間団体としては世界で二番目に裕福な医学研究支援団体であるウェルカム・トラストという財団があります。毎年、生物医学研究に4億ポンド(約600億円)以上を出資してします。ヒトゲノムの解読にも資金を提供したことでも有名です。

そのウェルカム・トラストが新雑誌発刊を祝して、第一線で活躍する科学者やジャーナリストたちに、科学に関して最も重大な未解決問題は何かと尋ねたところ、24の難問が集まりましたが、その筆頭が「脳はどうやって意識を生み出しているのか?」という問題でした。

物質および電気的・化学的反応の集合体である脳から、どのようにして主観的な意識体験(クオリア)というものが生まれるのかという問題のことです。
 

多くの哲学者や科学者が様々な説を唱え解明に挑戦していますが解決の糸口は見えていません。個人の意識に生じているクオリアを外部から観測する方法が無いため、科学的方法が通用するかどうかすら分からないという意味であまりに難題であり、クオリア問題、意識の難問題などと呼ばれています。

私達は統一原理を知っているので、原理から類推して、それは脳が原因で生ずるのではなく、霊人体があるからだと考えます。

しかし、問題はそれほど簡単ではありません。

なぜなら、霊人体のない動物でもクオリアを感じるからです。

動物でも色彩を感じますし音も分かります。昆虫は人間以上に色彩を感じるとも言われています。

この問題は学者の研究対象ではありますが私達の生活にあまりにも密着した問題です。

これまで、事象の原因についての科学の姿勢の間違いについてお話してきましたが、実は、このクオリアについては私達も同じ過ちをしています。

 

意識の難問題であるクオリア問題は統一原理、統一思想によってあっけないほどに簡潔明瞭に解ける問題です。これは真の父母様のみ言が示す原理原相論的な統一認識論でもあります。

これが分かることによって人間は神様の体として創造されている事が良く認識できます。

この節は宗教と科学の統一、宗教と哲学の統一、神様と人間の統一の入り口になると考えます。

神様を忘れた科学界と哲学界を覚醒させ、既存の社会通念に一大変革を起こさせるものとなると確信しています。

ほとんどの人間が我知らず迷い込んでしまっている人間中心主義という傲慢の魔宮から抜け出し、誰もが神様を中心とする謙虚な生活を始めざるを得なくなります。

​ここでは、五感のクオリアを入り口に話を展開していきます。

さて、人間がい色を見てだと認識する仕組みはどうなっているのでしょうか?

下の図を見てどちらが正しいと思われますか?・・・・・

色彩クオリアの原因

答えは両方とも間違いです。

いまの科学で分かっていることは下の図にあることです。

色彩の原因は人間の中にはない

例えば、赤い苺が見えたとします。しかし、実際は苺自体は赤くありません。700ナノメートル(1万分の7ミリ)位の波長の電磁波を反射しているだけです。

電磁波というのは空間の電場と磁場の変化によって形成される波のことです。X線、光(赤外線、可視光線、紫外線)や電波はすべて電磁波です。​波長の長い短いによって呼び名が変わるだけです。光も電磁波です。ある波長帯の電磁波を光あるいは可視光線と呼んでいるだけです。

可視光線と言われるものも電磁波です。上の図も分かりやすくするために可視光線を色で描いていますが、実際は色も明暗もありません。単に物理的な波があるだけです。

これが目に届くとそこで電気信号に変換されます。途中、神経細胞と神経細胞の間では信号が化学物質の形に変換されますが、神経細胞内は電気信号情報として伝達され、脊髄や脳へと伝達しています。

電気信号といっても上図にありますように−70mVから +40mV位までの電気信号情報だけです。

ここまでは物理化学的に説明できます。

しかし、この物理現象である電気信号が最終的に情緒を伴った様々な色彩というクオリアに変換される現象は科学領域を超えています。

これが意識の難問題と言われる所以です。

電気信号を色に変換するのは脳ではない
電気信号をクオリアに変えるのは脳ではない

上の図をご覧ください。

普段の生活で、私達は物自体が質感を持っていると感じています。

 

しかし、

バイオリンは空気の振動を発生させることはできますが音はありません。

花には鼻のレセプターを刺激する物質はありますが香りはありません。

りんごには舌のレセプターを刺激する物質はありますが味はありません。

低い温度、高い温度はありますが寒さ、暑さはありません。

 

眼、耳、鼻、舌、皮膚などは外部の物理情報を電気信号に変換しているだけです。神経を通って伝達されるのは質感ではありません。一切質感のない電気信号だけです。

クオリアの錯覚

存在とクオリアがあまりにも一体として感じられるため錯覚に陥ることもしばしばです。

 

例えば、テレビカメラで撮影した風景をテレビで見る時、テレビカメラは風景の微妙な色や音などの質感までも記録できるし、テレビも色彩から音まで全てを再現できるものと思いがちです。しかし、実際は物理現象である電磁波と空気の振動波を記録し再生しているだけです。テレビは動画と音の再生装置ではありません。連続的な電磁波と空気の振動の再生装置です。

自然の風景から人間が受け取るのは主に電磁波と空気の振動波です。テレビも自然と同じで人間に対して電磁波と空気の振動をもたらしてしているだけなのです。テレビ自体が色彩溢れる風景や様々な音を出力しているのではないのです。人間が電磁波と空気の振動を受け取ると奇麗な風景や様々な音として感じるのです。

また、様々な味を持つ料理があり、そのためのレシピ情報や名料理人が紹介されたりしていますが、料理自体には味はありません。

レシピ情報は、実際は舌のレセプターを刺激して電気信号を発生させる物質群の作り方の情報です。いかなる名シェフも味自体を作り出すことはできないのです。

味覚クオリアの謎の解明

それでは、一体クオリアの原因は何処にあるのでしょうか。

多くの学者は脳が作っていると考えています。

脳の松果体だとか脳細胞内の微小管だとかあるいは脳細胞全体のネットワークだとか、まことしやかなことを主張するノーベル賞級の学者たちもたくさんいます。

これも皆、事象自体の中に原因が存在するという科学の間違った前提に対する信仰のもたらすものです。

アベル型人生観においても、神様と被造世界は完全に別の存在と考えられてきました。これは人間が堕落することにより心霊が淪落したからです。神様の創造についても無知に陥りました。

天地創造によって造られたのは形状だけなのです。中身である性相は神様がご自身の意識を浸透させることでリアルタイムで存在させておられます。

このことが分からなくなってしまったので、形状の中にクオリアの原因があると思い込んで見ているのです。科学者や哲学者も同様です。これでは一生かけてもクオリア問題は解けません。

クオリアの原因はズバリ神様の中にあります。下の正分合作用による四位基台の図をご覧ください。

クオリア出現の解明

赤色というクオリア(質感)の原因は人間自体の中にはありません。

神様の意識が肉体に浸透して生じた肉心は、神様の五感のクオリアを受信しています。

そして例えば、薔薇が反射する700ナノメートルの電磁波の刺激を受けた目の視細胞が、それに対応した電気信号を発生させます。その電気信号が対象で、肉心が神様から受信しているクオリアの中で、「神様の赤色」が主体となり授受作用一体化することでリアルな赤として見えるのです。

 

また、甘い、酸っぱいなどの味のクオリア(質感)の原因は人間自体の中にはありません。

神様の意識が肉体に浸透して生じた肉心が、神様の五感のクオリアを受信しています。

そして例えば、梅漬けの主成分であるクエン酸の刺激を受けた舌の味蕾細胞のレセプターがそれに対応した電気信号を発生させます。その電気信号が対象で、肉心が受信しているクオリアの中で、「神様の酸っぱいという質感」が主体となり授受作用一体化することでリアルな酸っぱさとして感じるのです。

「自然はあまりにも美しい」思う人はたくさんいます。しかし実際には、世界には風景も色も明暗もありません。私達が見ている所にだけ風景、色、明暗が見えます。いま皆さんが見ているの景色の外には物理化学現象のみがあるだけです。

神様のクオリアと現象世界があまりにも一体となっているので分からないのです。

 

「一つになれば感じないというのは重大なのです。」
「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想の完成 3.生殖器は根本問題解決の出発点と終着点

見ない所には光も色もない

風景を見た時にそこには様々な色彩や輝度、透明感、遠近感、立体感があります。これにより自分が見てないところにも風景が存在すると考えている人がほとんどだと思います。

しかしそれは大きな間違いです。自分が見てないところには電磁波をはじめとする物理現象はありますが風景はありません。自分の視野から外れている所には風景はないのです。自分の頭の後ろにもあると思っている風景は存在しません。振り返ればそこには風景が現れます。別の人が私の頭の後ろに広がる空間を見ればそこには風景が存在します。

​風景は人間の意識作用として出現するものなので自分が見てないところには何もないのです。クオリア体験は極めて私的な体験なのです。

​これが理解できるとクオリア出現の神秘を感じていただけると思います。

多種多様なクオリア

⑤あまりにも多種多様な神様のクオリアの恵み 

神様が私達にリアルタイムで与えて下さっている質感、情感の恵みはあまりに多種多様です。

これらは最高位にある「好きだ!」という愛の情感を生み出す素地となる美の質感や情感です。

また愛自体も質感と「好きだ」という情感を持っています。

一見すると「好きでない、嫌いだ」に関係するように思える質感、情感は、「新しい共産主義批判]の「相応相克の法則」にありますように、あくまでも「好きだ」を「「好きだ!」に強めるために存在します。

「新しい共産主義批判」 第四章 第七節 統一史観概要 (二)創造の諸法則 ②授受の法則 相克の現象 P279

 

*見た時に感じる質感:「色」「明暗」「輝度」「コントラスト」「色彩の調和感」「透明感」「遠近感」「立体感」「壮大感」「微細感」「躍動感」など

*聞いたときに感じる質感:「音」「音の強弱、高低感」

「音の和音感」「リズム感」「メロディー感」「音の遠近感」

「音の方向感」など​

*味わった時に感じる質感:「甘い」「辛い」「酸っぱい」「苦い」「塩辛い」「新鮮さなどの食感」「味の濃淡」「味のハーモニー感」

 など

*臭いの質感:「甘い香り」「刺激臭」「酸っぱい香り」「臭さ」「新鮮な香り、腐った香り」「香りの方向感」など

*接触した時に感じる質感:「圧力感」「熱感、温感、冷感」

「硬質感、柔軟感」「痛感」「乾燥感、湿感」「粘着感」「掻痒感」「噛み心地」「喉越し」など

*その他の体感:「加速感」「重力感、上下感、無重力感」

「空間感」「時間感」「空腹感、満腹感」「眠気、覚醒感」

「尿意、便意、排泄感」「渇き感」「四肢や内蔵の存在感」など

また、様々なクオリアが同時に複合的に出現し、感じる質感の種類は無限といっても良いほどです。

これらは全て神様が持っておられる質感です。

 

これらは五感のクオリアですが、更にこれらの質感によって発動する知情意のクオリア、あるいはそれとは別の知情意の質感、情感もあります。

*知の関連:「理論性」「真理性」「整合性」「矛盾性」「数理性」「法則性」「因果性」など

 

*情の関連:「美しい」「楽しい」「かわいい」「悲しい」「怒り」「不安」「寂しい」「驚き」「わくわくする躍動感」

「心が明るい、暗い」「憎しみ」「焦燥感」「諦め」「嫌悪感」

「恐怖感」「後悔」「忍耐」「辛さ」「屈辱感」「無念さ」

「恥ずかしさ」「懐かしさ」「虚無感」「期待感」「挫折感」

「希望感」「慕わしさ」「惜別感」「同情」「同感」「親近感」など

 

*意の関連:「正義感」「達成感」「義務感」「使命感」「責任感」

 など

これらすべての質感、情感はすべて神様の中にある質感、情感をリアルタイムに相続して出現します。

また、知情意の質感、情感も単独ではなく複合的に出現します。

*愛の質感、情感 ⇔ 美の質感、情感

​  愛と美は授受作用しながらより深くより強くなります

 1.子女が父と母に感じる質感、情感(父の美、母の美、父母の美)

  ⇒子女の愛を誘発=父母が好きだ

 2.兄や姉に感じる質感、情感(兄の美、姉の美)

  弟や妹に感じる質感、情感(弟の美、妹の美)

  ⇒兄弟姉妹の愛を誘発=兄弟姉妹が好きだ

  

 3.夫が妻に、妻が夫に対して感じる質感、情感(妻の美、夫の美)

  夫が妻に感じる女性美、妻が夫に感じる男性美

  ⇒夫婦の愛を誘発=相対者が好きだ

 4.父母が息子、娘に対して感じる質感、情感(息子娘の美)

  ⇒父母の愛を誘発=息子娘が好きだ

 5.家族に感じる質感、情感(家族から感じる美)

  ⇒家族愛を誘発=家族が好きだ

  

  氏族、民族、国家、世界に感じる質感、情感

  (氏族、民族、国家、世界から感じる美、)

  ⇒氏族愛、民族愛、愛国心、世界愛を誘発

  =氏族、民族、国家、世界が好きだ

​ 6.男性美(男性的クオリア)、女性美(女性的クオリア)は、

  全ての美、すべてのクオリアの根底に存在しています。

  性相美(性相、原因に感じる質感、情感)や

  形状美(形状、結果感じる 質感、情感)とともにクオリアの

  根源にあるクオリアです。

    ⇒愛の根底にある深い愛を誘発します

これらの無限といっても良いほどのクオリアは天地創造以前から神様の中に存在しているものです。天地創造とともに現れたものではありません。

クオリアの王様である愛は、夜の神様のみが存在しておられた時代、自分で自分が好きだという自己愛から始まりました。そしてより強い愛の喜びを求めて愛が多様化していきます。夜の神様による昼の神様の創造を通して父母の愛、子女の愛、兄弟の愛、夫婦の愛と多様化していきます。愛自体が繁殖したと見ることもできます。

三対象の愛の原型は夜の神様の中にありましたが、夜の神様の体である昼の神様の創造を通して具体化していきました。そして昼夜一体の神様である天の父母様の体として創造された人間を通して更に刺激的な三対象の愛として現れます。(詳しくは「夜昼の神様論Ⅰ」「夜昼の神様論Ⅱ」をご覧ください。)

これと同様に、愛を誘発する美であるクオリアも無限といっても良いほどに多様化、分化していきます。

これは神様の内界におけるクオリアの創造というべきものです。

​(神様の内界における愛と愛の対象であるクオリアの多様化、分化については原理原相論において解明されるべき問題です。これを解明するのは至難の業です。私にとっても今後の課題ですが、霊界に行かないと分からないかもしれません)

この神様の中にあるクオリアをより刺激的に感じるために創造されたのが神様の体である人間です。

このように私たち人間が感じる愛もクオリア(情感、質感)も神様の内界にあるものを神様からもらって感じているのです。

​愛は「好きだ」という情感です。この「好きだ」を誘発してくれるのが対象からもたらされるクオリアという美です。

ある日突然、五感が機能しなくなったと考えてみてください。何も見えない、何も聞こえない、香りがしない、食べているはずなのに味も食感もない、触れているはずなのに感触がない、こんな状況に陥れば苦痛は計りしれません。クオリアのない世界になったら気が狂いそうになったり、死にたくなるかもしれません。

多種多様なクオリアは神様が人間に間断なく与えてくださる母乳です。

この母乳がなければ人間は生きてはいけません。

クオリアの先に神様がおられます。

クオリアの源である神様を感じてください。

クオリアを好きだと感じる情感、すなわち愛は神様からいただく最高の母乳です。

愛の先に神様がおられます。

愛の源である神様を感じてください。

神様抜きの人生など存在しないのです。

神様なしでは生きてはいけないのです。

様々な体感クオリアの解明

⑥無形の神様が最も欲しい体を人間に与えられた 

アダムとエバの創造目的は第一に、アダムの体を無形の神様が着ることであり、二番目は、体を着ることによって震動的な衝撃が来るようにするためです。
言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。
「真の神様」第一章 神様の本体 二 無形の神様は体が必要 1.体をもつためにアダムとエバを創造

愛で和合して喜ぶことができるものは、昔創世前の時代の神様の喜びと、創世以降の相対的実体たちが出会って同化して感じる刺激的な愛の衝撃とは、天地の間の差があるのです。踊りを千年、万年踊っても終わることがないというのです。

「成約人への道」第四章 成約人への道 七 愛の皇族となれ 2.愛の人になれ

さて、クオリアの性相部分は神様の原因クオリアから来ますが、形状部分の電気信号などは体を持った人間から来ます。

これが授受作用一体化してリアルな質感・情感が現れるということです。言うなれば神様の原因クオリアが人間を通して体を着るのです。

この衝撃的なクオリアが神様の味わいたかったものです。

 

この震動的、衝撃的クオリアを感じるのに不可欠な体を、神様は人間に与えられたのです。人間の味わっているクオリアは神様が体を持って味わいたかった質感・情感です。

神様がより震動的で衝撃的な愛を味わおうとされる場合、人間を通してのみそれが可能なのです。神様は人間をそういう位置づけで創造されました。

​人間にとって神様は絶対必要ですが、神様にとっても人間は絶対に必要な存在なのです。別の言い方をするなら、神様と人間は本来、性相(心)と形状(体)として分離不可能な一存在なのです。

私達は自分の心というのは公的だと知っていますが、事実、私達の心が感じる質感、情感は神様のものです。私達は子女としてそこに同参しているのです。私たちが感じている質感、情感は人間が独自で感じられるものではありません。人間が神様の体であるがゆえに、神様とつながっていることが原因で現れる現象なのです。

人間は無知に陥り、天から与えられているこの質感、情感という宝物を、神様抜きで勝手に独占し、盗み取っています。

人間はクオリアを刺激的に感じる

私が見る世界は神様が体を通して見たかった刺激的な映像

私が聞く音は神様が体を通して聞きたかった刺激的な音

私が味わう味は神様が体を通して味わいたかった刺激的な味

私が嗅ぐ香りは神様が体を通して嗅ぎたかった刺激的な香り

私が感じる感触は神様が体を通して感じたかった刺激的な感触

私の意識と直感と感覚器官一切までも父のものであり、私が感じ意識する全体が父のものだという観が決定されなければなりません。そのようにならない限り、心情を通じて動く天を所有することができないということを、はっきり知らなければなりません。 「礼節と儀式 」 第一章 神様に対して侍る礼法 一 神様に侍って生きるべし 2.一体となった生活をしなければならない

クオリアという豪華フルコース

生れた時から毎日食べきれないほどのフルコースの最高級料理だけを食べてきた人がいた場合、それが当たり前になりその価値が分からないという事態が起こります。

私たちが毎日のように感じているクオリアにも似たようなことが起こっています。音だけ聞こえていた人が、ある日香りを感じるようになり、何年かして感触を感じることができるようになり、つぎに食べ物に味を感じるようになり、しばらくすると忽然と目が見えるようになったとしたら、その人は人生において劇的な変化の連続を体験することになります。

しかし、初めからすべてがそろっているとそれが当然となり、有難みが分かりません。

ホレブ山のモーセ2.jpg

役事や啓示はめったに起きない現象です。役事や啓示を経験した時は神様の愛を感じることができますが、普段の生活とは関係がない特別な現象とも言えます。しかし、私たちが毎日当たり前のように感じている質感、情感は役事や啓示以上にリアルな現象です。

私たちの意識に上って来る質感や情感は毎日のありふれた生活の中にあります。そしてこの質感や情感の方が強く、直接的な神様の愛なのです。

冷静に考えてみると、私たちは神様が手ずから用意された驚くべきフルコース料理というべき様々なクオリアを毎日ただで頂いているのです。私たちは奇蹟の目撃者であり、至上のクオリアグルメツアーの体験者です。

毎日、私たちは神様から最高のもてなしを受けているのです。

 

これが分かれば、

「神様はいない」

「神体験をしたことがない」

「神様が私を愛してくれない」

などとは言えなくなるのです。

なおクオリアの精誠については、「クオリア論序「クオリア論Ⅰ」「クオリア論Ⅱ」「クオリア論Ⅲ」で更に詳しく述べていますのでご覧ください。

クオリアのシェフ.jpg
クオリアの発現過程3.png

正確に言いますと、肉心や本能でも情感や愛の一部を神様から受信しています。犬などは愛にきわめて強く反応します。また、動物の親子間にも雄雌間にも愛情が存在します。ただ、霊人体を持つ人間と比べると程度は低くなります。

本然の質感・情感が現れるためには神様の直接臨在が必要です。

⑦神様の「私」創造の精誠 

私に投入され無限の精誠

人間は赤ちゃんから幼児、子供、青年、成人、中年、老年と進むにつれ、顔つき体つきがどんどん移り変わります。もちろんDNA、遺伝子にはその設計図はありません。この無限といってもいい程の設計図は神様の中にあります。その設計図に基づいて黙々と私達を創造し続けておられます。

そして今も心情投入して「私」を存在せしめてくださいます。

神様の驚くべき精誠の結果が「私」と言う存在です。

(上記は神様の95%です。人間の5%、すなわち食事管理、運動管理、健康管理、精神状態によって老化、体形などは影響を受けます。)

意識の超難問題への回答

それでは人間一人一人の設計図(ロゴス)そして「私」の設計図(ロゴス)はいつできたのでしょうか?

それは天地創造以前です。

 

一人一人のロゴスはどれだけの時間をかけて造られたでしょうか?

「私」のロゴスを作るのに1万年かけられたとすれば満足されますか?

答えは、無限の時間です。そして無限の精誠を投入して「私」のロゴスを創造されました。

より良いものを与えたいという思いから、愛を与えて忘れ、与えて忘れしているうちに無限の時間が経過していました。

 

このように「私」は創造以前から神様の真の愛の体化存在です。

神様は、「私」に対する愛が流れて止まりません。

神様は一瞬たりとも「私」から離れたくないのです。

永遠に共に生活したい切ない愛の対象です。

「過去、現在、未来、世界に数多くの人がいて、それぞれが日々 色々なことを体験して生活するが、しかしなぜ私は他の誰でもなく今のこの私の体験をしているのか」という問題、すなわち「なぜ私は私なのか?」という意識の超難問題といわれる課題があります。​

この節は、この課題に対する解答でもあります。

神様は愛を動機として創造されたので、愛を原因として捉えて初めて解ける問題です。

 

「私」は神様の父母の愛を動機として生まれました。

この前提が分からなければ決して「なぜ私は私なのか?」という問題が解けるはずもないのです。

⑧神様の間接知情意の精誠と直接知情意

間接知情意と直接知情意

人間の霊人体の性相部分は、神様の意識の場である宇宙意識を霊体が受信して生じます。この性相部分は神様の意識とは独立し自主性を持ちます。

しかし、あくまでも神様が霊体に意識を浸透させ続けることで生じています。この霊人体の性相部分は神様の知情意を間接的に受信します。

これは、程度の差はありますが、天使でも他の万物でも同じ仕組みです。

知情意は人間の任意で出現するため、人間自体内に知情意の源があるように錯覚しています。しかし、あくまでも神様から借りたものです。

 

人間が成長し、神様を至聖所に感じるようになる時、神様は霊人体の性相部分に住んでおれます。これが生心です。

生心にある神様の知情意は、人間の心に生じている外的な知情意と融合し、創造本然の知情意となり創造本然の真美善を追究します。

⑨神様の間接愛の精誠と真の愛

一般的な愛と真の愛

霊人体の性相部分は神様の愛を間接的に受信します。

これは、程度の差はありますが、天使でも他の万物でも同じ仕組みです。

愛とは好きだという情感であり、神様の最高の情感です。

愛が流れる時、好きだと感じる時、幸せを感じます。

愛は人間の任意で出現するため、人間自体内に愛の源があるように錯覚しています。しかし、あくまでも愛は神様から借りたものです。

生心にある神様の愛は、人間の心に生じている外的な愛と融合し、真の愛として現れます。

​真の愛が流れる時、すなわち、「好きだ!」という情感を感じる時、神様も人間も最高の幸せを感じます。

ところで、愛し合っている夫婦の場合には、妻は夫の外に存在しますが、それに加えて、妻は私の中にあって、私の中に住んでいるという感覚が生じます。このように妻が私の外にも存在し、私の内にも存在していると感じる時、真の夫婦一体が始まります。

愛とは、男性と女性を一つにする力です。お互いが完全に愛するということは、彼が私の中にいて、私が彼の中にいることです。あたかも、パウロが霊的な体験をしたあとに、自分が体の中にいるのか、体の外にいるのか分からないと言ったのと同じです。・・・・・・このように、完全に結ばれて一つになるときには、二つの人格が合わさって一つの人格をもつので、二人以上の価値を現すことができるようになります。そうすれば、より高い次元の世界を建設できる主人になるのです。

第三篇 真の愛 第一章 真の愛の根源 第四節 真の愛の力32 1970.8.2

これと同じことが神様と人の間でも起こります。

神様を信仰している人には、神様が私の外にあって、私は神様に包まれているという感覚があります。それに加えて、心霊の成長に従って神様が私の中にあって、私の中に住んでおられるという世界が現れます。このように神様が私の外にも存在し、私の内にも存在しておられると感じる時、初めて真の愛に包まれた神人一体が始まります。

堕落していない本然の人間は、神様の聖殿になります。アダムとエバが堕落していない先祖になったとすれば、その心の中には神様が共にいらっしゃるのです。結局、神様が心の中に入ってきているので、神様が中心になり、アダムとエバは神様の外的な体と同じだというのです。 

イエス様も、「私は父の中におり、父は私の中にいる」と言いました。一つの体だというのです。それと同じです。

第四篇 真の人間 第一章 神様が創造された真の人間 第一節 真の人間は神様の実体13 1972.3.11

⑩絶え間なき神様の愛の精誠 

神様の驚異的な精誠の実像

神様は被造物をご自身とは分離したものとしては創造されなかったことが分かります。言うなれば神様の心と体につながって初めて機能するように造られました。神様の心と血肉を分けてもらって初めて生きられるように創造されたのです。その中心存在が人間です。

 

神様とへその緒でつながった上に神様のおっぱいを飲んで生きているのが人間の真の姿です。

原理の力と私達が呼んでいるものは、一見無味乾燥な法則性のように感じますが、実は神様の愛そのものです。

 

人間の母親は24時間ほとんどの時間を赤ちゃんの世話をして自分の血肉である乳を与えて愛します。神様の姿は赤ちゃんを愛している母親に一番よく表れています。しかし、上のスライドに現れている原理の力という愛だけでも、神様の愛と精誠は人間の母親のそれを遥かに遥かに超えています。

​赤ちゃんは母親の精誠を何も知らずに育ちます。しかし、成長するに従い母親の精誠に深さがわかってきます。私達も神様の精誠を分からずに生活してきましたが、成長して気付くべき時を迎えています。

全ての家庭が真の愛で一つになって霊界に入っていけば、神様の血肉を食べて永遠に生きるのです。そこに入っていけば農作業もなく仕事がありません。真の愛の食べ物はにおいをかいでも永遠に生きる事ができ、見るだけでもおいしいというのです。愛の食べ物を分けて食べるのです。神様の体、血肉と愛を分けてもらって生きるのです。「人間の生と霊魂の世界 」4.霊人達の生、霊人達の相互関係

アダムとエバは、神様の二性性相がそのまま出てきたので、一つのふろしきから出てきたのと同じです。双子で生まれた兄と妹のようなものです。その兄妹の双子がおっぱいを片方ずつ分けて飲み、お互いに触って、母親のおっぱいを飲む愛を中心として考えるのです。すべて母の懐に抱かれて愛するのです。「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想の完成 三 神人一体と愛の理想完成 3.なぜ結婚が重要なのか

⑪復帰における神様の悲惨な精誠

神様の苦痛の精誠

神様の原理の力という愛の精誠も人間の想像や予想を遥かに超える内容ですが、人間に対する原理の力という愛の精誠を堕落後も尽くしてこられたことはあまりに凄まじい内容です。

 

神様は、身の毛もよだつ、おぞましい怨讐である堕落人間に、存在するための力を与え、堕落人間の細胞から臓器に至るまで全てが形成され維持されるよう生命を与えてこられました。また、クオリアや知情意、愛を自己中心的に使い、見たくない世界を現出させ神様の創造理想を破壊する堕落人間に対して、その元となる性相的クオリア、性相的知情意、主体愛を与え続けてこられました。

このような神様の精誠は筆舌に尽くしがたいです。

 

消滅させたい程の怨讐であり、神様の血が一滴も入っていない姦夫の子に対して、へその緒をつなげて更に乳も与えてこられたのです。

しかし、これは本然の愛ではなく苦痛の愛です。怨讐を愛する愛です。

怨讐を愛する愛は素晴らしいですが、自然の愛ではなく自分を殺して愛する愛です。

怨讐を愛する愛を賛美する事も重要ですが、怨讐を愛する愛の世界から神様を解放することの方がずっと重要です。。

堕落人間を一人残らず復帰しないと神様を苦痛の愛から解放することは出来ません。

⑫死の苦痛に耐えてなされた神様の復帰の精誠

アンカー 3

神様と堕落人間の関係を分かりやすく理解するのに最も適していると思われる事例は、人間の体とウィルスの関係です。

 

ウィルスは細胞より前に存在していたと考えられがちですが、ウィルスは細胞を前提として初めて生存可能となります。

細胞やウィルスの主要な構成要素はたんぱく質です。

細胞はたんぱく質を作り出すシステムを持っています。

たんぱく質の設計図が細胞の核にあるDNA(遺伝情報)、DNAの情報をコピーして細胞の核から外に出てくるのがメッセンジャーRNA、メッセンジャーRNAの情報を読み取りアミノ酸をつなげてたんぱく質を作っていく工場がリボソーム、必要なアミノ酸をリボソームに運んでくるのが運搬RNAです。

 

ところがウィルスはこのうち遺伝情報としてのDNAないしメッセンジャーRNAしか持っていません。自分で繁殖することはできません。それでこのシステムをすべて持っている細胞に侵入してそのシステムを勝手に使って増えていきます。

しかも、細胞とは共存しません。宿主である細胞の能力を使い切って細胞を破壊します。次から次へと細胞を破壊していきます。そして最後は人間の命をも奪うことになります。

ウィルスが原因の代表的な病気がインフルエンザですが(この文章作成時はコロナが流行する前です。)、この病気よる死者は毎年、世界で約25~50万人、日本で約1万人と推計されています。

インフルエンザはただのかぜではありません。死に至る可能性をもつ病です。第一次世界大戦の末期の1918年から1919年にかけてスペイン風邪とよばれたインフルエンザが大流行し、世界で5億人が感染し5千万人から1億人が死んだと言われています。

 

しかし、「神様の精誠の私物化と心情蹂躙という罪の中に生きる人間の姿(神様の精誠Ⅱ)」の中でも述べましたが、人間にはウィルスや細菌を撃退する完全な免疫システムが備わっています。本然の世界では、インフルエンザになったとしても死に至ることはありません。

堕落人間による神様の苦痛
神様の苦痛に相似

さてここからが本題ですが、神様と堕落人間の関係は、細胞の集合体である人間の体とウィルスの関係と捉えると理解しやすいと思います。

本然の人間でも神様の手を借りなければ繁殖や成長はできません。神様は堕落人間を本然の人間と同じように愛さなければならないという愛の絶対性を死守するために、堕落人間の繁殖と成長の主体として労働するという苦痛を通過してこられました。苦痛しかない強制労働の世界です。

 

これは細胞で言うと、自分を滅ぼすウィルスが増えるのを助けるのみならず、ウィルスを排除する免疫システムの発動を一切封じて働かせない状態にしたのと同じです。細胞は利用されるだけ利用されて、どんどん弱り次々と死んでいく運命です。

 

インフルエンザにかかって生死をさまよう状態。

こんな時に、医者に行ってタミフル、ゾフルーザなどの抗ウィルス薬を飲めばウィルスが死んで回復するのですが、神様は堕落人間が増えて成長するのを助けるだけで堕落人間を排除することは一切されませんでした。苦痛がどんどん増し加わるばかりなのです。

 

私自身もインフルエンザにかかって死にそうになり救急車を呼んだことがありますが、神様のいつ終わるとも知れない死にそうな苦しみは誰もわからず誰も助ける者はなかったのです。

インフルエンザに罹った方はその苦しみを実感しておられると思います。体内では免疫システムがフル稼働していても病の苦しみは半端なものではありません。

​神様はこの免疫システムを一切発動させない状態で何万年、何十万年も苦痛に耐えるしかなかったのです。それどころか体内のウィルスを祝福し愛さなければならなかったのです。

神様は歴史を通して悲しみを感じてこられただけではありません。

​壮絶な苦痛に耐えてこられたのです。

復帰摂理は元気で力がみなぎる神様が成された御業ではありません。生死をさ迷うほどの苦痛に耐えてなされた血の御業なのです。

堕落人間は、神様にとってはウィルスと同じです。

重篤なインフルエンザにかかって何万年、何十万年も生死をさ迷われた神様を壮絶な苦痛から救われたのは真の父母様です。

しかし、神様が完全に回復され完全に解放されるには、堕落人間が一人残らず復帰される必要があります。

​(以上は2019年に発生し、2020年、2021年、2022年、2023年においても下火にならないコロナ禍と密接な関係があります。詳しくは「コロナ禍と堕落の衝撃的醜さと天寶家庭」をご覧ください。)

 

ところで、本然の世界になれば神様の心情を体恤することはとても困難と思われます。なぜならサタンも堕落人間も罪悪世界もないからです。

神様のこの心情路程の追体験として御父母様が通過されたの典型路程が、興南路程です。マラリヤにかかっても一切手を抜かずに強制労働を感謝して苦痛に耐えて働かれた世界がこれです。

しかし、教育者がいくら涙を流して神様の事情と心情を訴えても限界があります。本然の世界でもやはり体恤のための体験が必要です。

神様の通過された心情世界を身を持って体験するには、興南の基準には程遠いとしても、相当量のやりたくない仕事を相当な時間通過するなどの道があると思います。万物復帰路程などはこういった面で恵みが大きいと思います。

しかし、本然の世界では為に生きたいという愛の情熱が溢れる世界なので、万物復帰に行けば各家庭で熱烈なもてなしを受けるだけで訓練や心情体恤どころではありません。他に嫌な仕事があったとしても順番待ちになって回ってこない可能性があります。

 

そこで、本然の世界でも心情体恤できる1つの道としてインフルエンザなどのウィルスに感染するなどの病気になることがあるのではないかと思います。もちろん人為的に病気になるという事ではありません。

​堕落とは、神様にとってサタンや堕落人間という異物が生まれたことであり、本然ではない異常な状態になったことなので、異物的存在であるウィルスに感染したり、本然の健康な状態から外れて病気になった状態は神様の心情体恤にとって重要な役割があると思います。

神様は人間の免疫システムに少し穴を作っておられるので、本然の人間でも命にかかわらない程度の病気にはなるようになっています。これが神様の心情体恤にとって重要な要素になります。

出産には大きな痛みが伴いますが、それは神様の創造の心情を知るのには絶対に必要です。痛みや苦痛がすべて悪いわけではありません。必ず何かの意味を持っています。

私たち一世もそうですが、これからの二世、三世がインフルエンザなどの病気になった時など、これが神様の通過された世界の縮小体験であり、神様はその状態で血の精誠を尽くされたのが復帰歴史の真実であることを教えてあげることが重要ではないかと思います。

 

⇒神様の精誠の私物化と心情蹂躙する人間の姿(神様の精誠Ⅱ)

神様の心の中に苦痛があるとは誰も知らないのです。
歴史上に現れ、今ここに先生を通して現れて、その深い使命を明らかにしたので知ることができるのであり、そうでなければ分からないのです。
どれほど驚くべき事実でしょうか。
イエス様もそれを知らなかったし、知っていたとしても心の中にあることを語ることができなかったのです。また、宗教指導者の中で誰一人としてそのような隠された宇宙の秘密を知る人はいませんでした。
歴史上初めて世界の前に先生が現れ、宇宙の秘密が明らかにされたのです。
 「真の神様」 2.神様の歴史的に悲惨な姿

「私の悲しみを解いてほしい」というのが神様の第一の願いです。そして、二番目は「私の苦痛を解いてほしい」ということです。それでは、誰がその願いをかなえてあげるのでしょうか。神様御自身には解くことができません。それは、相対的に食い違ったことなので、神様御自身が解こうとしても解くことができません。私たちが解いてさしあげなければなりません。第八篇 信仰生活と修練 第四章 第四節9 P936 1973.3.11

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