
天心苑と重生の時代
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私が神様との一問一答と神様の指示を頂いて個人として発信しているものです。
天の父母様聖会の会員のみを対象にした内容です。
内容と文章についてはすべて私の責任です。教会で認定された公式見解ではないことを理解したうえでお読みください。
お父様の晩年、当時の責任者だったご子女様からの「夜の神様と昼の神様とは何ですか」という質問に対して、お父様は「夜の神様とは創造以前の神様であり、昼の神様とは創造以降の神様である」とお答えになりました。
これ聞いた当のご子女様や私達食口が、天地創造前の神様を夜の神様、天地創造後の神様を昼の神様と解釈してしまったのです。
これにより、夜の神様と昼の神様についての他の全てのみ言も、真意が分からないまま迷宮入りしてしまいました。
神様は真の愛の神様です。愛には必ず創造が伴います。創造活動は与えようとする愛の行動です。与えたくてもどかしい神様が、何もしないで長い時間を過ごすことは苦痛以外の何物でもありません。
真の愛の性質から考えても、天地創造以前の無限ともいえる時間、神様が何の創造活動もされず、お一人で満足しておられたと考える方が不自然です。いくらご自分に酔ってもそれは長く続きません。飽きます。
愛する対象もなく、美を返してくれる対象もなく、ただ自分に酔うだけのことに永遠と言えるほどに長い時間を費やす。皆さんなら、そんなことに耐えられますか?
夜の神様が創造前の神様であり、昼の神様は創造後の神様であるというのは、天地創造以前における神様の内界の創造においての話です。
外界の創造である天地創造の前と後ではありません。
天地創造の前の時期の神様と天地創造後の神様は同一の存在です。連続的な一存在です。
これを無理やりに二存在と捉えるのは論理的に極めて不自然です。この間違った前提で夜の神様と昼の神様についての様々なお父様のみ言を解釈しても、間違った論理展開になるだけです。その解釈はあいまい、かつ観念的で、すっきり理解できず混乱するだけです。
お父様の晩年において、それまで語りたくても語れなかった天宙的な真理を述べられたのが、夜の神様と昼の神様についての内容です。私達食口が心霊的についていかないので語ることが出来なかった内容を、理解できないかもしれないと思いつつ語られたと推察できます。
それがそんな単純な解釈で正解であるはずがないのです。
天地創造前に、性相の神様が形状の神様を創造され、性相と形状が一体化して天の父母様となられたという天地創造以前の神様家庭の存在が分かれば、この謎は自然に解けるのです。
さて、既存の神観においては、神様は創造者であり人間は被造物という完全に分離した独立した存在として捉えています。しかし、御父母様の示された神観は衝撃的なものでした。神様は人間を体として着るために創造されたというのです。
アダムとエバの創造目的は第一に、アダムの体を無形の神様が着ることであり、二番目は、体を着ることによって震動的な衝撃が来るようにするためです。言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。 「真の神様」第一章 神様の本体 二 無形の神様は体が必要 1.体をもつためにアダムとエバを創造
私たちは、人間の性相は霊人体で、形状は肉身として捉えてきました。
しかし、この捉え方はまだ表面的だったのです。
本当は、人間全体が形状で性相は神様という二者一体の姿が本然の人間の姿です。
天の父母様と完成した人間(夫婦)は完全な相似形です。
性相である神様が形状である人間と一つになって本然の完成人間となるので、天の父母様も性相的存在と形状的存在が一つになったお方と捉えるのが理論的です。
そうなると、性相としての夜の神様と形状としての昼の神様という二つの神様がおられるというは、理解しがたいことではなく自然な結論だということになります。
それでも、皆さんの中には、神様が神様を創造するということに違和感を感じる方も多いと思います。
私達が考える創造と神様の創造とは根本的に違う部分があります。
一般的に何かを作る時は、作者と作品は別の存在として分離して存在するのが当たり前です。
しかし、神様の創造においては、神様と被造物は完全に分離していません。神様が創造されるのは被造物の形状だけです。被造物の性相という肝心の中身は、神様が意識を浸透させ続けることで存在させるという仕組みです。
空の器とは、その器に入っていくものと対等な価値をもつのです。
「天一国主人の生活」第一章 二 神様と真の父母と一体を成し遂げるための真の愛
昼の神様も同様です。夜の神様は昼の神様の形状だけを創造されました。性相は夜の神様です。昼の神様は器で、器の中身は夜の神様です。昼の神様が夜の神様が入る器だと言っても、もちろん夜の神様とは独立した意識をお持ちです。
昼の神様が初めから神様であったわけではありません。その器に夜の神様という根源の神様が入って行かれることで神様になられたのです。
本来、心と体は、切り離そうにも切り離すことのできない一つのものでした。人間の心は神様の心であり、人間の体はその心を入れる器でした。
第四篇 真の人間 第一章 第二節33 1991.8.27
人間も昼の神様と同様です。
人間は創造され誕生しただけでは器としての存在です。これは被造物です。しかし、その器に天の父母様が入って行かれると、人間は神様と同じ価値を持ちます。被造物ではなく神様になります。
天使などの万物にも神様の意識は浸透して性相を生み出されますが、その意識投入は間接的です。
万物は神様が直接入られる器ではありません。
人間は神様が直接入る器として創造され、中身である神様を迎え入れて神様になるように運命付けられているのです。
天国は神様となった人間が集まっている所です。
(ここに記した神人一体の謎の解明については「潜在意識の神様と顕在意識の私」をご覧ください。)
以上をまとめると、神様はご自身を性相として相対する形状を創造され、その形状を着ることで成長し発展してこられたということです。
神様のこの創造の方式が端的に分かるのが下記のみ言です。
今までは「他為」思想について語りましたが、これからは「他為」ではありません。他我主義(他人と私は一つであると考える主義)思想を語らなければなりません。
「他」とは何かといえば、「我」だというのです。相対が「私」だというのです。カイン世界のために生きなければならないというのですが、そうではありません。一つの体なので、一つにならなければならないのです。「他為」的思想の時代ではなく、「他我」的思想時代です。「私」が相対を創造し、「私」と一体化させ、より大きな「私」にできる道を行ってこそ天に帰るのであって、自分第一主義で進んでいく人は天国に行けません。それが原理です。 第四編 真の人間 第三章 真の人間に復帰する道 第三節 真の人間の生活7 2003.6.29 p.446
神様の創造方式は他我主義創造だということができます。
神様は対象を創造しても一体化するための創造なので、一貫してお一人だと言うこともできます。
しかし、夜の神様がお一人だった時とは違います。
その後の神様は、お一人だといっても中身は家族体です。
さて、夜の神様、昼の神様、天の父母様、人間の関係性を公式化すると次のようになります。
夜の神様 : 昼の神様 = 天の父母様 : 完成した人間(夫婦 )
夜の神様 + 昼の神様 = 天の父母様
天の父母様 + 完成した人間(夫婦 )= 天地人真の父母様
夜の神様、昼の神様、天の父母様、完成した人間=神様一族
愛の観点から見ても、天地創造以前の内的な神様家庭の存在は自明です。
父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛は相対関係から生まれます。つまり愛が現れるには主体と対象という二存在が不可欠です。
三対象の愛が人間が現れて初めて存在するようになったとするならば、神様にとっても初めて経験なさる愛ということになり、神様が愛の主人として人間を導くことは出来ません。
天地創造以前に夜の神様と昼の神様というお二人の神様が存在することで初めて人間世界に現れている三対象の愛の原因があることが分かります。下記のみ言にも「異なるおふたり」と明言されています。
被造世界に現象化している全ての事は、必ず神様の内界に原因があることがわかります。
夜の神様と昼の神様が皆さんの前にいることを皆さんは知りません。神様をおひとりと思いやすいというのです。夜の神様がいることを知らなければなりません。夜の神様が現れ、昼の神様が現れ、異なるおふたりですが、昼の神様は夜の神様に侍ることができないというのです。侍ることができないので、昼の神様は世界の事情を通して夜の神様に侍らなければならないというのです。 天正宮博物館 安侍日敬礼式および訓読会 2010年陽暦9月3日
①正分合作用による四位基台は愛の増幅原理
「神様のみ旨」というとき、それは歴史の目的、創造目的が完成することです。それでは創造目的完成とは何でしょうか? 創造目的完成とは、み旨の実現であり、それは四位基台完成のことです。そして、その四位基台完成は、真の家庭を完成することです。 ファミリー97年12月 P6 地上天国生活を始めよう

創世記の1章27節には宇宙の根本原理がさりげなく書かれています。
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
このみ言から神様は見えないけれども形を持っておられること、そしてその形は男と女であることが分かります。
それを論理的に深め発展させたのが創造原理です。
原理の中心は創造原理ですが、原理の中の原理と言えば、第一節の二性性相を根源とする第二節にある正分合作用と四位基台です。第三節、第四節、第六節も全て正分合作用と四位基台を展開した内容と言っても過言ではありません。
そして第五節は正から分を経て合に至る必要要件を説明しています。
さて、正分合作用により四位基台が形成される状況を見てみましょう。正の位置と分の位置を比べてみると、正の位置は無形の性相で、分は有形の形状です。そして、正から出てくるときに二性性相が主体と対象に分かれて出てきます。主体と対象が授受作用して一体となろうとする時、神様がそこに加わって三者が一つになります。これが合性体です。
正分合作用による四位基台は原理の骨にあたります。無味乾燥に思えますが、これは愛が増し加わって実現する流れを理論化したものです。
神様とアダムとエバの例で見てみましょう。
神様は自体内では二性性相の中和体ですが、創造なさる時は、御自身を性相として、形状を造られます。
無形の性相と無形の性相の形に似た有形の形状、これが強い愛が流れる基本です。神様の創造は愛がより強く実現するためになされます。
ですから、創造の根本は、神様が性相の立場で形状を創造されることにあります。神様は被造物をご自身から完全に独立するものとして創造されませんでした。ご自身が性相の立場で形状である被造物と1つになるために創造なさるのです。
無形の神様は、無形では味わえない震動的衝撃を求めて有形の体である形状を創造され、形状を着られます。
被造世界をご自身に対して形状として創造され、被造世界を着て一体となり、より強い愛の喜びを得ること、これが神様の創造目的です。
神様は形状単一体からでも強い美の刺激を感じることができます。しかし神様は更なる美の刺激を求めて形状を主体と対象に分立した立場で創造されました。
形状がアダムとエバとして分立して存在し、アダムとエバが神様から相続された愛によって愛し合い一体化していく姿は、神様にとって、人間が初めから陽陰の統一単一体である場合より、ずっとずっと強い美を感じられます。その分、愛が強く流れるのです。神様はその強い美にひかれて、アダムとエバという体を着られて一体となられます。これが合性体です。
このようにより強い震動的衝撃的な愛を味わいたい神様にとって、正分合作用による四位基台は愛の増幅原理、増幅機構です。正分合によって対象が最高の美の対象となり、その対象に対して神様の愛が強烈に流れるための仕組みです。
このため、正分合作用による四位基台が原理の中心とならざるを得ません。
被造世界はもちろんの事、神様の内界においてもこの原理で解けることになります。
アダムとエバの創造目的は第一に、アダムの体を無形の神様が着ることであり、二番目は、体を着ることによって震動的な衝撃が来るようにするためです。言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。 「真の神様」 第一章 二 1. 体をもつためにアダムとエバを創造
②三対象の愛の原因である夜の神様、昼の神様

神様はその内界においても、この正分合の原理をもって、形状である体を創造され、それを着ることで成長してこられました。神様の根源は愛なので、成長は神様がより強く深い愛を求める方向で起こってきます。
このように正分合作用は、無形の神様が有形の体をまとう過程を表しています。
神様とアダムとエバの場合は、それがもっと明確になります。神様はご自身の無形の体に似た有形の体を創造し、有形の体を持つことでのみ可能な震動的な衝撃を得ようとされました。
これは、「好きだ!」という愛の衝撃です。神様はこの「好きだ!」という愛の衝撃を最大にしようと思われました。そのためには神様の体を自分自身でまとうより、神様の体として、人間という神様から独立した愛の対象を創造し、神様と人間が愛で一体化する中で体としての人間を着ようとされました。
アダムとエバが愛し合い生殖器の結合を通して心と体も一体になる時、完全な一存在となります。この過程で神様は、アダムとエバという体を着て主体として同参されます。ここにおいて、アダムとエバの間の「好きだ!」という情感も神様と人との間の「好きだ!」という情感も最頂点に達し、神様が創造目的とされた「好きだ!!!」という最高度の愛の情感が出現します。
これが実体過程での話ですが、実体化するためには神様の内界で先にそれが存在しなければなりません。神様が内界で創造し体験し体感したことでなければ実体化することは出来ません。
夜の神様は無形であり性相の神様です。昼の神様は有形であり形状の神様です。有形といっても無形に対して相対的に有形ということであって私達の目には見えません。夜の神様が正の位置におられ、分としての無形のアダムと無形のエバを創造されました。これが一つになったのが昼の神様です。昼の神様は夜の神様が創造された夜の神様の体です。
(昼の神様は無形のアダムと無形のエバから構成されますが、夜の神様から見れば無形ではなく有形です。夜の神様から見ると昼の神様は見える神様です。)
昼の神様は、無形の陽性実体である無形のアダムと無形の陰性実体である無形のエバから構成されます。無形のアダムと無形のエバは完全に一つになっておられるのでお二人と表現せず昼の神様という単一名称で呼びます。
この観点で先のみ言を見てみましょう。
アダムとエバの創造目的は第一に、アダムの体を無形の神様が着ることであり、二番目は、体を着ることによって震動的な衝撃が来るようにするためです。言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。 「真の神様」 第一章 二 1. 体をもつためにアダムとエバを創造
このみ言を夜の神様と昼の神様の関係に置き換えてみると次のようになります。
(夜の神様による)昼の神様の創造目的は第一に、昼の神様の体を夜の神様が着ることであり、二番目は、体を着ることによって震動的な衝撃が来るようにするためです。言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。
天の父母様と人間の関係と同様に、夜の神様と昼の神様の関係は性相と形状の関係であり親子です。無形のアダムと無形のエバの関係は兄妹関係、夫婦関係です。ここに出来上がった神様の内的家庭に、三対象の愛の原因となる性相的な三対象の愛があります。
夜の神様も昼の神様も私たち人間から見ると神様ですが、昼の神様から見ると夜の神様が神様です。昼の神様でも夜の神様は見えません。
人間から見た神様の姿と同じです。形状から性相は見えないのです。
では夜の神様はどこにおられるのかといえば、昼の神様を構成している無形アダム(無形の独り子)と無形エバ(無形の独り娘)の至聖所に住んでおられます。
夜の神様が昼の神様を着られて天の父母様となります。
そして天の父母様が真の父母様を着て天地人真の父母様となられます。
そして私達祝福家庭も完成して真の父母となれば、天の父母様が祝福家庭を着て天地人真の父母様となります。
神様において、新しい朝を迎える一番の栄光の時とは、肉体をまとうことができる時です。 「天国を開く門 真の家庭」 P67、祝福家庭と理想天国Ⅰ P936 1978.1.22
夜の神様が昼の神様を着て天の父母様となられ、天の父母様が真の父母様を着て天地人真の父母様となる縦的な発展は横的に方向を変えて無限に発展していきます。
すなわち、人類は皆祝福家庭となり、神様に着て頂き天地人真の父母となり天にも地にも個性真理体化した天地人真の父母が無限に増えていくのです。
霊界の天国は、本来、人間が単独で入る所ではありません。神人一体化した天地人真の父母が生活する所です。
この天地において、神様の解放です。皆さんは神様を知らないけれど、お一人の神様がお一人だけではないのです。夜いらっしゃる神様と昼いらっしゃる神様がお一人であるはずなのに、知ってみると、なんと夜の神様、昼の神様、心的な世界の神様、体的な世界の神様が、一つになった立場にいることができないような立場でした。
「清平役事16周年記念真の父母様特別集会」のみ言 天基元年天暦12月19日(2011.1.11)
天宙清平修練苑天城旺臨宮殿
「知ってみると、なんと夜の神様、昼の神様、心的な世界の神様、体的な世界の神様が」という部分に、夜の神様は心的な世界の神様、昼の神様は体的な世界の神様と明言してあります。
これは、夜の神様は全ての性相の原因であり、昼の神様は全ての形状の原因だということです。つまり、神様の性相が夜の神様であり、神様の形状が昼の神様だということと同じ意味です。
夜の神様が、形状としての昼の神様を創造され、昼の神様を着ることで天の父母様となられたことを裏付けるみ言です。
上のみ言は、性相である夜の神様と形状である昼の神様が一体となられた姿である天の父母様が、人間の堕落が原因で性相である夜の神様と形状である昼の神様に別れざるを得なくなったという天宙的な秘密を開示しておられる内容です。(⑥堕落によって夜の神様と昼の神様が引き裂かれた、において詳述します。)
少年時代、七歳前までは、小さな子供が、天を眺めても、地を眺めてもこのように複雑多端な渦中で、私は『なぜ天があり、生きていけないような受難の狭い道に追い立てるのか、この世の中よ!』、そのような議論の果てに、人知れぬ幼いときから、神様がいるということが分かりました。どのように分かったのか? 私の心から、いないという事実を認定できる根源を探す道理がないのです。私の心にささやく言葉を聞いてみても、夜の神様、昼の神様がいて、二人が分立されたその位置において、深い穴を前後に置いて見ながら、内的な神様、外的な神様が相談しながら私を育てたのです。
2012年陽暦7月16日韓国・清平の清心平和ワールドセンター
上記のみ言はアベル女性国連創設大会でのものです。お父様が7歳の時のエピソードです。ここにも夜の神様は内的な神様、昼の神様は外的な神様だとあります。
食口の中には夜の神様が創造主としての神様、昼の神様は真の父母様のことだと考えている方もおられます。そうすると夜の神様と昼の神様が相談して御父母様を育てたという上記のみ言と矛盾します。
後述しますが、完成途上において真の父母様は最初に昼の神様と一体となられます。これは、昼の神様が体を持たれた状態です。
これが実現したのは2003年の天地父母天一国開門祝福聖婚式においてです。この時点において初めて昼の神様とは真の父母様のことだということができます。



③夜の神様の「光あれ!」と天の父母様の「光あれ!」

創世記にある「光あれ」は天地創造が開始された瞬間ですが、これは天の父母様によってなされました。これ以前にもう一度「光あれ」がありました。夜の神様が内界において始められた創造においてです。
第一の「光あれ」から昼の神様が創造され、第二の「光あれ」から人間が創造されました。
夜の神様が「光あれ」と言われて、光の神様、すなわち昼の神様が創造されました。そして夜の神様と昼の神様が一体となった天の父母様の「光あれ!」によって光²の神様が創造されたのです。これが人間です。人間は昼²の神様です。人間と一体となられた天の父母様の喜びの輝きは(喜びの輝き)²となりました。
アダムとエバが完成すれば夜の神様、昼の神様は人間と完全一体化を実現されます。これによって愛の光は最高度に達します。すべての創造の御業がここにおいて結実します。
④間接主管圏の主人と直接主管圏の主人

