創造原理は人生の諸問題を解決する原理であるのみならず、科学現象や法則の根本を解明する原理でもあります。
人間世界の原理も宇宙・自然・物質世界の原理も創造原理という同根です。
ここでは、自然界を存在せしめている4つの力のうちの「強い力」と「電磁気力」を通して人間世界の問題の根本がどこにあるのか探ってみましょう。
自然界には、車を動かすガソリンの爆発力、台風や地震の力、太陽が輝き続ける力、筋肉を動かす力、磁石の力、電気の力、浮力、原子や分子が固まって固体化する力、引力、原子核内部に働く力、など様々な力が存在しますが、あらゆる力は「強い力」、「電磁気力」、「弱い力」、「重力」の4つの力に集約されることが分かっています。
(下図はhttp://www.seibutsushi.net/blog/2011/09/1208.htmlより)
あらゆる物質は素粒子からできているので素粒子と素粒子の間にはたらく力が4種類あるということです。力が生ずるためには一個の素粒子だけではだめです。必ず二つの素粒子が存在する必要があり、お互いに定まった素粒子を授け受けすることで力が生じます。創造原理の通りです。
例えば、電磁気力は二つの素粒子が光子を授け受けすることで生じます。重力は、まだ発見されていませんがグラビトンという重力素粒子を授受して生ずると考えられています。
4つの力の比率は表の通りです。
筋肉を動かす力、エンジンを動かす力、雷や地震の力、電気製品を動かす力は電磁気力です。電磁気力はとても強く、重力の10の38乗倍の大きさがあります。
私達は普段の生活の中で力を意識することはあまりありません。例えばテーブルの上に食器を置いたりすることは当たり前に考えています。しかし、テーブルが食器を支えていられるのはテーブルを個体として固めている力があるからです。これが電磁気力です。
テーブルが塊となっているのはテーブルを構成する原子や分子の間に電磁気力が働いているからです。水などは分子間に働く電磁気力は弱い形態なので水の上に食器を置けば沈んでしまいます。
ガソリンが燃える化学反応の力やロケットや飛行機が飛ぶためのエンジンの力も電磁気力です。とても強い力ですので+同士、-同士の反発力も同様に強いです。
さて、原子核に注目してみましょう。原子核には電気的に中性の中性子と+の電荷を持つ陽子から構成されます。原子核には最小である水素を除けば全て+電荷を持つ陽子が複数存在します。例えば酸素の原子核に存在する陽子は8個、金の原子核に存在する陽子は79個です。
陽子同士は+と+なので強い反発力が生じますが、原子核の中ではしっかり一つに固まっています。+と+の反発力に勝る大きな力が陽子を一つにまとめているのです。それが「強い力」です。「強い力」は重力の10の40乗倍です。つまり電磁気力の100倍です。これが自然界での最強の力です。
電磁気力は距離が離れれば離れるほど急速に弱くなります。また、陽子と電子のようにペアとなって原子を形成しますが、それぞれ単独でも存在します。
一方、「強い力」は物質の最小単位であるクオークの間に働く力です。クオークは3個で一体か、2個で一体の形態です。クオーク間に働く「強い力」は距離を離しても力が弱まることはありません。それでも無理やり引き離そうとすると引き離そうとした力がクオークに姿を変えます。(微小世界では力は質量と等価であることが明確に現れます。)そして1ペアだったものが2ペアになります。この現象はクオークの閉じ込めと呼ばれています。つまりクオークは単体としては存在せず必ず2個あるいは3個で一体として存在します。
万物は神様の象徴的実体対象なので、神様の創造目的の中心である愛を象徴するような現象が存在するはずですが、それが4つの力であると考えられます。
神様と人間との間に流れる親子の愛を象徴するのが「強い力」、「電磁気力」は陽性と陰性の間に流れる力なので男性と女性の間に流れる愛を象徴していると見なすことができます。また、人間界における+と+、-と-相克現象も象徴しています。
人間界の問題は、心と体、個人と個人、家庭と家庭、氏族と氏族、民族と民族、国家と国家の対立と闘争という相克問題、いわゆるカイン・アベル問題と不倫の愛であるアダム・エバ問題に集約されます。これは、+と+、-と-の相克問題と+と-の放縦な結合問題と見ることができます。
自然界では原子核での陽子同士の相克を治めて一つにしている「強い力」が存在します。人間界においてはこの「強い力」に相当するものが存在しません。
本然の世界においても、個人と個人でも、国家と国家でもそれぞれが主体性を持つ+存在ですので、そこには相克する力が生じます。しかしその相克力の100倍の強さと言っても良いほどの神様と人間との間の愛の力があるため完全な一体化が生まれます。
堕落世界においてはサタンの血統による自己中心性がベースになっている上に相克を凌駕する力が存在しないため相克が激しくなり果ては殺人や戦争にまで至ります。
また、男女の愛を凌駕する愛の力が存在しないので男女の愛が非原理化、放縦化します。
人間界の全ての問題は神様と人間との間の愛が失われたことにあります。クオークとクオークは分離不可能ですが、本来、神様と人間はもっと分離不可能です。それが堕落によって分かれてしまったのです。そして神様の人間に対する愛が失われたのです。失われた神様の愛を取り戻すことが人間世界の全ての問題を解決する鍵です。
心と体の相克は堕落性として現象化しますが、自分の力で堕落性を脱ごうとしても不可能です。相克の力よりも強い力が必要です。私から失われた神様の愛を取り戻す事が堕落性から解放され幸福に至る唯一の道です。
世界を一つにするのも国益を超える強い力が必要です。失われた神様の愛という最強の愛の力が戻ればすべてが解決します。
神様の愛は、ミツバチにとっての花の蜜以上の素晴らしさです。お父様の話に何度も出てきますが、ミツバチは花の蜜に夢中になるとピンセットで胴をちぎられても蜜を吸い続けるというのです。人間も神様の愛という蜜の味を味わったら命も問題ではなくなるのです。それほど素晴らしい夢のような幸せをもたらすのが神様の愛です。
その神様の愛に至る第一歩が重生です。
私達祝福家庭はすべての人類に先立って幸せになる必要があります。そうしないと人々は寄ってきません。いくら原理が素晴らしくても最後は実体を見られます。私達自体が花の蜜になれば人は来るなと言っても来るようになります。
堕落した人間は、自分の心と体に神様の愛が顕現できるその日を訪ね求めていくのです。そうすれば、爆発するような神様の愛が顕現します。既に数千年間仲違いしてきた体が、完全に一つになることができます。この日は、サタン世界では恐怖と革命の一日であり、天の世界では歓喜と勝利の一日です。その位置に立ってみれば、神様の愛がどのようなものなのかがわかります。どれほど良いことか、細胞が奮い立つようです。すべての骨と肉が一カ所に集まって固まるのを感じます。化石のようになるのです。すべての五官が完全に一つになるのを感じます。 第七編 地上生活と霊界 第二章 第一節 霊界の実相 21 1977.10.1
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