お母様に躓いたり反対したりする人がいる大きな原因と思われるのが、お母様によるお父様の否定です。お父様はお母様以外の女性と結婚すべきではなかった、他の女性と結婚することが罪となり興南などの苦難路程があった、お父様はお母様と結婚されることでお父様の原罪が清算された、などです。そんなことはあり得ないと思えることを歯に衣を着せず確信的に言われたのです。このように言われることで、分派や反対派に行く人もいたのですが、そこまでいかなくても信仰が混乱した人が案外多いのではないかと思います。これには明確な理由があるのですが、その理由について述べたいと思います。
お母様を悪く言う方は、お母様の言葉のみに反応して、その言葉の背後にある心情やその愛に気付くことができません。お母様はお父様と共に基元節までに神様の恨を完全に解怨して直接主管圏に入られました。天の父母様と真の父母様は完全に一体です。お父様とお母様は完全に一体です。
人間が自分の基準で相手を見てしまうのは致し方がないことかもしれません。自分の夫婦関係が不安定だったり一体感が薄かったりした場合、それを御父母様に投影することが起こります。事実は、お父様はいつでも喜んでお母様に命を捧げられます。お母様はいつでも喜んでお父様に命を捧げられます。それは御父母様の歩まれた道を研究すればすぐに気づきます。だとすれば、お母様がお父様を悪く言われるのは重要な意味を含んでいると考えるべきです。さらに言えば、お父様はお母様に、ある目的のためにお父様を徹底的に悪者にしなさいと言われているのです。お母様は、お父様から指示されたその役目に徹しておられるのです。どんな役者以上に見事です。かなりの食口がその言葉を信じたのですから主演女優賞をもらえるほどに迫真に迫っていたのです。しかし、信仰生活を通して神様の愛の本質にふれ、真の父母様の愛の深さを知っている一部の人は、いくらお母様がお父様を徹底して悪く言われてもそれが本音ではないと分かるのです。そしてお母様の本質を知っている人だけがそれに気付けたのです。
私が聖和の前日に命がけの祈りをした後、2012年9月12日に神様と一問一答する恩恵を頂いた時に私が最初にお尋ねしたのは、真のお父様はお元気ですかという質問でした。生きて基元節を迎えられないお父様の無念さはいかばかりだろうと思いながら祈っているときの出来事でした。神様からの答えは「私と真の父母は一体である」でした。神様と一問一答したことがある方はお分かりかと思いますが、言葉と共に情が伝わってきます。その情には意味が含まれます。それは私がこのように元気なのだから私と一体の真の父母も元気だという意味が伝わってきました。
私が真のお父様は元気ですかとお尋ねしたので、真の父は・・・・という答えが頂けると思いましたが、神様は真の父母も元気だという答えをくださったのです。つまり、神様にとってお父様とお母様は、別々の存在ではなくお一人と見ておられることが分かります。
これは昼の神様について見ると分かります。昼の神様は天の父と天の母が一つになった方です。そこに夜の神様がはいられて天の父母様となられます。このように二者がひとつとなっているので昼の神様、天の父母様と言うように単数で言うのです。霊界での夫婦も夫の中に妻が入っていて、妻の中に夫が入っているというみ言がありますが、愛によって一体になると二者ではなく単体となるのです。これは正分合の合の状態を表わしています。
さて、真の父母様の路程は人間の救いに焦点があるのではありません。御父母様をもってしても神様を解放するのに基元節までかかったのです。お父様はご自分の命を消耗しつくしてみ旨を完成させる時がやって来ることを感じておられたと思います。最後の最後まで残った神様の深い恨をご自身の命を捧げることで完全解放されたのです。これがお父様の聖和に至る最後の死の道の真実です。これにより神様の恨は完全に消えたのです。
神様はアダムの体を着てエバという妻と結婚することで天国がやって来るはずでした。しかし、エバが姦夫と結婚することで世界は破壊され、神様は怨恨の神様になられました。アダムとエバの再臨として来られた方がお父様とお母様です。神様がお父様の体を着てお母様とご結婚されればすべてが元に戻ると考えてしまいますが、そうはいきません。お父様は深い怨恨の対象となったアダムの再臨です。お母様は更に深い怨恨の対象であるエバの再臨です。アダムとエバの堕落によって生じた神様の怨恨が完全に消えない限り、アダムの再臨であるお父様の体を着てエバの再臨であるお母様とご結婚されることは絶対に起こらないのです。神様が、怨讐と結婚しようというお気持ちになれるはずがないのです。
神様の怨恨を解放する道を行くことを運命づけられたのが真の父母様です。御父母様の路程での相手は人間でもサタンでもなく天の父母様でした。それは愛の神様ではなく、恨みに狂った無慈悲な専制君主のような神様です。神様の情をそこまで吐き出させることは真の父母様しかできなかったことなのです。
2013年2月22日、基元節において真の父母様の3回目の聖婚式となる「天地人真の父母様聖婚式」が挙行されました。これは天の父母様と真の父母様の結婚式です。真の父母様が神様の解怨を完全に達成されたのでそれが実現したのです。
神様の解怨について順を追ってご説明いたします。まず、神様は解放される必要がある方でした。つまり神様ご自身ではどうしようもない恨があったのです。それは人間に対する恨です。原理講論には一切書かれていません。主の路程では表面的に語られることもありますが、本質を知る人はわずかです。この部分の説明は少々長くなりますが、お父様とお母様による神様の恨の解怨路程を説明するのに必須ですのでお付き合いください。
堕落したアダムとエバを無にしてしまいたい心は切実でしたが、彼らを無にすれば、六日間でつくられた全被造世界の原則を無にすると同時に、永遠の基準まで無にしなければならない立場になり、永遠の主体であられる神様の実存まで侵害されざるを得ない立場になるので、これを知っていらっしゃる神様は、アダムとエバをもう一度救援する摂理を始められたのです。「天一国主人の生活」第一章 創造の原動力は神様の真の愛 三 神様の愛の絶対対象は人類の先祖アダムとエバ
六千年の間、心情に飢えた大主宰であり、大王として今まで苦しんでこられた神様であられることを、はっきりと知らなければなりません。その神様を慰労してさしあげなければなりません。
その神様は、すべての世の中を一度に審判してしまいたいという切実な気持ちがありましたが、御自身の目的があり、御自身の願いと希望がこの地上にあるので、それを見つめて耐えに耐え、さらに耐えてこられたことを知らなければなりません。第一篇 神様 第二章 心情と真の愛の神様 第一節 心情の神様20 1960.4.10
神様がこの世界を審判したい気持ちが切実だったとあります。実際、無にしようと考えられたことが分かります。これは世界を滅ぼしてしまいたいという次から次と溢れて止まらないお気持ちを必死に抑えられたということです。この原因はもちろんアダムとエバの堕落です。アダムとエバは堕落した可哀そうな子女ではありません。蛇の息子、娘です。神様の血統とは一切関係がないどころかサタンの血筋になったのです。
神様は愛のお方なので、聖書の放蕩息子の話にあるように、いつも心配し、帰ってきたら心から喜んで迎えた父親のような存在だとキリスト教徒は考えてきましたし、神様は放蕩息子を心配される父母なる神様だと思っている食口もおられます。
しかし実際の神様は怨恨の神様です。人間は神様の血統とは一切関係ないだけではなく怨讐の子孫です。真の父母様は神様の実の息子と娘なので、神様の愛が流れて止まらない対象として愛されてきたを思っている方もいらっしゃるかと思います。しかし、お父様はアダムの再臨であり、お母様はエバの再臨です。つまり、世界を完全に無にしたいという思いの原因である恨みあるアダムの再臨であるお父様、アダム以上に怨讐の中の怨讐であるエバの再臨であるお母様として神様には見えるのです。
この恨は実の息子、娘に対するものなので、天使長である摂理の中心人物や選民には怨讐に満ちた神様という姿を現されることはありませんでした。それはその恨をぶつける相手ではなかったとも言えます。
恨みは情の世界なので関係性から生じます。このため自分自身で何とかしようと思っても全知全能の神様でも不可能なのです。
私の悲しみを解いてほしい」というのが神様の第一の願いです。そして、二番目は「私の苦痛を解いてほしい」ということです。それでは、誰がその願いをかなえてあげるのでしょうか。神様御自身には解くことができません。それは、相対的に食い違ったことなので、神様御自身が解こうとしても解くことができません。私たちが解いてさしあげなければなりません。第八篇 信仰生活と修練 第四章 真の父母の人生から見た信仰者の道 第四節 相続の人生 9 P936 1973.3.11
神様の恨を解放するためには、神様の恨が何であるのかについて知っていないとできません。そして神様がご自身の恨をぶつけようというお気持ちにさせるような神様の恨を受け止めることができる心情の度量のある方が必要です。人類始祖の堕落はアダムという独り子とエバという独り娘によって引き起こされました。このため神様の恨の解怨には独り子と独り娘という二人が必要です。いくらお父様がイエス様以上の救い主であっても神様の娘の蕩減は不可能です。独り子に対する恨の解怨は独り子しかできません。同様に独り娘に対する恨の解怨は独り娘にしかできません。神様の側から見ればアダムに対する恨はお父様にぶつける以外に解怨できません。同様に、神様のエバに対する恨はお母様にぶつける以外に解怨できません。
神様の心の中に苦痛があるとは誰も知らないのです。
歴史上に現れ、今ここに先生を通して現れて、その深い使命を明らかにしたので知ることができるのであり、そうでなければ分からないのです。どれほど驚くべき事実でしょうか。
イエス様もそれを知らなかったし、知っていたとしても心の中にあることを語ることができなかったのです。また、宗教指導者の中で誰一人としてそのような隠された宇宙の秘密を知る人はいませんでした。歴史上初めて世界の前に先生が現れ、宇宙の秘密が明らかにされたのです。「真の神様」 第四章 真のお父様の見た神様 三 拘束された神様、囹圄の神様 2.神様の歴史的に悲惨な姿
イエス様でも分からなかった神様の恨を知り、世界を滅ぼしたいほどの恨を私たちにぶつけてくださいという心情で歩まれたのが真の父母様です。心に深く刻まれた恨みを完全に解怨するには手加減があってはダメなのです。気が済むまで打たないと晴れないのです。
神様のみ旨を成し遂げてさしあげようと決意したことを私はよく知っています。神様の愛がこのようなものであるということを知り、ひざまずいて感謝し、許しの道を行かなければならないということをよく知っている人物です。血が吹き出しても解放の道を行かざるを得ない怨恨の神様だということを知る者はいません。私は拷問を受け、倒れそうな立場にあっても神様の前に祈祷をしませんでした。
「真の神様」第四章 真のお父様の見た神様 六 神様の解怨と孝子の道1.真のお父様が歩み来られた復帰の道
天と地に染み込んだ怨恨がどれほど大きいかを知っているがゆえに、血を吐く立場にあっても神様を慰めなければならないのです。「私は死にそうです、神様、助けてください」という祈祷をすることのできない真の父母の立場に立たねばならない悲痛な事情を、誰が知っているでしょうか。知る人は誰一人いません。唯一神様だけが、神様だけが……。「真の神様」第四章 真のお父様の見た神様 六 神様の解怨と孝子の道1.真のお父様が歩み来られた復帰の道
蕩減条件について私たちは中心人物、条件物、期間という信仰基台と長子権復帰という実体基台だと考えますが、本質は神様の解怨にあります。原理講論に出てくる復帰摂理歴史は神様の天使長に対する解怨の路程です。復帰における表面的な部分に過ぎません。
真の父母様の路程は、神様がアダムとエバの堕落によって味わわれた恨の道と同じ道を行くことだったのです。これを主導されたのは神様です。恨が生じたのと同じ道を行かなければ解怨は始まりません。
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