
復帰摂理も最終コーナーを回ってラストスパートの時を迎えています。
一方で食口の高齢化が進み、モーセの最後のように志半ばで霊界に行くことを余儀なくされる事態も起こってきています。お母様も80歳を越えられました。
この状況ではじっくり腰を据えて取り組むというよりも、短期間でやるべきことを成し遂げることが必要です。モードを短期決戦モードに切り替える必要があります。
お母様の言われる2025年よりも早い勝利を目指すことが私達の行くべき道です。
多少毎日の密度が上がり、活動量が多くなったとしても短期で勝利した方が良くないですか?
最近それを実践してみると、悲壮な感じになるのかと思いきや、反対に毎日がかなりハイな気持ちになります。心が明るくなり清々しい気分です。悩みが弱くなり勝利への確信が強くなります。
この章には短期決戦勝利に必要な内容が詰まっています。私が10年かけて得た内容ですが、今になってこれはこの短期決戦のために天が用意してくださったものだと確信します。しっかり理解していただくためにはリンク先も含めて手間がかかります。しかし、これは最短ルートを駆け抜けるために必要なものです。
忍耐強く取り組むだけの価値はあります。
それではご覧ください。
起死回生の逆転勝利には勝利圏の相続以外にない
み言全般を見てみると、重要な一つの概念に気づきます。それは勝利圏の相続という言葉で表すことができます。サタンに対する勝利圏を最初に立てられたのは神様です。神様が絶対愛でサタンを愛し続けてこられたことが勝利圏の中心です。この勝利圏を相続することがメシヤの重要な責任分担です。ヨハネ5:19の「よくよくあなたがたに言っておく。子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。」という聖句は正にそのことを表わしています。しかし、イエス様は神様の勝利圏を相続する前に殺害されてしまいました。真の父母様はその道を受け継ぎ、神様の勝利圏を完全に相続されました。それは神様との完全一体化によって実現しました。
このように見ると、私達の責任分担は真の父母様の勝利圏を相続することだと分かります。
現時点で、それができているかいないか、私達の本心は良く分かっています。
私達は勝利すべき課題をたくさん持っています。個人的、家庭的なことから教会次元、国家次元、天宙次元に至るまで勝利すべき責任があります。
しかし、皆様も今まで様々頑張ってこられたと思いますが、勝利したことがある方も天の願いからすれば十分ではないと感じておられると思います。何かを根本的に変える必要があります。どうすれば良いのでしょうか?
復帰摂理歴史を通して劇的に一気に勝利した例があります。私達には時間がないのでこれはとても参考になります。
例えばイサク献祭です。アブラハムは三種の供え物を捧げることに失敗し、絶体絶命の状態でした。後ろは断崖絶壁で追い込められた状態でした。このような中、イサク献祭で大逆転の勝利をすることができました。
それではイサク献祭で起死回生の勝利ができたのはなぜなのでしょうか?それはイエス様が言われたとてもインパクトの強いみ言「死なんとする者は生きる」という原理によります。実はこれは原理というより愛について述べた内容なのです。
簡単に言いますと自分よりも神様を愛せるかという内容なのです。自分を愛するよりも神様を愛する愛が強いという姿を現すことで、生きるのです。
これは神様の愛の伝統です。アブラハムもイサクも自分の命を愛するよりも神様を愛したことで、神様の愛の勝利圏の一部を一気に相続できたので大逆転できたのです。
イエス様の右側の強盗のケースも典型的な例です。右側の強盗は強盗と言うくらいですから、人の家に侵入して物品やお金を奪っていたのです。その過程で人を傷つけたり殺したりしたことがあるかもしれません。地獄に行くしかない立場でした。しかし、イエス様と死を共にした事で一気にイエス様が到達された霊的勝利圏を相続し、イエス様と共に楽園に行ったのです。これも右側の強盗の死を超えた愛による勝利圏の相続です。
右側の強盗は自分の命よりもイエス様を愛することで一気に勝利圏の相続を成し遂げたのです。
勝利圏の相続は勝利した存在を自分の命よりも愛することで達成されるという普遍的な法則があります。勝利者に自分の命を捧げることで自分が完全に空の器になり、そこに勝利者を迎え入れることができるからです。それにより勝利者と自分が完全一体となることで勝利圏が伝授されるからです。
責任分担完遂もこの方式と同じです。真の父母様の歩まれた路程は神様に全てを捧げることで完全な空に器を作り、そこの神様を迎え入れることで勝利された路程と見ることができます。
さて、私達は真の父母様の何を相続できるのでしょうか。祈りの時に勝利された天地人真の父母様と良く唱えますが、真の父母様の勝利圏とは何なのでしょうか?勝利圏は数限りなくありますが、代表的な二つを挙げてみます。
① 僕の僕、僕、養子、庶子(に属する全人類の罪、私達が持っていた遺伝罪、連帯罪に当たります。)、実子(アダムとエバの子女としての罪)、母(人類の母たるエバとしての罪)、父(人類の父たるアダムとしての罪)、神(サタンが人類の偽の神の立場で行った罪=サタンは人間の堕落の産物なのでこれも結局人間の罪です)
これら全ての罪が神様の心情を著しく蹂躙したこと、これが罪の本質です。
「原罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪は祝福で完全消滅」に詳しく述べましたが、人間の原罪はもちろんの事、遺伝罪、連帯罪、自犯罪においてもこれを蕩減精算できるのは真の父母様だけです。一番軽いとされる自犯罪ですら自分では蕩減できません。自分の犯した罪が何であるのかはっきりわかる人は誰もいません。分からなければ蕩減できるはずがありません。自犯罪については告白文を書かれたと思いますが、これは告白することで真の父母様に清算していただくためです。
私達は過去から現在に至るすべての罪を背負い清算するだけの精誠条件を立ててくださった真の父母様と一体となることによってしか罪の清算をなす道がありません。
清平役事が自分の遺伝罪や連帯罪の清算の場だと思っている方もいますが、これも違います。先祖解怨や先祖祝福による罪の清算はその恩恵を受ける先祖に対してなされるものです。その先祖自身が持っている原罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪の清算のためです。先祖の解怨祝福をすれば、先祖から遺伝され自分に定着した遺伝罪や連帯罪が清算されると考えるのは間違いです。
自分自身の原罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪は、自分が真の父母様から全人類の罪の清算の恩恵の相続を受けて初めて実現します。
これは聖酒式、祝福式などによって勝利圏の相続を受けることで実現します。しかし、その恩恵を命よりも信じないと罪が残っているかのような現象が現れるかもしれません。このように罪の清算も勝利圏の相続によってなされるのです。勝利圏の相続は命よりも真の父母様を愛することで実現します。真の父母様に命を捧げる決意をすることで享受できる罪の清算の恩恵は、蕩減条件をすべて支払いましたという恩恵の相続です。驚くべき恩恵です。
あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。
よくあなたに言っておく。最後の一コドラントを支払ってしまうまでは、決してそこから出てくることはできない。マタイ5:24-25
下記は重生についてのみ言ですが、重生するための勝利圏の相続には生死の境に行く必要があるとあります。生死の境に行くことは重生についてのみならず、勝利圏を相続するすべての場合に当てはまると考えられます。
サタンの血統を取り除いてしまうことは、メシヤがします。しかし、除去されるようにする行動は、自分がしなければなりません。そこに一体になって従順にしなければなりません。このような基準が成立しない以上、私たちは救援されません。それは、死ぬか生きるかという境地を通過しなければならないのです。そこを通過してこそ、悪の血統が除去されます。生死が交錯する境地に入らなければなりません。死の境地を手探りしていかなければならないのです。第五編 真の家庭 第二章 本然の男女の愛と祝福結婚 第三節 祝福結婚を通じた重生10 1970.10.13
それで、出発する時、血統転換式をします。それを、自分の生命よりもっと信じなければならないのです。統一教会の一つの礼式だといって、ただ一般の宗教儀式として考えてはいけないのです。これは、死んだ立場から回生させる注射の薬と同じです。解毒注射です。「地上生活と霊界」第一章 有形・無形世界での人間の存在 九 出生の基準と生涯の基準 1 過った出生の基準
② 真の父母様の主要な勝利圏の二番目は、サタンに奪われていた三大祝福を復帰してくださった恩恵です。これは長子権、父母権、王権、万物主管権復帰の勝利圏と言い換えることができます。
なぜ、真の父母に従うべきなのか? この宇宙全体を相続するために、従うべきなのです。どれほど素晴らしいかというのです。神様と真の父母は、すべてを持っているのです。・・・
真の父母が驚くべきことが何というと、その方に会って絶対的に一つになって、永遠に一つになると決心して、永遠に一つになるようになれば、この宇宙全体を神様が相続してくれるというのです。そう、皆さんは先生について回りたいですか?(はい)。「真の父母」 第五章 天国と「真の父母」 五 真の父母と永生
これを見ると私達が勝利できない理由がはっきりわかります。
ご父母様が復帰された三大祝福の恩恵を相続できていないことが原因です。
終末論 第四節 週末と現世 (一)第一祝福復帰の現象、を見ると、第一祝福復帰の現象として、心霊の復帰、本心の自由の復帰、創造本然の価値性の復帰、本性の愛の復帰が挙げられています。第一祝福を相続できていたら私達は心霊的にも愛においてももっと高い次元にいるはずです。現状をみれば第一祝福を相続できていないことは明白です。
第二祝福復帰は家族、氏族、民族、国家、世界の主権の復帰を意味します。それぞれの次元の主権者を復帰できない根本理由は、政治家などの権力者の渉外ができていないからですが、今回の苦難においてどの政治家も簡単に手のひらを返したのには理由があるのです。私達が真の父母様から第二祝福を相続できていないからです。第二祝福復帰の勝利圏の相続なくして神韓国、神日本の復帰はできないことは明らかです。
第三祝福は万物主管です。私達が万物の祝福から遠く、万物問題で苦しむのには明確な理由があるのです。真の父母様の万物主管権復帰の恩恵を相続できていないからです。神様の代わりに世界を治める権限を持っているのは真の父母様です。地球のあらゆる万物、諸国家の領土や財産、あらゆる資源、自然などすべてが真の父母様の所有です。それが私達に連結していないのは明白です。
真の父母様の勝利圏を相続することができるか否か、そこが勝利か敗北かの分岐点になっています。
残念ながら、それができていないので私達は負けてばかりです。悩みから抜け出せません。
真の父母様に自分の命を捧げることで自分が完全に空の器になり、そこに真の父母様を迎え入れることができるのです。それにより真の父母様と自分が完全一体となることで勝利圏が伝授されるのです。
これ以外に起死回生の逆転勝利はありません。他にあったとしても全部回り道です。
真の父母様が為され、私達も同様に為すべきことは、自分のない空の器を作る事です。空の器は命を捧げるという絶対服従によって実現します。私達が勝利できなかった理由は、自己意識が残ったままなので空の器を作れなかったからです。
私達は絶対服従によって自分がない状態を用意できなかったので、神様と真の父母様が私達に入ってこれなかったのです。このため神様と真の父母様の勝利圏が連結されていません。
従順と服従は違います。服従には自己意識がありません。従順に従うというのは、自己意識をもって従っていくことを意味します。神様は、服従する立場、自己意識のない立場ですべて投入したというのです。神様がそのようにアダムとエバを造ったので、アダムとエバに求めることも、絶対信仰の上で絶対愛、絶対服従をすることなのです。
第十二篇 天一国 第三章 天一国国民と「家庭盟誓」 第五節 天一国主人の生活と「家庭盟誓」98 1995.11.3

勝利圏の相続は愛の問題です。そしてこれが私達の責任分担の中心です。
私達一人一人が責任分担に合格する基準にあるかどうかは、次の質問を投げかければ分かります。
自分よりも真の父母様を愛していますか?
相対者や子女や孫よりも真の父母様を愛していますか?
別の言い方をすれば
自分よりも真の父母様が好きですか?
真の父母様のために自分の命を犠牲にできますか?
自分の相対者や子女や孫よりも真の父母様が好きですか?
真の父母様のために自分の相対者や子女や孫を犠牲にできますか?
アブラハムもイサクも右側の強盗もこの基準を達成して勝利圏を相続することで勝利者になれたのです。私達食口、祝福家庭がアブラハム、イサク、右側の強盗の基準以下で良いはずがありません。
キリスト教徒のなかにもこの愛の基準を真剣に考えている人がいます。聖書に書いてあるからです。自分の命よりも家族の命よりもイエス様を愛せるかということです。
わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。マタイ10:37-39
やはりイエス様は強烈です。真の父母様も韓国ではこのような強い口調で言われたことがあると思います。私達には薄めた形で伝わってきていますが真の父母様の本音はイエス様と同じです。私達が真の父母様に甘えすぎているのは事実だと思います。
誰よりも神様と真の父母様を愛するというのは難易度の高い心情世界のように感じますが、愛の真実について知ればずっと容易くなります。
私達の教会にはそんなことを知らなくてもすんなりできる人はいると思います。このような人は理論よりも心情が先立つとても心霊の高い人です。しかし私はその心霊基準にないので、自分よりも家族よりも喜んで真の父母様を愛し、自分と家族の命を神様と真の父母様に捧げるだけの理論的根拠が必要でした。
これを解明し理論化することが神様から私への指示でした。2014年10月27日(天一国2年閏9月4日)にあった神様から私への指示とは
「み言をまとめなさい(み言の真意を解明しなさい)」
「真の愛を伝えなさい」
「悩める魂を救いなさい」
真の愛を伝えることができたなら、その人の魂が救われることは明らかです。
悩める魂を救うためには、まず真の愛を伝えなさいというのはどういう意味なのかを明確にする必要があります。
これが分かったようで分かりませんでしたが、やっと正解に近づいたように感じています。
自分よりも神様を、そして相手を、生命のように愛するという純粋で美しい愛、それが真の愛です。神様はこの宇宙に、真の愛の力よりも強い力は創造されませんでした。真の愛は、神の愛です。「成約人への道」第二章 家庭観 一 理想的な家庭とはどのような家庭か 1.なぜ家庭が良いのか
自分よりも神様をそして相手を生命のように愛する愛が真の愛だとあります。つまり、自分の生命よりも神様を、そして相手を生命以上に愛する愛、自分の命まで捧げて愛する愛、それが真の愛だというのです。
それができるようにするためにみ言を解明して理論化しなさいというのが私への指示だということです。それがみ言をまとめなさい、あるいはみ言の真意を解明しなさい、ということの意味だとやっと分かりました。
真の父母様のみ言は、それを心霊的に感じることができれば神様と相手を自分の生命以上に愛することができるようになっていると思いますが、心霊的にスパークすることは誰でもできることではありません。誰でも実践できるようになるためには、少なくとも理論化した内容が必要です。それが私の使命だと分かりました。そしてそれは最近やっと出来上がったと思っています。そして、それをまとめたのがこの文章です。
真の愛は自分の生命を神様と相手に捧げる愛ですが、この愛を実践できるポイントとなるのが、生命とは何か?それはどのようにして存在するようになったのかという問題を解明することです。簡単に言えば、自分の生命は自分のものなのか?神様によって与えられているものなのか?ということです。
食口であるなら、自分の生命は神様から与えられたものだと思っておられると思います。一般の人でも漠然とそのように思っている人もいます。しかし漠然とした考えは実践力を持ちません。自分の生命は間違いなく神様によって与えられたものだという強い確信にまで行かなければ、自分の生命を神様にお返しする決意はできません。反対に自分の生命は神様によって与えられているものだと心底から確信できれば、自分の生命を御心に叶う時にいつでも神様にお返しするという決意はずっと簡単になります。
神様の恵みという言葉は宗教人ならみんな使っている言葉だと思います。しかし、真の父母様のみ言を元に科学的事実を加味してみてみると、そんな言葉では全く足りないほどに神様が与えに与えてくださっていることで初めて私達の生命は存在していることが分かります。
生まれた間もない赤ちゃんを慈しみ育てる母親の姿は感動するほどに献身的です。夜中でも赤ちゃんに変化があれば、疲れ切っていたとしてもすぐに飛び起きて世話をします。その姿を見ると、父母の愛というのはすごいと思ったりします。しかし事実は神様の人間に対する父母の愛は赤ちゃんを世話する母親の愛も霞んでしますほどに驚異的です。この神様の姿を知らずして神様の愛を語ることはできません。
それを述べているのが「総論Ⅱ 真の愛の観点から見た創造 神様の精誠」と「絶えず私に注がれる神様の精誠の驚くべき実像(神様の精誠Ⅰ)」です。私達一人一人に対する神様の精誠が、私達の生命を捧げるに十分な精誠なのかを考えながらお読みくださるのが良いと思います。
この内容を難しいと感じる方もいると思います。そう思われても読み飛ばさないようにお願いいたします。ご自分でも様々に調べて研究なさってください。私を通して知った内容としてではなく、ご自分の知識として迎え入れてください。なぜそこまで申し上げるかと言えば、神様に自分の生命を捧げることができるかにとって肝となるからです。
分からないことがあれば遠慮なくお尋ねください。それが私の使命ですからお聞きくださることは私にとっても生きがいです。
次に私達の持っている意識について知る必要があります。意識(心)には様々な機能や能力があります。具体的には五感の感覚機能、知情意の能力、愛の能力があります。宗教人であってもこれらの機能や能力は、人間自体に生まれながらに内在しているものだと思っています。しかし、事実は大きく違うのです。これらの心の機能や能力は人間が神様の意識の中に入れてもらわなければ発揮できないものなのです。
人間世界で親の心の中に住んでいる子供はいません。象徴的な意味ではありえますが、実際は不可能なことです。これは神様の父母の愛が想像を遥かに超えていることが良く分かる事例です。この愛の深さは表現のしようがありません。人間はこの愛に対して全くの無知です。人間の本当の無知は真理についての無知ではなく、神様の愛についての無知なのです。
この人間に対する愛は、私達の肉身の生命がなくなったとしても変わることがありません。また、このような心の機能や能力も肉身の生命がなくなっても永遠に続きます。
これについては、「天地創造以前の傑作であるクオリア」、「クオリア論Ⅰ、クオリア論Ⅲの各論」、「衝撃の神観 衝撃の人間観」、「神様の意識の中で生活する人類Ⅰ」、「神様の意識の中で生活する人類Ⅱ」をご覧くださればお分かりいただけると思います。これらの内容を、相対者や子女や孫の生命を神様に捧げるに十分な愛を神様から受けているのかどうかを確認しながらお読みくださることをお勧めいたします。
自分の生命、相対者や子女や孫の生命を捧げるのに十分な愛を神様から受けていると実感できていなければ、自分の生命や相対者、子や孫の生命を捧げることなどできるはずはないのです。
私達が相対者を見て魅力的に感じたり、子供や孫を可愛いという思いが止めどなく流れたりするのも全て私達が神様の意識の中にあるから起こる現象です。対象そのものが魅力や美を持っているわけではなのです。すべての源泉は神様なのです。
これが事実ならば、自分が自分に対して感じる美、自分に対して流れる自己愛、相対者から受ける美、相対者に流れる愛、子女や孫から受ける美、子女や孫に流れる愛、これら全てが神様からのリアルタイムでの恩恵です。神様の意識の中で生活していることで起きている驚異的な現象です。
これは人間が神様の外部にいるのか?それとも神様の内部で生活しているのか?という余りにも重要な問題です。今までの宗教における世界観は被造物は神様の外部に存在するというものでした。しかし、み言の結論は、被造物は神様の内部で生きているということです。これは神観と人間観の革命でありコペルニクス的転回です。
被造物、とりわけ人間は神様に抱かれて生活しているのです。人間をしっかり抱いたまま。ひと時も離れたくない父母なる神様です。
アダムとエバは、神様の二性性相がそのまま出てきたので、一つのふろしきから出てきたのと同じです。双子で生まれた兄と妹のようなものです。その兄妹の双子がおっぱいを片方ずつ分けて飲み、お互いに触って、母親のおっぱいを飲む愛を中心として考えるのです。すべて母の懐に抱かれて愛するのです。
「宇宙の根本」 第二章 人間創造と愛の理想の完成 三 神人一体と愛の理想完成 3.なぜ結婚が重要なのか (1) 結婚の目的は神様に似ること

さて、私達は信仰基台と実体基台が信仰生活の核心だと知っています。信仰基台は父母である神様を自分の命以上に愛する事によって造成されます。これは縦的基台です。実体基台は個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の人々を自分の命以上に愛することによって造成されます。これは横的基台です。この縦横の基台ができれば私達は合格品です。
実体基台は段階が多くありますが、真の父母様は神様と一体なので、天宙よりも大きな存在です。このため、真の父母様を自分よりも自分の家族よりも愛するならば、個人から天宙に至るすべての段階を勝利したことになります。
真の父母様の愛は自分自身や家族の生命を捧げるに十分なものだと感じておられるでしょうか?
私よりも信仰歴が長く、信仰も深く、心霊も高く、ご父母様に直接侍ってこられた方にとっては失礼極まりない質問だと分かっています。しかしこれが私の使命なので寛大な御心で受け止めてお許しくださいますようお願いいたします。
真の父母様がご自身の生命はもちろんのこと、ご自身の人生もご家族も全て神様に捧げて、神様がお入りになる完全な空の器の用意されていった路程については「御父母様による神様の恨の実体解怨路程(神様の恨と解怨Ⅳ)」、「総論Ⅳ 御父母様による神様の怨恨の実体解怨路程」お読みください。ご父母様の愛が、皆様ご自身とご家族の生命を捧げるだけの価値あるものかどうか、確かめるお気持ちでお読みくださることをお勧めいたします。
今日、父母の日を迎え、父母の勝利圏を宣布するのです。父母の勝利圏を悪魔がどれほど嫌い、神様がどれほど待ち望んだか! 皆さんの先祖たちと、人類がそれほど待ち望んだ勝利圏を備えるようになり、皆さんにそのまま相続してあげようとするのです。一度も使用してみることができずに、全部子供たちに譲ってやろうというこのみ旨を、皆さんがきれいに受け継いで、大きな水晶にはならなくても、結晶石のような、そのような形を備えなければならないということを知るべきなのです。「真の父母」 第四章 真の父母の使命 三 真の父母になる前の過程
それゆえ、皆さんは、誰よりも先生を愛さなければなりません。誰よりも真の父母と一つになければなりません。真なる愛を中心とした血統であるために、そこには相続権があり、同位権があり、同参権があるのです。分かりますか? それでサタンが接近することができないのです。「真の父母」第六章 「真の父母」と我々 六 生命視すべき事 2 一つになりなさい
神様と真の父母様を自分と自分の家族以上に愛する、これがやるべきことの全てと言っても過言ではありません。また、有難いことに神様と真の父母様はとても愛しやすい存在です。神様と真の父母様が勝利してくださったので、私達の行く道は余りにも簡単になったのです。