今回からはお母様に関係した下記の二つのことについてお話ししたいと思います。
お母様と私たちはどのように違うのでしょうか?
お母様について知る前に、私達の復帰摂理における位置について知る必要があります。
先回述べましたように、私たちが真の父母様から祝福を受け、命を越えて愛するなら真の父母様の勝利圏が連結され、原罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪が完全に清算されます。
それでは私たちは完成に近いところいるのでしょうか?
残念ながら違います。私たちはサタンの生殖器が原因で生まれたのでサタンの似姿です。生殖器は自分と同じものを作る器官なのです。端的に言えば、天使と人間の違いは、肉体のないのが天使、それに加えて肉体を持っているのが堕落人間です。肉体を持つ天使という存在は創造原理にはない存在です。堕落人間は存在そのものが非原理なのです。
この堕落人間がすべての罪を清算されるとしても、天使であることには変わらないのです。
つまり、堕落することで罪=天法に違反したこと、は清算されるとしても、堕落の原因であるサタンの愛によって、堕落人間という肉体を持った天使になったことついては変化しないということです。つまり天法に対する違反は帳消しになっても、実体が人間から天使に変わってしまったことについては祝福だけでは変えることができないということです。
これは余りにも衝撃的な内容なので、本当なのかどうか皆様のご自身でご検証ください。
これから、堕落人間とは肉体をつけた天使だということについてその根拠を述べていきます。下記ののみ言をご覧ください。
堕落することにより、アダムの体が天使長の体になりました。二つの体をもったというのです。十六歳の時に堕落することにより、蛇の体、天使長の体をもって人類を繁殖しました。すべて蛇の子です。天総官 文興進様 第二章 興進様の昇華と「愛勝日」宣布 1999.11.12」
今日の統一教会の祝福家庭は長成期完成級で天の側の天使長として結婚した立場です。‥‥‥この家庭は直接、天国に入れないのですが、なぜでしょうか? 現在、祝福を受けていると大丈夫だと思いますが、そうではありません。 ファミリー95年1月 P10」
なぜ、『家庭教会』が必要かというと、今までの統一教会の祝福は天使長家庭だからです。堕落する可能性がいくらでもあるのです。なぜ、『家庭教会』か。天使長家庭からアダム家庭に帰らなければ、永遠に地上には天国は顕現しません。・・・天使長の血統をアダムの血統に切り替える復活の理論を知らなければなりません。FAXNEWS106号 1994・9・13 アラスカ・日本家庭協会特別修」
上記のみ言によれば、今日の統一教会の祝福家庭は長成期完成級で天の側の天使長として結婚した立場だと言われるのです。堕落する可能性がいくらでもあるので大丈夫ではない存在だというのです。私たちが天使長の血統からアダムの血統に転換しなくては、天国は顕現しないと言われるのです。
確かに、私たちは祝福を頂いても中身が変わったわけではありません。食口の中で、自分は創造本然の神の実子だ、堕落性は一切消え、創造本性のみの存在だと堂々と言える人がいるでしょうか?
救いは完全でなければ救いとは言えません。私たちは真の父母様やイエス様のような本然の人間とは全くの別物だと言えるほど天から遠い存在です。
お父様の自叙伝に10歳の時のエピソードがあります。
「十歳の時でした。大みそかの日になって、村じゅう餅を作るのに大忙しだったのに、暮らし向きが困難で食べる物にも事欠く村民がいました。私はその人たちの顔が目に焼き付いて離れず、一日中、家の中をぐるぐる回ってどうしようかと悩んだあげく、米一斗(一斗は十升、約十八リットル)を担いで家を飛び出しました。家族に気づかれないように米袋を持ち出そうとして、袋に縄を「本結んでおく余裕もありませんでした。それでも、米袋を肩に担いだまま、つらさも忘れて、勾配が険しい崖道を二十里(約八キロメートル。十朝鮮里は日本の一里、約四キロメートルに相当する)も跳ねるように駆けていきました。おなかを空かした人たちを腹いっぱい食べさせることができると思うと、気分が良くて、胸がわくわくしました。」
これは10歳の時の話ですから創造原理における長成期の長成級だと言えます。愛と善のレベルにおいてこの基準を超える食口がいるでしょうか?
私は創造本然の蘇生期、長成期、完成期と復帰摂理の説明に出てくる蘇生期、長成期、完成期は別物だと感じます。緒論にはそれを感じさせる表現があります。
「堕落した人間はサタン分立の路程を通して、アダムとエバが成長した基準、すなわち、長成期の完成級まで復帰した型を備えた基台の上でメシヤを迎え、重生することによって、アダムとエバの堕落以前の立場を復帰したのち、メシヤに従って更に成長し、そこで初めて創造目的を完成することができるのである。」
長成期完成級に復帰してメシヤを迎えるのではなく、長成期の完成級まで復帰した型を備えた基台の上でメシヤを迎えるとあります。つまり長成期完成級は型だというのです。型とは仮の形あるいは象徴的な基準だと言えると思います。本然の長成期完成級と復帰原理に出てくる長成期完成級は別物と言えるのではないでしょうか。
これは真の父母様の祝福の恩恵を否定したり過小評価したりしているのではありません。祝福によって人間の救いは完成するのではなく、人間の救いはまだ途中だということです。というよりこれから始まるのです。
つまり祝福による重生は型なのです。こう考えると祝福家庭が天使長家庭に留まっている理由が明確になります。
また、『天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会』講演文に次のようなみ言があります。
「人間は、誰彼を問わず真の父母様を通した重生、復活、永生の三段階祝福を経て誕生してこそ、完成した人生を送ることができるようになるのです。言い換えれば、重生は個人的基準の生まれ変わり、復活は家庭と国家的基準の生まれ変わりであり、永生は世界的基準で全人類が共に完成し、平和の王・真の父母様に侍り、地上・天上天国を創建し、神様の祖国で永生するという意味なのです。」
これによれば、私達の受けた祝福によって重生はなされましたが、さらに国家基準での復活、世界基準での永生による生まれ変わりが必要なことが分かります。現在、お母様が集中しておられることは国家基準での復活です。これを実現するのに不可欠なのが天苑宮です。これは単なる建築物ではありません。正天宮が主権を象徴し、清平聖地が国土を象徴し、天苑宮は国民を象徴します。5月5日に始まるのは国家基準での生まれ変わり、すなわち復活です。
別の観点から見てみましょう。本然の人間が誕生するには縦的父母である神様と横的父母である真の父母様が必要です。
創造主は縦的な父であり、アダムとエバが堕落しないで完成したならば、横的な父母です。そして、愛を中心として一つになり、そこから子女が生まれていたならば、その子女は縦的な父母に似るとともに、横的な父母に似た真の父母の愛の化身体となるのです。そのように生まれた息子、娘は、神様の代身であり、真の父母の代身です。第一篇 神様 第二章 心情と真の愛の神様 第三節 真の父母であられる神様18 1988.11.1」
「その子女は縦的な父母に似るとともに、横的な父母に似た真の父母の愛の化身体となるのです。」とありますように誕生には縦的父母と横的父母が必要です。しかし、復帰摂理に現れた神様は天の父であって天の父母ではありませんでした。天の母がいらっしゃらなかったのです。
これまでに数多くの宗教があり、天の父を信じる宗教にはなりましたが、母がいない宗教を信じてきたのだというこの恥ずかしい事実を、この時間爆発させてしまわなければいけません。アベル女性UN創設大会 2012年陽暦7月16日 韓国・清平の清心平和ワールドセンター」
以上のみ言から分かることは、天の父だけで天の母がいらっしゃらない時代が復帰摂理時代のほとんどを占めていたということです。基元節の勝利によって天の父母様がその位置に復帰されました。これにより縦的父母と横的父母が整い、ようやく縦横の父母による再誕生が可能な時代がやってきました。神様が縦的父母の位置に戻られたことを明確に示す天の父母様聖会という言葉は、待ちに待った時代がやってきたことを表しています。
以上の内容を総合すると、私達祝福家庭は罪なき善の存在ではあっても天使長だということです。天使長は神様の体ではないので、神様がお入りになることができません。縦的父母と横的父母による再誕生を通過しなくては本然の人間になることはできないことが分かります。
そして、結論を申し上げると、真のお母様は神様が直接創造された神様の実の娘です。一方、私たち祝福家庭の本質は天使長です。天地の差があるのです。お母様を批判する人々は余りに愚かなことをしていることは明確です。それはあまりに恥ずかしいことです。身の程知らずという言葉が最も当てはまります。
「原罪と蕩減」で検索してここに来ました。未祝福の私には、祝福家庭の二人は先祖の偉大な功労の恵みによって祝福を受けることが出来たのでしょう。
しかしながら、今の(2024年11月07日現在)日本の家庭連合の社会的評価は最悪です。サタンにつけこまれ拉致監禁に会い犠牲になられた兄弟姉妹とその家族の恨みは誰が晴らしてあげるのか。
誠に僭越ながら、その原因は、摂理(日本は経済担当)を消化することだけで精一杯で、「本質」の伝道がなされていないことにあったと思わざるを得ません。ここで、「真、本質」を「偽」である堕落人間に伝えることは不可能に近いのではないかと感じます。