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総論Ⅲ 堕落のあまりにも深刻な真実

堕落論には堕落に伴う二つの要素が述べられています。

一つの要素は原罪です。原罪は罪の根なので原罪がある限り人間は罪の連鎖を逃れられません。

罪の定義は、「サタンと相対基準を結んで授受作用を成すことができる条件を成立させることによって天法に違反するようになること」です。

私たちは罪には敏感に反応する傾向にあります。​

原罪はメシヤが清算してくださるので、私たちは遺伝罪、連帯罪、自犯罪を清算するのが責任分担だと考えてきました。重生論序論で述べましたようにこの考え方は正しくありません。)

これは、罪の完全清算=重生の現実化という考え方です。

祝福を受けても未だに完成できないのは、原罪は清算されても原罪以外の罪が清算されず残っているので祝福が現実化せず重生できていないという考え方です。

この考え方によれば、堕落人間はサタンに条件を奪われたことが問題なだけで神様にとっては人間が子女であることには変わりないということになります。

これは放蕩息子であればあるほど神様にとっては気にかかって情が行く存在であるとする新約聖書の世界観と同じです。

堕落論にはもう一つの重要な内容が書いてあります。それは原罪によって生じた血統問題です。血統とは簡単にいえば誰から生まれ誰が先祖かということです。堕落人間は神様から生まれていません。サタンの血統から生まれた人々を指して「へびよ、まむしの子らよ」といわれたイエス様は、この問題の深刻さについてパリサイ派の学者であったとされるニコデモに「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」といわれました。

下記の御父母様のみ言によれば、人間は縦的真の父母である神様と横的真の父母である真の父母から生まれることが分かります。人類始祖となるべく送られたアダムとエバ、イエス様、真のお父様と真のお母様は独り子、独り娘として神様が直接創造されるのですが、それ以外の人間は完成して神様と一体となった真の父母を通して生まれるようになっています。人間の誕生には必ず縦横の真の父母が必要です。

創造主は縦的な父であり、アダムとエバが堕落しないで完成したならば、横的な父母です。そして、愛を中心として一つになり、そこから子女が生まれていたならば、その子女は縦的な父母に似るとともに、横的な父母に似た真の父母の愛の化身体となるのです。そのように生まれた息子、娘は、神様の代身であり、真の父母の代身です。

第一篇 神様 第二章 心情と真の愛の神様 第三節 真の父母であられる神様18 1988.11.1

この観点に立つと、堕落によって父母が変わってしまったことになります。これは余りに深刻な問題です。堕落において罪を犯した内容が問題だったのです。人間の犯した罪が父母を変えてしまう罪だったのです。縦的父母はサタンになり、サタンの血をうけたアダムとエバが横的父母になりました。そこで生まれてくる堕落人間は神様とは一切関係がないのです。それどころか神様の敵の家系になったのです。

さらに、人間は人間とは呼べない存在になってしました。人間という存在から変質してしまったということです。あるいはまったく別の存在になったということです。

​「へびよ、まむしの子らよ」というのは人間ではないということです。原罪を持つ堕落人間に対するサタンの讒訴は真の父母様の祝福の勝利圏によって解消したとしても、堕落人間の実体がサタンの姿そのものであることは讒訴条件とは別の問題なのです。

 

堕落論が述べていることの本質は、人間が堕落して本然の神の子である要素がすべて失われサタンの子孫になったということです。人間は外見は人間ですが、中身は本然の人間とは全く別物です。体を着たサタンの姿が人間です。堕落論はこれを堕落人間と呼んでいます。このため、私達の持っている考え方、物の見方、感じ方などすべてが神の子とはあまりに違い、あまりに歪んでいます。

人間は自分を素晴らしい存在だと思いたいし、自分の判断は正しいと思いたいものです。しかし、その判断の物差しが歪んでいるので、真の真理や真の愛が分からなくなっているのです。

一例を挙げますと、真のお母様についてあれこれと批判する人がいますが、これは愛に対する感覚が歪んでしまったことによります。特に真の愛について確信がないことが原因だと思います。真のお父様が真のお母様を愛する愛、あるいは真のお母様が真のお父様を愛する愛が凄まじいほどに強いということが分からないのです。お父様はいつでも喜んでお母様のために命を捧げることができるし、お母様はいつでも喜んでお父様のために命を捧げることができる愛の関係なのです。この愛の関係が地上に現れたので人間の救いが可能になったのです。

 

真の父母様が堕落人間に対される時の愛は、もちろん真の愛です。真の愛の基本は絶対信仰です。絶対信仰とは相手がどうであろうと、それに影響されないで頭から無条件で信じることです。ですから真の父母様はどんな人に対しても絶対的に信じられます。不信という概念は全くありません。お父様がお母様を不信しておられたと思っている人たちは真の人間の持つ愛の基本的性質がお分かりになっていないと思います。これが分からないようなら真の愛の持つ絶対服従の姿は想像だにできないと思います。

真の父母様は堕落人間に対しても絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。ましてや真のお父様と真のお母様の間に流れる愛には、一切の不信や非難などあり得ないのです。

​それではお二人の間に不信や軋轢があるかのように感じるみ言の意味は何なのでしょうか?それは私達を救うために敢えてそうせざるを得なかった事情があったということです。私達を救うための方便としてあえてそう言われたということです。詳しくは最終摂理時代Ⅰなどをご覧ください。

さて、上記の本然の人間の誕生に縦的父母と横的父母が必要だというみ言に照らすと、霊肉の重生が起こっていない根本的な理由があったことが分かります。それは、神様が人間の堕落によって縦的真の父母の位置を失ってしまわれたことです。このため、真の父母様も横的真の父母の立場に立つことができませんでした。真の父母様の路程は神様を本然に位置に戻して差し上げることに集中しています。そして神様が本然の縦的真の父母の位置に完全に戻られたのが基元節です。この日に真の父母様は横的真の父母として神様の直接主管圏に入られました。これにより縦的真の父母と横的真の父母の位置が復帰され、人類史上初めて重生することができる体制が整ったのです。人間の復帰はやっとこれから始まるということです。このスタートを告げるのが天寶登載です。これは人間の完全復帰の始まりです。本番はこれからです。これはこれから順を追って述べていきます。

 

天の父母様聖会という言葉、これは福音中の福音です。それ以前は神様を天の父と呼んでいたのです。神様が縦的真の父母の立場に立たれたことを意味しています。

私たちが天国人になるために絶対必要な重生は、これから始まるということです。

​この流れを理解するために、私たちはまず堕落の真の意味を知る必要があるのです。これを体系的に説明するためには総論Ⅰ、総論Ⅱ以上に真の父母様のみ言の引用が必要になります。このため、図や写真による説明よりも文字による説明が多くなります。その点をご了承願います。

堕落と復帰 サタンの直接主管_1.gif

堕落において血統が変わってしまったことを理論化する必要があります。

​血統は二段階で決定します。第一段階は誕生です。人間の誕生では縦的な父母と横的な父母が必要です。本然では縦的父母は天の父母様であり、横的父母は真の父母様ないし真の父母の子孫として生まれ完成した夫婦です。この縦横の父母から子女が誕生します。

これが神の子です。

血統が決定する第二段階は結婚する時です。この地点では人間が自分の意思で神様の血統を選択し結婚することで血統が定着します。ここで再度天の父母様に連結されて直接主管圏に入ります。

御父母様のみ言によれば結婚=直接主管圏です。

神様と人間がどこで出会うのですか。男性と女性が一つになって愛する時間、生殖器を中心として一つになる時間に会うのです「宇宙の根本」第二章 二 3.生殖器は天が臨在する至聖所

神様が人間を創造されるとき、直接主管圏と間接主管圏をおいてつくられました。それではなぜ間接主管圏をおいたのですか。直接主管圏と間接主管圏はいつ一つになるのでしょうか。本来の真の人類始祖であるアダムとエバが成熟して互いに横的な立場で愛によって一つになろうとする時、神様が臨在し、縦的な愛を中心としてアダムとエバを横的な愛によって接ぎ木するためのものがアダムとエバの結婚です。それで天地の一体化を成すのです「罪と蕩減復帰」第一章 蕩減・復帰原理の根拠 一 間接主管圏と直接主管圏 2.直接主管圏

​このように血統が決まる地点が二つあります。アダムとエバは完全な神様の子女でした。ところが結婚で間違ったのです。結婚において神様の血統を選ばなかったのです。

​それでは結婚においてどのように血統が決定するのかを見てみましょう。

本然ではアダムが神様の体として神様と一つになり、体を持った神様となったアダムが妻であるエバと結婚するのです。

この時、神様は縦的であり、体を持った神様であるアダムは横的です。このように縦的な神様の血統が結婚によって人間に横的に連結されます。これにより神様の血統が人間に完全に相続され直接主管圏に入ります。

愛には縦的愛と横的愛があるのです。父子関係は縦的愛であり、夫婦関係は横的関係です。縦的愛は血統的につながり、夫婦関係は血統的につながりません。分かりましたか?真の自分を探しましょう 1993年12月19日 16万女性修練会

堕落においてもこの原理でサタンの血統が定着しました。

まず大切な観点はルーシェルは神様の弟のような存在だったということです。

ルーシェルは神の弟だった、だからアダムとエバの叔父さんだったのだよ2011.12.2 天正宮訓読会

 

創世記にも「われわれの形にわれわれにかたどって人を造り」とありますように、神様と天使は似ているのです。また、天使は体はありますが霊的なので、肉体を持っている人間と比べると無形であり縦的な存在です。

堕落においては、サタンは人間に対して神様の弟のごとき存在であるため神様の位置に立つことができました。これは縦的な位置です。(ルーシェルは夜の神様が作られたというみ言もあります。後述)

また、天使は霊的ではあっても体を持っているためエバの霊人体に対してアダムの位置に立つことができました。これは横的位置です。サタンは縦的な神様の位置と、体を持った横的な位置の両方に立っていたということです。

このように、霊的堕落は単なる横的性関係ではなく、サタンが縦的位置にも立つことで為された血統相続の公式を持っていたということです

この縦横の関係があることでサタンの血統はエバに相続されました。サタンの血統になったエバが、サタンを縦的位置においてアダムと横的関係を結びました。この時、アダムにもエバにも体の中にサタンが入っています。サタンがアダムとエバの体を着て性関係を結んだのです。これが肉的堕落です。

これによりアダムとエバはサタンの血統となり偽の父母になりました。サタンは偽の神様の位置に着いたのです。

神様は二性性相になっているでしょう? 結婚式をすればどのようになるのかといえば、神様の女性性相はエバに入ってき、男性性相はアダムに入っていって一つになるのです。別の言い方をすれば、アダムとエバは実体をもった神様の体であるということを知らなければなりません。そのようになれば、神様は、アダムとエバの内的な二性性相に入っていかれて愛で一つになるのです。そのようになれば、そこから神様の血統を受けるようになります。 「宇宙の根本」 第二章 人間創造と愛の理想の完成 三、神人一体と愛の理想完成 1.神様と人間が出会う愛の決着点

アダムとエバの心にサタンが入っていき、一つになったので、サタンの血統を受け継いだのです。愛の多い神様が、なぜサタンを許すことができないのですか。殺人者や強盗も許し「すべて許す」と言われ、イエス様を信じれば「許しを受ける」と言われたのに、なぜサタンを許してあげることができないのでしょうか。それは、人類の血統を汚したからです。それはどういうことですか。神様の立場から見るとき、サタンは姦夫です。愛の姦夫です。何の話か分かりますか。

「宇宙の根本」第三章 人間堕落と復帰 一 人間堕落の内的意味 4.堕落によってサタンの血統を受けた

本然では、結婚により神様の直接主管圏に入った人間は、神様が心の奥深くに臨在され、神様の心は人間の心と一つになり、自然に神様の御心を実現するようになります。

このような人間は、神の心情を体恤し、神のみ旨が完全に分かって、実践するようになるので、あたかも、頭脳が、命令ならざる命令で四肢五体を動かすように、人間も、神の、命令ならざる命令により、神のみ旨のとおりに動いて、創造目的を成し遂げていくようになるのである

第一章 創造原理 第五節 被造世界の創造過程とその成長期間 (二) 被造物の成長期間 (3) 直接主管圏

これと同様にアダムとエバはサタンを縦的位置においた上で、サタンに体を着られて結婚したので、サタンの直接主管圏に入ったことになります。

 

サタンの直接主管圏に入った人間は、サタンが人間の心の奥深くに居座り、サタンの心は人間の心と一つになり、サタンの命令ならざる命令により、サタンの欲望の通りに動いて、自然にサタン世界を実現するようになります。

サタンが人間に対して縦的位置すなわち神の位置に就いたので、時空を超越して人間の心霊を支配できるようになったのです。これは人間がサタンの直接主管圏にいるということなのです

​堕落人間はサタンの子として生まれ、成長して異性と生殖器を合わせる時にサタンの血統に定着し、サタンの第一祝福を完成します。そしてサタンの命令ならざる命令に動じ静ずるのです。この世の人々は、正式な結婚であろうがなかろうが、何もわからないで異性と性関係を結びますが、これはサタンの直接主管圏への入城です。そこからサタンの第二祝福、第三祝福を実現していきます。

 

これが一般の人々が生きる人生です。後世に残るような業績を挙げた人も、犯罪に手を染めて獄につながれて人生を終えた人も、死んでから行く所はサタンの本宮、すなわち地獄です。

そこがサタンの直接主管の地です。

​サタンの血統に生まれ、サタンの血統の人と結婚し、サタンの血統に定着して、サタンの実体として完成する。忌まわしさしかありません。​あまりにも深刻な悲惨さです。

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神様の創造は死を超える愛によってなされました。ご自身の血肉を材料として対象を創造し更なる愛を実現しようとされました。ご自身の血肉を材料とするということは死を越えなければできません。

死を超える愛は強い創造力を伴います。

動機は神様と真逆ですが、サタンは死を超える愛でエバを誘惑しました。エバも取って食べたら死ぬと言われていたのに、死を超えてサタンとの愛を選びました。この死を超える愛が強い創造力を発動させ子孫を生み出したのです。

人間において、生理学的に神経と血管が最も集中しているのが生殖器です。それゆえに、自分と同じ者を再創造することができる器官になるのです。最も苦労してつくったものです。そうですか、そうではありませんか。それが肥おけになってしまっているのです「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想完成 二 生殖器は三大本宮、天の至聖所 2.神様の創造目的を完成させる器官

上記のみ言にありますように自分と同じ者を創造するのが生殖器です。

これが死を超える愛を伴って用いられたのです。これによりエバはサタンの血統に再創造され、同じく取って食べたら死ぬと言われていた戒めを破ったアダムもサタンの血統に再創造されたのです。

こうしてアダムとエバはサタン中心に非原理的な愛によって生殖器を合わせることでサタンの血統に定着しました。これによりアダムとエバはサタン中心の個性完成を実現したのです。これはアダムとエバがサタンの体として完成したことを意味します。

生殖器を合わせること=結婚=直接主管圏です。つまり、堕落によってサタンの直接主管圏に入ったのです。そしてサタン中心の子女繁殖に向かったのです。

​こうして繁殖した全人類はサタンの似姿そのものです。その父の欲望を行う者です。

サタンの完全な似姿をしており、肉体をもっている、これを人間と呼べるでしょうか?私たちは堕落人間と呼んでいますが、人間ではないのです。体を持ったサタンなのです

堕落することにより、アダムの体が天使長の体になりました。二つの体をもったというのです。十六歳の時に堕落することにより、蛇の体、天使長の体をもって人類を繁殖しました。すべて蛇の子です天総官 文興進様 第二章 興進様の昇華と「愛勝日」宣布 1999.11.12

皆さんの体は、サタンの血を受けました。原理を聞いて観念的に知っているのであって、この体が神様の怨讐であり、人類の怨讐であり、歴史の怨讐であり、天理の逆賊となる、その逆賊の血が入ってきて渦巻いていることを本当に感じているかというのです。この目は、サタンの目です。口も、手も、足も、体すべてがサタンのものです第二編 真の父母 第三章  真の父母と重生  第一節  重生と復帰の道8 1974.6.2

​人間の復帰と呼んでいる内容の真実は、肉体を持ったサタンを本然の人間に戻すことなのです。これは蕩減条件を立てるだけでは決して実現しません。神様と真の父母様の愛によって最初の一細胞が生まれる所からやり直す以外に道がありません。復帰がいかに難しい御業なのかをご理解いただけると思います。

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神様の目から見て堕落人間はどう映るのでしょうか?

残念ながら放蕩息子ではありません。

放蕩息子であっても親は実の親です。

しかし、堕落人間の親は神様ではありません。サタンが親です。

神様が堕落人間に対される心情は、親の心情ではありません。上記のみ言にあるように、憐みの心で為に生きようというお気持ちです。

神様には人間とは映らず堕落のうじとして見えます。

一方、祝福家庭はどうでしょうか?

私たちが受けた祝福は人間として受けたのではなく、天の側の天使長として結婚した立場なのです。祝福家庭でも実体は天使長です。天の側の天使長というのは罪のない天使長だということです。

今日の統一教会の祝福家庭は長成期完成級で天の側の天使長として結婚した立場です。‥‥‥この家庭は直接、天国に入れないのですが、なぜでしょうか? 現在、祝福を受けていると大丈夫だと思いますが、そうではありません。 ファミリー95年1月 P10

私たちが天の父母様と呼べるのは、真の父母様が私たちを子女として受け入れてくださっているからです。私たちは実体は天使なので本当は僕でしかないのです。

キリスト教徒が神様の養子の立場に立てたのは実子であるイエス様につながったからです。実体は僕です。僕だけどイエス様が弟子として接してくださるので神様も養子として対してくださるのです。

私たちもキリスト教徒も実体は肉体を着た天使です。

中身は僕なのです。

​真の父母様と私たちは、生まれた時から罪があるかないかの違いではありません。本然の神様の息子、娘と、僕である天使の違いです。雲泥の差なのです。

復帰の道は余りに困難な道なので、神様もメシヤも方便としてすぐにでも天国が来るような、すぐにでも完成できるような希望溢れることを言うしかなかった歴史があります。

イエス様も「私はすぐに来る」と言われたので、キリスト教徒はローマの苦難を超えることができました。真の父母様も方便を言われることがしばしばありました。お父様の本音は、神様を解放し、重生の基台を作ることは、自分が生きている間にできるかどうか分からないほど難しい、ということだったと思います。しかし本当のことを言ったらついていかない人が数多くいたことでしょう。お母様は今でも本当の厳しさは語られません。

私たちは御父母様が本音を語られたとしても喜んで受け入れるだけの成熟した忠心、孝心が必要な時を迎えていると思います。

堕落したことを元に戻すのは困難極まりないことなのです。私たちは少し前までサタンの直接主管圏にいたのです。​​死んでも良いを思って堕落したので、復帰も死んでも良いという心情世界を通過するのは当然なのです。血統問題はそれほど恐ろしい問題なのです。

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人類始祖の堕落により神様は、復帰摂理の中でもずっとその衝撃から抜け出すことができませんでした。それは同時に愛を裏切った人間を滅ぼしてしましたいという思いと連動しています。神様は全能なのでご自分のお気持ちも自由自在にコントロールできる方だと思いがちなのですが、被造物の代表である人間を見れば分かるように、情を引きずる性稟は神様でも同じなのです。

​しかし、神様にとって堕落がどれほどの衝撃をもたらしたのかについては核心的なみ言を読むことで初めて知ることができます。それが下記のみ言です。

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上記のみ言の下線をお読みくださると明確に分かります。人類始祖の堕落により神様にとって人間は価値がないどころか苦痛を与えるマイナスの価値の存在に変わりました。父母の愛どころか愛が全く流れません。滅ぼしたいという気持ちを抑えるのが大変な対象になってしまいました。

 

神様はアダムという体を着て、許嫁(いいなずけ)であるエバと結婚することを夢見て創造してこられました。その花嫁が姦夫サタンに奪われたのです。しかも、そこから姦夫と堕落した許嫁の子供が繁殖するのです。

神様にとって最も見たくないものです。それを見た神様は良く来たと言って歓迎されるはずがないのです。銃があったらサタンの子孫を撃ち殺してしまいたい怨讐中の怨讐なのです。それが私たち堕落人間なのです。

​堕落社会はサタンという盗賊を頭として神様から盗んだもので暮らし繁栄したのです。これを我慢に我慢を重ねて復帰してこられた神様なのです。そんな神様の事情を全く知らないで、私は人を助けたり、教会に通ったり、献金したり、社会貢献などの善行をしているのでもっと恵みをくださいと言って文句を言っているのです。愚かです。本当は神様の前に顔を上げることすらできない存在なのです。

今日の人類は、サタンの血統を受けています。ですから悔い改めなければなりません。天地の大主人の前に顔を上げることのできないほど、恥ずべき内容があるのです。

しりまで隠して岩の後ろに隠れて、神様と呼ぶことのできない恥ずかしい子であることを知らなければなりません。愛の怨讐の血を受けたのです。ですから、涙と鼻水を流してはいつくばり、命を失ったとしても「罰を受けて当たり前だ」と言うことができなければなりません。死んで埋葬された自分であるということを知らずに生きる、かわいそうな人たちなのです「祝福家庭」 第四章 祝福家庭と入籍 四 入籍時代と私たちの責任 1入籍と真の御父母様の恵み

 

神様が本気で復帰摂理をなそうと決意されたのは今から4000年前、すなわちアブラハムの時からです。それまでは神様でも決意しきれなかったのです。

アダムの代わりに立ったサタンを本然のアダムとして愛し、堕落人間を神様の血筋として愛さなければ愛の絶対性が失われるからです。

復帰摂理の目的は人間の復帰ですが、本質は人間そのものではなく人間に対する愛です。この愛を復帰することが問題です。

蕩減復帰とは本然と同じ姿勢を貫くことなのです。この姿勢を貫き通した時に復帰はなされるのです。

​4000年前、アブラハムを中心とする復帰摂理を始められる時には神様はこの決意を固く持っておられました。ノアの時には失敗したらそれでも何とかしようというお気持ちにはなれませんでしたが、アブラハムの時は象徴献祭を失敗してもイサク献祭を用意され、ヤコブがカナンでエサウ屈服に失敗してもハラン路程を用意されました。このように復帰の執念を持つ神様となられました。

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神様にとっての本然と堕落を短く表現するならば、死ぬほど可愛かった神様の息子、娘が殺したい存在に変わったということです。

蕩減復帰のターゲットは天法違反という面もありますがそれは周辺問題です。中心は人間を殺してなくしてしまいたいという神様の怨恨です。

凄まじい神様の怨恨を全身で受け止められたのは真の父母様です。

私たちは、真の父母様は罪がないのに、人間の罪を背負って打たれなくても良いのに打たれる道を行かれたと思ってきました。

しかしそれは正しいとは言えません。真の父母様は独り子、独り娘であったアダムとエバの再臨としてこられた方です。

神様の最大の恨はアダムとエバの再臨である真の父母様に向かうのです。真の父母様は神様に打たれるために歩まれたと言っても良いと思います。

それは容赦がないのです。手加減はありません。減償法などないのです。神様が気が済むまで打ちに打って、気が晴れて独り子、独り娘が戻ってきたと涙を流して喜ばれる地点まで行かなけらばならないのです。

​殺してやりたいから、死ぬほど可愛いまで戻すのが、真の父母様の使命なのです。

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堕落から復帰に向かう神様の道について、まだ謎があります。

緒論を見ると神様は創造主、サタンは血統の始原者として同等のような印象を受けますが、み言を調べれば調べるほど神様は弱い立場です。

神様は人類始祖に全てを相続するように計画されていたので、人類始祖に与えた祝福がすべてサタンに移った結果、神様には何も残っていないのです。それどころか神様の立場もサタンに移ってしまったのです。

人類始祖に与えられるべき王権、父母権、長子権はサタンに奪われ、神様の位置もサタンに奪われ、サタンはこの世の神の位置にいるのです。

これで神様に何ができるのでしょうか?

ところが次のような不思議なみ言があります。

この天地の大主宰者であられる神様をサタンも無視することができません。自分の業を実行するためには、必ず善の神様の決裁を受けたのちに行動をするのです。その悪なることで神様の理想世界を破綻させるのです。 「宇宙の根本」 第二章 人間創造と愛の理想の完成 五、生殖器を通して天国と地獄が分かれる

サタンは好き放題することができたのに、神様を大主宰者として認め、その決済を仰いでから行動するのです。

神様からよほど良いものをもらわなければサタンがそんな行動をするはずがないのです。それは何だったのでしょうか。別の言い方をすれば、サタンにとって神様を大主宰者の立場に置いておいた方が都合が良かったということになります。

神様にとってみれば大主宰者であり決裁者の立場がなければ復帰摂理を主導できません。

サタンも元は神様の被造物である限り一番欲しいものは神様の愛です。その中でも神様の独り子、独り娘に流れるはずだった愛です。しかも、堕落して神様のみ旨に反する行動をする自分をその愛で愛して欲しいのです。盗人猛々しい欲望です。

これでも私を愛せるかとサタンは神様に迫るのです。

要するに神様が人間に三大祝福を与えたように自分に与えてくれという要求です。

神様は復帰摂理を開始するためにこれを決意されたのです。

これこそ本当の復帰の基台です。

すなわち、神様は、姦夫サタンに「生めよ、ふえよ、全てのものを治めよ」と祝福を与えられたのです。神様にとってこれ以上の屈辱があるでしょうか。

神様はサタンとエバの堕落を結婚として祝福されたのです。姦夫の子孫である堕落人間を祝福されたのです。堕落社会、堕落世界の発展を祝福されたのです。

神側に比べてサタン世界が先に発展したのはこのためです。サタンにそんな力はありません。すなわち神様がなされたことです。

神様が全知全能の力をサタンとサタンの子孫、サタン世界の発展のために使って愛してくれるなら、神様を大主宰者の位置に立てた方が良いということなのです。

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サタンについてもまだ謎が残っています。なぜあれほど執念深く長期に渡って悪を続けてきたのかということです。

神様が与えても与えても満足に至らず悪を続けたのです。

​これは精神的に見ると病の領域だと見ることができるほどです。

​ルーシェルからサタンになる時の動機について、堕落論には「・・・エバがルーシェルの誘惑に引かれてくる気配が見えたとき、ルーシェルはエバから一層強い愛の刺激を受けるようになったのである。こうなるともう矢も盾もたまらず、ルーシェルは死を覚悟してまで、より深くエバを誘惑するようになった。」とあります。このやり方がサタンが喜びを得る常態となったのです。すなわち、奪うことによって喜びを得るという方式です。

神様が相手が自分より立派になるように与えることで、結果として大きな愛が得られる方式とは真逆です。

 

サタンの奪う愛により満足を得るやり方は、一時的には満足を得られますが、すぐに愛に対する飢え渇きがやってきます。その飢え渇きを癒し満足に至るためにまた奪うのです。この負のサイクルが延々と続きます。

これは依存症に似ています。

薬物依存、アルコール依存、ニコチン依存、ギャンブル依存、ブランド依存、ファッション依存、DV依存、会話依存、メイク依存、ネット依存、スマホ依存、最近ネットなども起こっている讒訴依存、過食、拒食依存、放火、万引き、窃盗、殺傷なのど犯罪依存、恋愛依存、性関係依存、ハラスメント依存などキリがないほどあります。これらの依存症は中毒と言い換えても同じです。はまると抜け出せなくなります。悪い、いけないと分かっていてもやめられないのです。

それが心に空いた穴を埋めてくれので、依存することで存在できているからです。奪う愛は自分と相手を破壊します。本然の喜びはありません。

依存症の欲望は限りがありません。サタンは際限なくこの欲望を満たそうとします。神様から三大祝福を与えられてもまだ満足しないのです。

​自分が何百億年にわたって神様に尽くし侍ったのに祝福を人間に与えようとした神様と奪った人間に対して恨みを晴らそうとするのです。

サタンは更に次のようなことをします。

・神様を侮辱する。

・神様の愛する者が苦しむ姿を神様に見せる。

・人間を悪に誘惑して人間がいかに愚かなのかを神様に思い知らせる。

・人間を神様の前に讒訴して神様の裁定で地獄に連れていく。

サタンがこうすることは神様は分かっておられたのです。

神様はこれらのサタンの悪行を全て受け止められました。神様が受け止めないとサタンは悪行をした甲斐がないのです。神様はサタンに徹底的に寄り添い利用されました。

そして、サタンが悪行という中毒の中で埋もれている間に着々と復帰を進めていかれたのです。神様はサタンの依存症を利用されたとも言えます。

我慢に我慢を重ねて耐え忍び、真の愛の姿勢を貫けば道が見えると分かっておられたのです。​その一方で神様の恨はどんどん積み重なっていったのです。

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ここで堕落が昼の神様と夜の神様にいかなる影響を与えたのかみ言から探ってみましょう。

それによれば堕落してから40日の間に悔い改めれば蕩減復帰する道が残っていたとあります。しかし、最終責任者であるアダムは自分の罪を認めず責任転嫁に終始しました。これにより、間接主管圏の総責任者である昼の神様も失敗した立場になりました。無形アダムとアダム、無形エバとエバの一体化が、昼の神様95%、人間5%の責任分担で成就するはずでしたが、人間の5%が失敗することで全てが失敗したことになりました。

 

​夜の神様が男性で昼の神様が女性なのは、創造原理から見ても当然の結論です。創造原理には神様は被造世界に対しては性相的男性格主体だとあります。これは被造世界は形状的女性格対象だというのと同じ意味です。

既に総論Ⅰで述べましたが、昼の神様は、夜の神様の体であり神様の被造物です。この関係は性相的男性格主体と形状的女性格対象です。夜の神様を男性格とすれば昼の神様が女性格なのは創造原理なのです。

天地父母というのは後程述べますが、昼の神様のことです。この位置をサタンが奪ったのです。昼の神様の中身は無形アダムと無形エバです。

無形アダムはアダムを体として着られ、無形エバはエバを体として着られるようになっていましたが、この体をサタンが奪って着ることで昼の神様の立場に立ったのです。

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このような経緯で昼の神様より先に弟格のルーシェルが人間の体を着たことで、兄と弟の関係が逆転しました。神様の世界での長子は昼の神様でしたが、人間がルーシェルに体を差し出すことでサタンを長子の立場に押し上げたのです。

そして、昼の神様は長子ではなくなったので直接夜の神様に行くことができなくなりました。親子の別離が生じました。

復帰摂理において95%の責任を負ってこられたのは昼の神様です。復帰摂理において95%の責任を持ってこられた昼の神様は、言うに言えない悔しさを秘めながら摂理を進められたのです。昼の神様は次子の立場なので次子アベルと相対し、サタンは長子なので長子カインを相対するという構図になったのです。

カイン・アベルの復帰の公式には明確な原因があったのです。

そして、偽の昼の神様であるサタンは体の神として堂々と人間の体を主管し、罪を犯させて地獄に行くように仕向けたのです。人間はサタンの好きなように振り回されてきたのです。人間歴史はそのほとんどがサタン歴史です。そのほとんどが消してしまいたい内容なのです。

愛から見た神様 堕落と復帰_8.gif

こうして見てみると、神様の悲惨な姿の一端をご理解いただけたかと思います。あまりにも悲惨で苦痛に満ちています。歴史上の聖人義人、宗教家の誰も分からなかったのです。

サタンを屈服して神様を解放しなければ何も始まらないのです。

御父母様の人生はそのために全て捧げられました。

そして勝利されました。

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