最近、物理学における宇宙誕生時の完璧な対称性と対称性の破れ、それに続く質量の出現に関心を持ちました。とても難しい内容なので全部を理解するには門外漢の私にとってはとうてい不可能です。このため、物理学についての私の記述に間違いがあることも十分あり得るのでその場合はご容赦ください。しかし、それでも敢えてこの問題について探求しようと思ったのは、この事象には神様の創造における重要な基本方針と神様を理解するカギが隠されているからです。
A.アインシュタイン(1879年-1955年)を起点として始まった現代物理学は、その後もP.ディラック(1902年-1984年)や南部陽一郎(1921年-2015年)を初めとした天才的な科学者によって驚異的な発展を遂げてきました。これらの学者たちはノーベル賞が最も似合う人たちです。彼らは、万物のすべての根源について説明できる神の数式ともいうべき方程式を追い求めてきました。
さて、宇宙誕生直後にはこの世界に存在する重力、強い核力、電磁気力、弱い核力という4つの力は分かれておらず1つでした。そこから重力が分離し、次に強い核力が分離し、更に電磁気力と弱い核力に分離しました。
別の言い方をすれば、*4つの力は、1つにまとまっていた時があり、*その次には、強い核力、電磁気力、弱い核力が一まとめでありかつ重力だけが分離していた時があり、*その次には、電磁気力、弱い核力が一まとめでありかつ重力と強い核力が別々に分離していた時があり、*最後に完全に4つの力に分離しました。
アインシュタインは後半生の30年近くを電磁気力と重力の統一方程式を求めることに費やしましたが実現を見ることはありませんでした。
しかし、その後の多くの物理学者の努力によって、一つだった力が4つに分離していった方向を逆にたどりながら、電磁気力、弱い核力の統一方程式が解明され、更にそれに加えて強い核力を取り込んだ電磁気力、弱い核力、強い核力の統一方程式が解明されていきました。後は最初に分離した重力を加えた最終的な統一方程式の解明に迫る段階まで来ています。
多くの物理学者たちは、この最終的な方程式が見つけられれば宇宙の根源を解明できるかもしれないと期待しています。
しかし、はっきり申し上げて残念ながらそれは期待通りにはなりません。
統一思想の原相の二段階構造を見れば、数式は法則性にあたりますので内的形状に属するものです。宇宙の根源である神様の本質から見れば外側にあるものです。その先には内的性相である情知意があり更に一番奥には心情と愛があります。肉体をいくら研究しても決して心は分からないのと同様に物理法則を極限まで解明しても本質は見えてきません。
科学のように外側から本質に迫るアプローチには初めから限界があるのです。
宇宙の根源に直接アプローチしない限り全体は見えてきません。宇宙の根源である神様にアプローチできるのは本然のアダムである「真の父母」しかいません。「真の父母」によるトップダウンの真理が現れない限り宇宙の根源については永遠に解明できないのです。
反対に、「真の父母」によって天からもたらされたトップダウンの真理を知っていれば、物理学の素人であったとしても、宇宙誕生の最初に現れた現象についてその隠された本質的な意味を見つけることができるのです。これは天の真理を知る者の特権です。ノーベル賞級の発見の奥にある本質を見つけることはとてもエキサイティングであり痛快です。み言を知っていることの余りの素晴らしさに酔いしれる世界です。病みつきになるほどの喜びをもたらしてくれます。
ここでは近代物理学において重要な概念である対称性の破れと質量についてその本質的な意味を探っていきます。
対称性とは、ある変換に関して不変である性質の事とされます。例えば、バチカンにあるサン・ピエトロ大聖堂やベルサイユ宮殿などは左右対称で右と左を入れ替えても変わりません。しかし、横から見れば左右対称ではありません。一方、球体は視点を変えてどの方向から見ても球です。球はより対称性が高いということができます。物理学における対称性は更に高度な概念であるため理解し難いものがありますが、敢えて簡単に言えば、本来の状態、原初の状態ということができます。なぜなら、宇宙が始まった瞬間、そこには極めて高い対称性が存在していたことは物理学者にとって暗黙の了解事項だからです。
物理的な対称性の概念は、よく水を例に説明されます。水において対称性が高い状態は水蒸気の時です。宇宙の生成歴史から見ても水分子が誕生した時、宇宙は高温状態でした。このためH2O分子の原初の状態は水蒸気です。水蒸気という気体状態ではH2O分子はランダムに飛び回りどの方向にも一様に分布しています。どの方向から見ても一様です。
水蒸気が冷めてくると数個から数十個のH2O分子が結合してクラスターを形成し液体の水になります。水蒸気の時にあった一様な状態が失われ、むらのある状態だと言えます。水蒸気の時と比べて対称性が失われた状態です。
液体の水の状態から更に冷えると水分子は互いに結合して六角形の長い結晶を作り更に対称性を失い固体化し氷となります。
このように、ランダムな方向性で一様に存在しているという対称性の高い本来の状態が、ある一定の方向性を取るようになることを対称性が破れるといいます。
対称性が高い水蒸気の状態から対称性が破れた水になると本質はH2Oで変わりませんが、相が気体から液体に変化します。これを相転移と呼んでします。水が更に対称性を失うと氷という固体に相転移します。
http://commune.spring8.or.jp/finding/140218.htmlより
さて、宇宙誕生直後は極めて対称性の高い状態でした。
この時すべての素粒子が光速で飛んでいました。素粒子の本来の姿であり、原初の姿です。これは素粒子の自由が実現しているような世界です。すべての素粒子が光速で飛び、どこから見てもランダムに動き完全な均一を実現している状態でした。しかし、これは無秩序な状態ではなく、それどころか数式によって完全に表現できる高度な対称性が存在する世界でした。
素粒子物理学においては、ゲージ対称性、カイラル対称性などの対称性が実現するためには素粒子が光速で飛び質量が0でなければなりません。質量がわずかでもあれば光速では進めなくなります。これはアインシュタインの相対性理論が示しています。
ところが、宇宙が誕生して間もなく劇的な変化が生じました。
ほとんどの素粒子が光速で飛ぶという状態から、光速では飛べない状態に変化したのです。ゲージ粒子(力を伝える素粒子)の一つであるウィークボソンやフェルミ粒子(物質を構成する素粒子)が光速で飛べなくなり質量を持つようになったのです。ゲージ対称性やカイラル対称性が破れることで質量ある世界に変化したのです。
さて、ここまでは近代物理学が見出した内容ですが、ここからが本題です。
神様が有形実体世界に質量を出現させる方法にはとても興味深いものがあります。ここに有形実体世界を創造する目的と方針がはっきり表れているからです。
神様は物質が動きにくいという状態を作る必要がありました。言い換えれば物質に質量を持たせる必要があったのです。
その方法は、素粒子そのものを直接的に動きにくくするのではなく、周りの環境、すなわち真空を変化させることによって実現しようとされました。真空をヒッグス場で満たしたり、クオーク凝縮で満たしたりして真空の相を転換されたのです。ほとんどの素粒子はヒッグス場と相対基準を結ぶようにできており、ヒッグス場と授受作用することで動きにくくなります。クオークは、凝縮したクオーク場と授受作用することで更に動きにくくなり大きな質量を持つようになります。
ここで重要なのは、すべての素粒子は光速で動くという本来の性質が失われたわけではないということです。素粒子が光速で動くという本来の性質は保持したまま、真空という環境が動きを制限するという仕組みです。ここが重要なポイントです。
人間は万物の総合実体相なので、万物創造の御業の中に有形実体世界と肉体の創造の目的と方針を見つけることができるようになっています。
どういう事かと言いますと、人間の中心である心は空間(距離)を超越して一瞬で移動します。また、過去、現在、未来と時間を超越します。心は年を取らず永遠に子供であり若者です。一方、人間にとって直近の環境である体と外界はその心に制限を与えます。地上生活においては距離を移動するには時間がかかりますし、過去や未来に行けないようになっており現在にしか存在することができません。また、肉体も物質世界も経年劣化します。
さらに物質に質量があることも加わって、何をするにしても大きな消耗が伴います。
このように、光速で動いていた素粒子が真空の相の質が変わることで動きにくくなった方式と、人間の心が体と外界によって制限される基本方式が同じなのです。
神様は素粒子という最初の被造物を通して、最終目標である人間の心と体を創造される基本方針を示されたのです。
お父様のみ言に天国での宴会の話が出てきますが、霊界の天国では参加者が集まるのに時間はかかりません。一瞬で移動できます。衣装も一瞬で最高級の服に変わります。料理も最上の美味が一瞬で現れます。後片付けも一瞬です。
地上で同じように整えようとすれば莫大な労力と多くの時間とお金がかかります。有形実体世界はなかなか思うようにはいかない制限世界です。
それでは、神様は何故このように制限が多く苦労と消耗の多い世界を造られたのでしょうか?人間の体は時空を超越できる霊人体で事足りるのに、時空に制限され100年程で死に至る肉身がなぜ必要なのでしょうか?
ここにこそ神様の天地創造の真の意味が潜んでいます。
神様は最高の愛を願われるが故にこれ以上ないというくらい難しく高度な創造の道を選ばれました。まさに神様にしかできない創造の奇蹟を目指されました。
無形の神様にとって最高に愛が流れる対象は、神様が一番欲しいと願われたご自身にフィットする有形の体です。この体は神様に震動的衝撃を与えてくれるものです。体を持つことで愛の刺激が何千倍、何万倍と大きくなります。体は神様を性相とすると神様の形状です。この場合、神様の体が、神様と独立した意思を持たず、ただ神様の思い通りに動くだけのロボットのような存在なら愛の喜びはそれほど大きくなりません。喜びは、自体内にあって自分の思い通りになる存在よりも、自分から分離独立して自由意思を持つ存在の方が圧倒的に大きいのです。この神様の体であり神様の形状として創造されたのが神様とは独立した存在としての人間です。
性相と形状が独立した意思を持っているにもかかわらず一心同体であるという困難極まりない姿を実現しようとされたのが神様の創造の真実です。これを現実化するには人間があうんの呼吸で神様の気持ちが自分の気持ちとして全く誤差なく感じられるようになる必要があります。これを成し遂げる心の基盤が人間による神様の心情体恤です。
心情体恤のターゲットは神様が通過してこられた心情歴史です。心情の世界は同じ体験を通過する以外に体恤する道がありません。例えば創造の心情は、神様が愛を中心としてご自身の血肉を削って創造された時に通過された心情世界です。この世界は人間自体が愛を中心として血肉を削るような体験をしない限り決してわかりません。また、人類始祖の堕落の後、神様は囹圄暮らしを余儀なくされましたが、この心情世界は、いわれなき罪によって監獄生活を強いられるような経験をしなければ中々わからない世界です。更に、神様は怨讐サタンと怨讐堕落人間を愛で復帰する道を来られましたが、この心情世界も殺しても飽き足らないほどの怨讐を持ったことのない人には理解するのが難しい世界です。
しかし、ここに更に大きな問題があります。それは創造の御業一つとっても、霊界は別としても、宇宙誕生から人間が創造されるまでに138億年もの気の遠くなるほどの時間を要したということです。普通なら人間も神様の創造の心情を体恤するのに138億年が必要ということになります。
人間の成長期間は責任分担を完遂するための期間です。この期間は単に堕落しないように自己主管する期間ということではなく、中心的な目的は神様の心情を体恤することです。ところが、成長期間は138億年ではなくわずか20年ほどです。
ここに地上生活がわずか100年にもかかわらず特別な世界として創造される必要があった理由があります。大母様は地上の100日間は霊界での100年に当たると度々言っておられました。これは地上生活で100日間真心を込めて精誠を尽くした場合、霊界で同等の精誠を捧げようとすれば100年かかるという意味を含みます。
霊界のように思いが瞬時に実現する世界は、完成してから生活するには最高の世界ですが、神様の心情世界を一から体恤するには向いてないと言えます。
一方、時間と空間の強い制限を受け、消耗し苦労が多い肉身と有形実体世界は神様の心情を短時間で体恤するにはもってこいなのです。ある意味、神様の創造の御業において霊人体や霊界以上に傑作だと言っても過言ではありません。
仏教においては思い通りにならないことを苦と定義します。その代表が生老病死の四苦です。もちろんこの世が苦痛に満ちていて思い通りにならないのは堕落したからです。またそこから復帰するにも苦痛が伴います。しかし、この世が思い通りにならないのは堕落だけが原因ではありません。
既に述べましたように無限のスピードで動き時間までも超えようとする心とそれを制限して時間空間内に拘束し、更に消耗し疲れ劣化する肉体と外的環境の存在です。
それを現象的に捉えると生老病死の苦痛というふうに捉えることもできます。しかし神様の心情体恤のための環境という観点で見るとあまりに見事です。
地上生活での人生である生はこの環境が基本です。これを更に強めるのが老病死です。
老いをもたらすものは、紫外線、エンジンやモーターのある乗り物に乗った時や電子機器を使う時に生じる電磁波、医薬品などの異物を取った時、激しく動いたとき、などに発生する活性酸素が大きな原因になります。この活性酸素は体内での通常の代謝においても発生し一細胞当たり一日10億個発生すると言われています。この活性酸素を除去するSODなどの酵素が体内で作られますが完全には除去されません。活性酸素がDNAを壊すとDNA修復酵素がこれを直しますが壊れ具合がひどい場合はその細胞が自分で壊れるようになっています。このような場合、ほかの細胞が細胞分裂してその部分を埋めます。しかし、時々DNAのコピーミスが起こり修復できないとまたその細胞は壊れます。
細胞の核にある染色体の末端領域にテロメアと呼ばれる部分があり、細胞分裂をするたびに短くなります。テロメアが短くなれば細胞分裂は鈍化し、なくなれば細胞は分裂をやめます。一つの細胞の細胞分裂は通常50回から60回と言われています。
このような絶妙な仕組みによって加齢とともに細胞の総数が減少していきます。胃腸でも肝臓でも腎臓や膵臓でも細胞の数が減りだんだん若いころのような本来の機能が発揮できなくなっていきます。脳や心臓の細胞は細胞分裂しないぶん長寿ですが、例えば脳細胞は一日10万個の割合で壊れ減少していきます。これが老化の仕組みです。
要するに肉体は徐々に老化しいずれ機能しなくなるように見事に仕組まれているのです。
心は老いることなく真の愛を体恤するにつれてますます時空を超越し、ますます元気になります。しかし加齢とともに体は衰えます。これは年を取るに従って神様のより深い心情を体恤するための基礎となります。心情体恤の基本は成長期間が終わるまでですが、その後の霊界に行くまでの人生は神様の心情の更なる深淵を味わうための貴重な時間です。そして最後は体が全く動かなくなり心情体恤の旅が終わるのです。
老化は少しずつ進行し長期的なのに対し、病気は本然世界では基本的に短期的です。この世では一生病気に苦しむ人もいますが本然の世界ではそうはなりません。本然的生活をしていれば生霊要素が霊人体から供給されるので成人病のような病気はなくなると思います。特に、心筋梗塞や脳卒中のなどの突然死ぬ病気は、地上生活を整理するための時間を奪うので本然ではあり得ないのです。
しかし病気が皆無なわけではありません。特に感染症は残ると考えられます。「所見」の「神様の恩恵の私物化と心情蹂躙という罪の中に生きる人類」でも書きましたが、人間の免疫システムは完璧です。いかなる細菌、ウィルス、異物、毒物にも対応し体を守ります。ただ、それらが体内に侵入してから免疫システムがフル稼働するまでには時間がかかります。時間がかかるように仕組んであるといった方が正しいと思います。これは本然の人間でも風邪などの感染症にかかり熱が出たり痛みを感じたりするようになっているということです。このさじ加減が見事なのです。本然の世界では病気にはなっても死に至ることはないようにできています。まさに、見事な微調整(ファインチューニング)なのです。
病気になると苦痛と忍耐の日々になります。体は全く思い通りにはなりません。これは神様の心情を短時間で深く体恤できる期間です。一般的にも病を知っている人の方が情深くなります。また、健康であるという状態がいかにありがたいものであるかが身に染みて分かります。
最後は死です。死は更に重要な意味を持ちます。それは地上生活で到達すべき愛の基準を教えてくれるものだからです。命を懸けて愛するという世界を知るためには死が物差しとなります。死がもたらす不安や恐怖や苦痛に打ち勝って神様と人を愛する愛を身に着けるのが心情体恤と並んで地上生活の最重要な目的だからです。
また、別の見方をすれば、死を超える愛を身に着けることで初めて神様の心情体恤が可能となるのです。
このように、肉身生活はわずか100年に過ぎず肉体の死をもって終了するわけですが、神様の愛と心情を短期間で体恤するのには不可欠の生活です。繰り返しになりますが、永遠の霊界での生活に比べれば瞬きに過ぎない時間を過ごす肉身生活であり有形実体世界ですが、この世界の創造こそ神様の創造の御業の中でも最高傑作と言えるかもしれません。
さて、このような観点を踏まえて神様の天地創造の初めに起こった事象について再度見てみましょう。原理的観点から見ると、宇宙が始まった直後、完全な対称性を実現していた期間は正分合の「正」を象徴しています。すなわち神様の完全性を表しています。
そして、対称性が破れて分離し実体化していく現象は「分」を表しています。対称性の破れは正しくは自発的対称性の破れといいます。これは完全な法則性は、より安定した状態を求めて自発的に完全性を失うというような意味です。
これは南部博士によって提唱され現代物理学の基本的概念となっていますが、残念ながら十分に正しいとは言えません。対称性は自発的に破れるのではなく、完全な対称性の状態から対称性を失い具体的な形状を持つように初めから予定されていたのです。対称性が破れるのは自発的ではなく、計画的であり予定通りになされたものです。天地創造における正分合作用の正から分に移行するときに現れる現象を物理学の範囲でのみ捉えようとすれば無理が生じます。
しかし、それでも対称性の破れの概念はとても面白いものがあります。神様は完全なお方ですが完全性を失ってでも成し遂げたいことがあったということです。今持っている完全性を一時的に失っても成し遂げたい事とは体を持つということです。体を持つことで得られるより震動的で衝撃的な愛の刺激を求められたのです。
アダムとエバの創造目的は第一に、アダムの体を無形の神様が着ることであり、二番目は、体を着ることによって震動的な衝撃が来るようにするためです。言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。「真の神様」 第一章 二 1.体をもつためにアダムとエバを創造
神様において、新しい朝を迎える一番の栄光の時とは、肉体をまとうことができる時です。
「天国を開く門 真の家庭」 P67、祝福家庭と理想天国Ⅰ P936 1978.1.22
アダムとエバは神様の体であり、見える神様です。アダムとエバは見える神様の立場です。神様はエネルギーの本体なので、霊界に行っても見ることはできません。体がありません。ですから、実体世界を指導し主管するためには、実体をまとわなければなりません。アダムとエバは、堕落せずに完成して地上で生きて天上に行けば、形状をまとった神様になります。見えない神様と、見えるアダムとエバが一つになるのです。そのようになれば、アダムとエバが「ははは」と笑うのは、神様が「ははは」と笑うことなので、それは正に宇宙が「ははは」と笑うことです。無形の神様が実体をまとった神様として登場するためのものが、被造世界の創造です。この世界を創造したのは、無形の神が実体の神様として登場するためなのです。
第一篇 神様 第三章 創造主であられる神様 第一節 神様の創造 4
私たちは神様が求めてこられた最終的な体を持っているので、体を求めるという強い衝動はありません。しかし、体のない神様にとっては完全性を一時的に失ったとしても得たいものなのです。ここで一時的といったのは、神様が体を創造しそれを着れば以前の完全性よりも一段次元の高い完全性を持たれるからです。これが正分合の「合」です。
このように見ると、天地創造から人類始祖を創造され、それを体として着られるまでの期間は、神様にとって一時的に完全性を失っておられた期間と言うこともできます。
これが神様の創造の中に堕落が生じてしまった理由ともいえます。
神様が震動的、衝撃的な愛の刺激を求めて体を創造してこられたという変遷を分かりやすく理解するのに手助けとなるのが最初の方に述べました水の三態です。
水の原初の状態である水蒸気は高い対称性を持っています。そしてその高い対称性を失って相が液体に変化し水になります。
水蒸気同士をぶつけても衝撃はほとんどありませんが、水同士をぶつければ、それなりの衝撃があります。水が更に対称性を失うと結晶化し相が氷という固体に変化します。氷と氷をぶつければ強い衝撃が生まれます。
水蒸気は象徴的に夜の神様に似ています。水は象徴的に昼の神様に似ています。そして人間は象徴的に結晶化した氷に似ています。このように見ると夜の神様が昼の神様を創造し、更に夜の神様と昼の神様が一体となられた天の父母様が人間を創造された意味がより明確になると思います。
夜の神様から始まった創造の歴史は、震動的で衝撃的な愛を求めてなされてきたものなのです。
(余談ですが、天地創造以前、インフレーション、ビックバンの三つはそれぞれ夜の神様、昼の神様、人間を象徴的に表現しているように感じます。)
以上に述べましたように、神様は無限を志向する心を入れる器である肉体を時間的空間的に有限にすることで地上生活という短い時間で神様の心情体恤と愛を身に着ける道を整えられました。
それでは、霊界の実体である霊人体は、神様のように全知全能であり遍在できる存在かと言えばそうではありません。霊界に行けば人間はより全知全能に近づきますが全知全能ではありません。また、霊界の行きたいところに自由に行けますが遍在とは違います。
人間は神様の完全な似姿ではありません。
これにはとても重要な意義があります。
神様は、ご自身と子女である人間が最高の幸福に至るために敢えてそうされました。これについては「真の愛論」の「玉座の神様と人間としての神様」をご覧ください。
138億年の創造の前の構想に果たして何年かかったのかと考えると、畏敬の念を超える深遠な想いに駆られます。