お父様が原罪を持ってお生まれになられたとしたら、原理を解明することもサタンを屈服することも神様を解放することも不可能です。
これは食口であれば誰でもわかります。
しかし、お母様はお父様に原罪があったと言われたのです。明らかに敢えて言われたのです。本当に、ある真理が隠されているのかもしれませんし、嘘かもしれません。この場合、どちらであるかはあまり重要ではありません。
重要なのは食口にとって最も信じられないことを言われたということです。ここがポイントです。
お父様の御存命中、お父様のみ言を無条件で信じるべきであった私達ですが、信じ切れませんでした。何度信じないで裏切ったことでしょうか。
それが聖和の苦痛が必要になった最大の理由です。お父様の人生の最期を十字架にしてしまったのは私達です。これはとても大きな罪です。この深刻さを多くの食口が身にしみて分かっていないのが現状ではないでしょうか。
イエス様を信じきれず十字架に追いやったペテロは、ローマで逆さ十字架にかけられることで蕩減していきました。
他の弟子たちもヨハネを除いて全員殉教したと伝えられています。
ヤコブはヘロデ王によって剣で殺害され殉教(使徒行伝12:2)
マタイは、エチオピアで刀傷によって殉教
バルトロマイは、トルコとアルメニアで説教したことで、むちで打たれ皮膚がはがされて殉教
ペテロの弟アンデレは、ギリシャで逆さ十字架につけられ殉教
トマスは、宣教途中のインドで、槍で刺され殉教
マッテヤは、石打ちにされ、そのあと斧で首を切られて殉教
熱心党のシモンは、ペルシャでノコギリで二つに切られて殉教
パウロは、ローマで紀元後67年に、皇帝ネロによって拷問のあと首をはねられ殉教
私達も罪の蕩減が必要です。本来なら逆さ十字架や悲惨な殉教の道です。
この悲惨な道を避けるためにお母様による侍墓三年路程の精誠条件があったのです。
その精誠条件の基台の上で、お母様は、私達が到底信じがたいことを信じることを条件として赦しの道を用意して下さいました。私達がわずかな信仰を示せば赦される道を作られたのです。これが真実です。
お母様の一連の発言の背後にある愛の心情を何としても分かる必要があります。
それを分からずお母様を不信することは罪の上塗りをすることです。
ユダでも不信仰を悔いて命を絶ったのです。
厳しい信仰生活を耐えて天に貢献してきた食口が、最後にユダ以下の道を行ったとすれば、天の悲しみと苦痛はどれほど大きい事でしょうか。
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