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総論Ⅴ 重生役事-復帰摂理の完結

重生について語るには、まず、重生は既に起こっているのか、それともこれからなのかという問題を解決する必要があります。

 

原理講論のキリスト論を読むと、キリスト教の救いの限界が理論的にも良く理解できます。多くのキリスト教徒にイエス様の救いでは限界があると言っても「そんなことはない。イエス様の十字架の犠牲はすべての罪を清める恩恵だ。」と反発されるでしょう。しかし、十字架の救いの限界について最も良く分かっていたのはイエス様ご自身でした。聖書を素直に読めば十字架を避けたい思いが痛烈だったのがイエス様であることが分かります。それで再臨を約束されたのです。

 

一方私たちはどうでしょうか。

メシヤ論の十字架の贖罪による救いの限界とイエス再臨の目的、にはイエス様の救いが霊的救いのみなので、霊肉の救いによる原罪の清算による救いを実現するために再臨されなければならないとあります。また、キリスト論第四節重生論と三位一体論を読むと再臨されるイエスと聖霊によって霊肉の重生がなされ原罪が清算されるとあります。

重生とは原罪清算だと同義語として定義されています。

このため食口に向かって、私たちが受けた祝福だけでは本然基準には行けないと言えば「そんなことはない。御父母様の犠牲の道はすべての罪を清める恩恵だ。このままで必ず本然に行ける」と反発されるかもしれません。

私は祝福によってすべての罪が清算されたことには完全に同意します。しかし、それがイコール本然の人間として完成することに直結するというのは無理があると感じざるを得ません。

罪の清算と重生は同義ではありません。詳しくは原罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪は祝福で完全消滅(天寶重生論序)をご覧ください。

 

次の真の父母様のみ言は、祝福によって原罪や他の罪のすべてが清算されることを示しています。

私たちは、サタンの血統を受けたので、これを取り消す式をしなければなりません。その式が聖酒式です。私たちがサタン世界の血統の跡を残していては、神様のみ前で祝福を受けるということが、原理的な観点で絶対に不可能です。ですから、サタン世界から受け継いだすべての血統、それから今までのすべての罪を清算しなければなりません。罪の中には遺伝的な罪、歴史的な罪、個人的な罪などたくさんありますが、そのすべての罪が清算される条件になるのが聖酒式です。

・・・・・この一杯の聖酒を飲むことは何でもないようですが、そうではありません。皆さんが信じて飲む日には、そのような勝利的条件の基盤の上に立って、サタン世界の血統を切り、皆さんの先祖たちが犯した罪、先祖たちと結ばれたすべての縁故を切るというのです。 第五編 真の家庭 第二章 第三節 祝福結婚を通じた重生16 522P  1981.5.10

 

このように祝福結婚、聖酒式、3日行事は絶大な恩恵をもたらしてくれるものです。祝福によって重生したと考えている方も多いと思います。しかし、「自分は明確に重生した。堕落性もすべて完全に消えた創造本然の人間だ。御父母様と同じ完全な神様の血統になった。」と心の底から言える食口がいるでしょうか?

キリスト教徒のように信仰的判断で自分は救われたと思うことも重要ですが、冷静に自己の実態を見つめて判断すること方がさらに重要です。

 

それを裏付けるような御父母様のみ言があります。

人間が完成基準に入ったとしても、これはまだ血統的には完全に清算されていません。サタンの血統を受け継いだので、血統的にはまだ清算されていないのです。血統的清算をするには必ずメシヤが必要です。ですから、信仰基台、実体基台、メシヤのための基台が、堕落した人間には絶対に必要なのです。最後の問題は、どのようにメシヤのための基台をつくり、メシヤを通して自分が血統転換を成し遂げるかということです。

第四編 真の人間 第三章 真の人間に復帰する道 第二節 祝福を通した復帰の道7 1972.5.7

なぜ、『家庭教会』が必要かというと、今までの統一教会の祝福は天使長家庭だからです。堕落する可能性がいくらでもあるのです。なぜ、『家庭教会』か。天使長家庭からアダム家庭に帰らなければ、永遠に地上には天国は顕現しません。・・・天使長の血統をアダムの血統に切り替える復活の理論を知らなければなりません。FAXNEWS106号 1994・9・13 アラスカ・日本家庭協会特別修

今日の統一教会の祝福家庭は長成期完成級で天の側の天使長として結婚した立場です。‥‥‥この家庭は直接、天国に入れないのですが、なぜでしょうか? 現在、祝福を受けていると大丈夫だと思いますが、そうではありません。 ファミリー95年1月 P10

これらのみ言には私たちが本然のアダムではなく天使長であることが明言されています。悪の天使長の血統ではないけれども善ではあっても天使長だということです。あまりに悔しい存在であることを認めざるを得ません。

そして、これらのみ言と連動する重要な事実があります。キリスト論には重生するには真の父と真の母が必要だと書かれていますが、重生を実現するにあたっての神様が備えるべき要件についての言及はありません。

 

それで、神様は本当に我々の父母です。ですからどれほど近いですか? 縦的な父母が神様であり、真の父母は横的な父母として理想の愛を成すのです。(二一八・二二四) 「真の父母」第三章 「真の父母」の必要性  五 真の血統は真の父母を通じてこそ

 

神様とは、いったい誰ですか。神様は創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした、縦的な父母だというのです。完成したアダムとエバは、真の愛を中心として横的な父母です。その二つの父母が一体となるのです。愛するその場所で、縦横が一体になるのです。そこは愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮です。それが男女の生殖器です。「宇宙の根本」第二章 人間創造と愛の理想の完成 三 神人愛一体と愛の理想完成 2神人愛理想の根本原理 ② 神人一体の拠点

 

これまでに数多くの宗教があり、天の父を信じる宗教にはなりましたが、母がいない宗教を信じてきたのだというこの恥ずかしい事実を、この時間爆発させてしまわなければいけません。2012年陽暦7月16日韓国・清平の清心平和ワールドセンター

 

神様も寡夫だし!昼の神様 夜の神様も寡夫達なのです!寡夫はいなくなります。先生のせいで、先生のせいでなくなることができません!…そうでしょう?…先生が必要だからその日を待っているからそれを…先生が知っている人が思い通りにできません。あなたたちははっきりと知りなさい。父母様の聖婚式、その日を同じ時間に祝福してあげるならばそれ以上の福はないでしょう。

天地共鳴圏と真の御父母様の聖婚 2011年天暦8月4日~7日 天正宮

 

神様は本来、縦的父母なので父母としての呼称が相応しいのですが、天の父あるいは天のお父様と呼んできました。これは神様の絶対性を強調する呼称かと思っていましたが、神様の許嫁であるエバが堕落して以降、妻のいない独身者であるという悲しい事実を物語っていたのです。

神様の完全な結婚が実現したのが2013年の基元節です。そこで神様は体を着た父母の立場に復帰されました。神様の本来の姿、すなわち縦的父母の位置に復帰されたのです。

神様が父母の位置におられなければ、重生は起こりえないのです。重生は本然の誕生と同じ創造の役事なので、縦的父母である天の父母様と横的父母である真の父母様の両方がそろって初めて実現するものだからです。私達の教団が天の父母様聖会と名乗るようになったことは、重生の基台ができたことを雄弁に物語っているのです。

 

これらのことから、重生はまだ起こっておらず、これから起ころうとしていることが分かります。お母様が命を削りながら準備しておられるのは重生の基台なのです。

重生実現_1.gif
復帰摂理表示図gif.gif

上のスライドは堕落から復帰摂理を通して重生に至る全体を一つにまとめたものです。この図についてその重要なポイントを順にお話しします。

その下の原理講論にある図は皆さんご存じ事と思います。私も二つの天聖経を訓読するまではこの図が正しいものと思っていました。しかし天聖経を何度か訓読するうちにこの図に違和感を持つようになりました。

このように申し上げると、原理を排する異端者と言われると可能性がある思います。しかし本然の人間と堕落人間の差は絶望的に大きいのです。

皆様の中に自信をもって自分は長成期完成級に近い、あるいは完成期に入ったと言える人はいるでしょうか?

​お父様の自叙伝に10歳の時のエピソードが出てきます。10歳というのは長成期長成級に当たるわけですが、私達とは次元が違うと言わざるを得ません。本然の長成期の姿と比べても私たちは余りに次元が低いことを認めないわけにはいきません。何代も続くキリスト教の家柄に生まれ、類稀な信仰生活をしてきた篤実な聖徒であり、家庭連合に入教した後も目を見張るほどの信仰生活をしてきたとしても、お父様の10歳の時の心霊のレベルを越えられるでしょうか?

お父様の10歳の時のエピソードにある、心から愛のエネルギーがほとばしり出て止まらい様な人が他に誰かいるでしょうか?

十歳の時でした。大みそかの日になって、村じゅう餅を作るのに大忙しだったのに、暮らし向きが困難で食べる物にも事欠く村民がいました。私はその人たちの顔が目に焼き付いて離れず、一日中、家の中をぐるぐる回ってどうしようかと悩んだあげく、米一斗(一斗は十升、約十八リットル)を担いで家を飛び出しました。家族に気づかれないように米袋を持ち出そうとして、袋に縄を一本結んでおく余裕もありませんでした。それでも、米袋を肩に担いだまま、つらさも忘れて、勾配が険しい崖道を二十里(約八キロメートル)も跳ねるように駆けていきました。おなかを空かした人たちを腹いっぱい食べさせることができると思うと、気分が良くて、胸がわくわくしました。「平和を愛する世界人として」​第一章 ご飯が愛である

このように見ていくと、堕落前でも堕落後でも、創造原理の用語である霊形体、生命体、生霊体という言葉が出てくることに違和感を感じてしまいます。堕落について探求すると堕落前の人間と堕落後の堕落人間とではあまりに違うことが分かります。サタンの似姿となり本然の人間とは似ても似つかない堕落人間に、本然の人間の霊人体の成長度合いを表わす霊形体、生命体、生霊体という表現を当てはめることができるのかということです。

下記の復帰摂理表示図は堕落前の人類始祖と堕落後の堕落人間による復帰摂理は連続的です。しかし、御父母様のみ言を訓読すると連続的ではないと捉えるのが正解だと感じます。​

復帰摂理表示図

その根拠となるのが次のみ言です。

神様がアダムを造る前に天使を造ったので、今日の宗教は何かというと、天使世界圏を地上に造ったものです。それが宗教世界です。その宗教世界圏内で何をすべきなのでしょうか。アダムを造り出すということをしなければならないのです。それでは宗教の中で世界的中心は何でしょうか。それはユダヤ教です。このようになるのです。そのユダヤ教は何をする宗教でしょうか。新郎を紹介する宗教です。それがメシヤ思想であり、救い主思想です

「真の神様」第三章 復帰摂理歴史と神観の変化 二 主なる神の正体 2.宗教には新婦宗教と天使長宗教がある

宗教の目的とは何でしょうか。アダムを完成することです。また神様の救援摂理の目的とは何でしょうか。アダムを完成することです。神様の目的や天使長の目的がアダムを完成することにあるので、その基準を世界において、霊界と肉界において再蕩減しなければなりません。

霊肉を中心として、サタン世界と天側の天使圏が戦って勝敗を競うというのが第二次大戦であったと見るのです。聖書から見れば、ハルマゲドン戦争なのです。「真の父母様の生涯路程」第一節 解放を前後した摂理的基台 一九四五・八・一五 前後 一 第二次世界大戦とキリスト教文化圏

私達がやるべき三百六十軒家庭教会は、カイン型天使世界に該当します。このカイン型天使世界である三百六十軒家庭教会を成功させれば、アベル型天使世界である自分の氏族は自動的に復帰されます。 

三百六十軒家庭教会を伝道すれば、カイン型天使世界の宗族的メシヤになり、その次に自分の氏族から歓迎され、アベル的宗族的メシヤになるのです。

「真の神様の祖国光復」 第二章 家庭教会は摂理的な内的基盤  四 三百六十軒家庭教会完成 1.三百六十軒の数理的な意味

宗教圏は「天使世界を地上に造ったもの」だとあります。アダムを迎えるための天使圏がユダヤ教であり、キリスト教だということになります。これが選民圏です。選民というのは信仰的に優れた人の集まりという意味ではなく、失われた人間(アダム)を迎えるための天使圏だということです。

また、第二次世界大戦はハルマゲドンであり、サタン世界と天側の天使圏の戦いだとあります。世界大戦は悪の天使圏と善の天使圏の戦いだったのです。

また、ユダヤ民族が天使圏であったように、韓民族という選民も天使圏です。日本もご父母様がエバ国に選んでくださったので選民だと思います。しかしそれは選ばれた人間ではなく、人間(アダム)を迎えるための選ばれた天使圏です。選民ではなく選天使です。

なぜ、『家庭教会』が必要かというと、今までの統一教会の祝福は天使長家庭だからです。堕落する可能性がいくらでもあるのです。なぜ、『家庭教会』か。天使長家庭からアダム家庭に帰らなければ、永遠に地上には天国は顕現しません。・・・天使長の血統をアダムの血統に切り替える復活の理論を知らなければなりません。FAXNEWS106号 1994・9・13 アラスカ・日本家庭協会特別修

今日の統一教会の祝福家庭は長成期完成級で天の側の天使長として結婚した立場です。‥‥‥この家庭は直接、天国に入れないのですが、なぜでしょうか? 現在、祝福を受けていると大丈夫だと思いますが、そうではありません。 ファミリー95年1月 P10

 

祝福家庭は選民以上であることは言うまでもありません。​祝福家庭をユダヤ民族や韓民族と比べる​、あるいは同列に扱うことは余りに愚かなことです。比較の土俵にも上りません。しかしそのように尊い祝福家庭でも人間(アダム)ではありません。上のみ言にありますように、祝福家庭は人間(アダム)の家庭ではありません。天使長家庭なのです。すなわち堕落する可能性がいくらでもある、余りにも不完全な存在です。これは祝福家庭とは重生後の家庭を指すのではなく、罪を清算されて重生に向かって準備している過程にある家庭であることを明確に示しています。

それでは原理講論において本然と復帰が同じ物差しで表記されているのはどうしてなのでしょうか?

それはもし、真実を書いたなら人間の復帰が完結するまであまりにも遠いという残酷な事実を述べることになるからです。復帰を担当する信徒にはすぐにでも天国はやって来るという希望と切迫感が必要なのです。

あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子は来るであろう。』マタイ10:23

「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。』黙示録22:20

という聖書の記述も真実ではありませんが、み旨を成し遂げるためには不可欠なみ言です。

私達、統一食口にとっても同様に直ぐにでも天国ができるという希望と切迫感が必要だったのです。事実、ご父母様も直ぐに天国がやって来るかのようなみ言を多く語っておられます。

食口が作詞した聖歌8番東の勇士にも「夢ならぬ夢が成る新世紀明け
 朝鐘打ち打ち日が昇る」とあります。多くの食口がこのような希望と切迫感をもってみ旨に邁進できたと思います。

しかしお父様の聖和に見られるように、復帰は全く甘いものではなく多大の犠牲がなければ成し遂げることはできないというのが事実なのです。

この線上で見ると、堕落した後も創造原理通りに復帰できるかのように表現している原理講論の文脈も納得できます。事実は本然の人間と堕落人間との間には連続性は皆無というほどありません。本然の人間と堕落人間は全く別の存在です。み旨を熱心に行えば創造原理に従い霊人体が霊形体、生命体、生霊体と成長していくと考えて希望を持ったのです​。しかし、堕落人間という肉体を持った天使の成長期間には全く当てはまらないというのが残念ながら事実です。

また、み旨をする中で堕落性が脱げると信じている方も多いと思います。事実は、信仰生活を通して堕落性の発現が少なくなったり弱くなったりすることはありますがなくなることはありません。

何故でしょうか?

本然の人間(アダム)の本性は創造本性です。

堕落人間(天使長)の本性は堕落性本性です。

堕落人間という存在の属性が堕落性本性なのです。

堕落性本性だけゼロにしようとしても不可能なのです。残念ながらこれが真実です。存在そのものが根本から変わらなければ属性を変えることはできません。

​堕落性から完全に決別する道はたった一つ、天使長から人間(アダム)に生まれ変わることしかありません。

 

一方、天寶重生論序でも述べましたが、僕の僕、僕という旧約圏と養子、庶子という新約圏は、祝福を受けた私たちは蕩減路程としては歩む必要はありません。御父母様を絶対信仰、絶対服従で絶対的に愛すること、すなわち御父母様に命を捧げる基準を立てることで勝利圏を相続できます。これは霊人体が条件的に霊形体、生命体を実現したことになります。また、天寶家庭条件を全うしてお母様から天寶家庭として認定されれば条件的に霊形体を実現したことになります。

これはあくまでも条件的であり天使長基準の霊形体、生命体、生霊体ですが、天使長基準においてやるべき責任はすべて成し遂げたしたことになります。このため、重生の役事を通過すれば本然の生霊体の霊人体として誕生すると考えられます。​そこには堕落性の影は1ミリもありません。

重生総論図2.gif

さて、上図をご覧ください。

上図左上の黄色で示した本然の成長期間の土台となっている白い部分が善なる天使界です。これを復帰するのがその横のグレーの部分です。これは善なる天使界を蕩減復帰する摂理を示しています。善なる天使界とは罪のない天使圏のことです。

本然において、罪の影もない天使圏が存在したうえで独生子、独生女が誕生しました。復帰においても独り子、独り娘を送る前に罪のない天使圏の存在が必須です。これがメシヤのための基台です。メシヤのための基台とはアダムとエバが生まれる前に善の天使圏が存在したことの再現です。

人間は堕落することで肉体を持った堕落天使になりました。天使は僕ですが、堕落した天使は僕以下です。つまり僕の僕です。土より劣る身というのは人間の事ではありません。体を持った堕落した天使のことです。

堕落した後も人間ならば、罪人であっても神様から見れば子供です。僕ではありえません。しかし、人間は堕落して人間ではなく天使に再創造されたのです。復帰摂理は巨視的に見れば堕落人間が本然の人間に復帰するためのものですが、重生するまでの復帰摂理は堕落人間という悪の天使から善の天使に復帰する摂理なのです。

 

​人間が堕落することで善の天使界も破壊しました。そのため善の天使界を復帰することも人間の責任となりました。善の天使界を復帰するとは、罪を蕩減して罪なき天使に戻ることです。

罪の蕩減方式は信仰基台を立てて実体基台を復帰することです。具体的には、天に対する信仰を立てて長子権を復帰することです。ここで言う罪とは原罪以外の罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪のことです。これらは堕落以後に堕落人間が犯した罪です。自分たちで犯した罪は本来、自分たちの責任で蕩減しなければなりません。

長子権復帰によってのみ遺伝罪、連帯罪、自犯罪は清算されます。しかし実際は自力で長子権を復帰することは不可能です。長子権復帰を完結された御父母様と一体となり勝利圏を相続することによってのみ可能です。詳しくは天寶重生論序をご覧ください。

性相95%.gif

長子権はサタンが持っているのでサタンが未練を持つ長子はサタン側であり、天を求める次子アベルは神側です。

これはカイン圏はサタンの欲望に応答する立場だということです。サタンが神様を憎む思いがカイン圏に連結し、カイン圏はアベル圏を抹殺したい、苦しめたい思いが我知らず湧いてくるのです。

​これが、サタンが時空を超越して人間の心霊を支配すると堕落論に書いてある内容です。堕落人間はサタンの主管圏にあるため、サタンの心に静じまた動じます。とくにカイン圏は強く反応します。

 

例えば、第二次世界大戦において日独伊が英米仏に向かって最初に攻撃を仕掛けました。これを政治的、経済的に分析しても正解は出てきません。日独伊がカイン圏としてサタンの欲望に感応したことが根本原因です。言葉を換えれば日独伊(カイン側国家)を使って神側国家(アベル側国家)英米仏を攻撃したい、殲滅したいというサタンの抑えがたい欲望がサタン側国家(カイン圏)を動かしたことが原因です。世界大戦は、一般的に国際環境、国家環境に基づく人間の欲望のぶつかり合いによって起こったと捉えますが、あそこまで殺い合いをする十分な説明にはなりません。日独伊の国々は不思議なほどに抗しがたい思いが湧いてきて突き動かされて侵略を開始したのです。

余談➀:日本の韓国併合もこの線上で捉えるべき時代が来たと思います。これによって日本の罪が正当化されるわけではありませんが、真の父母が降臨される韓国を徹底的に打ち滅ぼしたいというサタンの欲望に突き動かされたカイン圏が当時の日本だったのです。日本人が韓国人に対してなぜあそこまで酷いことができたのか?根本原因は時空を超越して人間の心霊を支配できるサタンの業なのです。これは、サタンがそうするのを神様が裁可されたことを意味します。神様が裁可された上でサタンが人間の心霊を支配しようとする時、これに抗うことのできる人間はほとんどいません。)

(余談:今回の教会叩きも不思議なほどに国民全体が突き動かされて巨大な潮流になりました。これはサタンの業ではなく神様の業です。今やサタンがいないので人間の心霊を支配できるのは神様だけです。心霊が支配されるとあのような異常な社会現象が起こります。詳しくは最終摂理時代Ⅰ、Ⅱ、Ⅲをご覧ください。)

このようにカイン圏はサタンの体と言っても過言ではありません。サタンは時空を超越してカイン圏を自分の体として動かして自己の欲望を実現しようとします。堕落人間は神様の血統ではなくなったので、神様の堕落人間に対する影響力はサタンよりは弱いのですが、それでもアベル圏に対して良心を通して働きかけられます。​

このようにカイン圏とアベル圏の戦いは、サタンと神様を性相とした、性相に主導された形状同士の戦いなのです

 

性相の役割は95%、形状の役割は5%ですが、堕落は形状世界で起こったことなので勝敗は地上で決します。このためアベルがカインを屈服させればサタンに対して神様が勝利したことになります。​

(これは普遍的な性相と形状の原理です。詳しくは潜在意識論Ⅰ潜在意識論Ⅴをご覧ください。)

統一教会は、血筋がどこから始まったのか、神様から始まったというのです。ですからいくらでもサタン世界で反対してみよというのです。反対していたら損害賠償を払うようになるのです

「罪と蕩減復帰」第二章  罪、人間堕落の内的意味  六  真の父母の祝福と血統復帰 1.メシヤとして真の父母が必要だ

神様は、利他主義の立場で再創造摂理をされながら、ために生き、また、ために生きながら、打たれて奪ってくる作戦を取る一方、サタンは自分中心の立場で、先に打っては損害賠償までしなければならない道を歩んできたのです。神様の作戦は、打たれて奪ってくる作戦であり、サタンは打って滅びていくのです。このように、善の側は打たれ、追害され、犠牲を払いながら発展していきますが、サタンはその反対です第一篇 神様 第四章 解放してさしあげるべき神様 第二節 再創造される神様

 

相手を打った場合は、それに対する損害賠償が伴います。損害賠償が生ずる理由はサタン全権時代であっても復帰原理という善の原理が有効だからです。そして命がけで復帰原理を有効にされたのは神様です。

(この理由については堕落の衝撃Ⅱをご覧ください。)

​私はノアの時の洪水審判について、なぜ全人類を滅ぼすに等しいようなことが起こり得たのか、あるいは神様はなぜ審判することができたのかずっと疑問でした。

王権、父母権、長子権という全権を持っているサタンが、サタン世界を洪水で全滅させようとしている神様になぜ文句を言わなかったのかということです。

今回、洪水審判はカインがアベルを殺害したことに対する損害賠償だと気づきました。アベルを殺害した95%の原因は、カインの体を着たサタンの発悪だったからです

善の表示体であるアベルは一人でしたが善の側全体を代表しています。

子孫のいないアベルを殺害することは善の側全体を抹殺することを意味してます。このため神様は、損害賠償として悪の側全体を滅ぼすことができたのです。

さて、カイン圏がアベル圏を憎んで、苦しめ、消滅させたいという思いは底なしではありません。サタンの讒訴条件、すなわち罪の分、恨みの分だけ打ってきます。カイン圏を動かしているサタンが気の済むまでアベル圏を打つか、アベル圏から真の愛を受けることでカイン圏とサタンの恨みが解怨される時に終わりを迎えます。

このようにカイン圏を屈服することでサタン屈服がなされのです。

​カイン圏の屈服=長子権復帰

=サタンの讒訴条件の消滅

=罪の清算完了

=善なる天使界復帰

=メシヤのための基台造成 となります。

​追加事項:上に載せました原理講論の復帰摂理表示図は御父母様のみ言に照らし合わせると論理的に少し問題があることは既に述べました。これは本然の蘇生期が旧約時代、長成期が新約時代に当たるとしていることから生じている問題です。原理講論における復帰摂理は旧約時代、新約時代、成約時代で説明されます。

一方、御父母様のみ言における復帰摂理は縦横の八段階です。縦的八段階のうち、僕の僕、僕、養子、庶子の段階は善の天使長の復帰を意味しています。これは本来堕落人間の責任です。これがメシヤのための基台を作る事です。また、実子、母、父の長子権を復帰して神様を取り戻すことは独り子、独り娘にしかできないことです。

原理講論の復帰摂理の記述はメシヤのための基台の復帰がすべてです。すなわち失われた天使圏の復帰についての記述です。本然の蘇生期、長成期とは全く違う次元の話です。天使圏の復帰は、僕の僕、僕の長子権の復帰のことです。メシヤ(アダム)は天使長圏の基台の上に降臨されるので、本来、罪なき僕圏(勝利した選民圏)があればよいのです。

​しかし、実子のイエス様が来られることで、信徒が実子イエス様を受け入れるならば、血統は違うけれども信徒を子供のように感じる心情圏が神様に生まれました。これが養子圏です。イエス様は真の父ですが、相対である真の母がいません。信徒の父は真の父ですが、母は堕落世界の母なのでいくら信仰を積んでも庶子にしかなれないのです。これが庶子圏です。

養子圏、庶子圏は堕落世界に既に存在していますが、神側ではイエス様の登場をもって始まりました。イエス様以前には神側には養子や庶子はいないのです。神様から見るとイエス様以前の選民はいくら信仰的でも僕としてしか感じられらないのです。(神側の実子、母、父の段階も独生子、独生女が現れるまでは存在しませんでした。)

養子、庶子という言葉は実子とは血統が違うことを意味する言葉です。これは神様から見て心情的に養子や庶子として感じるところまで来たとしてもやはり実子ではなく天使であることを意味しています。このため、新約時代においては養子や庶子の長子権も復帰して善なる天使界を復帰した基台がないと実子であるメシヤが降臨できないのです。

旧約時代の天使圏が僕の僕圏と僕圏でしたが、新約時代の天使圏は旧約時代の天使圏の上に立っており養子圏、庶子圏となります。

復帰摂理表示図gif2.gif

イエス様の第二次世界的カナン復帰路程が、洗礼ヨハネの失敗によって基台となるユダヤ教の基台が失われ、メシヤ(アダム)として立つことができなくなりました。そこでメシヤ(アダム)の立場ではなく洗礼ヨハネ(天使長)の立場で僕の僕から再出発されました。同様に、真のお父様も天使長圏であった既成キリスト教団(養子圏)、アベル型キリスト教団(庶子圏)の失敗によってメシヤ(アダム)の立場は失われました。これは養子圏、庶子圏のみならず僕の僕圏、僕圏の天使長基盤も失われたことになります。

つまり、真のお父様は一から全部やり直す道を行くことを余儀なくされました。

​僕の僕圏の長子権、僕圏の長子権の復帰のための歩みが1948年2月22日からの平壌内務省から始まって1950年10月14日の興南解放までの期間です。解放後から1954年5月1日の教会設立までの期間が養子圏、庶子圏の長子権を復帰する期間です。

​これをもってお父様は1945年と同じ実子の立場に復帰されました。

詳しくは総論Ⅳ 御父母様による神様の怨恨の実体解怨 前編(会員)をご覧ください。

さて、復帰摂理において重要なことは、メシヤのための基台の復帰が完了した1954年5月1日からの実子、母、父、から神にいたる段階は堕落人間が歩むことはできません。これは天使長の罪の蕩減ではなく人類始祖アダムとエバの蕩減路程です。独り子、独り娘はアダムとエバが神様を地獄に落としたので、それを蕩減するための蕩減路程を行かなければならないのです。地獄の神様を救い出すためには独り子、独り娘も地獄に行かなければ成し遂げることができません。もっと端的に言えば、神様が独り子、独り娘を地獄に落とすことで蕩減復帰が出発します。

​このように1954年5月1日からの路程は、それまでの天使長の立場でメシヤのための基台を復帰する路程とは別次元です。つまり連続性はないと言っても過言ではありません。このため上図では上下間に隙間を置いて連続的ではないように描きました。

復帰の目的地は直接主管圏.gif

​さて、ここで重要なことは、人間の復帰は長成期完成級に到達すれば終わるわけではないということです。

人間がサタンと結婚して堕落しました。本来結婚は直接主管圏を意味します。神様がアダムの体を着てエバと結婚するのです。これが直接主管圏です。堕落はサタンがアダムの体を着てエバと結婚したことです。このため復帰は神様の人類始祖に対する恨みを解いた後に、神様が独り子の体を着て独り娘と結婚することで完全に蕩減されます。

つまり本然の結婚によって直接主管圏に行くことでしか復帰は完了しないということです。

1960年のご聖婚において真の父母様は直接主管圏には入っておられません。心霊的には直接主管圏に行くのに十分な基準でしたが、この時点では神様の恨が解かれていないのです。この恨の原因はアダムとエバの堕落です。神様のこの恨は再臨した独り子、独り娘に向かうのです。強い恨がある相手と結婚することはあり得ないのです。この恨が完全に解かれるまでに真の父母様の人生の大半が費やされました。心のしこりとなっている恨は神様でもご自分の力では解くことができないのです。最後はお父様が2012年にご自分の命を差し出すことで神様の完全解怨と本然復帰が実現したのです。

これにより2013年の基元節において神様と真の父母様の結婚式、天地人真の父母様聖婚式が実現したのです。そして真の父母様は神様の直接主管圏に入られました。このため基元節は永遠の記念日となるのです。

真の父母様が直接主管圏に入られたので私たちが完全な救いに至る道も開かれました。私たちは天寶家庭になるという御父母様の路程に比べればあまりにもわずかな精誠条件でそのすべての勝利圏を相続できます。

 

​祝福を受けることで私たちは僕の僕、僕、養子、庶子の路程が免除されます。これらの路程はメシヤのための基台造成に必要な路程です。メシヤのための基台がなければメシヤにつながって祝福を受けることはできません。このため私たちが祝福を受けることができたのは、私たちが僕の僕、僕、養子、庶子の長子権を復帰した立場に立ったことを意味します。私たちは何も知らずに祝福を受けたのですが、すべて真の父母様によって与えられた驚異的な恩恵なのです。真の父母様が私達に祝福を与えるためには、僕の僕、僕、養子、庶子の蕩減路程が残っていては与えることができないとも言えます。このため私達に直系の子女としての立場を与えて祝福してくださったのです。

私たちは歴史的な中心人物たちが命を捧げて歩んできた僕の僕、僕、養子、庶子の路程を一気に飛び越えて実子圏に入ったのです。祝福家庭はユダヤ民族、キリスト教徒、韓民族などの選民の価値とは次元が違うことをご理解いただけると思います。祝福家庭になったにもかかわらず、自分がキリスト教徒であったことや、韓民族やユダヤ民族につながる血統であることを誇ることはあまりに愚かなことなのです。

祝福家庭は、イエス様が右側の強盗に「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」と言われたよりもずっと価値のある祝福を頂い事を意味しています。

私たちが真の父母様を迎えるようになれば、僕の僕として来た人も、僕として来た人も、養子として来た人も、みな直系子女としてその価値が上がるようになります。そうでなければ、真の父母と連結されず、関係を結ぶこともできないのです

第八篇 信仰生活と修練 第三章 真の父母の似るための信仰生活 第二節 真の父母を迎えるための路程3 1970.12.6

私たちが自己の責任分担として成すべきは実子、母、父の蕩減路程なのです。これは縦的な条件ですが、横的な蕩減条件としては氏族次元までです。これらが天寶家庭登載条件です。

先生が国や世界、天地の責任分担まですべて蕩減したので、皆さんの家庭が蕩減することによって、このすべてを蕩減できる祝福を与えたという事実に対して、感謝しなければなりません。言い換えれば、先生自身が国家や世界、霊界まで動員してすべて蕩減復帰したので、皆さんが家庭基準の蕩減復帰さえ果たせば、これをすべて相続してあげるというのです。家庭の五パーセントが残っているのです。

第九篇 家庭教会と氏族的メシヤ 第一章 家庭教会 第一節 家庭教会の摂理的意義18 1982.7.11

天寶家庭の縦的横的長子権復帰.gif
イエス様誕生へのヤコブ家庭の秘密.gif

さて、イエス様がサタンの血統とは一切関係のない完全な神様の血統としてお生まれになった経緯は聞いておられると思います。

​ヤコブ路程からイエス様誕生に至る血統転換の路程は、実子、母、父の長子権復帰の路程として説明できます。この路程は私達の重生への道と密接に関係しています。

 

ヤコブが兄エサウから長子権を復帰します。これは実子圏での長子権復帰です。ヤコブはパンとレンズ豆のあつものでエサウから長子権を復帰しようとしますが失敗してハランの叔父ラバンの元に行きます。これは21年路程として長子権復帰の二次路程という意味がありますが、母の段階での長子権復帰の路程でもありました。叔父ラバンを愛で屈服して、ラバンの妹である母リベカが兄ラバンに対して姉の立場に立てることが天の願いでした。これが母の段階での長子権復帰です。母の段階とは自分より一段上の母の世代の長子権復帰をする段階です。

 

ヤコブのハラン路程はエサウを屈服する前なので難しかったわけですが、エサウと一体化した後でも母方の長子権を復帰すべきでした。それができたなら父方の伯父であり父イサクの兄であるイシマエルを愛で屈服して、父イサクをイシマエルの兄の立場に立てるべきでした。これができていたなら実子、母、父の段階の長子権を復帰したことになり縦的なサタン不可侵圏ができ上ったことになるので、後は横的なサタン不可侵圏だけができれば、ヤコブの子孫にメシヤが誕生することができたと考えられます。すでに母方と父方の一族が復帰されていることになるので、ヨセフがエジプトに行ったり、モーセが民族を引き連れて出エジプトするなどは必要なかったのです。カナンで一族が大きくなれば横的サタン不可侵圏は自然にできるので一族の祝福の中で独生子、独生女が誕生したのです。そこには十字架の路程などあり得ないのです。

実際は、ヤコブは実子段階の長子権復帰のみを成し遂げたので、母圏、父圏の復帰は別の人物が担当しました。

母圏の長子権復帰を担当したのはタマルでした。彼女は子女を宿す母の立場で誰よりも命を懸けて天の血統を愛する母の基準を立てました。それで母の長子権を復帰できました。そしてこの基準を受け継いだのがイエス様の母マリアでした。

​父圏の長子権復帰を担当したのはザカリヤでした。聖書には詳しい記述はありませんが、誰よりも天の血統を愛する父の立場を勝利したのです。彼が旧約時代最大の人物である洗礼ヨハネの父であることがそのことを示しています。

皆さんは、世界的問題をかけて、蕩減路程を歩んでみましたか。僕の僕からカイン・アベルを中心として息子になり、エバ圏、アダム圏を中心として、神様に帰らなければなりません。万有の主人である神様に帰らなければならないのです。そのような時が来るというのです。その次に、縦的な一つの心情圏を探し出したので、これを中心として個人、家庭、氏族、民族、国家、世界を包括して余りあるようでなければなりません。有史以来、先生が数千年の恨を抱き、蕩減復帰のために立ててあげた氏族的メシヤ権の驚くべき内容を忘れてはいけないというのです第九篇 家庭教会と氏族的メシヤ 第二章 氏族的メシヤ 第一節 氏族的メシヤの宣布26 1990.1.20

Microsoft PowerPoint - 愛から見た神様 重生実現2_4.gif

御父母様の次のみ言を読むと蕩減復帰について良く分かります。

氏族的メシヤ権を皆さんに与えたことは、歴史上の数多くの宗教を総合した公義の実績をすべてもってきてあげたということです。アダムが堕落せず、ノアが失敗せず、アブラハム、イサク、ヤコブが失敗せず、モーセが失敗せず、イエス様が失敗せず、先生が失敗せず、苦労の十字架を負わず、受難を受けなかった歴史時代の全体を、解放された場で備えたその結実を、何も知らない皆さんにもってきてあげたのです。

第九篇 家庭教会と氏族的メシヤ 第二章 氏族的メシヤ 第一節 氏族的メシヤの宣布31 1990.2.4

これは私が勝手にイサクの法則と呼んでいるものです。アブラハムは象徴献祭に失敗して摂理は終わったかのように見えましたが、イサクが実体献祭で自分の命を捧げる基準を立てることで、アブラハムの失敗を蕩減して失敗しなかった立場に立てました。そしてイサクがアブラハムの位置を継承したのです。これは蕩減復帰において適用される重要な法則です。

本来、アダムとエバの堕落以後の罪は堕落人間が行ったことなので堕落人間が自分で清算すべきものです。しかし、メシヤに勝利圏を連結する段階で既成キリスト教団、アベル型キリスト教団がメシヤを受け入れず拒否したことで、メシヤがご自身でもう一度すべてを蕩減復帰することが必要になりました。これが上記のみ言です。

真の父母様の蕩減路程は、復帰摂理を担当してきた中心人物の失敗を、ご自身の犠牲と精誠条件によって次々と失敗しなかった立場に立て、その位置を継承することで成して行かれました。こうしてアダムとエバの堕落の罪以外のすべての罪を蕩減されました。これが1954年5月1日の教会設立の時点です。

この地点ではアダムとエバの堕落の罪だけが清算されていない状況です。一見、復帰のほとんどが終わったかのように見えますが、ここからの路程が想像を遥かに超える峻烈を極める路程の始まりだったのです。

​この部分は総論Ⅳ御父母様による神様の恨の実体解怨路程をご覧ください。

アダムとエバの蕩減を完全に清算した時点が基元節です。

神様と真の父母様の結婚式がなされ真の父母様が直接主管圏に入られることで、この日にアダムとエバが堕落しなかった立場に立て、人類始祖の立場がアダムとエバから真の父母様に完全に継承された日でもあったのです。それが実現したことを示す言葉が天地人真の父母です。これは人間が神様と一体化して完成したことを示す言葉です。

その次は私達が直接主管圏に行く番です。

御父母様の勝利圏を相続することが重生に必要な全てですが、そのためには解決しなければならない重要な課題があります。それは私たちが何百代何千代の先祖の結実として存在するので、真の父母様という人類始祖の所に直接行けないということです。つまり、人類始祖である真の父母様と私達の間に無数の先祖が挟まっていると言ことです。

これを上へ上へと上っていって人類始祖である真の父母様に直結しなければ重生することはできません。上へ上へと上っていく唯一の方法は長子権を復帰することです。

 

​例えば親子の世代差を約20年とすると、7代前は明治時代だと思われます。自分が7代前までの先祖達を先祖解怨、先祖祝福することで、その先祖たちは原罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪が清算されて堕落しなかった立場に立つことができます。

こうして7代までの先祖を堕落しなかった立場に立てることができるので、先祖解怨、先祖祝福した私が7代前の先祖の位置を継承することができるのです。

私たちは真の父母様から祝福を与える権能を与えられています。これはイエス様が弟子たちに与えられた権能よりも遥かに大きな権能なのです。

イエス様が失敗したのち、皆さんに氏族的メシヤを委任し、堕落したアダムと同じように自分を中心として結婚した自分の父母を、今の時を迎えて祝福という神様の天恵によって、堕落していない父母の立場に立てるというのは、途方もないことです。夢のような話だというのです。そのようなことを完成するために氏族的メシヤを宣布しました。

第九篇 家庭教会と氏族的メシヤ 第二章 氏族的メシヤ 第一節 氏族的メシヤの宣布11 1989.2.5

 

祝福の権能によって先祖を次々に堕落しなかった立場に立て、先祖のはしごを上に上にと上っていってすべての先祖の頂点に立つことができれば、そこでやっと人類始祖である真の父母様の直前の位置に到達するのです。

​これは過去の先祖の先祖になることなので一種のタイムトラベルです。

 

皆さんは、お父様、お母様に会うためにどのようにしなければならないでしょうか。皆さんは、御父母様の前に直接出ることはできません。皆さんは血統が違うので、入籍するまでは相続権をもらうことはできません。「祝福家庭」第四章 祝福家庭と入籍 二 入籍のための条件 1.所有権、血統圏、心情圏転換 ②血統転換

僕の僕から僕へ.gif

て、ヤコブの例をもう一度振り返ってみると、ヤコブは叔父ラバンを屈服して母リベカを叔父ラバンの姉の立場に立てる必要がありました。同様に、伯父イシマエルを屈服して父イサクを伯父イシマエルの兄の立場に立てる必要があったのです。

これは考えただけでも至難の業です。

 

例えば、両親を祝福したとしましょう。父親は4人兄弟の3番目、母親も4人姉妹の3番めだとしましょう。父の上の世代に上るには父が兄弟の中の3番めではなく長子である必要があります。母の上の世代に上るには母が姉妹の中の3番目ではなく姉妹の中で長子である必要があります。

自分が勝利するには出ていかなければなりません。出ていって長子権を復帰しなければなりません。長子が弟のような次子を兄として侍り、祝福はすべてお前によって受けるというほどにならなければなりません。そうして長子が次子の立場に来て、次子が長子の立場に上がらなければなりません。そうして長子が「お前が私の代わりに上がりなさい」と押し出してくれて初めて長子権氏族から長子権民族へと進みます。こうして初めて一段階ずつ上がっていくのです。長子が代わりに押してくれてこそ上がっていくのです。そのままでは上がっていくことができません。このような原理的な内容があるがゆえに、この内容をもって長子権復帰基準を完成しなければなりません。そうせずしては神様の摂理を成し遂げることができないというのが歴史の秘密です。「罪と蕩減復帰」第三章 蕩減と復帰の公式 四 長子権勝利と父母権、王権復帰 1.長子権復帰

縦的に僕の僕から僕に上がる、横的に氏族レベルから民族レベルに上がるには、僕の僕たちの中で一番、氏族レベルで一番になる必要があります。心情屈服して一番になることで、僕の僕圏の人々が僕圏に押し上げてくれるのです。また、氏族圏の人々が民族圏に押し上げてくれるのです。

このように縦的にも横的にも一段上がるというのは気が遠くなるほどに困難な世界です。

しかし私たちは、祝福の権能によってこれが簡単にできてしまうのです。

​何故でしょうか?

サタン主管と神主権での祝福の恩恵の差.gif

サタン主権時代の祝福はサタンが長子権、父母権、王権を持っていたため、神様と父母様から祝福されても長子ではなく次子としての祝福だったためです。

しかし、

1989年8月31日 縦的横的八段階の長子権復帰宣言 八定式

1999年のサタン屈服

によって神様が長子の立場に立たれたので神様と父母様から祝福されると堕落しなかった立場に立つと同時に長子の立場を付与されるのです。

これは歴史的大事件だったのです。

これにより兄弟がたくさんいて末っ子であっても、祝福を受ければ長子なのです。なぜなら他の兄弟はサタン圏なので次子となるからです。

この勝利により霊界の先祖を祝福することで先祖を次々に長子の立場に立て先祖の階段を上って人類始祖である真の父母様にまで到達する道が開けたのです。それで清平修錬院で1999年2月12日に初めて先祖解怨式が挙行され、先祖祝福式は同年の12月12日に挙行されるようになったのです。

私たちはこのような絶大な力を持つ祝福を授ける権限を与えられたのです。私達の父方、母方の先祖は長子の人もいるでしょうが、ほとんどの人が兄弟の中では弟や妹の立場だったでしょう。しかし、私たちが先祖祝福した瞬間に全員が長子になるのです。

 

前述しましたように、僕の僕の長子の立場になれば僕に上がれるのです。

氏族の長子の立場になれば民族に上がれるのです。

同じ原理で、兄弟の長子になれば一世代上にあがれるのです。

この原理があるので、神様主管圏の祝福はその人を堕落しなかった立場に立てると同時に長子の立場に立てることができるのです。

これにより先祖解怨、先祖祝福をすることで先祖の階段を上へ上へと上っていけるのです。こうして祝福の夫婦が先祖圏の頂点に立つことができるのです。そして人類始祖である真の父母様に直結することが許されるのです。

そのことを示す図が下記です。

​堕落の系統図の末端から真の父母様の御前にワープです。

真の父母様に直結するには.gif

さて、ここでイエス様誕生に至る母と父の段階について見てみましょう。

母の段階の長子権復帰は胎中転換によるサタン分立です。これにより胎中聖別がなされました。また父の段階の長子権復帰は父の種の聖別です。これによりタマルの勝利を相続したマリヤの胎中が聖別され、ザカリヤの種が聖別されました。そこから本然の人間としてイエス様が誕生されます。

​私たちもイエス様と同じように本然の人間として誕生するためには、まず実子の勝利者として重生の準備を整えます。これはヤコブがエサウを屈服して長子の立場に立ったのと同じです。

​祝福家庭は神様主権の恩恵で祝福を受けるや否や実子であり、兄弟が何人いて末っ子であったとしても長子です。ここから長子の勝利者に向かいます。これには自分の命よりも真の父母様を愛したという一点が必要です。

皆さんは、まず、皆さん自体を天のみ前に、誓いの条件物として立てようとしなければなりません。イエス様も世界のために、天地のために、あるいは多くの人のために、ただ一度誓いの条件を立てましたが、それが何かといえば十字架です。イエス様は、この十字架を通して、数多くの先知先烈(先駆けて道を悟った先人、義のために命を捧げた烈士)が命を捧げて苦労してきたその基準を一時に乗り越えたのです。ですから、皆さんは、宇宙的な生の価値を実現するために、今後、ある一時、天の前や世界の前に、または個人の前に捧げられる一つの誓いの祭物になろうという観念を、はっきりともたなければなりません。

第八篇 信仰生活と修練 第二章 心と体の修練 第四節 心の修練37 1957.1.6

 

神様の愛を受けようとすれば、世の中のものをすべて否定し、神様を愛することに生命を捧げなければなりません。まず神様と愛の関係を結ばなければならないのです。神様の愛を受けようとすれば、自分の生命を投入しなければなりません。そのようにすれば、生命力が比例して投入され、入ってくるのです。

このようにして、神様の生命と自分の生命が一体になれば、初めて、堕落する前の息子として、神様が信じることのできる息子として復帰されるのです。こうして信仰基台が立てられます。信仰基台が立てられたというのは、条件的な立場で神様を不信することによって堕落した者が、信じることのできるアダムの位置、すなわち希望的なアダムの位置に再び立ったということです第四編 真の人間 第三章 真の人間に復帰する道 第二節 祝福を通した復帰の道1 1971.2.6

​次に母方430代までを解怨、祝福したという母の勝利者としての条件によって真のお母様の胎中に入ることができる基台が整います。そして父方430代までを解怨、祝福したという父の勝利者としての条件によって真のお父様の種に帰る基台が整います。それによって縦的父母である天の父母様の胎中と種に帰ることができます。

​こうして重生するための条件が整います。

​天の父母様の胎中と種に到達すれば、天のお父様の種を頂いて天のお母様の胎中で育まれ、次に真のお父様の種を頂き、真のお母様の胎中で育まれて再度生まれることができます。

 

上記は縦的な必要条件ですが、横的な必要条件は氏族次元のメシヤのための基台のことです。つまり善の天使長圏のことです。アダムとエバが誕生する前の善の天使長圏があったことを蕩減復帰するものです。

これが地上圏の43家庭と430家庭です。これは勝利基準の拡大と共により小さな条件で良しとされます。

 

これらが堕落人間であった「私」が本然の人間として再誕生する仕組みです。これを一言で言えば天寶家庭登載条件です。

​天寶家庭に登載されるということは、重生に必要な条件を全うしたことを意味しているのです。

愛から見た神様 重生実現_8.gif

ここで重生が行われる要件について振り返ってみましょう。
上図には真の父母様の勝利の道筋とその相続の道が描かれています。
​真の父母様の勝利は基元節につながっています。そしてその勝利圏を相続するのが下記の図の黄緑色で囲まれた部分に当たります。
真の父母様が行かれた道は、実体的蕩減の道を行ってアダムとエバの堕落から生まれたあらゆる蕩減を完全に清算して直接主管圏に行く道です。
一方、私たちが行く道は象徴的にその道を相続する道です。
しかし、象徴的であったとしても直接主管圏まで到達したという条件を立てる必要があります。

これには重生に向けての重要な意味を含んでいます。
それは、本然の人間の誕生は直接主管圏でなされるものだからです。重生は再誕生なので象徴的であったとしても直接主管圏に到達したという型(象徴的条件)が必須なのです。
これが天寶家庭登載条件です。
これを全うすれば象徴的に直接主管圏に入る条件が成立するので、誕生と逆の経路として、お母様の胎中という直接主管圏に入ることができる条件を立てたことになるのです。
​本然の人間の生命誕生は、直接主管圏にいる完成した母の胎中で起こります。このため、その誕生した生命は直接主管圏にいることになるのです。一生命として再誕生するためには直接主管圏に存在することが必要なのです。

​これは象徴的に直接主管圏に到達したという条件である天寶家庭条件が真の父母様から提示されていなかった過去の時代においては、重生することは不可能であることを示しています。また、天寶家庭条件が示された今の時代は重生実現時代に突入していることを示しています。

Microsoft PowerPoint - 愛から見た神様 重生実現総論用_2.gif
天寶登載家庭と重生

堕落は長成期完成級で起こったサタン中心の堕落愛による創造です。
これは再創造においても一細胞からしか再創造できないわけではないことを意味しています。私たちは既に肉身を持って生まれているので、今から一細胞に戻ることは不可能です。しかし、堕落によってアダムとエバが成長期の途上であったのにサタンの生命として創造されたということは、すでに生まれている人間も堕落と逆の経路で本然の人間として再誕生する道があることになります。

​人間の再誕生は心情的には次のみ言にあるような世界を通過します。
 

血統的転換を成すためには、アダムの骨髄まで、骨肉の中心部まで入っていって、将来の赤ちゃんとなるその種に神様の愛と結束した勝利的条件を充足させなければ、神様の子女として生まれることができません。これは理論的に間違いないというのです。聖書に、そのようにしてきた記録があるでしょうか。あるとするならば、聖書は神様のみ言だということです。「祝福家庭」第一章 二 真の父母と重生と血統転換 1.真の父母はどんなお方か ①真の父母は原罪のない始祖

 

私たちが氏族的メシヤの使命を実践することによって、重生が成されます。重生、再び生むことのできる道が生じます。お母様のおなかの中に入るのです。家庭的メシヤから氏族的、国家的、世界的、天宙的メシヤまで、お母様のおなかの中を通して、頂上の神様とお父様とお母様が愛し合える位置に行き、その色に染まって出てこなければなりません。ですから、左側に入って再び回って出てきて、家庭のお母様のおなかの中から出てこなければなりません。

家庭から出発したので、本然の基準に戻ってすべてのものを清算して現れるとき、サタンとは全く関係のない基盤になるのです。そして、重生の生みの苦しみを体験しなければなりません。そのようになることによって、祝福を受けた家庭は、真の父母になるのです。サタンと永遠に関係のない新しい出発ができる神様の直系子孫の立場に至って真の父母になり、その一族は、真の父母一色となって天国に直行できる氏族になります。第八篇 信仰生活と修練 第三章 真の父母の似るための信仰生活 第三節 真の父母を通して生まれ変わる路程2 1995.10.29

実際の重生には、心情的な世界が整うだけでなされません。実体が必要です。堕落においてはアダムにサタンが入って偽りの父の立場になり、エバにサタンが入って偽りの母の立場となることで、アダムとエバという本然の人間がサタンの血統に生み変えられたのです。

重生においても神様を中心として真の父の立場の人間と真の母の立場の人間が必要です。これが天寶家庭の夫と妻です。

天寶家庭として象徴的に直接主管圏に到達したという条件を全うしているので、天寶家庭の夫と妻に神様が入られて再創造の役事が起こることになります。つまり天寶家庭の夫は真の父の立場であり、天寶家庭の妻は真の母の立場でなのです。

​重生許諾の時が満ちて天寶家庭の夫婦が愛しあうときに、その夫と妻は先ず、二人とも双子のように真の母の型である妻の胎中に入っていきます。次に真の父の型である夫の種に到達します。そこから天の父母様の胎中と種に連結し、天の父母様につながった真の父の代身である夫の種として戻ってきて、天の父母様につながった真の母の代身である妻の胎中を通して二人一緒に再誕生するのです。

​このすべての過程が、神様が体を着られた天寶家庭夫婦が愛しあう愛の絶頂点で起こるのです。

アダムとエバが神様と生命一体、愛一体、血統一体、このように和合した喜びとともに爆発して、蘇生するところから生まれるべきなのが私たち人類です。これがアダムとエバの子女になることであり、神様の孫になることです。「宇宙の根本」第二章 (2) 神人一体の拠点

天寶家庭は真の父母の代身.png

最後に重生するためにどうしても必要な環境があります。
それは国家です。本来、父国と母国の主権復帰による父母一体の真の父母国の創建が必要十分条件だと考えるのが妥当です。
しかし、真の父母様の精誠による復帰摂理の進展によって、父国、母国の両方の国が復帰統一されなくても重生が実現する状況になってきたと感じています。

国家の形成要件は主権と国民、領土です。
お母様はただひたすら重生実現に向かっておられます。
堕落人間を本然の人間に生み変えるまでは死ぬに死ねない、神様と真のお父様に合わせる顔がないと思っておられます。
そこで、真の父母国の縮小体を作る事で実現しようとしておられるように思います。いわば契約の箱のような縮小体国家です。
その領土が清平聖地です。
主権を表すのが正天宮です。
あとは国民を象徴する天苑宮と天寶家庭です。
天苑宮は国民を統治する行政機関であり、その中に神様をお迎えする天一聖殿があります。
契約の箱国家ともいうべき実体天一国の最後のピースである天苑宮と天一聖殿ができれば国家の三要素がそろい実体国家が出現します。それが今年2023年の5月5日です。
そこからすぐに重生が始まるのかはまだ分かりません。しかし時間の問題です。
​重生が始まればイエス様や真の父母様のような本然の人間が次々と登場します。世界の人々は歴史的な奇跡を目撃することになります。人々が次々に押し寄せてきます。天国はすぐそばに来ています。
​復帰摂理はいよいよ終わろうとしています。
 
黙示録21:2-7の預言がついに実現しようとしています。全人類が堂々と「私は神の子だ」と言える時が近づいています。
 
また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。
また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。
そして、わたしに仰せられた、「事はすでに成った。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。
勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。
わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる

天苑宮.gif
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